可惜夜に浮かれ烏と暁の月

るし

文字の大きさ
上 下
27 / 75
第九節気 芒種

末候――梅子黄 (うめのみきばむ)

しおりを挟む
 居間と台所の間にある柱には、小さな傷がある。たくさん、というわけではないが、暁治の腰くらいの高さから、肩の辺りまでさまざまだ。
 その犯人の一人である暁治は、刻まれた傷のひとつをするりとなでた。

 柱の傷がどうのと言ったのは、端午の節句の歌だろうか。小さいころの父親がつけた背丈の傷を見て、張り合うように友達と一緒に印をつけたのは、もう十年以上前のこと。家の柱に傷をつけてと、当時は祖母にこっぴどく怒られたものだ。父親が一緒に並ばされたのは、自業自得なのだが。

 そういや、あの子は元気なのかな。

 昔遊びに来るたび、一緒に遊んだ友人を思い出す。暁治よりいくつか年嵩の彼は、いつもなにか楽しいことを見つけては、周りを愉快にさせる天才だった。

「はるっ、はる、なにしてるの?」

 柱の前でぼぉっとしていたらしい。いつの間にやって来たのか、朱嶺がこちらの顔を覗き込んでいた。

「ちょっとな、昔を思い出して」

「あ、この傷? はるがまぁちゃんより背が高くなったからって、印つけろってごねたやつだよね。父親の背丈追い越した記念だって。あのときは僕まで巻き添えくらって怒られたんだよ。正治さんは知らんぷりしてるし。でもこっちの深いやつは、正治さんがつけたんだからね。あ、もちろん子供のころだけど」

 ぷんぷんと、頬をふくらませる赤朽葉色の髪の少年を、暁治はじぃっと見た。

「なに?」

「いや」

 確かあの子も赤い髪だったな、と思い出す。
 暁治は超常現象めいたものを信じるたちではない。祖父の寝物語の夜来るものの怪奇話も、物語のひとつとして認識しているくらいだ。
 リアリストと言ってしまえばそうなのかもしれないが、逆に目の前に提示されたものを受け入れるのも、実のところやぶさかではない。

 どんな突拍子もないことでも、だ。
 もっとも、なんでもかんでも受け入れる、というものではないのだが。

 しかしながら、これはどうなのだろう。暁治は思案する。
 実のところさっきまですっかり忘れていたのだが、先日、自分は実は三百歳だとカミングアウトした少年は、暁治が抱えていたザルに目を止めた。

「梅の実?」

「ん? あぁ、庭の梅の実が大きくなったから、梅干しでも作ってみようかと思ってな」

「氷砂糖と日本酒もあるみたいだけど」

「そっちは梅酒用だ」

 水洗いして水分を拭った梅の実の入ったザルを、机の上に置く。座っていた桃が、手にしていた竹串を一本、朱嶺に手渡した。

「ヘタ取りかぁ」

「さっき量ったら五キロあったから、好きなだけ食え」

「え~、まだ青いじゃん」

「梅酒は青い方がいいんだぞ」

「知ってる! サトちゃんも昨日漬けてたし」

 サトちゃんこと崎山里美さんは、家の近所にある崎山商店のご隠居だ。

「駄菓子ばぁちゃん特製、夏のかき氷用のと、白玉梅シロップの梅を漬けるんだって。めちゃウマだよ」

 自家製梅シロップのスイーツとか、想像しただけで喉が鳴りそうだ。うっとりと頬に手を当てる朱嶺の横で、暁治も同じ表情を浮かべる。

「いいな、うちも漬けるか」

 彼がそう言うと、桃が嬉しそうに手を叩いた。笑顔で頷くお姫さまのリクエストには、ぜひとも応えねばならないだろう。幸い梅はたくさんある。

「炭酸水も買おうよ。梅ソーダ飲んでみたい。とびきり甘いシロップで」

 梅シロップの作り方は簡単だ。梅と氷砂糖を瓶の中に交互に入れて、溶けるまで数日置きに瓶を揺らせばいい。早く溶かすには少しアルコールを加えればいいのだが、少々時間はかかるがなくても問題はない。
 梅酒の氷砂糖は控えめにするから、余ったのをシロップに回すか。
 砂糖の割合をあまり増やすのもよくないが、それくらいなら問題ないだろう。着々と頭の中で計画が進む。

「ねぇねぇ、シロップをわらび餅にかけたら美味しいかな。取り出した梅は潰してジャムにしようよ。きっと美味しいに違いないよ」

 ね~? と、桃と顔を合わせて首を傾ける。
 甘い梅シロップに思いを馳せているのか、ほにゃほにゃと頬を緩める少年を見て、やはり後ろ二桁外した方が正解じゃないだろうかと思う暁治だ。

「ほら、手が留守になってるぞ。全部終わらないとジャムもシロップもできないんだからな」

「は~い!」

 二人して、手をあげる。仲良し兄妹である。桃はしっかりしているから、もしかしたら姉弟かもしれない。見た目はともかく。
 黄色みがかっている実は梅干し用だ。暁治はヘタを取り終わった実を、二つのザルにより分けていく。青黄色、青黄色。ちょっと黄色がかってるけどこれは青。青というより緑だが、なぜ青梅なのだろう。

 梅酒は作ったことがあるのだが、梅干し作りは初めてだ。祖母が漬けていたらしく、納屋に桶や壺があった。確か最初は干してと、工程作業を思い出しつつより分け作業をしていると、とりとめのないことが浮かんでくる。

 彼――というか、幼馴染みと出会ったのは、妹が生まれた年だ。
 難産で、産後の経過が悪かった母は、妹が生まれてからしばらく入院することになった。まだ小さかった暁治は、その間祖父母の家に預けられたのだ。

 今まで住んでいた家や家族と離れて、田舎で一人。そんなときに出会ったのが、その少年だった。家にこもりきりだった彼を外に連れ出し、暁治の知らないことを色々知っていて、誰よりも頼りになる優しい少年。

 ――だったはず、なんだがな。

 あの子がコレ。コレがあの子。いやいや、いやいやいや。
 首を振りすぎて、思わず頭痛を覚える。
 先ほど柱の傷について指摘され、どうやら動揺していたようだ。今もついうっかり黄色のザルにまだ青い実を落としてしまって慌てて取り出した。

 そもそも怪異とは、もっとおどろおどろしかったり、怖かったりするものではないのだろうか。間違っても真っ昼間から賭け花札したり、自作の梅シロップの歌を歌いながらヘタ取りしたりなどしないはずだ。
 先ほどからそばで聞こえる調子外れのメロディーを聴きながら、強くそう思う。

 三百歳はこの際いいから、幼馴染みってとこだけは外してくれないだろうか。
 なぜなら、曲がりなりにも幼いころにほんのり憧れていただなんて、あんまり自分で認めたくはないからだ。

「はる、どうかしたの?」

 訝しげに顔を覗き込まれ、慌ててぶんぶんと首を振る。髪の色は似ているが、なにせ最後に会ったのは小学生のころだ。さすがに顔は覚えていない。覚えてはいないのだが。

「……今まで多少なりとも隠そうとしてたように思うんだが、なんで言ったんだ?」

 思い返せば釣りのときの河太郎のこととか。 
 正直暁治は悩むのは苦手だ。悩む間に聞いた方が早い。
 朱嶺はきょとんっと目を瞬かせると、やがて合点が言ったように頷いた。

「え、だって、僕が何百年生きてたって、特になにがあるわけでもないし。そう、はるが言ったんだよ? だったら別に気にしなくてもいいかなって」

 確かに言った。そう言った。それは認めよう。

「あぁ、後ろ二桁多い気もするけどな」

 もしかして、祖父に話を聞いて、自分をからかっているのだろうか。などと、まだそんなことを思ったりもするし、そんなに生きてるこいつの正体とか、色々思わないことはないのだけれど。

「もう、はるったらひどいっ!」

 怒鳴りながら、ふにゃりと緩んだ笑顔が目に映る。
 そう、色々思わないことはないのだけれど、その前にもっと大事なものがあることを、暁治は知っているから。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

タイトル未定

みるきぃ
BL
前世で大好きだった少女漫画の推しキャラの親友かつ幼なじみに転生した俺。推しキャラの幸せのために幼少期から計画を立てて完璧な男に鍛え上げようと頑張る話。『悠生、愛してるよ』『君の方が気になる』いや、何か思ってたの違う。って話。

瀬をはやみ

怜悧(サトシ)
BL
花に嵐 第二部  10年後。 長谷川 西覇(はせがわ せいは)26歳 175cm 64kg ○帝大学 薬学部 助教授 アメリカの大学院を卒業し博士号をとり日本へ帰国後、○帝大学の助教授となる。 人間不信。人が苦手。 あまり表情を変えない、冷徹・冷血・冷静な人物と思われている。 瀬嵐 成春(せあらし しげはる) 27歳 182cm 75kg 製薬会社 開発部課長 快活な性格で部下からも慕われている。入社5年目で課長に大抜擢された。 新薬の販売に向けて、開発を熱心にすすめている。 表紙 藤岡ると

誕生日当日、親友に裏切られて婚約破棄された勢いでヤケ酒をしましたら

Rohdea
恋愛
───酔っ払って人を踏みつけたら……いつしか恋になりました!? 政略結婚で王子を婚約者に持つ侯爵令嬢のガーネット。 十八歳の誕生日、開かれていたパーティーで親友に裏切られて冤罪を着せられてしまう。 さらにその場で王子から婚約破棄をされた挙句、その親友に王子の婚約者の座も奪われることに。 (───よくも、やってくれたわね?) 親友と婚約者に復讐を誓いながらも、嵌められた苛立ちが止まらず、 パーティーで浴びるようにヤケ酒をし続けたガーネット。 そんな中、熱を冷まそうと出た庭先で、 (邪魔よっ!) 目の前に転がっていた“邪魔な何か”を思いっきり踏みつけた。 しかし、その“邪魔な何か”は、物ではなく────…… ★リクエストの多かった、~踏まれて始まる恋~ 『結婚式当日、婚約者と姉に裏切られて惨めに捨てられた花嫁ですが』 こちらの話のヒーローの父と母の馴れ初め話です。

婚約も結婚も計画的に。

cyaru
恋愛
長年の婚約者だったルカシュとの関係が学園に入学してからおかしくなった。 忙しい、時間がないと学園に入って5年間はゆっくりと時間を取ることも出来なくなっていた。 原因はスピカという一人の女学生。 少し早めに貰った誕生日のプレゼントの髪留めのお礼を言おうと思ったのだが…。 「あ、もういい。無理だわ」 ベルルカ伯爵家のエステル17歳は空から落ちてきた鳩の糞に気持ちが切り替わった。 ついでに運命も切り替わった‥‥はずなのだが…。 ルカシュは婚約破棄になると知るや「アレは言葉のあやだ」「心を入れ替える」「愛しているのはエステルだけだ」と言い出し、「会ってくれるまで通い続ける」と屋敷にやって来る。 「こんなに足繁く来られるのにこの5年はなんだったの?!」エステルはルカシュの行動に更にキレる。 もうルカシュには気持ちもなく、どちらかと居言えば気持ち悪いとすら思うようになったエステルは父親に新しい婚約者を選んでくれと急かすがなかなか話が進まない。 そんな中「うちの息子、どうでしょう?」と声がかかった。 ルカシュと早く離れたいエステルはその話に飛びついた。 しかし…学園を退学してまで婚約した男性は隣国でも問題視されている自己肯定感が地を這う引き籠り侯爵子息だった。 ★↑例の如く恐ろしく省略してます。 ★8月22日投稿開始、完結は8月25日です。初日2話、2日目以降2時間おき公開(10:10~) ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

王太子様には優秀な妹の方がお似合いですから、いつまでも私にこだわる必要なんてありませんよ?

木山楽斗
恋愛
公爵令嬢であるラルリアは、優秀な妹に比べて平凡な人間であった。 これといって秀でた点がない彼女は、いつも妹と比較されて、時には罵倒されていたのである。 しかしそんなラルリアはある時、王太子の婚約者に選ばれた。 それに誰よりも驚いたのは、彼女自身である。仮に公爵家と王家の婚約がなされるとしても、その対象となるのは妹だと思っていたからだ。 事実として、社交界ではその婚約は非難されていた。 妹の方を王家に嫁がせる方が有益であると、有力者達は考えていたのだ。 故にラルリアも、婚約者である王太子アドルヴに婚約を変更するように進言した。しかし彼は、頑なにラルリアとの婚約を望んでいた。どうやらこの婚約自体、彼が提案したものであるようなのだ。

愛されていないはずの婚約者に「貴方に愛されることなど望んでいませんわ」と申し上げたら溺愛されました

海咲雪
恋愛
「セレア、もう一度言う。私はセレアを愛している」 「どうやら、私の愛は伝わっていなかったらしい。これからは思う存分セレアを愛でることにしよう」 「他の男を愛することは婚約者の私が一切認めない。君が愛を注いでいいのも愛を注がれていいのも私だけだ」 貴方が愛しているのはあの男爵令嬢でしょう・・・? 何故、私を愛するふりをするのですか? [登場人物] セレア・シャルロット・・・伯爵令嬢。ノア・ヴィアーズの婚約者。ノアのことを建前ではなく本当に愛している。  × ノア・ヴィアーズ・・・王族。セレア・シャルロットの婚約者。 リア・セルナード・・・男爵令嬢。ノア・ヴィアーズと恋仲であると噂が立っている。 アレン・シールベルト・・・伯爵家の一人息子。セレアとは幼い頃から仲が良い友達。実はセレアのことを・・・?

婚約解消して次期辺境伯に嫁いでみた

cyaru
恋愛
一目惚れで婚約を申し込まれたキュレット伯爵家のソシャリー。 お相手はボラツク侯爵家の次期当主ケイン。眉目秀麗でこれまで数多くの縁談が女性側から持ち込まれてきたがケインは女性には興味がないようで18歳になっても婚約者は今までいなかった。 婚約をした時は良かったのだが、問題は1か月に起きた。 過去にボラツク侯爵家から放逐された侯爵の妹が亡くなった。放っておけばいいのに侯爵は簡素な葬儀も行ったのだが、亡くなった妹の娘が牧師と共にやってきた。若い頃の妹にそっくりな娘はロザリア。 ボラツク侯爵家はロザリアを引き取り面倒を見ることを決定した。 婚約の時にはなかったがロザリアが独り立ちできる状態までが期間。 明らかにソシャリーが嫁げば、ロザリアがもれなくついてくる。 「マジか…」ソシャリーは心から遠慮したいと願う。 そして婚約者同士の距離を縮め、お互いの考えを語り合う場が月に数回設けられるようになったが、全てにもれなくロザリアがついてくる。 茶会に観劇、誕生日の贈り物もロザリアに買ったものを譲ってあげると謎の善意を押し売り。夜会もケインがエスコートしダンスを踊るのはロザリア。 幾度となく抗議を受け、ケインは考えを改めると誓ってくれたが本当に考えを改めたのか。改めていれば婚約は継続、そうでなければ解消だがソシャリーも年齢的に次を決めておかないと家のお荷物になってしまう。 「こちらは嫁いでくれるならそれに越したことはない」と父が用意をしてくれたのは「自分の責任なので面倒を見ている子の数は35」という次期辺境伯だった?! ★↑例の如く恐ろしく省略してます。 ★9月14日投稿開始、完結は9月16日です。 ★コメントの返信は遅いです。 ★タグが勝手すぎる!と思う方。ごめんなさい。検索してもヒットしないよう工夫してます。 ♡注意事項~この話を読む前に~♡ ※異世界を舞台にした創作話です。時代設定なし、史実に基づいた話ではありません。【妄想史であり世界史ではない】事をご理解ください。登場人物、場所全て架空です。 ※外道な作者の妄想で作られたガチなフィクションの上、ご都合主義なのでリアルな世界の常識と混同されないようお願いします。 ※心拍数や血圧の上昇、高血糖、アドレナリンの過剰分泌に責任はおえません。 ※価値観や言葉使いなど現実世界とは異なります(似てるモノ、同じものもあります) ※誤字脱字結構多い作者です(ごめんなさい)コメント欄より教えて頂けると非常に助かります。 ※話の基幹、伏線に関わる文言についてのご指摘は申し訳ないですが受けられません

処理中です...