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第十四節気 処暑
初候――綿柎開(わたのはなしべひらく)
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突然の再会――元の主が揃った家は数日、宴会のような賑やかさだった。入れ替わり立ち替わり訪問客がやって来て、祖父母の帰りを歓迎した。
本当に愛されていたのだなと、その光景に暁治は驚きもしたが、誇らしい気持ちにもなる。
毎夜の宴で、英恵とともに台所でてんてこ舞いではあったけれど、それもまた楽しいひと時だった。さてそろそろ帰るか、そう言われた時には、寂しい気持ちになってしまった。
「はるちゃんの元気な顔が見られて良かった」
「うん。会えて良かったよ」
「元気でね」
優しくぽんぽんと腕に触れた手。見た目は年若い女学生だが、そのぬくもりに記憶にある祖母の姿が重なる。唇を引き結べば、表情の意味を悟るように、やんわりと目が細められた。
「ばあちゃん、そろそろ行くにゃ」
「はいはい」
いつまでも顔を見合わせていると、玄関戸の向こうからキイチが顔を出す。視線を持ち上げたら、その先にいるつっくん――祖父とも目が合った。
「はる、この場所に縛られんでええからな」
「え?」
「おまんは自由に生きたらええ。まあ、とりあえずはあけみーと仲良くな」
ニッと笑みを浮かべたその表情に、先日のやり取りを思い出す。しかし思わず隣を見たが、いつもなら騒がしい朱嶺が口を噤んで黙っている。寂しいと感じていたのは自分だけではなかったかと、暁治はしょんぼりとした肩を叩いた。
「じゃあ、行ってくるにゃ」
「おう、キイチ頼んだぞ」
提灯を持ったキイチがぶんぶんと手を振る。それを見送れば、小さな二つの背中も門の向こうへ消えてしまった。ぼんやりとなにもない場所を見つめ、残された二人はふっと息をつく。
それに気づいてお互いの顔を見ると、朱嶺はへにゃりと笑った。その泣き笑いみたいな顔に自然と手が伸び、赤朽葉色の髪をガシガシと撫でた。自分の行動に驚きつつも、暁治は見上げてくる視線に笑みを返す。
「さあ、掃除して昼飯の準備だ」
「お昼ご飯はなに?」
「そうだなぁ。ちょっと面倒だし、冷茶漬けにするか。ばあちゃんが作ってくれた漬け物と、ミョウガと、あと適当に」
「いいね」
「そういや桃は?」
見送りに出てこなかった小さな同居人を探すと、仏壇の前にちょこんと座っていた。小さな頭を撫でてやれば、顔を持ち上げる。眉尻が下がった寂しそうな顔。帰ってしまうその姿を見るのが悲しくて、顔を出せなかったのだなとわかる。
隣に座り線香に火を付けて、両手を合わせた。そういえば初盆だったと、いまごろになって思い出し、もっと準備をしておけば良かったと反省をする。
「みゃあっ」
「お、寝ぼすけは起きたか」
「みゅ~」
鳴き声に振り返ると、小さな籠ベッドで寝ていた子猫が伸びをしていた。そしてくわっと口を大きく開けてあくびをしたと思えば、ピクピクと耳を動かし辺りを窺う。
ちょこちょこと居間へ歩いて行く姿を黙って見ていたら、また用心深く辺りを見回した。
「じいちゃんとばあちゃんならいないぞ」
「みっ!」
もしやと声をかけると、暁治の言葉がわかったのか、それともなにか感じ取ったのか、子猫はピンと尻尾を立てた。そしてぷりぷりとお尻を揺らして飛び上がる。
小さな身体がゴム鞠のようにあちこち飛び回る様を見て、暁治は呆気にとられた。
「大人しい子だと思ってたけど。あれか、幽霊がいて大人しくなってただけか?」
昨日まで部屋の隅でちんまりしていたのに、まるで大運動会でも繰り広げられているのかと、そう思うくらいの暴れっぷりだ。大人しすぎて心配ではあったが、これだけ元気ならば問題ない。
トタトタと駆け回る足音を聞きながら、部屋の掃除を始めることにした。
「ちびのくせに果敢だな」
ガーガーと掃除機をかけていると、子猫は興味津々な顔をして体当たりしてくる。小さな手で、ちょいちょいとアタックしてくる様子は微笑ましい。それに飽きたらまた部屋の中をぴょんぴょんと跳び回る。
猫はキイチくらいしか世話したことがなかったので、こんなにも元気なのかと驚く。しかし思えばあの当時のキイチは老猫だった。少しのんびりしたように見えたのはそのせいかもしれない。
「あー! もう! 駄目だよ!」
離れの自室まで掃除をし終わって、戻ろうとしたところで朱嶺の声が響いた。その声の先に向かえば、仏間の真ん中で子猫の首根っこを摘まんでいる。粗そうでもしたのかと思ったが、ふと目端に止まったものを見てなるほどと思った。
仏壇の前に置かれた座布団から綿がはみ出している。さながら綿花のようになっているそれに、暁治は苦笑いを浮かべた。
「俺は裁縫得意じゃないんだけどな」
「いいよ、僕がやるよ」
「ふぅん、できるんだ」
「はなちゃんが、男子たるもの裁縫くらいできなくてどうする! ってね」
大きな裁縫箱は、祖母の嫁入り道具の一つと聞いたことがある。浴衣や着物のみならず、洋服も縫ってしまう器用さだった。そんな祖母から仕込まれたという朱嶺はするりと針に糸を通す。
その様子を見ながら、あの小さな穴に通すことから大変なんだよなと思う。学校の授業で裁縫の経験はあるが、いつも宿題を母にやってもらっていた。
糸も通せない上にまっすぐ縫えないのだ。そんな暁治とは対照的に、朱嶺はすいすいと空いた穴を縫い合わせていく。
「はる、猫はどうする?」
「あー、そうだなぁ。元気そうだし、里親でも探すか」
しばらく腕組みをして唸ってから、思い立って暁治は自室からノートパソコンを持ってきた。居間のテーブルでそれを広げて猫、里親、募集したいなどと検索する。
出てきた結果を一つずつクリックして、きちりと管理されていそうなコミュニティを探した。
「車があるからちょっと遠くても届けられるな。雄だっけ? 雌?」
「女の子だったよ」
「何ヶ月だ?」
「お医者さんが一ヶ月くらいだって言ってたよ」
「まだ小さいけど大丈夫かな? 獣医さんにもお願いするか。夏休み中に見つかるといいけど」
規約を隅々まで眺めて、あれこれと悩みながら申し込みフォームに記入していく。そして体重はどうやって量ればいいのかと、キイチが毎朝やっていたことを思い返し、キッチンスケールを台所から持ち出した。
「あれ? ちびすけどこに行った?」
いざ体重をと思ったが、先ほどまで近くでうろちょろとしていた白い毛玉が見つからない。居間をぐるりと見渡すけれど、部屋の中にはいなかった。気づくと縫い物をしていた朱嶺の姿も見当たらず、首を捻りながら仏間を覗く。
しかし縫い終わった座布団が仏壇の前に置かれているが、そこにもいない。
「おーい、朱嶺?」
踵を返し居間を通り抜ける。縁側に続く障子を開くと、廊下の先に朱嶺の背中が見えた。なにかを覗き込むようにしているその背に近づけば、足音に気づいたのかこちらを振り向いた。
そして訝しげな顔をする暁治に「しー」っと人差し指を立てる。ますます首を捻りたくなるけれど、努めて足音を立てずに近づいた。
「あ、……桃、とちびすけ」
ぽかぽかと光が降り注ぐ縁側で、小さな一人と一匹はぴったりと寄り添って眠っている。子猫を抱きしめるように寝ている桃は、笑みを浮かべているように見えた。
なんとも言えないほんわりとした光景に、気持ちが和まずにはいられない。
「里親探しは、やめるか」
「うん、そうだねぇ」
「思えば桃は家でいつも一人だもんな」
座敷童は家につく妖怪だから、この家の中からは出られないと聞いた。庭に降りたところすら見たことがないので、本当にその中にしかいられないのだろう。出掛ける自分たちに笑みを見せているが、実は寂しく思っていたのかもしれない。
「名前はなににする?」
「せっかくだから桃につけてもらおう」
新しい我が家の住人を喜んでくれるといい。そんなことを思いながら、二人で可愛らしい寝顔を眺めた。
本当に愛されていたのだなと、その光景に暁治は驚きもしたが、誇らしい気持ちにもなる。
毎夜の宴で、英恵とともに台所でてんてこ舞いではあったけれど、それもまた楽しいひと時だった。さてそろそろ帰るか、そう言われた時には、寂しい気持ちになってしまった。
「はるちゃんの元気な顔が見られて良かった」
「うん。会えて良かったよ」
「元気でね」
優しくぽんぽんと腕に触れた手。見た目は年若い女学生だが、そのぬくもりに記憶にある祖母の姿が重なる。唇を引き結べば、表情の意味を悟るように、やんわりと目が細められた。
「ばあちゃん、そろそろ行くにゃ」
「はいはい」
いつまでも顔を見合わせていると、玄関戸の向こうからキイチが顔を出す。視線を持ち上げたら、その先にいるつっくん――祖父とも目が合った。
「はる、この場所に縛られんでええからな」
「え?」
「おまんは自由に生きたらええ。まあ、とりあえずはあけみーと仲良くな」
ニッと笑みを浮かべたその表情に、先日のやり取りを思い出す。しかし思わず隣を見たが、いつもなら騒がしい朱嶺が口を噤んで黙っている。寂しいと感じていたのは自分だけではなかったかと、暁治はしょんぼりとした肩を叩いた。
「じゃあ、行ってくるにゃ」
「おう、キイチ頼んだぞ」
提灯を持ったキイチがぶんぶんと手を振る。それを見送れば、小さな二つの背中も門の向こうへ消えてしまった。ぼんやりとなにもない場所を見つめ、残された二人はふっと息をつく。
それに気づいてお互いの顔を見ると、朱嶺はへにゃりと笑った。その泣き笑いみたいな顔に自然と手が伸び、赤朽葉色の髪をガシガシと撫でた。自分の行動に驚きつつも、暁治は見上げてくる視線に笑みを返す。
「さあ、掃除して昼飯の準備だ」
「お昼ご飯はなに?」
「そうだなぁ。ちょっと面倒だし、冷茶漬けにするか。ばあちゃんが作ってくれた漬け物と、ミョウガと、あと適当に」
「いいね」
「そういや桃は?」
見送りに出てこなかった小さな同居人を探すと、仏壇の前にちょこんと座っていた。小さな頭を撫でてやれば、顔を持ち上げる。眉尻が下がった寂しそうな顔。帰ってしまうその姿を見るのが悲しくて、顔を出せなかったのだなとわかる。
隣に座り線香に火を付けて、両手を合わせた。そういえば初盆だったと、いまごろになって思い出し、もっと準備をしておけば良かったと反省をする。
「みゃあっ」
「お、寝ぼすけは起きたか」
「みゅ~」
鳴き声に振り返ると、小さな籠ベッドで寝ていた子猫が伸びをしていた。そしてくわっと口を大きく開けてあくびをしたと思えば、ピクピクと耳を動かし辺りを窺う。
ちょこちょこと居間へ歩いて行く姿を黙って見ていたら、また用心深く辺りを見回した。
「じいちゃんとばあちゃんならいないぞ」
「みっ!」
もしやと声をかけると、暁治の言葉がわかったのか、それともなにか感じ取ったのか、子猫はピンと尻尾を立てた。そしてぷりぷりとお尻を揺らして飛び上がる。
小さな身体がゴム鞠のようにあちこち飛び回る様を見て、暁治は呆気にとられた。
「大人しい子だと思ってたけど。あれか、幽霊がいて大人しくなってただけか?」
昨日まで部屋の隅でちんまりしていたのに、まるで大運動会でも繰り広げられているのかと、そう思うくらいの暴れっぷりだ。大人しすぎて心配ではあったが、これだけ元気ならば問題ない。
トタトタと駆け回る足音を聞きながら、部屋の掃除を始めることにした。
「ちびのくせに果敢だな」
ガーガーと掃除機をかけていると、子猫は興味津々な顔をして体当たりしてくる。小さな手で、ちょいちょいとアタックしてくる様子は微笑ましい。それに飽きたらまた部屋の中をぴょんぴょんと跳び回る。
猫はキイチくらいしか世話したことがなかったので、こんなにも元気なのかと驚く。しかし思えばあの当時のキイチは老猫だった。少しのんびりしたように見えたのはそのせいかもしれない。
「あー! もう! 駄目だよ!」
離れの自室まで掃除をし終わって、戻ろうとしたところで朱嶺の声が響いた。その声の先に向かえば、仏間の真ん中で子猫の首根っこを摘まんでいる。粗そうでもしたのかと思ったが、ふと目端に止まったものを見てなるほどと思った。
仏壇の前に置かれた座布団から綿がはみ出している。さながら綿花のようになっているそれに、暁治は苦笑いを浮かべた。
「俺は裁縫得意じゃないんだけどな」
「いいよ、僕がやるよ」
「ふぅん、できるんだ」
「はなちゃんが、男子たるもの裁縫くらいできなくてどうする! ってね」
大きな裁縫箱は、祖母の嫁入り道具の一つと聞いたことがある。浴衣や着物のみならず、洋服も縫ってしまう器用さだった。そんな祖母から仕込まれたという朱嶺はするりと針に糸を通す。
その様子を見ながら、あの小さな穴に通すことから大変なんだよなと思う。学校の授業で裁縫の経験はあるが、いつも宿題を母にやってもらっていた。
糸も通せない上にまっすぐ縫えないのだ。そんな暁治とは対照的に、朱嶺はすいすいと空いた穴を縫い合わせていく。
「はる、猫はどうする?」
「あー、そうだなぁ。元気そうだし、里親でも探すか」
しばらく腕組みをして唸ってから、思い立って暁治は自室からノートパソコンを持ってきた。居間のテーブルでそれを広げて猫、里親、募集したいなどと検索する。
出てきた結果を一つずつクリックして、きちりと管理されていそうなコミュニティを探した。
「車があるからちょっと遠くても届けられるな。雄だっけ? 雌?」
「女の子だったよ」
「何ヶ月だ?」
「お医者さんが一ヶ月くらいだって言ってたよ」
「まだ小さいけど大丈夫かな? 獣医さんにもお願いするか。夏休み中に見つかるといいけど」
規約を隅々まで眺めて、あれこれと悩みながら申し込みフォームに記入していく。そして体重はどうやって量ればいいのかと、キイチが毎朝やっていたことを思い返し、キッチンスケールを台所から持ち出した。
「あれ? ちびすけどこに行った?」
いざ体重をと思ったが、先ほどまで近くでうろちょろとしていた白い毛玉が見つからない。居間をぐるりと見渡すけれど、部屋の中にはいなかった。気づくと縫い物をしていた朱嶺の姿も見当たらず、首を捻りながら仏間を覗く。
しかし縫い終わった座布団が仏壇の前に置かれているが、そこにもいない。
「おーい、朱嶺?」
踵を返し居間を通り抜ける。縁側に続く障子を開くと、廊下の先に朱嶺の背中が見えた。なにかを覗き込むようにしているその背に近づけば、足音に気づいたのかこちらを振り向いた。
そして訝しげな顔をする暁治に「しー」っと人差し指を立てる。ますます首を捻りたくなるけれど、努めて足音を立てずに近づいた。
「あ、……桃、とちびすけ」
ぽかぽかと光が降り注ぐ縁側で、小さな一人と一匹はぴったりと寄り添って眠っている。子猫を抱きしめるように寝ている桃は、笑みを浮かべているように見えた。
なんとも言えないほんわりとした光景に、気持ちが和まずにはいられない。
「里親探しは、やめるか」
「うん、そうだねぇ」
「思えば桃は家でいつも一人だもんな」
座敷童は家につく妖怪だから、この家の中からは出られないと聞いた。庭に降りたところすら見たことがないので、本当にその中にしかいられないのだろう。出掛ける自分たちに笑みを見せているが、実は寂しく思っていたのかもしれない。
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