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第十九章 手折られた彼岸花
19-48 大嘘つきの証言台(1)
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母様に通された部屋は薄暗く、こじんまりとしていた。部屋の中央には小さなテーブルと、それを囲むように座布団が二つ。
窓が無く、光源となり得るものは天井からぶら下がっている小さな照明ひとつだけだ。それも暖色なので、あまり部屋を照らせてはいない。
本当に、事情聴取するための部屋みたいだ。
「じゃあ、そちらに座ってくださる?」
「は、はい」
母様は奥の座布団に腰を下ろすと、手前の座布団に座るように促した。一真は指定された場所に私をそっと降ろしてくれた。
正座をしようとしても、やはり力が出ず、テーブルにもたれかかる体勢になってしまう。
「大丈夫か?」
一真が支えてくれるお陰で身体を起こせたが、母様は小さく首を振った。
「ごめんなさい、ここからは二人きりでお話させて欲しいの」
「……」
言うことが聞けないのか、一真は無言で母様を見据えた。私の肩を支える手に力が篭る。
「安心して、お嬢さんに危害を加えるつもりは無いわ。ただ、事情を聞きたいだけ。辛いなら寝転がっても良いから」
「一真、私は大丈夫だよ」
母様の言葉だけじゃ足りなさそうなので、私も説得に加わる。二対一の状況じゃ分が悪いのか、一真は溜息混じりに『わかった』と頷いた。
「無理するなよ」
「わかってる」
最後に一言だけ言葉を交わすと、彼はそっと立ち上がる。最後まで肩に触れていた指先も、名残惜しそうにゆっくりと離れていった。
母様は一真が退出したのを確認すると、一度咳払いをした。
「ここにお呼びしたのは、あなた方がどうして娘と衝突したのか。その理由を知りたいからです」
テーブルにもたれかかっていた私は、なんとか背筋を伸ばした。まだ身体は痺れるけど、格好だけでもちゃんとしなきゃ。
「良いのよ、無理しないで」
「いえ、私がちゃんとしたいので」
母様が私を気遣ってくれた。それだけで充分だ。目の前に母様がいるのに、俯いてなんかいられない。
「……そう。辛くなったら、すぐ言ってね」
「はい」
私を不安気に見つめていたが、母様は改めて話を切り出した。
「親としては、無条件で娘の言葉を信じるべきと存じます。しかし、私はあくまで公平に、中立的な立場を取らねばなりません」
正直、複雑だった。母様が娘と呼んでいるのは私ではない。私は無条件で信じて貰えないんだ。
公平に判断を下したいから事情を聞いてくれる。それだけ。私への個人的な感情は介入していないのだ。
「今更ですが、あなたの名前を伺っておりませんでしたね。教えて頂けますか?」
「っ!」
そうだ。ここに来てから、母様と言葉は交わしたものの、名乗ってはいない。
母様にとっては、得体の知れない小娘なのだ。
「申し、遅れました……。わ、私の、名前は——」
……何て言おう。私は千真なのに、母様にとっての千真は私じゃない。
「か、神代 千紗です」
咄嗟に、あまり捻りのない偽名を出してしまった。自分の名前を言うのが、受け入れて貰えないのが怖かったからだ。
「それが、あなたの名前ということでよろしいのですね?」
「……はい」
念を押すような問いかけにドキっとしたが、私は嘘を肯定した。
「……そう。では、あなたを『神代 千紗』さんということにします」
母様は残念そうに溜息をつくと、改めて真っ直ぐな視線を私に向けてくる。
これ以上、嘘はつけない、許されない。そう思えてしまう。既に真を見抜いているような目が、何よりも怖かった。
「私は神凪家現当主、神凪 真織と申します。これより、『神代 千紗』さんへの尋問を始めます」
母様の静かで厳しい声に、背筋が伸びた。
「黙秘は認めましょう。しかし、嘘はあなたの不利になりますので、そのつもりで」
「はい」
これからは、ありのままの事を話さなきゃ。嘘をつく必要なんてないんだ。胸を張らなきゃ。
「単刀直入にお聞きします、あなた方の目的は何ですか?」
「……一真を連れ戻しに来ました」
そう答えると、母様は眉を寄せた。
「一真、それはあの鬼のことですね?」
「……っ、はい」
正直、『あの鬼』と言われて肯定はしたくなかった。一真の身体は鬼になってしまったけれど、心はまだ人間なのだから。
でも、母様にとっては娘の式神だ。あの表現は間違っていない。
「彼は元々、神代さんと一緒にいたのですか?」
「はい、その、私が彼の家に居候してて……」
また、母様の眉間に皺が寄った。
「……失礼ですが、神代さんのご両親は?」
「……いません」
嘘、二回目。
でも、半分本当だ。今まで、両親はいないと思っていたから。
「そう……。ごめんなさい、話が脱線してしまいましたね」
母様は悲しそうに目を伏せた。私が嘘をつくたび、暗い表情になるのだ。
「一真さんは娘の式神の筈でしたが、どうやら話が違うようです」
一転して、母様の表情は厳しくなった。それもそうだろう。私の証言を前提とすると、一真があの子の式神になっていること自体、あまりにも不自然なのだから。
「ところで、神凪の土地で血を流すほどの争いをした理由は何でしょう?」
これもまた、鋭い声音だ。
血はケガレ。神に仕える者は好まないものだ。聖域にケガレを持ち込んで良い顔をする人はいない。
「……話し合いが出来る状況じゃなかったからです」
「それは、どういう意味ですか?」
喉が乾く嫌な感覚。
答えは簡単だ。あの子が一真をけしかけて来たからだ。こちらは嫌でも応戦しなきゃならなかった。
早く言ってしまえば良いのに、何故か言えない。——あの子のことなんて、庇うつもりはないのに。
「黙秘、ということにしましょう」
母様は息をつき、ゆっくりと頷いた。
「すみません……」
「権利ですから。しかし、有利になるかもしれない材料を一つ失ったということは自覚してください」
「っ! はい」
恐ろしい。母様はどこまで見抜いているのだろう。心を読まれる一方で、母様の考えていることがわからない。
いや、自分自身のことさえ、わからなくなってきた。
あったことを正直に言えば良いのに、どうしてあの子のことを案じてしまったのだろう。
窓が無く、光源となり得るものは天井からぶら下がっている小さな照明ひとつだけだ。それも暖色なので、あまり部屋を照らせてはいない。
本当に、事情聴取するための部屋みたいだ。
「じゃあ、そちらに座ってくださる?」
「は、はい」
母様は奥の座布団に腰を下ろすと、手前の座布団に座るように促した。一真は指定された場所に私をそっと降ろしてくれた。
正座をしようとしても、やはり力が出ず、テーブルにもたれかかる体勢になってしまう。
「大丈夫か?」
一真が支えてくれるお陰で身体を起こせたが、母様は小さく首を振った。
「ごめんなさい、ここからは二人きりでお話させて欲しいの」
「……」
言うことが聞けないのか、一真は無言で母様を見据えた。私の肩を支える手に力が篭る。
「安心して、お嬢さんに危害を加えるつもりは無いわ。ただ、事情を聞きたいだけ。辛いなら寝転がっても良いから」
「一真、私は大丈夫だよ」
母様の言葉だけじゃ足りなさそうなので、私も説得に加わる。二対一の状況じゃ分が悪いのか、一真は溜息混じりに『わかった』と頷いた。
「無理するなよ」
「わかってる」
最後に一言だけ言葉を交わすと、彼はそっと立ち上がる。最後まで肩に触れていた指先も、名残惜しそうにゆっくりと離れていった。
母様は一真が退出したのを確認すると、一度咳払いをした。
「ここにお呼びしたのは、あなた方がどうして娘と衝突したのか。その理由を知りたいからです」
テーブルにもたれかかっていた私は、なんとか背筋を伸ばした。まだ身体は痺れるけど、格好だけでもちゃんとしなきゃ。
「良いのよ、無理しないで」
「いえ、私がちゃんとしたいので」
母様が私を気遣ってくれた。それだけで充分だ。目の前に母様がいるのに、俯いてなんかいられない。
「……そう。辛くなったら、すぐ言ってね」
「はい」
私を不安気に見つめていたが、母様は改めて話を切り出した。
「親としては、無条件で娘の言葉を信じるべきと存じます。しかし、私はあくまで公平に、中立的な立場を取らねばなりません」
正直、複雑だった。母様が娘と呼んでいるのは私ではない。私は無条件で信じて貰えないんだ。
公平に判断を下したいから事情を聞いてくれる。それだけ。私への個人的な感情は介入していないのだ。
「今更ですが、あなたの名前を伺っておりませんでしたね。教えて頂けますか?」
「っ!」
そうだ。ここに来てから、母様と言葉は交わしたものの、名乗ってはいない。
母様にとっては、得体の知れない小娘なのだ。
「申し、遅れました……。わ、私の、名前は——」
……何て言おう。私は千真なのに、母様にとっての千真は私じゃない。
「か、神代 千紗です」
咄嗟に、あまり捻りのない偽名を出してしまった。自分の名前を言うのが、受け入れて貰えないのが怖かったからだ。
「それが、あなたの名前ということでよろしいのですね?」
「……はい」
念を押すような問いかけにドキっとしたが、私は嘘を肯定した。
「……そう。では、あなたを『神代 千紗』さんということにします」
母様は残念そうに溜息をつくと、改めて真っ直ぐな視線を私に向けてくる。
これ以上、嘘はつけない、許されない。そう思えてしまう。既に真を見抜いているような目が、何よりも怖かった。
「私は神凪家現当主、神凪 真織と申します。これより、『神代 千紗』さんへの尋問を始めます」
母様の静かで厳しい声に、背筋が伸びた。
「黙秘は認めましょう。しかし、嘘はあなたの不利になりますので、そのつもりで」
「はい」
これからは、ありのままの事を話さなきゃ。嘘をつく必要なんてないんだ。胸を張らなきゃ。
「単刀直入にお聞きします、あなた方の目的は何ですか?」
「……一真を連れ戻しに来ました」
そう答えると、母様は眉を寄せた。
「一真、それはあの鬼のことですね?」
「……っ、はい」
正直、『あの鬼』と言われて肯定はしたくなかった。一真の身体は鬼になってしまったけれど、心はまだ人間なのだから。
でも、母様にとっては娘の式神だ。あの表現は間違っていない。
「彼は元々、神代さんと一緒にいたのですか?」
「はい、その、私が彼の家に居候してて……」
また、母様の眉間に皺が寄った。
「……失礼ですが、神代さんのご両親は?」
「……いません」
嘘、二回目。
でも、半分本当だ。今まで、両親はいないと思っていたから。
「そう……。ごめんなさい、話が脱線してしまいましたね」
母様は悲しそうに目を伏せた。私が嘘をつくたび、暗い表情になるのだ。
「一真さんは娘の式神の筈でしたが、どうやら話が違うようです」
一転して、母様の表情は厳しくなった。それもそうだろう。私の証言を前提とすると、一真があの子の式神になっていること自体、あまりにも不自然なのだから。
「ところで、神凪の土地で血を流すほどの争いをした理由は何でしょう?」
これもまた、鋭い声音だ。
血はケガレ。神に仕える者は好まないものだ。聖域にケガレを持ち込んで良い顔をする人はいない。
「……話し合いが出来る状況じゃなかったからです」
「それは、どういう意味ですか?」
喉が乾く嫌な感覚。
答えは簡単だ。あの子が一真をけしかけて来たからだ。こちらは嫌でも応戦しなきゃならなかった。
早く言ってしまえば良いのに、何故か言えない。——あの子のことなんて、庇うつもりはないのに。
「黙秘、ということにしましょう」
母様は息をつき、ゆっくりと頷いた。
「すみません……」
「権利ですから。しかし、有利になるかもしれない材料を一つ失ったということは自覚してください」
「っ! はい」
恐ろしい。母様はどこまで見抜いているのだろう。心を読まれる一方で、母様の考えていることがわからない。
いや、自分自身のことさえ、わからなくなってきた。
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