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●本編●
87.出立前の一悶着【前】
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装甲車のような威容を晒す特注で造られた護送特化型箱馬車(規格外)、その内部。
護送対象者を収容する四畳半ほどの窓のない空間では、1人の少年が床にへたり込み、2人の大人がその様子を睥睨する、という一種異様な光景が広がっていた。
大人2人がかりで運び込まれた少年は、一応丁寧に降ろされた床の上で、先程からずっと力なくへたり込んだままの状態でいる。
この少年が穿いているズボンは股間から内腿にかけて濃く変色しており、何かしらの液体で濡れてしまったのだと容易に見て取れた。
その液体が何であるのか、は…あまり深く考えたくはない。
6歳の少年といえど、もう一端の羞恥心は備わっていて然るべき年齢である。
であればこそ、気の弱い者であれば嗚咽を漏らして泣き出していてもおかしくない、幼少期の心にも深々と突き刺さる恥ずべき状態だった。
しかし、その当人の少年はと云えば、粗相をしでかした羞恥に恥じ入ってその顔を歪ませているか、と云えば、全く以てそのような殊勝な様子は見受けられない。
どちらかと云うと憤怒の形相となり、滾る怒りに顔を赤黒く変色させて、睥睨している大人2人を睨み殺さんとするかのように、ありったけの怒りを込めた視線で以て見返している真っ最中だった。
しかもただ睨みあげているだけでなく、ガチガチと歯を強く噛み合わせて鳴らし、涎から発生した泡を口端に纏わりつかせながら、威嚇するように喉奥から精一杯低めた唸り声を絞り出している。
この少年がまともに口をきける状態であれば、この場にはもれなく幼稚で稚拙な罵詈雑言が更に追加され、音を拡散するには狭すぎるこの空間に嫌というほど響き渡っていたことだろう。
それがなかったのは偏に、先の公爵令嬢との面会に際して、あるハプニングがこの少年に降り掛かったからだった。
しかしそのハプニングの原因は、この少年が犯した悪行が起因しており、つまりは全く同情の余地がなく、全くの自業自得による当然の報いに他ならなかった。
あの【赤い目】。
少女が抱く怒りの感情に呼応するように、強弱をつけて明滅するその様は、あたかも赤々と燃え立つ焰がその瞳に灯っているかの如くであり、その煌々とした煌めきを何重にも翻す神秘的な輝きは、見た者の目に鮮烈に焼き付いて心の奥深くまで侵食し圧倒し尽くしてしまうものだった。
あの目に見詰め続けられたのは長く見積もっても、ものの5分程度、その短い時間だけで、あっけなく、いとも簡単に、この少年の身体からは立ち向かう気力が根こそぎ奪われ、膝が笑って力が抜けて、満足に立ち続けることもかなわなくなってしまった。
この世界に生を受ける人間が、唯一持たない瞳の色。
それがあの赤、煌めくルビー色の瞳だった。
煌めきを纏わない、赤系統の色味の瞳を持つ者は普通に存在した、けれど、宝石のような輝きを放つルビー色の瞳を持つ者はかつては1人も存在していなかった。
ルビー色は【天】の属性を表す色、つまりはこの世界を創造した《神》のみが有する色だったからだ。
本来なら神の被造物たる人間が持つことのない瞳の色、それがいつの頃からか、ある特定の血筋の者に不規則な確率で発現するようになった。
ある国では属性加護の強さを表すだけの瞳の色、しかし他の国では禁忌とされる瞳の色であり、また他の国では正当な王位を証明する瞳の色でもある。
世間に流布され、実しやかに囁かれる【赤い目】に関する話題は多岐にわたり、眉唾ものの噂話が全体のほとんどを占めていた。
そんな根拠も曖昧で不明確な信憑性の噂話に惑わされること無く、真相を正しく理解している者は高位貴族の極一部、国の中枢に深く関わる者達に限定されていた。
その為、この【赤い目】がどのような理由で稀有なのかを正しく知る人物は、世間一般では1人も存在しえなかった。
しかし、ことこの公爵家においては、少なくとも4人の人物が確実に、事の真相を十全に理解していると云えた。
その世にも稀有な色味に変容する瞳を持つ、稀有な血筋を受け継ぐ少女は、先日と今日、全く無自覚なままにその瞳をルビー色に煌めかせて、怒りに燃える赤々とした瞳でこの少年を威圧し、失禁というトラウマになりえる羞恥体験をプレゼントしてやったのだ。
その後始末を行う為、此の場所に少年を運び込んだのが睨みあげられている2人の大人、フォコンペレーラ公爵家領地家令のサミュエル・セヴとフォコンペレーラ公爵家が有する私設騎士団【蒼鷹騎士団】第Ⅶ団隊に所属する騎士のアルチュール・モローだった。
両者とも180cmを超える高身長であるが、その位置から容赦無く足元に転がる少年を睥睨しており、向けるその瞳はおよそ人間らしい温かみを感じられず、もっと云えば熱が取り払われた氷点下かと感じる冷たさしか受け取れないものとなっていた。
それもそのはず、元よりこの少年に対して良い感情など欠片も抱いておらず、今後も絶対に抱くことはない、と断言できるくらいの悪印象を今日この時に至るまでの態度と言動で良いだけ植え付けられていたのだから、金輪際その悪印象が改善される見込みは限りなくゼロに近い。
それに輪をかけて、先程の少女との会話内容である。
この年端もいかない少年は色々と取り返しの付かない、盛大なやらかしをしてしまった後だったのだ。
しかも、それとは全く別の理由でもこの少年は致命的なやらかしをしており、敵に回すことを絶対にオススメしない、この公爵家の領地家令の不況を、既に根こそぎ買い占めている状態だった。
「…はぁ、まったく、どこまでも余計に手のかかるご令息ですねぇ~。 こちらが指示した通りに着替えることすら出来ないとは…。 ホント、手がかかり過ぎてしまって、怒りが沸く前にほとほと呆れ果ててしまいますよ。」
やれやれ…、と額に指をあてて僅かに項垂れ、秀麗な眉根を寄せて心底疲れ果てたような溜息を深く吐き出す。
珍しくその顔に浮かべる苦悩の表情は作り物めいていなかった。
「あ~~んっ♡ 怒らないでくださいぃ~~、サミュエル様ぁ~~っ!! アタシぃ、これでも精一杯頑張ってぇ、さっきは着替えさせたんですよぉ~~? でもでもぉ、下着類はどうしたって手伝いたくなくってぇ~、自分でってお願いしたんですぅ~~!!」
「ごめんなさぁ~~いっ(泣)」と意識して高めた猫なで声で黄色く囀り、己のしでかしてしまった失態を彼なりの言葉(言い訳込み)で精一杯謝罪する。
「でしょうね、わかっておりますとも。 君に対しては怒っておりませんので、安心して下さいネ? 君の本来の職務に囚人の世話は含まれておりませんから、完璧にこなせていなくとも問題ありません。 寧ろ、急遽押し付けられた慣れない仕事を可能な限りで果たしてくれたことに感謝しこそすれ、叱責することなど致しませんとも。 ありがとう、アルチュール君。」
にこり、と穏やかに微笑んで感謝の意を表する。
この家令が浮かべる表情としては、中々にして珍しい類の表情だった。
しかし、ここで忘れずに着目しておきたいのが、“本来の職務”という言葉だった。
つまり、職務内容に含まれている仕事であったなら、完璧にこなせていない彼の現状では、家令からの寛大な評価がどのように様変わりしていた事だろうか…。
藪蛇になること請け合いなので、深く考えない方が良さそうだった。
「サミュエル様ぁ…♡ 優しいぃ~♡♡ 好きぃ~~っ♡♡♡」
ぽ…、っと頬をバラ色に染め上げて、何某かのフィルターが盛大にかかりまくってくらっくらに眩みきった眼で、一部の使用人からは悪魔の化身である、と実しやかに囁かれる領地家令を見て、まるで自身の理想そのもの♡な王子様を見る恋する乙女よろしく、両手で覆った口元から感極まった胸中を激白し、一拍おいてから次のことを力強く宣言する。
「んもぉっ♡ アタシにできることだったらぁ、いつでもぉ、どこでもぉ、どんっっっなことでもぉっ♡♡ 何度だって可能な限りぃ、全っ身、全っ霊、全っっ力を懸けてっっ!! 誠心誠意お手伝いしまぁ~~~っすぅ♡♡♡」
途中で野太い地声を挟んではいたが、全体的に見れば黄色く纏まった声音で、ある意味では誓いの言葉になりえる文言を大音声で迷いなく言い切った。
「それはそれは、嬉しいお申し出ですねぇ~♪ ならば早速、そのお言葉に甘えさせて頂いてぇ、あとちょ~っとだけ、お手を貸していただきたいのですがネ? 難しい事では無いと思うのですが、これもまたちょっとした力仕事では…ありますかねぇ。」
胡散臭いニコニコ笑顔に表情をチェンジさせて、いけしゃあしゃあと調子良く嘯き、早速とばかりに青年の宣誓を利用しにかかる。
「この手のかかるご令息を暫くの間押さえてていただきたいのですよぉ~。 なぁ~に、直ぐに済みます。 コレの本来の使用方法には反しますが、もー正直面倒なので、下着の上からでの装着で済ませますから♪」
コレ、と右手に持った少し厚手の丈夫そうな布製の何か、をヒラヒラ~とひらめかせて示し、この少年を無遠慮に人差し指を突きつけて指し示し、装着するのが間違いなくこの少年であると言外に示す。
明るい調子に気だるそうな雰囲気を紛れさせて、領地家令が云うことにゃーー。
「それが終わるまでの間、無駄に抵抗して暴れないよう、最悪羽交い締めてでも良いので、取り押さえていてくださいませんかねぇ~? 勿論、この令息が気絶しない絶妙の力加減で、ネ? これはアルチュール君の得意分野だと思うのですがぁ、お願いして宜しいですかねぇ~~?」
申し訳無さそうな表情を浮かべ、言葉は控えめに、けれど相手に決して断りたいと思わせないテクニックがふんだんに盛り込まれた百戦錬磨の手練手管に、乗せられたのか乗っかったのか、判断が難しいハイなテンションで若干食い気味に了承の返事を即答する。
「はいはいはぁ~~~いっ!! それってばぁ、丸ぅっきりアタシの得意分野でぇ~~~っす!! 任せて下さいよぉ~♡ じぃ~~っくりぃ、じわじわぁ~~っとぉ、意識が霞むくらいの力加減でぇ、優しぃ~~っく締め上げてあげますからぁ~~っ♡♡ このお役目はバッチリしっかり完っっ璧にぃ、果たしてみせますねぇ~~♡♡♡」
ボキッ、バキッ、と両の指の関節を鳴らし、ウォーミングアップに取り掛かる青年を、見上げる少年の顔の筋肉がある感情に支配されて、細かく痙攣しだし、引き攣った。
しかし、未だに少女から受けた威圧の影響が色濃く残る身体は、自分の意志ではピクリとも動かせず、不平不満を口にすることさえ適わない。
今この少年に出来ることは、ただ1つ。
自分を見下ろす大人2人が納得する結果が得られるまで、怒りに顔を歪めつつ成り行きに身を任せること、それだけだった。
ぱんぱんっ、と両手を打ち鳴らして革手袋に付いた埃を払い落し、嘆息する。
「さ・て・とぉ~? これで支度は万事整った…と見て、良いでしょうかねぇ~~?? ふむふむぅ、まぁ、ギリギリ及第点ですか、ね。 それにしても、流石の手慣れ具合ですねぇ~アルチュール君! 君のお陰で予想した以上の迅速さでこの憂鬱な作業を終えられましたよぉ♪」
しげしげとこの少年の、頭の天辺から爪の先まで適当に視線を動かして出で立ちを確認する。
少し辛口な評価をつけてから、一転して明るめた声音で、この少年を見事取り押さえ続けてくれた青年の手腕を褒め称える。
「あぁ~~んっ♡ そぉ~んなに褒められちゃったらぁ、アタシぃ、っっ照れちゃいますぅ~~♡♡ これくらいぃ~、アタシたちの隊の騎士だったらぁ、1人残らず習得してる最低限の技能ですからぁ~~♪ 特にウチの隊長の絞め技わ一級品でぇ、アタシの万倍キレーに決まってぇ、万倍早く相手の意識を混濁させられますからぁ~~♡ もぉ神業の早業でぇ、対象が呻く間も与えませんからぁっ♡♡」
「んふふっ、勿論、第Ⅶ団隊の隊長殿のお噂は兼々、良い噂から悪ぅ~い噂まで♡数限りなく聞き及んでおりますとも♪ で・す・がぁ~、今日此の場に居てくださったのは他でもないアルチュール君ですしぃ、私に快く手を貸してくださったのも、他の誰でもなく君ですから、ネ♡ 感謝していますとも♪」
「いやぁ~~んっ、嬉しぃ~~~っ♡ 頑張って良かったぁ~~~♡♡ こんな事で良ければぁ、ホントに何度でぇ~~も、お手伝いしますからぁ、気軽に言っちゃって下さいねぇ~~~っ♡♡♡」
謙遜する青年に、それでも感謝していると言葉を重ねて伝える領地家令の浮かべる表情は、安定の胡散くさ笑顔だった。
そんな些細な事は何のその、褒められた青年の有頂天は天井知らず、限界以上に舞い上がってしまい、この箱馬車の天井を突き破って天高くまで飛び上がって行ってしまいそうなほどだった。
「ゔ…ぇ、…っふざ……っっ!! ごほっ、……ごほっ、げぇ……っっ!!」
大人たちの会話を聞いて、やっと声が出るまでに回復したらしい少年が、早速悪態らしい音をその口から不格好に吐き出す。
「あんっ、ダメダメぇ~~っ! 今は無理して喋らないほうが良いわよぉ~~? まだしばらくの間ぁ、身体機能が鈍っちゃってるからぁ、頭で考える通りには動かないと思うのぉ~。 少年ってば超短気っ子だからぁ、イライラぁ~~ってしちゃってぇ、余計回復が遅れちゃうと思うのよねぇ~~?? だからもう少しの間だけでも大人しくしてぇ、良いだけ口閉じて黙ってろや♡」
優しく締めたつもりだが、これだけ小さい(年齢的に)少年を羽交い締めた経験は浅く、少しばかり気掛かりだったため、親切心から優しく忠告してやる。
脅しつけるような文言になってしまったのは、不慮の事故のような、無意識的な理由だったからだと思いたい。
「…だま…れっ!! お、れ…様、……にぃっ!! 気安く……、はなし……かけ……っな、この………ッカマ野郎っ!!!」
「あ、ムッかぁ~~~っ!! 超ド級でむかっ腹立っちゃったんですけどぅぉ~~~っ?! いい加減、アタシの我慢も限界♡ サミュエル様ぁ~、このクッソガキ、鞭でシバキあげてから、八裂いても良いですかぁ~~??」
「んふふっ、大変蠱惑的な提案ですが、まぁ~~だダ・メ、です♡ その止むに止まれぬ思いは又の機会に、忘れず心の片隅に留め置いておきましょう。 君は大変優秀で聞き分けの良い、お利口さん、だと私は信じております。 なので、ちゃぁ~~んと我慢できますよ、ネ?」
返された罵声に、ソッコーで報復を決意するに至り、その勢いのまま心に思った報復内容を包み隠さず申し渡して、許可を得ようと隣に佇む家令へと問いかけた。
しかし結果は、敢え無く却下。
断られてはしまったが、結果としては『お利口さん』と評されたことで、プラマイで云えばダントツのプラスとなった。
「モッチのロンでぇ~~~~っすぅ♡♡♡ 言いつけ通りに♡ちゃぁ~~んと♡♡我慢出来まっす♡♡♡」
「それは重畳、流石は私が見込んだ通り、大変優秀なお利口さん、ですね♡ 堪えてくれて、どうもありがとう、アルチュール君♪」
コロコロっと年下の青年を手のひらで転がして、自分の思い描いた通りに動くよう操る。
「あ、そうそう、言い忘れるところでした。 これだけは素直に守ることをオススメいたしますよぉ、アンジェロン子爵家のご令息(仮)殿ぉ? お気づきかわかりませんが、この馬車には今回意図的に細工してございますため、安全装置になりえるモノが一切ございません♪ なのでぇ、怪我をしたくないとお望みであれば、この馬車が動き出した最初の内に、しっかりと掴まれる場所を確認し、片時も離さずに縋りついておくことをつ・よ・くぅ、オススメ致しまぁ~~っす♪」
「……っはぁっ?! な……で、だよぉっ?!」
「それは何故かと申しますとぉ~、此の扉は一度施錠いたしますと、中の音は一切、外部に漏れ聞こえません。 仮に貴方が助けを求めてどんなに大声で泣こうが喚こうが全くの無駄、私達には貴方の放つ如何なる騒音も聞き届けることが適いません。」
両方の人差し指を交差させて、小さな✕印を作る。
しかしお茶目な仕草とは裏腹に、その声音は極めて真剣そのものだった。
「門をくぐり、公爵家の敷地外に出た瞬間から、本領を発揮して最高速度を維持しつつ目的地までひた走る予定となっております。 その間には最小限の休憩しかはさみませんので、必然的に貴方と接触し、貴方の生存無事を確認できるのはその数回のみ、極々短い時間となります。 私の言葉を無視して、怪我を負うことがあればそれは全て自己責任、自業自得と相成りますので、そのおつもりで。」
「な……に、言ってやがる? 正気かよ、…俺様はっ、子爵家の次期当主だぞぉっ!? そんな平民の囚人以下の扱い、して許されるとでも、思ってやがるのかよぉっ?!」
「あ~はいはい、そこまでで結構ですよ? 口うるさくキーキーと、これ以上無駄に喚かないで頂けませんかねぇ~? この狭い空間では嫌でも反響して、倍以上五月蝿く感じてしまいます。 これ以上不愉快さがいや増してしまったなら、流石の私も辟易を通り越して、反吐が出てしまいそうですから♪」
唇にピンと立てた人差し指を翳して、黙るように仕草で伝える。
「ライリエルお嬢様が貴方に対して『これ以上何もするな』と仰せですので、この件に関しまして今後一切、如何なる追加の制裁も加えない事はお約束いたしましょう。 で・す・がぁ~、本日の子爵家までの道中に関しましてはその限りではない、となりますことを予めご了承下さいネ?」
少年が口を挟む間を与えず、家令であるこの男は朗々と語る。
その目にも、その顔に浮かべる表情にも、限りない蔑みの色を濃く滲ませて、家令であるこの男は朗々と語り続ける。
「何を隠そう、大変お優しいライリエルお嬢様とは違い、当公爵家の当主たる旦那様は、まぁ~~ったく、正反対のご意見でいらっしゃいましてねぇ~~?」
弧を描く口元、その広角が、1段引き上げられた。
「曰く、『子爵家に人を送り子息の不在を確認させたが子爵本人がこれを強く否定した。 したがって今回、当家が拘禁せしめた騒動の主犯格の少年が子爵家の令息とは確証がとれず、これによって帰路の道中、当方としては送り届けるのみに終始し、子爵令息(仮)の身体にかかる健康及び安全を保証する義務はこの限りではないと決定せしめた。』と、仰せでいらっしゃいました。」
数日前、実際に子爵邸までわざわざ人を遣って確かめた際の経緯を踏まえ、この決定は下されたのだと包み隠さずに年端も行かぬ幼い少年に語り聞かせる。
「な・の・でぇ~、誠に残念ではございますがぁ、貴族家の令息と身元確認が取れておりませんので、扱いと致しましては平民の囚人と同じ処遇とさせて頂き、安全策は必要最・低・限、とさせて頂くことと相成りました♡ ですので、恨まれるのならどーぞ、ご自身のお父君(仮)になさってくださいねぇ? 彼の子爵が我が身可愛さに宣った愚劣な言い訳が原因である、と努々お忘れなきよう、ご記憶願います。 もし万が一、この事実を捻じ曲げて記憶し、逆恨みの原因を捏造しようも・の・な・らぁ、…お嬢様が仰られていたよりももっと、凄惨で絶望的な未来が待ち受けている、と自信を持ってお約束させて頂きます♡」
胡散臭い笑顔から変えた表情は、同じく笑顔ではあった。
悪魔が微笑んでいるかのよう、では可愛らしい表現になってしまう、酷薄で冷酷無残なその笑みを見て、彼が先程宣った言葉が単なる脅し文句である、と思っていられる人間は…果たして存在するのだろうか。
「あとこれも、念押しの為に申し上げておきましょうか…?」
何かを頭の中でのみ確認してから、へたり込む令息に向かって優しく諭すように語りかける。
「貴方が目撃してしまった【赤い目】、これに関しては一切、他言無用に願います。 先日と本日、目撃した【赤い目】に関する一切全て、誰にも、一言も、伝え聞かせてはなりませんよぉ~? まぁ、貴方が素直に聞き届けてくださるとは当方も考えておりませんので、それ相応の処置を施させて頂いておりますが、ネ? 禁忌は多岐にわたる、その事をどうぞお忘れなく、これもまたライリエルお嬢様の忠告とともにしっかりとご記憶下さいね?」
「は……、はぁ…? 【赤い目】…? 何だ、そりゃ…、何のこと……言って…?」
「あぁ、いいのですよぉ~、お気になさらず♪ そのままで結構、分からなくって大変結構ですともぉ~! その反応が欲しかっただけですので、どぉーぞそのまま気に留めず、ふてぶてしいくお過ごしくださいねぇ~~♡」
手をパタパタっと仰いで、今の自分の発言は忘れてくれるよう軽ぅ~くお願いする。
「でわでわぁ~、これ以上我々の姿など目にしていたくもないでしょう、そうでしょうとも、我々の方こそもう疾うの昔に限界を感じておりましたからねぇ~~?? これにて失礼させていただいて、遅れを取り戻すためにも、疾く出発する事と致しましょうねぇ~♪」
「は……? おい、待てよ…っ?! ホンキで、ここに、俺様ひとり…!? おいっ、待てっっ!! ジョーダンじゃねぇぞぉっ!!?」
少年の必死の静止を綺麗に聞き流し、無慈悲な領地家令はテキパキと無駄なく動き、幼い令嬢が中を見学できるよう準備してやった時と逆行して手順を踏み、手慣れ様子で難なく、必要な操作を完了していく。
タラップもきちんと元の通りに収納され、誤って降りてこないようしっかりと操作レバーを固定するのも忘れない。
それからも流れるような動作でスピードを緩めず、1つ1つ着実に作業を完了させていき、あっという間に最後の仕上げ、扉を固定していた金具を解除して、いよいよこの扉を施錠する時を迎えた。
ここまでの所要時間はたったの1分弱、どれだけこの動作を繰り返し行ってきたのだろうか…。
これもまた藪蛇になること請け合いな為、突き詰めることはせず、深く考えない方向で。
努めてにこやかな表情を造り上げて、これから密室となる窓のない空間に独り取り残される少年を冷ややかな目で振り返る。
少年がこちらの動きを注視しているのを確認してから、見せつけるように殊更ゆっくりと馬車の扉を閉めていく間、狭まっていく隙間に向けてクスクスとした笑い混じりに朗らかな声を放り込む。
「そうですとも、何一つ冗談ではございません♡ ここに来てやっと、よぉ~~やく自分の置かれた状況を正しくご理解いただけたと確認が取れて、私もようやっと安心致しましたぁ~♪ それではアンジェロン子爵令息(仮)殿ぉ、良い旅を、神のご加護がありますように♪」
どうやって言葉を外に送り出しているのか、と疑問に思ってしまう三日月型に極々薄く開けた唇の隙間から、器用に言葉を零していき、最後の締めくくりには全く心の籠もらない祈りの言葉を一言一言はっきりと、聞き取りやすいよう滑らかに紡ぎ出して、餞別代わりとばかりに懇切丁寧に手向けてやった。
この時にやっと顔色を赤から青にサッと変色させた少年が、苦情申し立てらしき戯言を喚き散らそうと戦慄く口を動かしそうになったが、時すでに遅し。
ガ…ゴン……、ガチャッ、ガチャッ、ガッ…チャン。
この空間唯一の外部へと通じる扉は、重厚な音の後に連なる軽妙な音を響かせて、無常にもしっかりと施錠された後だった。
問題なく施錠されたことを確認して、家令の男はぐぐーーっと大きく上に伸びをしてから脱力し、肩を回しつつ懐から取り出した懐中時計を見て、現在の時刻を確認する。
本日の行程(予定)との齟齬が許容範囲であるか、遅れ具合はどの程度で、どの箇所の時間を詰めれば挽回できそうかを瞬時に判断してから、再び懐へと懐中時計をしまうといつもと変わらぬ歩調で歩き出す。
歩きながら、ここまで彼を手伝ってくれた青年に向かって、愛想良く笑んで労をねぎらう。
「君の助力がなかったなら、もっと手こずって時間が無駄に費やされていた事でしょうねぇ~♪ 付き合って頂いて、どうもありがとう、アルチュール君。」
「あ~~んっ♡ も、全然っ、たいしたことしてないですからぁ~~♡♡ その言葉を聞けただけで…アタシ……っアタシぃっ、っっ幸せ絶頂ですからお気になさらずこの後のお仕事も頑張ってくださぁ~~~いっっ♡♡♡」
ブウォン、ブウォン、ブウォン、ブウォンッ!!
テレ付いてキャピった言葉とは裏腹に、勢いよく腕を振り回す細身の青年から、金属バットでも振り回しているかのような音を伴って、打ち付けるような風圧がバッシバシ半端なく送られてくる。
「元気一杯の声援をどうもありがとう♪ でもそれは君にも云えること、ですからねぇ? 今日この後もそれぞれの職務にしっかりと取り組めるよう、最善を尽くして頑張りましょーーネ♪」
「っっはぁ~~~いっ♡♡♡ 今日もお仕事頑・張り・まぁ~~~っすぅうぅ~~~~♡♡♡」
ここでお役御免であると察して、ハート乱舞な状態のまま自分の持ち場である地下牢へと帰っていく青年の後ろ姿を、地下牢へと続く扉を潜りきるまで見送った。
この男がここまでしてやる理由は唯一つ。
釣った魚に餌をやる、それだけに尽きる。
確かに、個人的にも然程嫌いな部類に属する人物ではないのだが、『ならば好きか?』と問われたなら、『其れ程でも…(ない)。』と答えられるくらいには、好感度が伸びきっていない人物であった。
だが相手から好かれていて損はない、ならば生かさず殺さず、付かず離れずな適度な距離を保ちつつ、相手からの好感度が高い状態を絶妙にキープするに限る、といった合理的思考に基づいて、この男は行動しているに過ぎなかった。
それにこの男の本音を知ったところで、あの青年がへこたれるとは思えない。
「酷いぃ~~~…。」とさめざめしく泣いて、「でも、そんな無慈悲さも、彼らしくって、好きぃ~~~っっっ♡♡♡」と直ぐにでも持ち直すことが容易に想像できてしまう。
少し下がって倍以上に跳ね上がる、という脅威の跳躍力、そのバネが持つ潜在的なポテンシャルの高さと強靭さを見せつけてくれること請け合いだった。
そんなこんなはさておいて、本日1番の大仕事を終えた領地家令が次に足を向けたのは騎士達が居るだろう一角。
騒がしい声がする方向へと迷わず足を向け、騎士たちをどの脅し文句でどやしつけようか、と鼻歌交じりにほくそ笑んで見詰めた先に、理解できない光景が広がっていた。
「おやまぁ…、これは一体全体、どういった経緯でこのような状況に至った次第なのでしょう……ねぇ?」
普段開いている状態とは比べ物にならない開眼具合、限界まで目を瞠って見つめるその先には、どれだけじっくり見ても、一見しただけでは決して推察も理解も追いつかない、奇妙奇天烈な光景が繰り広げられている真っ最中だった。
体高・体長共に、優に2mは有ろうかと思われる青毛の竜馬が遠くの方を颯爽と駆け回る、これだけであれば、然程疑問にも思わない光景であれた。
しかし、よくよく目を凝らしてその背を注視してみると、顕著な異常が見て取れた。
広すぎる竜馬の背の上に、ぱっと見は瘤のような、極小の異物がちょこんと乗っかっているのだ。
その異物が何であるかと問われれば、人間の少女であると答える他ない。
その少女が誰であるのかと問われれば、この公爵家唯一の令嬢だと答える他なかった。
事此処に至った経緯や理由は、依然として不明なままだったか、これだけははっきりしている。
竜馬の背に跨がる幼い少女の顔には満面且つ屈託のない笑みが広がり、この異常な状況を心の奥底、根底から、ただ純粋に愉しんでいる。
其の事だけが一目瞭然な、この場での純然たる真実だった。
護送対象者を収容する四畳半ほどの窓のない空間では、1人の少年が床にへたり込み、2人の大人がその様子を睥睨する、という一種異様な光景が広がっていた。
大人2人がかりで運び込まれた少年は、一応丁寧に降ろされた床の上で、先程からずっと力なくへたり込んだままの状態でいる。
この少年が穿いているズボンは股間から内腿にかけて濃く変色しており、何かしらの液体で濡れてしまったのだと容易に見て取れた。
その液体が何であるのか、は…あまり深く考えたくはない。
6歳の少年といえど、もう一端の羞恥心は備わっていて然るべき年齢である。
であればこそ、気の弱い者であれば嗚咽を漏らして泣き出していてもおかしくない、幼少期の心にも深々と突き刺さる恥ずべき状態だった。
しかし、その当人の少年はと云えば、粗相をしでかした羞恥に恥じ入ってその顔を歪ませているか、と云えば、全く以てそのような殊勝な様子は見受けられない。
どちらかと云うと憤怒の形相となり、滾る怒りに顔を赤黒く変色させて、睥睨している大人2人を睨み殺さんとするかのように、ありったけの怒りを込めた視線で以て見返している真っ最中だった。
しかもただ睨みあげているだけでなく、ガチガチと歯を強く噛み合わせて鳴らし、涎から発生した泡を口端に纏わりつかせながら、威嚇するように喉奥から精一杯低めた唸り声を絞り出している。
この少年がまともに口をきける状態であれば、この場にはもれなく幼稚で稚拙な罵詈雑言が更に追加され、音を拡散するには狭すぎるこの空間に嫌というほど響き渡っていたことだろう。
それがなかったのは偏に、先の公爵令嬢との面会に際して、あるハプニングがこの少年に降り掛かったからだった。
しかしそのハプニングの原因は、この少年が犯した悪行が起因しており、つまりは全く同情の余地がなく、全くの自業自得による当然の報いに他ならなかった。
あの【赤い目】。
少女が抱く怒りの感情に呼応するように、強弱をつけて明滅するその様は、あたかも赤々と燃え立つ焰がその瞳に灯っているかの如くであり、その煌々とした煌めきを何重にも翻す神秘的な輝きは、見た者の目に鮮烈に焼き付いて心の奥深くまで侵食し圧倒し尽くしてしまうものだった。
あの目に見詰め続けられたのは長く見積もっても、ものの5分程度、その短い時間だけで、あっけなく、いとも簡単に、この少年の身体からは立ち向かう気力が根こそぎ奪われ、膝が笑って力が抜けて、満足に立ち続けることもかなわなくなってしまった。
この世界に生を受ける人間が、唯一持たない瞳の色。
それがあの赤、煌めくルビー色の瞳だった。
煌めきを纏わない、赤系統の色味の瞳を持つ者は普通に存在した、けれど、宝石のような輝きを放つルビー色の瞳を持つ者はかつては1人も存在していなかった。
ルビー色は【天】の属性を表す色、つまりはこの世界を創造した《神》のみが有する色だったからだ。
本来なら神の被造物たる人間が持つことのない瞳の色、それがいつの頃からか、ある特定の血筋の者に不規則な確率で発現するようになった。
ある国では属性加護の強さを表すだけの瞳の色、しかし他の国では禁忌とされる瞳の色であり、また他の国では正当な王位を証明する瞳の色でもある。
世間に流布され、実しやかに囁かれる【赤い目】に関する話題は多岐にわたり、眉唾ものの噂話が全体のほとんどを占めていた。
そんな根拠も曖昧で不明確な信憑性の噂話に惑わされること無く、真相を正しく理解している者は高位貴族の極一部、国の中枢に深く関わる者達に限定されていた。
その為、この【赤い目】がどのような理由で稀有なのかを正しく知る人物は、世間一般では1人も存在しえなかった。
しかし、ことこの公爵家においては、少なくとも4人の人物が確実に、事の真相を十全に理解していると云えた。
その世にも稀有な色味に変容する瞳を持つ、稀有な血筋を受け継ぐ少女は、先日と今日、全く無自覚なままにその瞳をルビー色に煌めかせて、怒りに燃える赤々とした瞳でこの少年を威圧し、失禁というトラウマになりえる羞恥体験をプレゼントしてやったのだ。
その後始末を行う為、此の場所に少年を運び込んだのが睨みあげられている2人の大人、フォコンペレーラ公爵家領地家令のサミュエル・セヴとフォコンペレーラ公爵家が有する私設騎士団【蒼鷹騎士団】第Ⅶ団隊に所属する騎士のアルチュール・モローだった。
両者とも180cmを超える高身長であるが、その位置から容赦無く足元に転がる少年を睥睨しており、向けるその瞳はおよそ人間らしい温かみを感じられず、もっと云えば熱が取り払われた氷点下かと感じる冷たさしか受け取れないものとなっていた。
それもそのはず、元よりこの少年に対して良い感情など欠片も抱いておらず、今後も絶対に抱くことはない、と断言できるくらいの悪印象を今日この時に至るまでの態度と言動で良いだけ植え付けられていたのだから、金輪際その悪印象が改善される見込みは限りなくゼロに近い。
それに輪をかけて、先程の少女との会話内容である。
この年端もいかない少年は色々と取り返しの付かない、盛大なやらかしをしてしまった後だったのだ。
しかも、それとは全く別の理由でもこの少年は致命的なやらかしをしており、敵に回すことを絶対にオススメしない、この公爵家の領地家令の不況を、既に根こそぎ買い占めている状態だった。
「…はぁ、まったく、どこまでも余計に手のかかるご令息ですねぇ~。 こちらが指示した通りに着替えることすら出来ないとは…。 ホント、手がかかり過ぎてしまって、怒りが沸く前にほとほと呆れ果ててしまいますよ。」
やれやれ…、と額に指をあてて僅かに項垂れ、秀麗な眉根を寄せて心底疲れ果てたような溜息を深く吐き出す。
珍しくその顔に浮かべる苦悩の表情は作り物めいていなかった。
「あ~~んっ♡ 怒らないでくださいぃ~~、サミュエル様ぁ~~っ!! アタシぃ、これでも精一杯頑張ってぇ、さっきは着替えさせたんですよぉ~~? でもでもぉ、下着類はどうしたって手伝いたくなくってぇ~、自分でってお願いしたんですぅ~~!!」
「ごめんなさぁ~~いっ(泣)」と意識して高めた猫なで声で黄色く囀り、己のしでかしてしまった失態を彼なりの言葉(言い訳込み)で精一杯謝罪する。
「でしょうね、わかっておりますとも。 君に対しては怒っておりませんので、安心して下さいネ? 君の本来の職務に囚人の世話は含まれておりませんから、完璧にこなせていなくとも問題ありません。 寧ろ、急遽押し付けられた慣れない仕事を可能な限りで果たしてくれたことに感謝しこそすれ、叱責することなど致しませんとも。 ありがとう、アルチュール君。」
にこり、と穏やかに微笑んで感謝の意を表する。
この家令が浮かべる表情としては、中々にして珍しい類の表情だった。
しかし、ここで忘れずに着目しておきたいのが、“本来の職務”という言葉だった。
つまり、職務内容に含まれている仕事であったなら、完璧にこなせていない彼の現状では、家令からの寛大な評価がどのように様変わりしていた事だろうか…。
藪蛇になること請け合いなので、深く考えない方が良さそうだった。
「サミュエル様ぁ…♡ 優しいぃ~♡♡ 好きぃ~~っ♡♡♡」
ぽ…、っと頬をバラ色に染め上げて、何某かのフィルターが盛大にかかりまくってくらっくらに眩みきった眼で、一部の使用人からは悪魔の化身である、と実しやかに囁かれる領地家令を見て、まるで自身の理想そのもの♡な王子様を見る恋する乙女よろしく、両手で覆った口元から感極まった胸中を激白し、一拍おいてから次のことを力強く宣言する。
「んもぉっ♡ アタシにできることだったらぁ、いつでもぉ、どこでもぉ、どんっっっなことでもぉっ♡♡ 何度だって可能な限りぃ、全っ身、全っ霊、全っっ力を懸けてっっ!! 誠心誠意お手伝いしまぁ~~~っすぅ♡♡♡」
途中で野太い地声を挟んではいたが、全体的に見れば黄色く纏まった声音で、ある意味では誓いの言葉になりえる文言を大音声で迷いなく言い切った。
「それはそれは、嬉しいお申し出ですねぇ~♪ ならば早速、そのお言葉に甘えさせて頂いてぇ、あとちょ~っとだけ、お手を貸していただきたいのですがネ? 難しい事では無いと思うのですが、これもまたちょっとした力仕事では…ありますかねぇ。」
胡散臭いニコニコ笑顔に表情をチェンジさせて、いけしゃあしゃあと調子良く嘯き、早速とばかりに青年の宣誓を利用しにかかる。
「この手のかかるご令息を暫くの間押さえてていただきたいのですよぉ~。 なぁ~に、直ぐに済みます。 コレの本来の使用方法には反しますが、もー正直面倒なので、下着の上からでの装着で済ませますから♪」
コレ、と右手に持った少し厚手の丈夫そうな布製の何か、をヒラヒラ~とひらめかせて示し、この少年を無遠慮に人差し指を突きつけて指し示し、装着するのが間違いなくこの少年であると言外に示す。
明るい調子に気だるそうな雰囲気を紛れさせて、領地家令が云うことにゃーー。
「それが終わるまでの間、無駄に抵抗して暴れないよう、最悪羽交い締めてでも良いので、取り押さえていてくださいませんかねぇ~? 勿論、この令息が気絶しない絶妙の力加減で、ネ? これはアルチュール君の得意分野だと思うのですがぁ、お願いして宜しいですかねぇ~~?」
申し訳無さそうな表情を浮かべ、言葉は控えめに、けれど相手に決して断りたいと思わせないテクニックがふんだんに盛り込まれた百戦錬磨の手練手管に、乗せられたのか乗っかったのか、判断が難しいハイなテンションで若干食い気味に了承の返事を即答する。
「はいはいはぁ~~~いっ!! それってばぁ、丸ぅっきりアタシの得意分野でぇ~~~っす!! 任せて下さいよぉ~♡ じぃ~~っくりぃ、じわじわぁ~~っとぉ、意識が霞むくらいの力加減でぇ、優しぃ~~っく締め上げてあげますからぁ~~っ♡♡ このお役目はバッチリしっかり完っっ璧にぃ、果たしてみせますねぇ~~♡♡♡」
ボキッ、バキッ、と両の指の関節を鳴らし、ウォーミングアップに取り掛かる青年を、見上げる少年の顔の筋肉がある感情に支配されて、細かく痙攣しだし、引き攣った。
しかし、未だに少女から受けた威圧の影響が色濃く残る身体は、自分の意志ではピクリとも動かせず、不平不満を口にすることさえ適わない。
今この少年に出来ることは、ただ1つ。
自分を見下ろす大人2人が納得する結果が得られるまで、怒りに顔を歪めつつ成り行きに身を任せること、それだけだった。
ぱんぱんっ、と両手を打ち鳴らして革手袋に付いた埃を払い落し、嘆息する。
「さ・て・とぉ~? これで支度は万事整った…と見て、良いでしょうかねぇ~~?? ふむふむぅ、まぁ、ギリギリ及第点ですか、ね。 それにしても、流石の手慣れ具合ですねぇ~アルチュール君! 君のお陰で予想した以上の迅速さでこの憂鬱な作業を終えられましたよぉ♪」
しげしげとこの少年の、頭の天辺から爪の先まで適当に視線を動かして出で立ちを確認する。
少し辛口な評価をつけてから、一転して明るめた声音で、この少年を見事取り押さえ続けてくれた青年の手腕を褒め称える。
「あぁ~~んっ♡ そぉ~んなに褒められちゃったらぁ、アタシぃ、っっ照れちゃいますぅ~~♡♡ これくらいぃ~、アタシたちの隊の騎士だったらぁ、1人残らず習得してる最低限の技能ですからぁ~~♪ 特にウチの隊長の絞め技わ一級品でぇ、アタシの万倍キレーに決まってぇ、万倍早く相手の意識を混濁させられますからぁ~~♡ もぉ神業の早業でぇ、対象が呻く間も与えませんからぁっ♡♡」
「んふふっ、勿論、第Ⅶ団隊の隊長殿のお噂は兼々、良い噂から悪ぅ~い噂まで♡数限りなく聞き及んでおりますとも♪ で・す・がぁ~、今日此の場に居てくださったのは他でもないアルチュール君ですしぃ、私に快く手を貸してくださったのも、他の誰でもなく君ですから、ネ♡ 感謝していますとも♪」
「いやぁ~~んっ、嬉しぃ~~~っ♡ 頑張って良かったぁ~~~♡♡ こんな事で良ければぁ、ホントに何度でぇ~~も、お手伝いしますからぁ、気軽に言っちゃって下さいねぇ~~~っ♡♡♡」
謙遜する青年に、それでも感謝していると言葉を重ねて伝える領地家令の浮かべる表情は、安定の胡散くさ笑顔だった。
そんな些細な事は何のその、褒められた青年の有頂天は天井知らず、限界以上に舞い上がってしまい、この箱馬車の天井を突き破って天高くまで飛び上がって行ってしまいそうなほどだった。
「ゔ…ぇ、…っふざ……っっ!! ごほっ、……ごほっ、げぇ……っっ!!」
大人たちの会話を聞いて、やっと声が出るまでに回復したらしい少年が、早速悪態らしい音をその口から不格好に吐き出す。
「あんっ、ダメダメぇ~~っ! 今は無理して喋らないほうが良いわよぉ~~? まだしばらくの間ぁ、身体機能が鈍っちゃってるからぁ、頭で考える通りには動かないと思うのぉ~。 少年ってば超短気っ子だからぁ、イライラぁ~~ってしちゃってぇ、余計回復が遅れちゃうと思うのよねぇ~~?? だからもう少しの間だけでも大人しくしてぇ、良いだけ口閉じて黙ってろや♡」
優しく締めたつもりだが、これだけ小さい(年齢的に)少年を羽交い締めた経験は浅く、少しばかり気掛かりだったため、親切心から優しく忠告してやる。
脅しつけるような文言になってしまったのは、不慮の事故のような、無意識的な理由だったからだと思いたい。
「…だま…れっ!! お、れ…様、……にぃっ!! 気安く……、はなし……かけ……っな、この………ッカマ野郎っ!!!」
「あ、ムッかぁ~~~っ!! 超ド級でむかっ腹立っちゃったんですけどぅぉ~~~っ?! いい加減、アタシの我慢も限界♡ サミュエル様ぁ~、このクッソガキ、鞭でシバキあげてから、八裂いても良いですかぁ~~??」
「んふふっ、大変蠱惑的な提案ですが、まぁ~~だダ・メ、です♡ その止むに止まれぬ思いは又の機会に、忘れず心の片隅に留め置いておきましょう。 君は大変優秀で聞き分けの良い、お利口さん、だと私は信じております。 なので、ちゃぁ~~んと我慢できますよ、ネ?」
返された罵声に、ソッコーで報復を決意するに至り、その勢いのまま心に思った報復内容を包み隠さず申し渡して、許可を得ようと隣に佇む家令へと問いかけた。
しかし結果は、敢え無く却下。
断られてはしまったが、結果としては『お利口さん』と評されたことで、プラマイで云えばダントツのプラスとなった。
「モッチのロンでぇ~~~~っすぅ♡♡♡ 言いつけ通りに♡ちゃぁ~~んと♡♡我慢出来まっす♡♡♡」
「それは重畳、流石は私が見込んだ通り、大変優秀なお利口さん、ですね♡ 堪えてくれて、どうもありがとう、アルチュール君♪」
コロコロっと年下の青年を手のひらで転がして、自分の思い描いた通りに動くよう操る。
「あ、そうそう、言い忘れるところでした。 これだけは素直に守ることをオススメいたしますよぉ、アンジェロン子爵家のご令息(仮)殿ぉ? お気づきかわかりませんが、この馬車には今回意図的に細工してございますため、安全装置になりえるモノが一切ございません♪ なのでぇ、怪我をしたくないとお望みであれば、この馬車が動き出した最初の内に、しっかりと掴まれる場所を確認し、片時も離さずに縋りついておくことをつ・よ・くぅ、オススメ致しまぁ~~っす♪」
「……っはぁっ?! な……で、だよぉっ?!」
「それは何故かと申しますとぉ~、此の扉は一度施錠いたしますと、中の音は一切、外部に漏れ聞こえません。 仮に貴方が助けを求めてどんなに大声で泣こうが喚こうが全くの無駄、私達には貴方の放つ如何なる騒音も聞き届けることが適いません。」
両方の人差し指を交差させて、小さな✕印を作る。
しかしお茶目な仕草とは裏腹に、その声音は極めて真剣そのものだった。
「門をくぐり、公爵家の敷地外に出た瞬間から、本領を発揮して最高速度を維持しつつ目的地までひた走る予定となっております。 その間には最小限の休憩しかはさみませんので、必然的に貴方と接触し、貴方の生存無事を確認できるのはその数回のみ、極々短い時間となります。 私の言葉を無視して、怪我を負うことがあればそれは全て自己責任、自業自得と相成りますので、そのおつもりで。」
「な……に、言ってやがる? 正気かよ、…俺様はっ、子爵家の次期当主だぞぉっ!? そんな平民の囚人以下の扱い、して許されるとでも、思ってやがるのかよぉっ?!」
「あ~はいはい、そこまでで結構ですよ? 口うるさくキーキーと、これ以上無駄に喚かないで頂けませんかねぇ~? この狭い空間では嫌でも反響して、倍以上五月蝿く感じてしまいます。 これ以上不愉快さがいや増してしまったなら、流石の私も辟易を通り越して、反吐が出てしまいそうですから♪」
唇にピンと立てた人差し指を翳して、黙るように仕草で伝える。
「ライリエルお嬢様が貴方に対して『これ以上何もするな』と仰せですので、この件に関しまして今後一切、如何なる追加の制裁も加えない事はお約束いたしましょう。 で・す・がぁ~、本日の子爵家までの道中に関しましてはその限りではない、となりますことを予めご了承下さいネ?」
少年が口を挟む間を与えず、家令であるこの男は朗々と語る。
その目にも、その顔に浮かべる表情にも、限りない蔑みの色を濃く滲ませて、家令であるこの男は朗々と語り続ける。
「何を隠そう、大変お優しいライリエルお嬢様とは違い、当公爵家の当主たる旦那様は、まぁ~~ったく、正反対のご意見でいらっしゃいましてねぇ~~?」
弧を描く口元、その広角が、1段引き上げられた。
「曰く、『子爵家に人を送り子息の不在を確認させたが子爵本人がこれを強く否定した。 したがって今回、当家が拘禁せしめた騒動の主犯格の少年が子爵家の令息とは確証がとれず、これによって帰路の道中、当方としては送り届けるのみに終始し、子爵令息(仮)の身体にかかる健康及び安全を保証する義務はこの限りではないと決定せしめた。』と、仰せでいらっしゃいました。」
数日前、実際に子爵邸までわざわざ人を遣って確かめた際の経緯を踏まえ、この決定は下されたのだと包み隠さずに年端も行かぬ幼い少年に語り聞かせる。
「な・の・でぇ~、誠に残念ではございますがぁ、貴族家の令息と身元確認が取れておりませんので、扱いと致しましては平民の囚人と同じ処遇とさせて頂き、安全策は必要最・低・限、とさせて頂くことと相成りました♡ ですので、恨まれるのならどーぞ、ご自身のお父君(仮)になさってくださいねぇ? 彼の子爵が我が身可愛さに宣った愚劣な言い訳が原因である、と努々お忘れなきよう、ご記憶願います。 もし万が一、この事実を捻じ曲げて記憶し、逆恨みの原因を捏造しようも・の・な・らぁ、…お嬢様が仰られていたよりももっと、凄惨で絶望的な未来が待ち受けている、と自信を持ってお約束させて頂きます♡」
胡散臭い笑顔から変えた表情は、同じく笑顔ではあった。
悪魔が微笑んでいるかのよう、では可愛らしい表現になってしまう、酷薄で冷酷無残なその笑みを見て、彼が先程宣った言葉が単なる脅し文句である、と思っていられる人間は…果たして存在するのだろうか。
「あとこれも、念押しの為に申し上げておきましょうか…?」
何かを頭の中でのみ確認してから、へたり込む令息に向かって優しく諭すように語りかける。
「貴方が目撃してしまった【赤い目】、これに関しては一切、他言無用に願います。 先日と本日、目撃した【赤い目】に関する一切全て、誰にも、一言も、伝え聞かせてはなりませんよぉ~? まぁ、貴方が素直に聞き届けてくださるとは当方も考えておりませんので、それ相応の処置を施させて頂いておりますが、ネ? 禁忌は多岐にわたる、その事をどうぞお忘れなく、これもまたライリエルお嬢様の忠告とともにしっかりとご記憶下さいね?」
「は……、はぁ…? 【赤い目】…? 何だ、そりゃ…、何のこと……言って…?」
「あぁ、いいのですよぉ~、お気になさらず♪ そのままで結構、分からなくって大変結構ですともぉ~! その反応が欲しかっただけですので、どぉーぞそのまま気に留めず、ふてぶてしいくお過ごしくださいねぇ~~♡」
手をパタパタっと仰いで、今の自分の発言は忘れてくれるよう軽ぅ~くお願いする。
「でわでわぁ~、これ以上我々の姿など目にしていたくもないでしょう、そうでしょうとも、我々の方こそもう疾うの昔に限界を感じておりましたからねぇ~~?? これにて失礼させていただいて、遅れを取り戻すためにも、疾く出発する事と致しましょうねぇ~♪」
「は……? おい、待てよ…っ?! ホンキで、ここに、俺様ひとり…!? おいっ、待てっっ!! ジョーダンじゃねぇぞぉっ!!?」
少年の必死の静止を綺麗に聞き流し、無慈悲な領地家令はテキパキと無駄なく動き、幼い令嬢が中を見学できるよう準備してやった時と逆行して手順を踏み、手慣れ様子で難なく、必要な操作を完了していく。
タラップもきちんと元の通りに収納され、誤って降りてこないようしっかりと操作レバーを固定するのも忘れない。
それからも流れるような動作でスピードを緩めず、1つ1つ着実に作業を完了させていき、あっという間に最後の仕上げ、扉を固定していた金具を解除して、いよいよこの扉を施錠する時を迎えた。
ここまでの所要時間はたったの1分弱、どれだけこの動作を繰り返し行ってきたのだろうか…。
これもまた藪蛇になること請け合いな為、突き詰めることはせず、深く考えない方向で。
努めてにこやかな表情を造り上げて、これから密室となる窓のない空間に独り取り残される少年を冷ややかな目で振り返る。
少年がこちらの動きを注視しているのを確認してから、見せつけるように殊更ゆっくりと馬車の扉を閉めていく間、狭まっていく隙間に向けてクスクスとした笑い混じりに朗らかな声を放り込む。
「そうですとも、何一つ冗談ではございません♡ ここに来てやっと、よぉ~~やく自分の置かれた状況を正しくご理解いただけたと確認が取れて、私もようやっと安心致しましたぁ~♪ それではアンジェロン子爵令息(仮)殿ぉ、良い旅を、神のご加護がありますように♪」
どうやって言葉を外に送り出しているのか、と疑問に思ってしまう三日月型に極々薄く開けた唇の隙間から、器用に言葉を零していき、最後の締めくくりには全く心の籠もらない祈りの言葉を一言一言はっきりと、聞き取りやすいよう滑らかに紡ぎ出して、餞別代わりとばかりに懇切丁寧に手向けてやった。
この時にやっと顔色を赤から青にサッと変色させた少年が、苦情申し立てらしき戯言を喚き散らそうと戦慄く口を動かしそうになったが、時すでに遅し。
ガ…ゴン……、ガチャッ、ガチャッ、ガッ…チャン。
この空間唯一の外部へと通じる扉は、重厚な音の後に連なる軽妙な音を響かせて、無常にもしっかりと施錠された後だった。
問題なく施錠されたことを確認して、家令の男はぐぐーーっと大きく上に伸びをしてから脱力し、肩を回しつつ懐から取り出した懐中時計を見て、現在の時刻を確認する。
本日の行程(予定)との齟齬が許容範囲であるか、遅れ具合はどの程度で、どの箇所の時間を詰めれば挽回できそうかを瞬時に判断してから、再び懐へと懐中時計をしまうといつもと変わらぬ歩調で歩き出す。
歩きながら、ここまで彼を手伝ってくれた青年に向かって、愛想良く笑んで労をねぎらう。
「君の助力がなかったなら、もっと手こずって時間が無駄に費やされていた事でしょうねぇ~♪ 付き合って頂いて、どうもありがとう、アルチュール君。」
「あ~~んっ♡ も、全然っ、たいしたことしてないですからぁ~~♡♡ その言葉を聞けただけで…アタシ……っアタシぃっ、っっ幸せ絶頂ですからお気になさらずこの後のお仕事も頑張ってくださぁ~~~いっっ♡♡♡」
ブウォン、ブウォン、ブウォン、ブウォンッ!!
テレ付いてキャピった言葉とは裏腹に、勢いよく腕を振り回す細身の青年から、金属バットでも振り回しているかのような音を伴って、打ち付けるような風圧がバッシバシ半端なく送られてくる。
「元気一杯の声援をどうもありがとう♪ でもそれは君にも云えること、ですからねぇ? 今日この後もそれぞれの職務にしっかりと取り組めるよう、最善を尽くして頑張りましょーーネ♪」
「っっはぁ~~~いっ♡♡♡ 今日もお仕事頑・張り・まぁ~~~っすぅうぅ~~~~♡♡♡」
ここでお役御免であると察して、ハート乱舞な状態のまま自分の持ち場である地下牢へと帰っていく青年の後ろ姿を、地下牢へと続く扉を潜りきるまで見送った。
この男がここまでしてやる理由は唯一つ。
釣った魚に餌をやる、それだけに尽きる。
確かに、個人的にも然程嫌いな部類に属する人物ではないのだが、『ならば好きか?』と問われたなら、『其れ程でも…(ない)。』と答えられるくらいには、好感度が伸びきっていない人物であった。
だが相手から好かれていて損はない、ならば生かさず殺さず、付かず離れずな適度な距離を保ちつつ、相手からの好感度が高い状態を絶妙にキープするに限る、といった合理的思考に基づいて、この男は行動しているに過ぎなかった。
それにこの男の本音を知ったところで、あの青年がへこたれるとは思えない。
「酷いぃ~~~…。」とさめざめしく泣いて、「でも、そんな無慈悲さも、彼らしくって、好きぃ~~~っっっ♡♡♡」と直ぐにでも持ち直すことが容易に想像できてしまう。
少し下がって倍以上に跳ね上がる、という脅威の跳躍力、そのバネが持つ潜在的なポテンシャルの高さと強靭さを見せつけてくれること請け合いだった。
そんなこんなはさておいて、本日1番の大仕事を終えた領地家令が次に足を向けたのは騎士達が居るだろう一角。
騒がしい声がする方向へと迷わず足を向け、騎士たちをどの脅し文句でどやしつけようか、と鼻歌交じりにほくそ笑んで見詰めた先に、理解できない光景が広がっていた。
「おやまぁ…、これは一体全体、どういった経緯でこのような状況に至った次第なのでしょう……ねぇ?」
普段開いている状態とは比べ物にならない開眼具合、限界まで目を瞠って見つめるその先には、どれだけじっくり見ても、一見しただけでは決して推察も理解も追いつかない、奇妙奇天烈な光景が繰り広げられている真っ最中だった。
体高・体長共に、優に2mは有ろうかと思われる青毛の竜馬が遠くの方を颯爽と駆け回る、これだけであれば、然程疑問にも思わない光景であれた。
しかし、よくよく目を凝らしてその背を注視してみると、顕著な異常が見て取れた。
広すぎる竜馬の背の上に、ぱっと見は瘤のような、極小の異物がちょこんと乗っかっているのだ。
その異物が何であるかと問われれば、人間の少女であると答える他ない。
その少女が誰であるのかと問われれば、この公爵家唯一の令嬢だと答える他なかった。
事此処に至った経緯や理由は、依然として不明なままだったか、これだけははっきりしている。
竜馬の背に跨がる幼い少女の顔には満面且つ屈託のない笑みが広がり、この異常な状況を心の奥底、根底から、ただ純粋に愉しんでいる。
其の事だけが一目瞭然な、この場での純然たる真実だった。
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