可惜夜に浮かれ烏と暁の月

るし

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第二十一節気 大雪

次候――熊蟄穴(くまあなにこもる)

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「いやいやいや、ちょっと待ってくれ。なんでお前が……て、夢の中!?」

 暁治が慌てて周りを見てみると、周りはどことも知れぬ真っ白な空間。ぷかりと浮いたように二人して座り込んでいた。
 目の前の朱嶺は、暁治のように動じもせず、徳利をこちらに差し出している。

「飲まぬのか?」

 思わず手元の盃に視線を巡らす。

「朱嶺……、朱嶺か?」

「他の誰に見える?」

「う~ん、朱嶺かな」

「うむ」

 見つめるうち、ことりと首が傾く。見れば見るほど疑問が湧くが、まとう雰囲気以外は彼の朱嶺だ。

「なんなら脱ぐか?」

「いや、いい」

 なにを脱ぐのかと思いつつ、暁治は首を振った。朱嶺ぽくはないが、面白そうにこちらを見る眼差しは、なんとなく懐かしいような気もするし、現実の朱嶺も言いそうな台詞だ。ついでに抱きついても来そうだ。見れば空いている手がわきわきしている。

「ここは夢なのか?」

「然り」

「なんでお前がいるんだ?」

「夢なのだから、我が出てきても不思議ではなかろ?」

「そうだけど」

 どうにも釈然としないのはなぜだろう。
 そういえば、と思う。
 幽世で思い出した朱嶺は、こんな口調だった気がする。とすると元々こうだったのか?
 見つめる暁治をよそに、彼はどこからともなく盃を取り出して、一人手酌で徳利を傾けた。手を伸ばした暁治は、ひょいと盃を取り上げる。

「あ、なにをする」

「酒はダメだ」

「また取り上げたな。横暴だ。再三言うが、我は未成年ではないぞ」

 不満げに口を尖らせる姿は、現実の朱嶺と重なった。

「高校生は、飲酒禁止だ」

「なんと、それは殺生だ。卒業までまだ一年以上あるではないか」

「それくらい我慢しろ」

 盃に溜まった酒を飲み干すと、文句を言いながらもまた朱嶺が注いでくれる。ちゃぽりと聞こえる水音から、まだ中身に余裕があるのが窺えた。先ほどから何度も注がれているのに、彼の持つ徳利は枯れる気配がない。夢だからだろうか。

「やけにはっきりした夢だな」

「そういう夢もある」

「そうなのか?」

 頷かれて、ふむと鼻を鳴らす。

「そういえば」

 こてりと、朱嶺は首を倒した。

「聞こうと思うておった。おぬし、我には絵を見せてくれぬのか?」

「ぶっ!?」

 思わず吹き出した。咳き込む暁治のそばに寄った朱嶺は、その背をさすってくれる。落ち着いたのを見計らったのか、ぎゅうと抱きついてきた。辺りにはいつものからかう輩はいないと見て、今日は大人しく抱き込まれてやることにした。

「我を描いてくれたのであろ。はるの絵は見たことあるけれど、それはまだ見ていない。ゆーゆは見てるのに、我だけずるい」

 ずるいずるいと身をよじる。どうやら石蕗から聞いたらしい。またあいつかと、肩を落とす。

「今度な、今度」

 大人がその場を誤魔化すのによく使う台詞を言うと、三百歳のお子さまは大人しくなった。もしかして妖というものは、みなこんなに単純でチョロいのだろうか。

「しかし、なんで口調が違うんだ?」

 どちらの朱嶺が本当だろうと、眉を寄せ考えていると、朱嶺はにまりと笑んだ。

「どちらも我だぞ。だがそうだな、うつつの我は、お前の理想のたいぷのはずだ。そうなるよう頑張った」

「ぐふっ!?」

 先ほどより気管に入ったらしい。咳き込むたびに喉が痛む。冗談だろう。暁治にとって朱嶺は、今年の初めに出会ったときから、容赦なくこちらを振り回して、破天荒な非日常へと誘う嵐のような少年だ。間違っても理想ではない、はず。
 そんな暁治の心情を知ってか知らずか、朱嶺は暁治の背をなでつつ、なにやら考え込んでいる。

「はるは、あいつが好きなのか?」

「あいつ?」

「桜小路」

 唐突に話が変わって、暁治は面食らったものの、出てきた名前に唸った。

「我は別れてやらぬぞ」

 なにやら勘違いをしているのか、ぷくりとふくれる朱嶺に向き直ると、暁治は頭をなでてやる。

「別れるもなにも、あいつは友人だし、小学生のころからの付き合いだしなぁ」

「我とも小学生のころからだ」

「まぁ、そうだけど。あいつは幼馴染みで友人、お前は幼馴染みでこっ、恋人……だろ」

「うむ!」

 ぎゅぅと、抱きつく力が強くなる。顔が発火しそうに熱いが、どうやら納得してくれたらしい。

「七番目の兄者が、ホンサイは心に余裕を持つものだと、言っていた。ところでホンサイとはなんだ?」

「ホンサイ? もしかして本妻かな……あ~、う~んそうだな。一番大事な人という意味かな?」

 間違ってはいない。と、思う。

「そうか。暁治もホンサイだからな。心に余裕を持つがいい」

 にまりと目を細められ、先ほどまでの醜態を思い出して顔が赤らむ。夢だと思っていたから、愚痴を吐きまくってしまった。もっとも、今も夢の中のようなのだが。

「わかってるよ、ちっぽけな悩みだってさ。余裕なくて悪かったよ」

 ため息混じりに、盃に吐き出すと、一気に煽る。周りも巻き込んで、最近の暁治は大人失格だ。

「暁治よ、おぬしはよくちっぽけな悩みと言うが、そんなに悩むのなら、それはちっぽけではないぞ」

「でも、そんな大したものじゃ」

「はるは真面目すぎだ。そこがおぬしのいいところでもあるが」

「ほんとに大したことないんだ。ただ、ちょっと引っかかっただけなんだ」

 またひとつ、ため息混じりに呟くと、暁治は瞳を閉じた。



 それはとある賞の展覧会だった。先だって小さいけれど初めての個展を開かせてもらい、自信をつけた暁治は、勢い込んで応募したのだ。数ヶ月かけて練り込んだ大作である。
 結果は入選。こんなものかと思ったのだが、一緒に応募した幼馴染みが優秀賞を取って、彼の受賞は一気に霞んでしまった。

 それは仕方がないと思う。桜小路の絵は、暁治の目から見ても素晴らしいもので、むしろ自分の未熟さを痛感する出来だったからだ。
 赤や緑。青い空。色とりどりの花に彩られた美しい景色の中で、生き生きとした白馬が駆けている。躍動感溢れる力強いタッチは、彼独特のもので、惹き込まれずにはいられない。

 ただ少し、自分との差を思い知っただけ。同い年で、いつも同じ位置にいたはずなのに、その差を思い知ってしまっただけだ。
 そう、彼が暁治の絵を見て、その言葉を言わなければ。それだけで済んだはずなのだ。

 ――お前の絵って、つまんないよな。

 熱心に暁治の絵を見ていた桜小路は、やがて眉を寄せると、そうぽつりと言った。
 絵の魅力なんて、人それぞれで、一概に言えるものではない。わかってはいる。
 こいつの好みに合わなかっただけなんだろう。

 もしかしたら、別のシーンであれば、言い返せたのかもしれない。強くいられたのかもしれない。
 幼馴染みだからの気安い言葉だったのかもしれない。元々彼は口数が少ない方だ。
 だが少ない方だからこそ、気づいてしまう。それが彼の本心だと。

 その後どうやって帰ったのか、覚えてはいない。ただひとつ判るのは、その日から暁治は絵を描けなくなってしまった。

 祖父の訃報を受けたのも、ちょうどそのころで。雑事にとり紛れて数ヶ月。ぼんやりと遺品を片付けていたら、弁護士から相続の話を貰い、気づいたらこんな場所まで来てしまった。



「したが、もう描けるようになったのだろ?」

「うん、なんとかな」

 アトリエを決めて、絵の具やキャンバスに囲まれていると、なんとなく手が寂しさを覚えたらしい。
 描いてみると、あるとき霧が晴れたように目に色が映ったような気がした。
 暁治は目の前で右手を広げて、閉じた。絵筆を握る手だ。そうありたいと思った手だ。

「なんで、あいつ、あんなこと言ったんだろうな」

「ん?」

「うん、実はな」

 言いかけたとき、薄っすらと辺りが輝きを増した。明るい空間が、さらに明るくなる。

「どうやら、目覚めのようだな」

「え?」

 それは一瞬の出来事。光で塗りつぶされる世界で、最後に見たのは楽しげな朱嶺の顔だった。



 ふるり、寒さを覚える。目を開けると、肩に布団がかけられていた。視線の先には急須が載ったお盆が置かれているのが見える。どうやら仲居さんが気を利かせてくれたらしい。

「みゅ……」

 もぞりと、動く腕の中に朱嶺がいた。寒いのか、彼の背に腕を回すと、ぺとりとへばりついて、幸せそうな表情を浮かべている。
 旅館に着いてすぐ寝てしまったせいか、辺りはそろそろ夕暮れどきのようだ。

「ん、はるぅ……」

「起きたか」

「ん~ん、寝てるぅ。もう僕、春までこのままでいいよ」

 朱嶺は冬ごもりに入る熊のように、暁治に抱きついたまま、布団に頭を埋める。

「馬鹿言うな。せっかく温泉に来たんだから、温泉入って飯を食うぞ」

「むぅ、僕が誘ったときは突っぱねたくせにぃ!」

 それを言われると辛い。が、そこはずるい大人である。

「なんだお前、温泉に行きたくないのか。じゃぁ、俺だけ行ってくるかな」

「えぇっ!? もぅ、はるったらほんとずるいんだからぁ!!」

 ぷくりふくれる朱嶺を見て、夢の中で言われた言葉が蘇り、ひょこりと胸が跳ねた。
 ――別に可愛いとか、思ってないからな。
 少し口を尖らせると、ふと思い出す。そうだ。

「どうしたの?」

「あぁ、桜小路と話してみるよ。聞いてみたいことができた」

 あれは暁治の夢だ。だが朱嶺は彼の顔を見て、目を大きく見開いた。

「そっか」と、やがて一言。

 目覚める前に見たのと同じ、ほにゃりと笑う顔を見て、暁治はそういえばこの顔は好きかもと、そんなことを思った。
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