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第十七節気 寒露
初候――鴻雁来(こうがんきたる)
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見上げると、空を群鳥が渡ってゆく。
この季節に飛ぶのは雁の群れだと、先日石蕗が教えてくれた。春に去って行った鳥が、つばめと入れ違いに戻ってくるのだ。
季節は夏から秋へ、そして冬に移り変わってゆく。光陰矢のごとし。一年も後少しで終わりだと思うと、なんとなく感慨深い。
抜けるような青い秋空を眺めながらそんなことを思いつつ、暁治が庭で日課のラジオ体操をしていると、のそのそと縁側から這い出てきた朱嶺が、
「はるぅ、見て見て!」
と、庭に降りてずるりとした衣装を広げて見せた。
白と墨染め色した和服と、頭には頭襟と呼ばれる六角形の小さな頭巾。胸元にはぼんぼりが並んでいて、足下には脚絆。
「ほら、まだはるには見せたことなかったでしょ?」
片手には大きな錫杖を持って、両腕を広げてくるりと一回転してみせる。得意げな表情で、顔に『褒めて』と書いてある。
鷹野と同じ山伏衣装だ。
えらいえらいと口にしてやると、目を細めてドヤ顔でこちらにやって来る。
「ねぇねぇ、似合う? 惚れ直した?」
「いや、そもそも惚れてないから」
そう言いながらも、ここのところ彼のペースに流されているような気がする暁治だ。
最近彼から愛だの恋だの言われているが、いまいちピンとこない。
へらへらぽやぽやふんにゃりとした笑顔を向けられても、特にトキメキといったものを感じないのだ。
だからこれは恋ではない、と思う。
「なんで今更そんな格好をしてるんだ?」
「え、そりゃ、今からお仕事に行くからだよ」
朱嶺はえへんと、胸を張った。
仕事と言われて首を傾げる。
「ほら、ちょっと前に言ったでしょ。神無月のお手伝い」
「そう言えば」
ここのところ長めに家を空ける朱嶺に、それとなく様子を聞いたところ、神さまたちの会合があると言っていたのを思い出した。
十月は神無月というのだが、神さまたちの集まる出雲だけは神在月というらしい。下っ端妖は会合の手伝いに駆り出されると言っていた。
「そんじゃ、今からちょっと行ってくるねぇ」
ぱさりと。朱嶺の背中から黒い翼が広がる。
暁治は思わず、息を飲んだ。
いや、日ごろから妖と言っていたから、背中に羽根が生えていても不思議ではないのだが。
前にキイチが猫になったときも、そんなことがあるのだと受け入れたはずなのに。なぜ今になって、こんな違和感を覚えるのか。
ぎゅっと、暁治は無意識にシャツの胸元を握りしめた。最近少し情緒不安定気味かもしれない。
「はる?」
「え、いや」
あまりにじっと見過ぎていたらしい。朱嶺がきょとんと、目を瞬かせている。
暁治はこほんっと、咳払いをすると、つとめて平静な声音を作った。
これは別におかしなことではない。そもそも妖に翼があってもおかしくはないだろう。ましてや彼は烏天狗なのだし、当たり前のことなのだ。うん。
自分を納得させる。
「今度も結構長いのか?」
なにせ神在の月というくらいだ。今月いっぱいと言われてもおかしくない。
しかし彼は妖といえど、普段は学校に通っているのだ。前にそれとなく聞いたところ、妖術的なもので誤魔化していると言っていたが、さすがにひと月は長い気がする。
「ん~、二、三日ぐらいかな。今日は開校記念日で、明日は休みだから、なるべくその間希望」
「そんなものか?」
「うん、元々交代制だし。それに僕、今年は行かないって前から言ってたのに、親父殿に今回だけはどうしてもって言われてさ。あ、親父殿ってのは、天狗の頭領でね。だからさっさと交代して帰ってくるよ。そんで、はるとイチャイチャするの」
「イチャイチャはしないが、気をつけて行ってこい」
「もう、はるってばツンテレなんだから。ツンデレじゃなくて、ツンな照れ屋さんでツンテレね」
「照れてないし、そんなのどうでもいいし、肩をバンバン叩くな。とっとと行け」
「はぁい、とっとと行って、とっとと帰ってくるよ。はるは寂しがりやだからね」
抱きつかれそうになったのを、額を押さえて押し返すと、朱嶺は残念そうに口を尖らせた。この自信はどこから来るのか。まったくずうずうしいやつである。
「そいじゃ、行ってくるね!」
朱嶺は地面を蹴って、ふぅわり、空に舞い上がると、雁の群れが来た方へと飛んでいく。方角は北、そちらに出雲があるのだろう。
あの羽根ちゃんと飛ぶんだと、いささか感心して見上げていると、背後から驚いたような声が上がった。
「あぁっ!? 駄烏は出かけたのか。せっかくおれがわざわざあいつの分も朝飯作ってやったのに! にゃ!」
見るとお玉を手にしたキイチが、縁側から空を睨んでいる。朝ご飯を作っていたはずなのだが、彼も朱嶺が出かけるのを知らなかったらしい。
日ごろ仲が悪そうにしている割りに、こうしてご飯を準備してやるところをみると、言うほど仲が悪いわけではないのかもしれない。
「兄ぃ! 遅かったか」
「おやおや」
キイチに返事しようと口を開きかけた暁治は、垣根の向こうから空を見上げる鷹野に気づいた。隣には同じように上を見上げる崎山さん。鷹野はどうやら朱嶺に用だったみたいだが、彼はもうかなり離れてしまっている。
「よぉ、鷹野おはよう。崎山さんも、おはようございます」
そういえは、鷹野は行かなくていいのだろうか。そんなことを思いながら、暁治は手を上げた。
「はる殿! 呑気にしている場合ではござらんぞ」
鷹野はキリリと眉を上げると、ひょいと垣根を飛び越えて来た。予備動作もなく垣根を跨ぐことができるのは、烏天狗の能力だろうか。少し羨ましい暁治だ。
「兄ぃが大変なことになってるのでござる」
「あ、お前、暁治になにするのにゃ!」
肩をつかまれて、ぐいぐいと揺すられる。
「た、大変なこと?」
目を回しつつ、鷹野の言葉に先ほどの朱嶺の様子を思い出す。特に慌てる風もなく、いつもと同じように見えた。
「はる殿は、兄ぃが帰ってこなくてもいいのでござるか!?」
「え?」
突拍子もないことを言われて、キイチと二人顔を見合わせる。
「二、三日で帰ると言っていたけど」
「頭領が、兄ぃが下界でふらふら恋だのにうつつを抜かしているのは問題だと言って、これを機会にあっちで所帯をもたせるつもりでござる」
「えぇっ!?」
聞けば、最近仕事も早上がりで、暁治の家に入り浸りなのが問題になっているらしい。
「早上がりと言っても、仕事自体はちゃんとやってるでござる。兄ぃは手抜きをしないお方だ。たぶん仕事がどうとかではなく、単純に下界にばかりいる兄ぃが面白くないのだと思うのでござる。人間に誑かされたのではないかと」
「誑かされたって、なぁ」
むしろ誑かそうとしているのは朱嶺だろう。いきなり押し掛けて来られて、居座られて困っているのはこちらの方だ。言いがかりも甚だしい。
向こうが引き取ってくれるなら、万々歳ではないか。暁治には関係ない。
だいたい、やりたい放題されて、勝手に好きだのイチャイチャだのと決めつけているのは朱嶺だ。なにが向こうで所帯だ。
向こうで所帯を持ったら、もう家には帰ってこないのだろうか。高校に通ってはいるが、彼は見た目通りの歳ではない。結婚してもおかしくはないのだろう。
考えるほどに胸がむかむかして、暁治は無意識にむぅと口を引き結んだ。
「暁治?」
キイチが暁治に視線を向けた。日ごろ駄烏だのと罵り合っている割にやはり心配のようだ。しょんぼりと、垂れた眉が不安げに見える。
「俺は……」
口を開きかけ、喉につかえたように先の言葉を言い淀む。
「ほぅほぅ、ちょうどいかったなぁ。おまんら、あけみーんとこ行くなら、ついでにこれも届けとくれ」
入り口の方から明るい声がした。玄関を回って来たらしい。崎山さんがのんびりと歩いてきて、暁治に風呂敷包みを押し付けた。
小柄な年寄りの見かけによらず、力があるようだ。たぷんっと腕の中で水の音がした。
中身はおそらくガラス瓶だろう。かなり重い。
「毎年持っていってもらうんやけんど、忘れていったみたいでなぁ」
彼らの様子などどこ吹く風。崎山さんはにっかりと、白い歯を見せた。
「そうそう、来週石蕗んとこで、集まりがあるでな。ほれ、じき秋祭りやけ。もんてきたら、みんなで来るとえぇ」
なにも知らぬげに、だがなんでも見通しているかのような眼差しを向けられ、暁治はしばらく黙った後、こくりと目を伏せ頷いた。
「わかりました」
この季節に飛ぶのは雁の群れだと、先日石蕗が教えてくれた。春に去って行った鳥が、つばめと入れ違いに戻ってくるのだ。
季節は夏から秋へ、そして冬に移り変わってゆく。光陰矢のごとし。一年も後少しで終わりだと思うと、なんとなく感慨深い。
抜けるような青い秋空を眺めながらそんなことを思いつつ、暁治が庭で日課のラジオ体操をしていると、のそのそと縁側から這い出てきた朱嶺が、
「はるぅ、見て見て!」
と、庭に降りてずるりとした衣装を広げて見せた。
白と墨染め色した和服と、頭には頭襟と呼ばれる六角形の小さな頭巾。胸元にはぼんぼりが並んでいて、足下には脚絆。
「ほら、まだはるには見せたことなかったでしょ?」
片手には大きな錫杖を持って、両腕を広げてくるりと一回転してみせる。得意げな表情で、顔に『褒めて』と書いてある。
鷹野と同じ山伏衣装だ。
えらいえらいと口にしてやると、目を細めてドヤ顔でこちらにやって来る。
「ねぇねぇ、似合う? 惚れ直した?」
「いや、そもそも惚れてないから」
そう言いながらも、ここのところ彼のペースに流されているような気がする暁治だ。
最近彼から愛だの恋だの言われているが、いまいちピンとこない。
へらへらぽやぽやふんにゃりとした笑顔を向けられても、特にトキメキといったものを感じないのだ。
だからこれは恋ではない、と思う。
「なんで今更そんな格好をしてるんだ?」
「え、そりゃ、今からお仕事に行くからだよ」
朱嶺はえへんと、胸を張った。
仕事と言われて首を傾げる。
「ほら、ちょっと前に言ったでしょ。神無月のお手伝い」
「そう言えば」
ここのところ長めに家を空ける朱嶺に、それとなく様子を聞いたところ、神さまたちの会合があると言っていたのを思い出した。
十月は神無月というのだが、神さまたちの集まる出雲だけは神在月というらしい。下っ端妖は会合の手伝いに駆り出されると言っていた。
「そんじゃ、今からちょっと行ってくるねぇ」
ぱさりと。朱嶺の背中から黒い翼が広がる。
暁治は思わず、息を飲んだ。
いや、日ごろから妖と言っていたから、背中に羽根が生えていても不思議ではないのだが。
前にキイチが猫になったときも、そんなことがあるのだと受け入れたはずなのに。なぜ今になって、こんな違和感を覚えるのか。
ぎゅっと、暁治は無意識にシャツの胸元を握りしめた。最近少し情緒不安定気味かもしれない。
「はる?」
「え、いや」
あまりにじっと見過ぎていたらしい。朱嶺がきょとんと、目を瞬かせている。
暁治はこほんっと、咳払いをすると、つとめて平静な声音を作った。
これは別におかしなことではない。そもそも妖に翼があってもおかしくはないだろう。ましてや彼は烏天狗なのだし、当たり前のことなのだ。うん。
自分を納得させる。
「今度も結構長いのか?」
なにせ神在の月というくらいだ。今月いっぱいと言われてもおかしくない。
しかし彼は妖といえど、普段は学校に通っているのだ。前にそれとなく聞いたところ、妖術的なもので誤魔化していると言っていたが、さすがにひと月は長い気がする。
「ん~、二、三日ぐらいかな。今日は開校記念日で、明日は休みだから、なるべくその間希望」
「そんなものか?」
「うん、元々交代制だし。それに僕、今年は行かないって前から言ってたのに、親父殿に今回だけはどうしてもって言われてさ。あ、親父殿ってのは、天狗の頭領でね。だからさっさと交代して帰ってくるよ。そんで、はるとイチャイチャするの」
「イチャイチャはしないが、気をつけて行ってこい」
「もう、はるってばツンテレなんだから。ツンデレじゃなくて、ツンな照れ屋さんでツンテレね」
「照れてないし、そんなのどうでもいいし、肩をバンバン叩くな。とっとと行け」
「はぁい、とっとと行って、とっとと帰ってくるよ。はるは寂しがりやだからね」
抱きつかれそうになったのを、額を押さえて押し返すと、朱嶺は残念そうに口を尖らせた。この自信はどこから来るのか。まったくずうずうしいやつである。
「そいじゃ、行ってくるね!」
朱嶺は地面を蹴って、ふぅわり、空に舞い上がると、雁の群れが来た方へと飛んでいく。方角は北、そちらに出雲があるのだろう。
あの羽根ちゃんと飛ぶんだと、いささか感心して見上げていると、背後から驚いたような声が上がった。
「あぁっ!? 駄烏は出かけたのか。せっかくおれがわざわざあいつの分も朝飯作ってやったのに! にゃ!」
見るとお玉を手にしたキイチが、縁側から空を睨んでいる。朝ご飯を作っていたはずなのだが、彼も朱嶺が出かけるのを知らなかったらしい。
日ごろ仲が悪そうにしている割りに、こうしてご飯を準備してやるところをみると、言うほど仲が悪いわけではないのかもしれない。
「兄ぃ! 遅かったか」
「おやおや」
キイチに返事しようと口を開きかけた暁治は、垣根の向こうから空を見上げる鷹野に気づいた。隣には同じように上を見上げる崎山さん。鷹野はどうやら朱嶺に用だったみたいだが、彼はもうかなり離れてしまっている。
「よぉ、鷹野おはよう。崎山さんも、おはようございます」
そういえは、鷹野は行かなくていいのだろうか。そんなことを思いながら、暁治は手を上げた。
「はる殿! 呑気にしている場合ではござらんぞ」
鷹野はキリリと眉を上げると、ひょいと垣根を飛び越えて来た。予備動作もなく垣根を跨ぐことができるのは、烏天狗の能力だろうか。少し羨ましい暁治だ。
「兄ぃが大変なことになってるのでござる」
「あ、お前、暁治になにするのにゃ!」
肩をつかまれて、ぐいぐいと揺すられる。
「た、大変なこと?」
目を回しつつ、鷹野の言葉に先ほどの朱嶺の様子を思い出す。特に慌てる風もなく、いつもと同じように見えた。
「はる殿は、兄ぃが帰ってこなくてもいいのでござるか!?」
「え?」
突拍子もないことを言われて、キイチと二人顔を見合わせる。
「二、三日で帰ると言っていたけど」
「頭領が、兄ぃが下界でふらふら恋だのにうつつを抜かしているのは問題だと言って、これを機会にあっちで所帯をもたせるつもりでござる」
「えぇっ!?」
聞けば、最近仕事も早上がりで、暁治の家に入り浸りなのが問題になっているらしい。
「早上がりと言っても、仕事自体はちゃんとやってるでござる。兄ぃは手抜きをしないお方だ。たぶん仕事がどうとかではなく、単純に下界にばかりいる兄ぃが面白くないのだと思うのでござる。人間に誑かされたのではないかと」
「誑かされたって、なぁ」
むしろ誑かそうとしているのは朱嶺だろう。いきなり押し掛けて来られて、居座られて困っているのはこちらの方だ。言いがかりも甚だしい。
向こうが引き取ってくれるなら、万々歳ではないか。暁治には関係ない。
だいたい、やりたい放題されて、勝手に好きだのイチャイチャだのと決めつけているのは朱嶺だ。なにが向こうで所帯だ。
向こうで所帯を持ったら、もう家には帰ってこないのだろうか。高校に通ってはいるが、彼は見た目通りの歳ではない。結婚してもおかしくはないのだろう。
考えるほどに胸がむかむかして、暁治は無意識にむぅと口を引き結んだ。
「暁治?」
キイチが暁治に視線を向けた。日ごろ駄烏だのと罵り合っている割にやはり心配のようだ。しょんぼりと、垂れた眉が不安げに見える。
「俺は……」
口を開きかけ、喉につかえたように先の言葉を言い淀む。
「ほぅほぅ、ちょうどいかったなぁ。おまんら、あけみーんとこ行くなら、ついでにこれも届けとくれ」
入り口の方から明るい声がした。玄関を回って来たらしい。崎山さんがのんびりと歩いてきて、暁治に風呂敷包みを押し付けた。
小柄な年寄りの見かけによらず、力があるようだ。たぷんっと腕の中で水の音がした。
中身はおそらくガラス瓶だろう。かなり重い。
「毎年持っていってもらうんやけんど、忘れていったみたいでなぁ」
彼らの様子などどこ吹く風。崎山さんはにっかりと、白い歯を見せた。
「そうそう、来週石蕗んとこで、集まりがあるでな。ほれ、じき秋祭りやけ。もんてきたら、みんなで来るとえぇ」
なにも知らぬげに、だがなんでも見通しているかのような眼差しを向けられ、暁治はしばらく黙った後、こくりと目を伏せ頷いた。
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★8月22日投稿開始、完結は8月25日です。初日2話、2日目以降2時間おき公開(10:10~)
★コメントの返信は遅いです。
★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。
♡注意事項~この話を読む前に~♡
※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。
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