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第十九章 手折られた彼岸花
19-44 歪に生きる君へのアンサーを
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「何で俺だけ……何で、お前だけがいないんだよ……」
一転して、声は萎んでいった。かずまは悔しそうに唇を噛む。あまりにもギュッと噛むから、血が出てきそうだ。
僕がいないことを気にしてるなんて、寂しがり屋なんだから。……って、茶化すわけにはいかないか。
「かずまだけ、じゃないでしょ?」
ちゃんと向き合おう。答えを出そう。かずまが生きてきた時間に。きっと、彼には僕の言葉が必要だ。
かずまは無言で顔を上げた。その表情からは自信が感じられない。
「かずまは僕を演じてくれた。黎藤珀弥がこの世に存在してるように振舞ってくれた。僕はね、かずまに生かされたんだよ」
あまりにも歪な形。それでも、かずまは僕の存在をこの世に留めた。僕自身でなくとも、『黎藤珀弥』は確かにずっと生きていた。
「違う……俺は……お前がいなくなったことを認めたくなかった……それだけなんだ……」
かずまの声はどんどん小さくなり、途切れ途切れになる。
「例えそうだとしても、僕はかずまと一緒に生きてきたんだよ」
僕は自信の無い弟に向かって笑いかけた。
この顔はちさなのものだけれど、彼にはきっと僕が見えるはずだ。
魂が人の本体ならば、現世で誰にも認識されない僕は死んでいることになるだろう。
でも、形が人の本体ならば、そこに在る限り生き続けるんだ。
かずまは首を振り、ギュッと目を瞑った。
「……何で怒らないんだよ。俺はお前を勝手に演じていたのに」
「叱るのは別の人の役目です」
弟のやり方が間違っていることは、僕だってわかっている。でも、僕まで否定してしまったら、あまりにも酷いじゃないか。
「僕が肯定しなきゃ、かずまが僕として生きてきた時間が無意味になっちゃうじゃん。それは悲しいよ」
「……っ!」
彼は目を見開く。
努力の方向音痴さんは、ちさなにこっぴどく叱ってもらおう。
唯一、かずまの嘘を見破った人だから。珀弥がいなくなったのに、かずままでいなくなったら嫌だと泣いてくれた人なのだから。ちさなが一番適任だ。
「君は黎藤一真であり、黎藤珀弥を背負う人間だ」
これは、呪いになってしまうと思う。けれど、僕は敢えてこう言うんだ。
「僕に悪いと思うなら、君は幸せになるべきだ。だって、君の幸せは僕の幸せになるんだもの」
その場は水を打ったように静まり返った。
かずまは呆気に取られていたが、フッと口元を緩めた。
「お前は本当に馬鹿だな」
「な、なにー!?」
ああ、何だか懐かしい。
幸せで穏やかな、何気なくやりとりしたあの日々を思い出す。
「馬鹿だ……とても、馬鹿だ。バーカ……」
「……馬鹿って言う方が馬鹿だもん」
僕らのやり取りは単純で、子供じみていて、それで、涙を含んでいた。
「わかった。幸せになるよう、努力する」
努力か、うん。そうだね。幸せになるには努力しないといけない。
でも、かずまが抱いているものは『幸せになりたい』という願望じゃなくて、『幸せにならなきゃいけない』という義務感なんだ。
僕はかずまが自分の意思で幸せを選んで欲しいと思う。その時まで、この呪いを抱えてもらおう。
呪いを解くのは、そうだな……やっぱりちさなかもしれないなぁ。
——トクン。
不定期に心臓が大きく脈打つ。ちさなの身体は僕を追い出したいみたいだ。
ずっとこのままだと、ちさなはまた黄泉路送りになってしまう。もう時間は無いんだ。
「かずま」
伝えたいことがあるなら自分で言わなきゃ。そのためにちさなが連れてきてくれたんだから。
「何だ」
僕の纏う雰囲気が変わったことに気付いたのか、かずまは居住まいを正した。
「自分を好きになってね」
ちさなに託そうと思った言葉。僕からかずまへ、一番伝えたかったこと。
かずまは少しの間の後、ゆっくりと頷いてくれた。
「よかった」
ここでも嫌だって言われたら、またお説教しなきゃいけなかったもん。
じゃあ、もう大丈夫。僕のお仕事は、本当におしまい。
ふわり、と身体が浮く感覚。僕の魂がちさなから剥がれてきているのだ。
「珀弥……」
かずまは寂しそうに僕を呼ぶ。弟がこんな顔をするようになったなんて、ちさなに感謝しなきゃね。
「ごめんね、もう行かなきゃ」
「……そうか」
ここには居られないことを告げると、弟はあっさりと受け入れた。彼は少しだけ目を閉じた後、静かに微笑む。
「またな」
「うん、またね」
ここで別れてもまた明日会えるような、そんな軽い挨拶だった。
長い言葉なんていらない。僕たちはこのくらいで丁度良いんだ。だって、かずまが生きている限り、僕らは会えるのだから。
——ありがとう、ちさな。またね——
僕の魂は完全にちさなから切り離された。
*
時折、思うことがある。
あの襲撃が無ければ、ちさなの隣にいたのは僕かもしれない。でも、かずまは寿命を迎えていただろう。
片方が生き延びれば、片方が死ぬ。ifの物語でさえ噛み合わない。
三人が一緒に成長して、笑い合える未来があったら一番良かったのになぁ。なかなか上手くいかないや。
そんな未来だったら、ちさなを巡ってぶつかってたかもしれないし、どちらかがあっさり譲ってたかもしれないけれど。
ああ、いけない。
死んでから八年経ったし、色々と割り切ってはいるけれど、あり得ない未来を夢見てしまう。
かずまには大層なことを言ってしまったけど、僕だってそこまで出来た人間じゃない。羨ましいとか、妬ましいとか、こうだったらとか、思うことはあるさ。
でもまぁ……仕方ないことは、仕方ない。
あの二人がいつまでも幸せに暮らせますように。寂しいけれど、僕のいない世界に祈るんだ。
これは心の底からの願いだよ。
どうか、どうか、長生きしてください。
一転して、声は萎んでいった。かずまは悔しそうに唇を噛む。あまりにもギュッと噛むから、血が出てきそうだ。
僕がいないことを気にしてるなんて、寂しがり屋なんだから。……って、茶化すわけにはいかないか。
「かずまだけ、じゃないでしょ?」
ちゃんと向き合おう。答えを出そう。かずまが生きてきた時間に。きっと、彼には僕の言葉が必要だ。
かずまは無言で顔を上げた。その表情からは自信が感じられない。
「かずまは僕を演じてくれた。黎藤珀弥がこの世に存在してるように振舞ってくれた。僕はね、かずまに生かされたんだよ」
あまりにも歪な形。それでも、かずまは僕の存在をこの世に留めた。僕自身でなくとも、『黎藤珀弥』は確かにずっと生きていた。
「違う……俺は……お前がいなくなったことを認めたくなかった……それだけなんだ……」
かずまの声はどんどん小さくなり、途切れ途切れになる。
「例えそうだとしても、僕はかずまと一緒に生きてきたんだよ」
僕は自信の無い弟に向かって笑いかけた。
この顔はちさなのものだけれど、彼にはきっと僕が見えるはずだ。
魂が人の本体ならば、現世で誰にも認識されない僕は死んでいることになるだろう。
でも、形が人の本体ならば、そこに在る限り生き続けるんだ。
かずまは首を振り、ギュッと目を瞑った。
「……何で怒らないんだよ。俺はお前を勝手に演じていたのに」
「叱るのは別の人の役目です」
弟のやり方が間違っていることは、僕だってわかっている。でも、僕まで否定してしまったら、あまりにも酷いじゃないか。
「僕が肯定しなきゃ、かずまが僕として生きてきた時間が無意味になっちゃうじゃん。それは悲しいよ」
「……っ!」
彼は目を見開く。
努力の方向音痴さんは、ちさなにこっぴどく叱ってもらおう。
唯一、かずまの嘘を見破った人だから。珀弥がいなくなったのに、かずままでいなくなったら嫌だと泣いてくれた人なのだから。ちさなが一番適任だ。
「君は黎藤一真であり、黎藤珀弥を背負う人間だ」
これは、呪いになってしまうと思う。けれど、僕は敢えてこう言うんだ。
「僕に悪いと思うなら、君は幸せになるべきだ。だって、君の幸せは僕の幸せになるんだもの」
その場は水を打ったように静まり返った。
かずまは呆気に取られていたが、フッと口元を緩めた。
「お前は本当に馬鹿だな」
「な、なにー!?」
ああ、何だか懐かしい。
幸せで穏やかな、何気なくやりとりしたあの日々を思い出す。
「馬鹿だ……とても、馬鹿だ。バーカ……」
「……馬鹿って言う方が馬鹿だもん」
僕らのやり取りは単純で、子供じみていて、それで、涙を含んでいた。
「わかった。幸せになるよう、努力する」
努力か、うん。そうだね。幸せになるには努力しないといけない。
でも、かずまが抱いているものは『幸せになりたい』という願望じゃなくて、『幸せにならなきゃいけない』という義務感なんだ。
僕はかずまが自分の意思で幸せを選んで欲しいと思う。その時まで、この呪いを抱えてもらおう。
呪いを解くのは、そうだな……やっぱりちさなかもしれないなぁ。
——トクン。
不定期に心臓が大きく脈打つ。ちさなの身体は僕を追い出したいみたいだ。
ずっとこのままだと、ちさなはまた黄泉路送りになってしまう。もう時間は無いんだ。
「かずま」
伝えたいことがあるなら自分で言わなきゃ。そのためにちさなが連れてきてくれたんだから。
「何だ」
僕の纏う雰囲気が変わったことに気付いたのか、かずまは居住まいを正した。
「自分を好きになってね」
ちさなに託そうと思った言葉。僕からかずまへ、一番伝えたかったこと。
かずまは少しの間の後、ゆっくりと頷いてくれた。
「よかった」
ここでも嫌だって言われたら、またお説教しなきゃいけなかったもん。
じゃあ、もう大丈夫。僕のお仕事は、本当におしまい。
ふわり、と身体が浮く感覚。僕の魂がちさなから剥がれてきているのだ。
「珀弥……」
かずまは寂しそうに僕を呼ぶ。弟がこんな顔をするようになったなんて、ちさなに感謝しなきゃね。
「ごめんね、もう行かなきゃ」
「……そうか」
ここには居られないことを告げると、弟はあっさりと受け入れた。彼は少しだけ目を閉じた後、静かに微笑む。
「またな」
「うん、またね」
ここで別れてもまた明日会えるような、そんな軽い挨拶だった。
長い言葉なんていらない。僕たちはこのくらいで丁度良いんだ。だって、かずまが生きている限り、僕らは会えるのだから。
——ありがとう、ちさな。またね——
僕の魂は完全にちさなから切り離された。
*
時折、思うことがある。
あの襲撃が無ければ、ちさなの隣にいたのは僕かもしれない。でも、かずまは寿命を迎えていただろう。
片方が生き延びれば、片方が死ぬ。ifの物語でさえ噛み合わない。
三人が一緒に成長して、笑い合える未来があったら一番良かったのになぁ。なかなか上手くいかないや。
そんな未来だったら、ちさなを巡ってぶつかってたかもしれないし、どちらかがあっさり譲ってたかもしれないけれど。
ああ、いけない。
死んでから八年経ったし、色々と割り切ってはいるけれど、あり得ない未来を夢見てしまう。
かずまには大層なことを言ってしまったけど、僕だってそこまで出来た人間じゃない。羨ましいとか、妬ましいとか、こうだったらとか、思うことはあるさ。
でもまぁ……仕方ないことは、仕方ない。
あの二人がいつまでも幸せに暮らせますように。寂しいけれど、僕のいない世界に祈るんだ。
これは心の底からの願いだよ。
どうか、どうか、長生きしてください。
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