白鬼

藤田 秋

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第十九章 手折られた彼岸花

19-17 隠

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 雲が流れ、月が顔を出す。
 静寂の世界の中で、激しい金属音と、パキパキと枯れ草を踏み潰す音だけが響き渡った。

 現実世界とは違う景色。
 空には星もなく、厚い雲と下弦の月が浮かぶだけ。

 青白い月光に照らされた地面には、一面に草の茎が伸びている。所々、萎れた花も確認できた。

 放射状に伸びる赤い花。あれは彼岸花だ。その枯れた彼岸花を掻き分けるように、幾つかの墓石が並んでいる。

 私はたくさんの彼岸花に囲まれた墓を、見たことがあった。あれは、確か、そうだ。
 この世界は、この寂しげな世界の主は——。

 キィンと甲高い金属音が、私の意識を目の前の光景へと引き戻した。

 一真は感情の抜け落ちた顔で、一方翼君は余裕の笑みを浮かべながら、剣を振るっている。

 二人はぶつかり合っているものの、お互い未だ無傷の状態を保っていた。
 翼君は積極的に攻撃しているが、一真は防戦一方で攻撃する素振りすら見せない。

「オラ!」
 翼君が流れる動作で突きを繰り出す。予備動作など、一切無かった。
 その鋭い刃は一真の瞳を抉る——と思いきや、直前で回避され、こめかみを掠めた。

 ぱっと赤いものが舞う。
 彼の血は月光を反射して鮮やかに輝き、地面の枯れた花を再び赤く染め上げた。

 この戦いで初めて血を流したのは一真だった。

「——!」
 しかし、彼は怯むことを知らない。突き技で隙が出来た翼君に刀を振りかぶる。

 鋭い閃光は翼君の胴を真っ二つにしようと襲いかかるが、
「当たんねぇよ」
 彼は身を翻し、難なく避けてしまった。流石に速い。

 空振りした一真はそのままくるりと回り、翼君に向かって身体が正面を向くように体勢を整えた。

 無防備に背中を見せないようにしたのだ。無駄が無く、隙も無い。

 彼はただ闇雲に剣を振るうこともなく、暴走することもない。
 言葉も話せることから、恐らく理性も失っていない。

 此処に来る前に翼君が言っていた『理性が吹っ飛んでいる』状態ではないと思う。

 まともな思考力があるなら、話が通じるかもしれない。……なんて、平和な方法が取れたら最初から戦っていないか。

 一真は理性を保った上で、私たちに牙を剥いているんだ。聞く耳は持たないだろう。
 それに、私たちのことだって忘れている。さっき目の当たりにしたじゃないか。

 一真の中では、私たちは倒すべき敵という認識だろう。

 それじゃあ、翼君がボコボコにしたって意味がない。自我を失っているなら、僅かな可能性で正気に戻ったかもしれないが。

 理性がある状況で記憶が捻じ曲げられているということは、彼の中のを元に戻す必要がある。

 それがどんなに難しいことか、私は身を以て経験した。
 目に見えるもの、聞こえるもの、触れるものは全て歪んで伝わるのだ。

 大切な人の顔は靄に覆われ、人間かどうかさえ判別出来ない。
 呼びかける声は呪詛に変わり、私は耳を塞いだ。
 差し伸べられた手は苦痛に変わり、愚かな私はそれに憎悪した。

 厄介なのは、術に掛かった本人が認識を捻じ曲げられたことに気付かないことだ。
 自分に異常は無い。外的要因が問題だ。そう思ってしまう。

「うーん」
 この術を破るにはどうすれば良い?

 今の一真の主人である彼女をチラリと見る。
 可愛らしい顔に余裕の笑みを湛え、戦いを見守っていた。自分の式神が押されているにも関わらずだ。

 この状況を楽しんでいる……?

 彼女は私の視線に気付いたのか、こちらに目を向けてきた。
 優雅にクスリと笑うが、その目が恐ろしく暗い。

 この赤黒い瞳をじっと見つめていると、また洗脳されてしまいそうで、すぐに目を逸らした。

 彼女の術は一級品だ。小手先だけで敵う相手ではない。真正面から正攻法で行った上で、彼女を上回る必要がある。

 悔しいけれど、私は対抗できる術を持っていない。無意識にぎゅうと拳が握られ、指が手のひらに食い込んだ。

「もう良いわ、お遊びはそこまでよ」
 唐突にそれを告げたのは、戦いを静観していた彼女だった。

 ——気配が、一つ消えた。

「うおっと」
 翼君は刀を空振りし、驚いたような声を上げた。

 手持ち無沙汰になった彼は、怪訝そうに視線を巡らせる。そう、消えたのは相手をしていた一真なのだ。
 最初から何も無かったかのように、忽然と消えてしまった。

「チマ、あたしから離れないで」
 なっちゃんはクナイを構え、誰もいない闇を睨み付けた。彼女の背中からはピリピリとした殺気と緊張感が伝わってきた。

 相手の所在が分からないということは、どこから襲ってくるかも分からないのだ。
 不安から生じる恐怖のせいか、背中にじわりと嫌な汗が伝う。

 見えないもの、隠れるもの。
 『おに』の語源は、『おぬ』が変化したものだそうだ。鬼というものは、元々姿が見えないものだった。

 鬼は身体の強靭さと怪力、優れた身体能力を併せ持つ為、高い戦闘力ばかり注目していた。

 しかし、鬼の本質は目に見えないもの、得体の知れないもの、そこから生じる恐怖なのだ。

 お遊びは終わった。
 一真は本物の『鬼』となる。
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