白鬼

藤田 秋

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第十九章 手折られた彼岸花

19-45 ここにいる

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* * * * * * * *

 私に襲いかかる大きな喪失感は、珀弥がいなくなった影響だろう。

 ゆっくりと瞼を持ち上げると、一真と目が合った。彼は人間と鬼の中間のような、どっちつかずな姿になっている。

「おかえり」
「ただいま」
 ただ一言だけ、簡潔な挨拶を交わす。

 珀弥と何を話したか、聞くつもりはない。一真もまた、多くを語るつもりはないだろう。
 でも、彼の穏やかな表情が、心の晴れやかさを雄弁に物語っていた。良かった、二人はちゃんと話せたんだね。

 お節介だったかもしれないけど、良い方向へと変化したなら何よりだ。あんなお別れで終わるなんて、嫌だもの。

「……ところで今ってどんな状況なの?」
 此処は明らかに見慣れない場所だし、一真の手足は頑丈そうな枷で拘束されているし。状況が掴めない。

「ざっくり言うと、俺たちは神凪の屋敷に軟禁されている」
「ざっくりし過ぎじゃないですかね!」
 この人平気な顔で何言ってんだ。

 此処は神凪の……私の実家のようだ。
 でも、この部屋は見覚えがない。小さい頃に私が入ったことがない部屋といえば、座敷牢くらいなのだが。

「最近リフォームして、内装がちょっと豪華になったらしい——座敷牢だ」
「やっぱ座敷牢かーい!」
 私たちが座敷牢に入れられた経緯がわからない。魂があっちこっちしていたので、この間の記憶など無いのだ。

「とりあえず一から説明してください」
「了解」
 一真は頷き、ぽつぽつと語り始めた。

 彼の精神世界から帰ってきたあと、私はすぐに倒れてしまったらしい。
 その時、神凪家の当主——私の母があの場に駆け付け、戦いを中断させたとのこと。

 現状『神凪千真』になっているあの子の証言で、私たちは捕らえられることになった。しかし、ほぼ客人扱いらしい。
 当主の令嬢に危害を加えてきたということで、一応は軟禁されているというわけだ。

 一真は別の部屋を割り当てられたけれど、私の傍から離れたくないと訴えた。

 しかし、暴走の危険がある鬼と、意識のない人間を同室にするわけにはかない。
 そういうわけで一度は拒否されたが、手足を縛っても良いからと粘ったところ、漸くお許しを得たらしい。

 今は手足に強力な妖力封印の枷が嵌められ、本来の力の三割も出せないそうだ。

「そうなんだ……」
 そこまでして私の傍に居たいって言ってくれたのは嬉しい。ちょっと顔が火照る。でも、無茶し過ぎだ。

 大体の経緯はわかったし、きっと他の皆も無事だろう。しかし、ほぼ客人扱いとはいえ、軟禁は軟禁だ。ここから出して貰わないと。

「千真、今は休め。お前は自分を虐め過ぎだ。本当に死んでもおかしくなかったぞ」
 一真は私の考えがわかったのか、眉を寄せて叱ってきた。

 確かに、また黄泉路に行っちゃうくらいのことをしでかしたのは反省している。
 でも、自分を虐め過ぎという点に関しては、一真だけには言われたくない。

、もうちょっと自分に甘くなろうね」
 私は『お互い』を強調してにこりと笑うと、彼は顔を引きつらせた。

「俺は頑丈だから良いんだよ」
 と、ぶっきらぼうに吐き捨てる一真。まるで反省の色が見えません。

「頑丈なんかじゃないよ! あの時だって、私が——」
 あの絶望的な夜、私は彼の心臓を刺し、その鼓動を止めてしまった。
 その時を思い出すと、胸が苦しくて、息が止まりそうになる。

「……でも、俺は生きてるよ」
 一真は器用に私の手を取り、自身の胸に当てさせた。手のひら越しに、トクントクンと脈打つものを感じる。

「動いてる」
「ああ」
「動いてるね……」
「そうだよ」
 確かめるように繰り返すと、彼は優しく相槌を打ってくれた。

 改めて、一真が生きている事実に安心する。痺れた指先を動かし、なんとか彼の着物を掴んだ。暖かい体温が伝わってくる。
 今は血に濡れていない。

 ——あの時は溢れ出る血が止まらなかった。

「千真は悪くない」
 一真は私が口を開く前に、首を振った。言わせないつもりなのか。

「そんなわけない。私のせいで——」
「俺自身の判断でやったことだ。お前のせいじゃない」
 彼は私を宥めるように言い含める。琥珀色と翡翠色の瞳は、優しくて強い光を宿していた。あの時の光が消えた目とは違う。

「だから、絶対に謝るな」
「うう……」
 一真の力強い視線は有無を言わせなかった。

「それはそれとして、やはり心臓グサッは駄目ですよ。駄目」
「話が一周したぁ……」
 恐らく、一真はイイカンジの雰囲気で締めたかったのであろう。目論見が外れて渋い顔をしていた。

「お前も俺も生き残った。それで良いだろ」
 彼は拗ねたように口を尖らせた。おっと大人げない暴論ですねぇ。

「結果論じゃないですかっ」
「世の中結果が全てだ」
「ぐうの音も出ねぇ」
 終わり良ければすべて良し。逆に過程がどんなに良かったとしても、終わりが駄目なら駄目なのだ。

 最高の結果とは言い難いが、良い結果と言えるだろう。
 ……どんな形であれ、一真が生きていてくれて本当に良かった。

「なあ、千真」
「なに、一真」
 唐突に声を掛けられたので返事をしてみると、一真は照れ臭そうに少し笑う。何だろう。

「……ああ、いや。お前に名前を呼ばれるのが、こんなに心地良いなんて……思わなかったから」
 私の疑問に気づいたのか、彼ははにかみながら理由を述べた。そんなことを言われてしまうと、私だって照れてしまう。

「これからも、いくらだって呼んであげますよ」
 何度でも何度でも、私に似た名前を繰り返そう。彼は一真なのだから。

「だから、ずっと傍にいてくださいね」
 一真は迷うように視線を巡らせたが、私を真っすぐと見て頷いた。

「俺で良いなら」
「一真が良いの」
「……そっか」
 私たちは顔を見合わせ、どっちからというわけでもなく、近づいていった。

 ——私と一真の唇の距離があと三センチの時だった。

「あら~っ! あらあらあら~!」
「へあっ!」
 嬉々としたふわふわな声が私たちに割って入ってきた。私たちはギョッとして、すぐさま顔を離す。

 その声の主に視線を向けると、目をキラキラさせながら障子の間から覗いている謎の影。

「まあ! ごめんなさい。さ、気にせず続けて?」
「気になるので無理ですっ!」
 謎の人物は立ち去るわけでもなく、引き続き覗き見を続行するようだ。それはちょっと恥ずかしいので、申し出は断った。

「……奥様、お戯れはそこまでに」
 一真は姿勢を正し、障子の向こう側の人物をたしなめる。

 神凪家の奥様というと、もしかしなくても私の母様だ。……今は私を娘だと認識はしていないだろうけど。

「もう、つれないんだから」
 障子が静かにスライドする。
 その向こう側には、懐かしい顔が見えた。昔とあまり変わっていない、綺麗な女の人。
 言葉が出なかった。
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