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●本編●

64.微睡みの中で見る夢は…。

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 両親の死に様が目に焼き付いて離れない。
2人はわたくしのために、私のせいでその命を断つこととなったのだから、忘れられるはずがない。
あの日からずっと、私にはこの世界に溢れるとりどりの色彩がわからなくなってしまった。
私のこのに映る世界は様変わりしてしまった、明暗の違う白と黒、そして……鮮血の赤。
その3色にだけ支配されてしまったのだから。

だからどうしたって色の判別がつかない、他の人が当たり前に判別できるモノが私には欠落している。
コーネリアスには全部話した、私が両親の死からオカシクなってしまった事。

小さな欠落が大きな欠落として取り沙汰されてしまう社交界で、私には公爵夫人という地位は相応しくないのではないか、私が抱えきれずに漏らしてしまった不安からくる弱音をコーネリアスは払拭してくれた。
私の欠点を嘆くでもなく、憐れむのでもなく、彼はただいつものように力強く笑ってくれた。
彼がこの時私にかけてくれた言葉は、私の宝物になった。
彼から溢れるほど、日毎に贈られる言葉の中でも特別な宝物の1つになった。

『話してくれてありがとう、不謹慎かもしれないが僕にとって欠点それは取るに足らない些事なんだ。 興味がないわけじゃないんだ、それも含めて君だから、愛おしい。 君の全てを愛おしいと想えるから、そんな事全然気にならないんだよ。 上手く言葉に出来ないけれど、本当の本当に、心から君を、君という存在を愛しているんだ。 だからーー』


 「何をお考えなのですか、母上?」

「…少し、昔のことを思い出していたのよ。 今日と同じように、温かだった日の事を…。」

金皇きんこうが惜しみなく降り注いでくる光によってポカポカと温められた空気の籠もる暖かな食堂、その陽気に当てられてぼんやりとしてしまった拍子に、同じように温かだった記憶が呼び起こされたようだ。
思い出されたあの記憶、結婚当初に交わしたコーネリアスとの会話、私にとって特別な記憶だからだろうか、意識がそちらにさらわれて追憶に集中しすぎてしまったようだ。

最近は少なくなったけれど、両親の死を思い出すのは何も珍しい事ではなかった。
両親の死の衝撃は未だに衰えず、その光景はこの眼に、脳裏に、鮮明に刻み込まれている。
亡くなってからの数年間は特に酷くて、視界には常に両親の死の残像がこびりついて離れなかった。
目を開けていても閉じていても、常に見えてしまう。

年を経る毎に取り乱すことは少なくなり落ち着いていったけれど、消え去ること無く私に訴えてくる。

『忘れるな、これはお前の罪だ。』

指を差して私を静かに糾弾する声、その言葉と共に私を苛むのは身体から赤い色の液体を止めどなく流し続ける、もう二度と起き上がることのない倒れふした両親だった肉体。

事有るごとに付き纏う記憶が、その頻度を減らしたのは、与えてくる罪悪感が薄らいでいったのは、コーネリアスと出逢ってから何年後のことだっただろうか。
彼との心の距離が近づくにつれ、私の中の記憶は段々と付き纏う現実から残酷な過去へと変わっていった。

 ーーそれなのに今、白昼夢のように思い出してしまったのは、ライラちゃんが無事に目覚めてくれて気が抜けてしまったからかしら?ーー

「そうですか、具合が悪いのでないのなら良かったです。 母上に少しでも異変があれば直ぐに、1も2もなく連絡するよう父上から厳命されておりますので、連絡する必要が無いと知れて心底安心致しました。」

ホッと息を吐いて、安堵したように話すのはテーブルを挟んで左斜向かいの席の座る長男のアルヴェイン。最近は嫡男としての教育も進み、他の同年代の子よりもしっかりしすぎているせいでコーネリアスからいろいろと申し付けられる機会が増えたみたい。

「ふふ、そうだったのね。 コーネリアスは心配性が過ぎていけないわね。」

「心配性って言うよりぃ~、過干渉なだけだと思うけどぉ~~? 母さんは全然嫌がら無いよねぇ、父さんが何しても基本的にさぁ~。 ぶっちゃけ、鬱陶しいとかって思わないのぉ~??」

コーネリアスと似た間延びした喋り口調でそう問いかけてきたのは次男のエリファス。
私から見て右斜向かいの席に座って…姿勢を崩してテーブルに突っ伏しながら視線を上げて窺うようにこちらを見やっている。
普段はその目元を長過ぎる前髪で隠してしまっているけれど、今は姿勢のせいで前髪に邪魔されずスフェーンの瞳が真っ直ぐに私をとらえてるく。

「そうねぇ、……思わないかしら?」

少し考えてから答える。
語尾が上がってしまったのは、少なからず思うところが有るからだった。

「何で疑問形なのぉ?」

それを受け流すこと無く問を重ねるエリファスに微笑み返す。

「ふふ、内緒。」

「「 ……? 」」

途端に2人の息子たちが同じ表情になって疑問をうったえてくる。
その表情が似すぎていて、堪えきれずに声を立てて笑ってしまった。

「ふふふっ、驚いた顔は2人ともコーネリアスにそっくりね。 親子だもの、当然よねぇ…。」

微笑ましくて、嬉しくて、口角が笑みの角度からなかなか戻せない。

「…嬉しくありません、全く。」
「ん~…、嬉しくないかなぁ~、全っ然。」

またも同じような渋面になりながら偽りのない素直過ぎる胸中を吐露する息子たち、やはりその表情もコーネリアスに通じるものが確かに有る。

「ふふふっ、そんな事を言ったらコーネリアスが可哀想だわ。」

くすくすと笑ってしまいながら、今自然に笑えている自分に心の中では驚いてもいる。
もっと言えばこの絵に描いたような幸福が本当に現実か、私が今こうしてあたたかな家庭を築けている現実が白昼夢ではないだろうか、と信じられなくなる瞬間が少なからずある。

膨らんだ腹部をできるだけ優しく撫で擦りながら、こんな幸福な日々が自分におとずれるだなんて、両親を亡くしたばかりの、絶望して心を閉ざしたあの頃の私には全く信じられない、受け入れられない絵空事の未来だ。

誰かと想いを交わして、心からの愛を誓いあえるだなんて…夢物語だと思っていたのだから。
自分にはこの先一生、おとずれることのない幸福。

両親の死を見た日から、私は罪人つみびとになった。
全部が全部、私のせい。
こんな私が幸福になるだなんて、絶対の禁忌タブー、そう思い込んで、背負い込んでいた、全ての罪を自分の中に抱え込んでいた、コーネリアスが救い出してくれるまでは。


 今目の前には可愛い2人の息子たちがいて、今は別の場所、初めてできた友人と過ごす可愛い娘までいる。
そしてこの膨らんだお腹の中には新しい命が宿り、健やかに育まれて、もうすぐ会うことができる4人目の子供がいる。
愛おしいと想える存在が、家族がこんなにも沢山増えた。
それも全て、コーネリアスが私に最愛を教えてくれたから、惜しみなく愛情を与えてくれたから。
押し付けるのでなく、感情の種を植え付けて、愛情という名の雨を降り注いで、成長を促して一緒に育んでくれたから実現したにほかならない。


 数日前から急激に食欲が減退していたため、昼食は軽めに済ませた。
食事を終えてからもなかなか椅子から立ち上がる気になれず、予定がないのを良いことにのんびりと腰を落ち着けていた。
そんな私を気遣ってか、2人の息子も珍しく(特にエリファス)一緒に居てくれる。

その事に少しだけ胃のもたれた感じが軽くなる、気分がぐっと上向く。
家族が側に居てくれる、ただそれだけ、こんな単純な日常の一時に驚くほど沢山の幸福な瞬間が溢れるほど隠されている。

「それより、アルちゃんとエリーちゃんは、この後何をする予定なのかしら? 何か決めているの?」

食後に準備された飲み物、丁度それに口を付けたところだったアルちゃんがごふっと口に含んでいた液体を噴き出しそうになりすんでのところで堪えた音を立ててから慌ててカップを置き、息苦しそうにむせだした。

「……母上、お願いですから“ちゃん”付で呼ぶのは、もう、お止め頂けませんか?!」

落ち着くのを待ってから、低めた声でつっかえながらも強い意志を込めて、真っ直ぐに私の目を見てお願いしてきた。

「うん、ボクも流石にぃ、抵抗感しか無いかなぁ~? 愛称だっていってもぉ~、素直に頷き難いっていうかぁ~~??」

アルちゃんに続いてエリーちゃんまでもがこの呼び方を拒否する旨の言葉を零した。

 ーーこんなに可愛い息子たちにぴったりの呼び方、他にないと思うのだけれど…?ーー

胸に広がった不満の感情が表情を曇らせた。
私が眉を寄せたのを見て、途端に慌てだす息子2人。
何とかかんとか、私の機嫌をたちどころに回復する方法を模索しているらしい様子に、すぐに眉間の皺は解消され、クスリと笑みを漏らしてしまう。
その慌てふためき具合が、先程思い出した時分のコーネリアスのそれにとてもよく似ていたから、哀しい気持ちを吹き飛ばされ微笑ましくなってしまった

「?? そうかしら? 可愛くて良いと思うのだけど? だってアルちゃんとエリーちゃんはまだ成人前だもの、違和感なんて全然感じないわ♡」

「可愛さは求めておりませんので、普通に。 もっと言えばいっそのこと呼び捨てでお願い出来ませんでしょうか?」

「母さん、ボクたちにそんな可愛げなんてもの、もう残されてないと思うよぉ~? 母さんが思ってるよりぃ、全然違和感しか無いからねぇ~~??」

私の心からの評価を愛息子たちはばっさりと切り捨ててきた。
その顔は怖いくらいの真顔、真剣に説得しようと試みていることがその表情から伝わってきた。
伝わっては来たけれど、素直に頷けない。

「そうなのかしら…? でも、愛称で呼べるのは母親の特権でしょう? 成人まではまだまだ時間があるし、長く呼べるわねって、とても嬉しく思っていたのに、…残念だわ。」

「「 ………。 」」

ちらりと息子たちの反応を確認してみると、神妙な面持ちで目配せし合っているのが見て取れた。

 ーー本当に、仲の良い兄弟よねぇ。 駄目ね、すぐに許せてしまうわ。 だって可愛いのだもの。ーー

男の子なのだし、本人たちが言うようにそろそろ“ちゃん”には抵抗感が強まる時期なのだろう。
息子たちの自我の成長を喜んで受け入れてあげなければ、そう心に決めて口を開こうとた、しかしその空気をエリーちゃん…エリファスに奪われた。

「せめて許せて“くん”かなぁ~って、受け入れられる妥協案としては、だけどねぇ~~?」

エリーちゃ…エリファスが意外な妥協案を提案してきた、その事に驚いたのは私だけではなかった。

「?! エリファス、何を…!?」

驚いて、けれど私には聞こえないよう声を潜め気味に弟に向かって鋭く真意を問うている。
2人の距離がコーネリアスの席を挟んで開いているせいで声を潜めきれておらず、私の耳にもしっかりと届いている。
それに気づかないふりをしながら、意識して悲しげな表情を保つことに徹し、それでいてしっかりと2人の会話に聞き耳をたてるのはやめない。

「だぁ~ってさぁ、今の母さんの表情かおのまま父さんに会って事情聞かれちゃったらどうするのさぁ~? 『愛称ぐらい受け入れろ』って言われちゃうじゃん、絶対にさぁ~。 それって元の木阿弥じゃない~、それを考えたらぁ、まだましだよねぇーって考えた結果なんだけどぉ、駄目だったぁ~~??」

「確かに…、そうだな、全く否定できない。 父上ならゴリ押しで言いかねない、主に嫉妬で。」

「でっしょぉ~? ボク偉いぃ~~?? 遠慮なく褒めちぎってくれて良いよぉ~~♪」

「調子に乗るな!」

ここで堪えきれなくなって、もうこれ以上表情を取り繕っていられなくなった。
聞こえていたと気づかれないように、先のエリー…くん、の提案に喜んだ体でニコリと微笑んで2人に愛称の変更を告げる。

「そうねぇ、じゃぁこれからはアルくんにエリーくん、そう呼ぶわね。 嬉しいわぁ、だってまだまだ愛称で呼びたいのだもの、できることなら2人が成人してからだって呼びたいくらいなのに、今からもう呼べなくなってしまったら寂しすぎるもの。 ありがとう、エリーくん♡」

「ど~いたしましてぇ~~♪」

言っている途中から本当に喜びが溢れてきて、最後の方は心からの満面の笑みとなった。
私の感謝の言葉を受け取って答えたエリーくんは、声は変わらず朗らかなのに、凄く遠い目をしている。
その理由はまたも潜めているけれど潜めきれていない声で交わされた兄弟の会話ですぐに判明した。

「これってさぁ、父さんにバレたらどうなるんだろうねぇ~?」

「母上から満面の笑みを向けられたことをか? さぁな、半殺しで済めば御の字だろう。 せめて生き残れるよう祈っててやる。」

「兄さんの薄情者ぉ~、そこはボクの身代わりを引き受けてくれても良くない~? たった1人のカワイイ弟の命の危機かもなのにさぁ~~??」

「残念だったな、もうたった1人、ではなくなるからな。 これからは平等に公平に擁護しないとならない。 今まで1度も思い立ったことは無いが、お前だけの為に体を張ってやることはできないんだ、許せよ。」

「ちょっとさぁ、心が籠もってなさ過ぎじゃない~? 兄さんの正直者ぉ~~。」

「ふふ…ふふふっ、仲良しねぇ、2人とも。」

私が声を立てて笑い、2人の仲の良さを褒めた言葉で今までの会話が全部、私に筒抜けていたと気付いた2人はそれぞれ各々違った反応を返してくる。
バツが悪そうに、でも少し気恥ずかしそうに子供っぽい言い合いをしてしまった自分を省みて後悔しているような表情でそっぽを向いてしまったアルくんと、3歳年上の兄をからかって機嫌を良くしたエリーくんがニヤニヤと意地の悪い笑みを湛えたままそっぽを向いた兄の様子を観察するように見遣っている。

何気ない日常、気のおけない会話、家族と過ごす団欒の時間、その中に確かな幸福が散りばめられている。
それを見つけて、拾い上げて、この胸に抱く度に、私は自分がどれだけの幸せに囲まれているのかを実感する。
愛息子たちと過ごせる、幸せを実感できる時間はもうしばらくの間続いた。


 王城から戻ったコーネリアスの様子がおかしい。
足元がおぼつかず、かと思えば時々沸き起こった感情に堪えきれないように頭を抱えて呻き出すのだ。
なにか良くないことでも王城であったのか、俄に不安が増す。

「コニー、どうしたの? 王城でなにかあったの?」

私の問いかけにすぐには返答出来ないようで、片手を上げることで待つように示された。
しばらく自分の中で渦巻く激情をやり過ごした後、感情的にならないよう意志の力で抑圧してみせた声音で告げられたのはーー。

「王城を爆破炎上させてきていいかな?」

「ふふ、駄目よコニー。 もう帰ってきたのだから、何処にも行かないで家に居て頂戴ね?」

 ーー良かった、いつも通りのコニーだわ。 荒事関係へ参加するという知らせでなくて本当に良かった。ーー

安心したら自然に口角が上がり、笑顔になるのを止められなかった。

「アヴィゲイル、笑い事ではないんだよぉ?! これはどうしたって笑い話に出来ない内容でねぇ!! ……どうしてそんなに嬉しそうなんだい? なにかぁ、そんなに喜ばしいことを、今僕は言ったかなぁ~??」

「ふふっ、いいえ。 今は言っていないわねぇ。」

コニーが不思議そうに問いかけてきた、場違いとわかってはいてもニコニコと微笑むことを止められない。
私のところに無事に帰ってきてくれた、それだけで微笑むことを止められない理由には十分すぎるくらいだったのだから。
永遠に会えなくなってしまう、そんな悲劇は驚くほど何の前触れもなく突然におとずれてしまうものだから。

「そうだわ、今日はライラちゃんのお友達も交えての晩餐会になったのよ。 だから……はい、ちゃんと正装してちょうだいね。」

「ライラのお友達……? あぁ、そう言えばぁ~、まだ滞在してたのだったねぇ~! 忘れていたよぉ、確かぁ~~……?」

きっとこれ以上待っても名前は出てきそうにない。
それでも一生懸命に思い出そうとしている姿が微笑ましい。

「コニー? ふふっ、また・・忘れてしまったの? アグネーゼ男爵家のご令嬢、メイヴィス嬢よ。 本当、仕事に関係のない名前を覚えるのが下手ねぇ」

昔からそうだったけれど、相変わらず人の名前、特に普段関わることのない人物の名前は覚わらないようだった。

「あっはっはっは、いやぁ~、面目ない! どうも苦手だねぇ~、仕事以外ではとんと覚えが悪くて困ったものだよぉ~!! 直そうとは思っているんだがぁ、そこまで必要に迫られてる感じもないしねぇ~、全く改善される兆しが見えないのが正直な現状なのだよねぇ~…。 その分を君が補ってくれているから、本当に助かってるよぉ、ありがとう、アヴィゲイル。 君ほどの内助の功を得られて、僕は本当に果報者だよ。」

愛おしげに見つめられ、ゆったりと緩慢な動きである目的を持って腕がこちらに伸ばされてきた。
器用に動く指先が私の前髪を払い、そうして覗かせた額に少しの間もおかず優しい口付けが落とされた。
いたずらに口髭が額を擽る、そのこしょばゆい感覚に耐えきれず小さく声をたてて笑ってしまった。
唇が額から離れたあともくすくすとしのび笑いを漏らす唇を鮮やかな流れる動作で塞がれる、額に触れたのと同じ優しさで、羽毛のように軽やかな口付けを降って落とされた。

触れたときと同じで、音もなく離れた唇を名残惜しく思って目で追ってしまう。
私の続きを促す意味深な視線を受けて、困ったように小さく笑ってから、おかしくなった空気を和ます様にからかいを強調して嘯かれた。

「どうしたんだい、アヴィゲイル? そんなに物欲しそうな目で見て、物足りなかったかなぁ?? けれども残念なことに、今の私たちには時間が足りない! 君が言った晩餐会があるのだから、もう支度をし始めないとねぇ!? 遅れるわけにはいかないのだから、なぁ、そうだろうアヴィゲイル?」

少しむくれてしまった私の頬を優しくこしょぐりながら穏やかに諭される。
彼が2人きりの時にだけ呼んでくれる、この『アヴィゲイル』という名前の響きが格別に好きだ。
同じように彼も、私が2人きりの時にだけ呼ぶ『コニー』という愛称の響きが格別に好きだと云う。

愛しげな余韻を残して響く自分の名前、それだけでも胸が締め付けられるように痛む。
本当に痛みを伴うわけではないけれど、息苦しくなって胸がこれでもかと騒いでしまうからとても落ち着かない。
これがときめきという感情モノなのだと知ったのは、コニーと出逢ってからだった。

コニーが言うように、晩餐会に主催者が遅れるわけにはいかない、だからといって触れ合える時間を終わらせるにはまた少し物足りない。
自分がコニーに負けず劣らず、恋しい相手には甘えたになる性格だと知ったのもコニーと出逢ってからだ。
こちらは忘れていた、といったほうが正しいのかもしれない、でも忘れていたのは両親に対して甘えていた過去だからやはり感情の意味合いが違った。

最後にもう一回、離れる前にもう一回だけ触れてほしかった。
だからこそ強気に悪あがき、且つダメ押しとばかりに上目でコニーをじぃーっと見つめる、するとすぐさま息を奪うような性急さで口付けられた。
今度は軽くではすまなくて、そのことがとても嬉しかったのは内緒にしたいけれど、返す私の反応でコニーには筒抜けていたと思う。

十分に触れ合えたことで満足し、私も自分の身支度をする刻限が迫っていたのでコニーの部屋を後にする。
今度はコニーが離れ難そうにしていたけれど、ニコリと微笑みだけを残してそそくさと体を離して距離をとり、無情かともおもったけれど結局は未練なく扉を開きパタンと音を立てて閉めた。


 そうして会場である食堂までコニーとともに向かい、いつもの席に着いて子供たちとアグネーゼ男爵令嬢を待つ間にコーネリアス・・・・・・の機嫌は再び悪化してしまった。
だからといって誰彼構わず当たり散らすわけでもないので咎めること無くそのままにしておく。

 ーーきっとライラちゃんが驚いてしまうでしょうねぇ。 誕生日の日も色々驚いていたけれど、不機嫌なコーネリアスを目にするのは……2回目かしら? 何事も経験よね、不安がらないようにしっかり安心させてあげましょう。 私は子供たち皆の“母親”なのだから!ーー

けれど食堂に入ってきたライラちゃんは、私とは目を合わせてくれなくなっていた。
今朝顔を合わせてからずっと、アグネーゼ男爵令嬢と共に過ごしていた、その事が少なからず関係しているのかと勘繰ってしまいながら、取り敢えずは晩餐会の間2人の様子をうかがうことにした。

いつもと同じように声をかけて、いつもと同じように微笑んで見せる。
でも正直に言えば、目を合わせてくれないのは寂しいし、哀しい。
少しだけ、ほんの少しだけ…不安にもなる。
娘だからといって、母親を絶対的に好きでいなければならないわけではない、苦手と思われる時期も勿論来るであろうとは覚悟している。

 ーーでもそれは、今ではないはずなのに……。ーー

お昼に引き続き食欲が戻らなかったため見かけではわからないよう盛り方を工夫してもらって、実際の量は軽目にしてもらったものを何とか食べきっていく。
コーネリアスの不機嫌さを解消し切ることは出来なかったけれど、ライラちゃんの機転で話が思わぬ方向に進むことになった場面も新鮮な驚きとともに受け止めていた。

 ーーいつの間に、こんなに成長してしまったのかしら? 私が、何か見落としてしまった? “母親”がどんな存在であるか知ってはいても、自分が同じ立場になったからと言ってすぐに同じように振る舞えるわけじゃない、身にしみてわかっている。 子供たちそれぞれをちゃんと見てあげないといけなかったのに…、見落としてしまった? 私は…、母親失格かしら?ーー

内心少し……、大分、落ち込んでしまいながらも右隣に座す娘を気にかける。
すると友人の異変を敏感に察知して、宥めるのに必死になり自分のデザートデセールを全て与えきってしまった後に絶望したように落ち込む姿を見てしまい、その反応のあまりの可愛らしさにほっこりと胸が温まった。

 ーーあぁ、愛おしい。 私はやっぱりライラちゃんの“母親”になれて良かった、ライラちゃんが私の娘で、本当に良かったわ。 どんなに疎まれたって、我が子である事実も現実も変わらない、そしてこの想いも変えることは出来ないのだわ。 私はどんなライラちゃんでも、きっと最後には愛おしいとしか思えないわねぇ。 甘やかしてばかりではいけないとわかっていても、どうしたって愛しいのだもの、まず何をおいてもその気持ちを伝えたいと思ってしまうのは…押し付けかしら?ーー

丁度食べきれないと思って手を付けられないでいたデザートデセールの皿を、娘のそれと交換する。
気にやませないように言った言葉が余計だったかも、と後になって少し後悔したけれど、パクパクと勢い良く、目を輝かせて頬張る可愛すぎる姿に再び胸が温まった。

その後にも幾つか驚くことは続いたけれど、結局ライラちゃんとは目が合わないままになってしまった。
いつものように微笑めていた、はずなのに、エリーくんに引き続きライラちゃんがメリッサとともに食堂を後にすると、すぐさまテーブルをまわってコーネリアスが私のもとへと歩み寄って、励まし慰めるように肩に触れて慰撫してくれた。

「大丈夫かい、アヴィ? ライラはぁ~…きっとあれだよぉ、たまたま、何か一時的な気持ちの整理がつかない事象に出くわしているんだと思うから、ねぇっ?! 気に病んではいけないよぉ、アヴィは大丈夫さぁ~、子供たちにとって立派な母親であるともぉ~~!! 明日にはきっと、いつものライラに戻ってくれるさぁ!!!」

「……ありがとう、コーネリアス。 そうね、そうよね…、私、ライラちゃんが落ち着くのを待つわ。 少し寂しいけれど、我慢しないとダメよね。 私は“母親”なのだから…。」

自然とコーネリアスが口づけを額に落としてくれる、それを椅子に座ったままで受け止めているとまだこの場に残っていたアルくんが俄に慌てだし、急いで立ち上がった。

「あぁーっと、それでは、僕も部屋に戻ります。 父上、母上、良い夜をお過ごし下さい。 できれば僕が退室したあとで!」

素早く移動しながらこちらから意図的に視線を逸して扉目指して一目散、脇目もふらずに歩いていく。

「アルヴェイン、何をそんなに慌てているんだい~? 何も焦る必要なんて無いだろうにぃ??」

「お気遣いなく! 今出ますので、お邪魔してしまい申し訳ありません!」

従僕も片付けに参加しており、今食堂の扉は自分で開けなければならない。
扉の取手に手をかけた段階で早口に『何でもいいから自分の存在は無視してほしい』と言いたげに投げやりなセリフを言い切った。
後は取手を引いて扉をくぐるのみ…。

「ふふっ、おやすみなさいアルくん・・。」

「んん~? アルくん・・??」

「~~っ!!」

改めた愛称にコーネリアスが耳聡く引っかかりを示す。
余計に絡まれる前に、アルくんはこの食堂から退散することができた。
焦る後ろ姿がまだまだ子供らしくて、やっぱり我が子はどの子もみんな可愛い。
愛しさを多分に含ませた眼差しで可愛い息子を見送ってから、私のすぐ側に居てくれる最愛の旦那様に視線を戻す。
先程私がアルくんと呼びかけた愛称に未だ気を取られている様子だった、そのことが少し寂しい、早く私を見てほしくて肩に置かれたままのコニーの手を私の手で覆ってから、じぃーっと、先程コニーの部屋で向けたのと同じ意味を込めた視線を向ける。
虚をつかれたように驚いてから、それでも直ぐに私の意図を汲んで行動で応えてくれる。
甘やかしてくれる最愛の旦那様に心ゆくまで存分に甘えることに決めて、この後しばらくの間、息が上がるほど触れ合うことをやめられなかった。


 夜更しをしてしまった明くる日の朝。
やはり食欲は戻らず今日も量を少な目にして、いつもよりも長めに咀嚼して飲下す単純作業を繰り返し、何とか食事を終えた頃にメリッサがライラちゃんが起きたと知らせてくれた。

今日こそはいつものライラちゃんであってほしい、そう願いながら食堂に留まり待つことに決める。
受け身で居すぎてはいけないとわかっていながらも、自分の意志を押し通してライラちゃんに詰め寄ることはしたくない。

ここはやっぱりライラちゃんの出方を見てから、そう心に決めて、食堂に入ってきたライラちゃんが私を見て…見ようとして見れない、そんな自分に戸惑って思い悩んでいる様子を見てしまったら……私も声をかけられなくなってしまった。

メリッサを呼ぶ前に、コーネリアスをちらりと見て視線で行動を促す。
このときも私の意図を正しく汲み取って力強く頷いてくれた。
それから側に来たメリッサにテーブルと椅子の準備をするよう申し伝えて、コーネリアスに手を引かれてテーブルの向こうを横切っていく2人を見送った。

 ーーきっとコーネリアスなら、ちゃんとライラちゃんに寄り添ってあげられる。 私が問うよりも、ライラちゃんも話しやすいはずだから…、仕方ないわよね?ーー

自分に言い訳をしていると自分でわかっている。
本当は私がライラちゃんに歩み寄ってあげればよかったと、わかっているのに行動できなかった、それはやっぱり、私も怖かったからに他ならない。

面と向かって拒絶の言葉を口にされたらと思うと、この年になっても見が竦む。
愛しい存在から向けれる否定の言葉を受け止められる自信が今の私にはなかった。

食後に処方された錠剤を規定量飲み下して、胃が落ち着くのを待った。
少しうとうととしてしまってから、もう十分だろうと部屋に戻るため席を立った、立てたはずだったのに、そこでプツリと意識が途絶えて、視界が暗くなるのをぼんやりと認識しながら、思う。

 ーーやっぱり、ライラちゃんとちゃんと話せばよかった…。 後悔する前に、ちゃんと向き合わないといけなかったのに……、ごめんね、ライラちゃん……。ーー

自分がこのあとどうなるかよりも、愛娘に対しての罪悪感が勝った。
愛しい娘、その心を悩ます原因を知れないのが心残りだと思いながら、昔にもこんな思いをしたな…と思い起こす。
追憶の夢に落ちながら願うのたった1つ。


 自分がどれだけの幸福に囲まれて過ごせているかわかっている、それでもまだ不安になる事はある。
私がこの心に抱いているのは、本当に本物の愛情なのかと、依存しているだけではないのかと、問いかけてくる声が聞こえるときがある。
コーネリアスから与えられる無償の愛を受け取るばかりで、その直向きな想いを都合よく利用するために私も愛しているのだと勘違いしたままでいるのを、見過ごしているだけなのではないか、と。

コーネリアスと出逢った当初、私は確かにコーネリアスの純粋な想いを利用した。
自分の置かれた環境、与えられる思惑を込めた言葉、利用価値を値踏みする無遠慮に絡みつく視線、そのどれもが私を尽く疲弊させていた。

招かれ偶々おとずれたフォスラプスィ王国の王城、その人気のない回廊で行き倒れている人物に遭遇したのは、煩わしさから逃れたいがために人目を避けられる道を選んで進んだ偶然の産物だった。

この目に映る景色は変わらず白と黒、そして赤。
それなのに、倒れ付す青年は一瞬だけ色付いて見えた。
彼の髪、その色が一瞬だけほんのりと赤く発光したように見えたのが不思議で、気になりだしたらその髪の感触を確かめたくなってしまい、沸き起こった欲求に抗いきれずそっと顔にかかっていた髪を撫で上げた。

その直後ぱかっと開いた瞳が私の手を見て、腕を辿り、私の目をじ…っと、信じられないものを目にしたような驚きを湛えて見返してきた。

視線が絡んだ瞬間に心を鷲掴まれたような、不思議な心地になった。
それを誤魔化すように、必要以上に声を張り上げて安否を問うてしまったように思う。

私の張り上げた声に何事かと駆けつけた王城の騎士たちによって、この行き倒れていた人物がフォコンペレーラ公爵だと知れた。
気を失って騎士たちに運ばれていく若き公爵を見送りながら、何故かは今でもわからない、けれどこの時既に再び会えると確信を持っていた。

従兄の前ではっきりと告げられた親交を持ちたいと希う言葉、それを受け入れたのは意趣返しの意味が殆どだったように思う。
私から何もかもを奪い去ったこの従兄の鼻を明かしたい、そんな思いから笑顔を心がけて了承の返事をした。

私の言葉に呆然とした後、一転して弾かれたように、破顔したコーネリアスの屈託のない笑顔に、またもこの心がぎゅっと鷲掴まれた。
今思えば、最初から私はコーネリアスに、その存在全てに胸をときめかせていたのかもしれない。

『一目惚れだったのかも…。』そう言ったのはコーネリアスだった、言ってから『しまった!!』と慌てふためいていた姿が今思い出しても可愛らしい。
成人を翌年に控えた頃、求婚の言葉と共に勢い余って漏らされた言葉、でもそれは私の言葉でもあったのだと思う。
一目惚れ、これほどしっくりくる理由はない、そう思えてならなかった。

私たちはお互い、出逢うべくして出逢った、そうであると信じたい、と思わせてくれた。
私にとってのコーネリアスは、ずっと変わらずに私を信じて愛してくれる人。
コーネリアスが信じてくれるから、私も信じられる。

でもそれは…依存でないと言い切れるのだろうか?

コーネリアスが私に与えてくれるものは全部本物、私も同じように本物を返したい、けれど自分の事だからこそ自信を持ちきれない。
コーネリアスに心の内を素直に伝えること、今は自然にできることがこの頃の私には難しかった。
怖じ気づき躊躇って、言葉にすることを惜しんだ結果、永遠に伝えられないこともあると知っていたはずなのに…。

そのことを今一度思い出させてくれなのは、決して喜ばしいとは言えない知らせがきっかけではあった、でもそれがこの心に抱く想いが本物であることを気づかせてくれた。
そして言葉を惜しむのは無意味なことだということも、改めてこの心に覚え込ませてくれた。

この出来事から、私は一切偽らずに伝えることにしている。
不安になる度に、隠すことなくその不安を打ち明けて2人で話し合う、解決してもしなくてもそうすることで不思議と不安は薄らいで、澱のように沈殿し黒い塊と化していたものは自ずと散らされて溶かされていった。

だから今回もそうしなければならなかったのに…。
今回の相手はコニーではないけれど、怖がることなく、ライラちゃんが抱える不安に気付かないふりなどしないで問えば良かった。

悲しい後悔をさせたいわけじゃない、あの時命を断った両親は、もしかしたら今の私と同じ気持ちだっただろうか。
確かめる術はない、でもそんな気がする。
自分にどんな不幸が降りかかっても、子供にその不幸がおとずれるくらいなら甘んじて受け入れられる。
初めて親らしい感情を自覚したかもしれない、この感動を今1番に伝えたい相手はーー。
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