白鬼

藤田 秋

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第十九章 手折られた彼岸花

19-5 かごめかごめ

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***

「チマ、何かあったら呼び出しボタンで呼んでね。『おいだき』の隣の白いボタンだから」
「うん、わかった」

 お風呂場に来ました。脱衣所の備品は整理整頓されており、清潔感がある。
 部屋の隅に置かれている体重計はリンゴの形をしていた。可愛い。

 美女二人が使用しているからか、なんか良い匂いがする。高そうなアロマオイルとか置いてありますし。

「でも、お風呂に入って大丈夫かなぁ」
 お風呂に入って血行が良くなって傷口ぱっかーんはちょっと怖いかも。

「一応傷は塞がってるし。それに、身体拭くだけじゃそろそろキツいでしょ?」
「うん……」
 今まではお風呂に入ることも叶わず、濡れたタオルで身体を拭いているだけだった。

 正直それだけじゃ物足りないし、やっぱりお湯で洗い流したい。

「ああ、忘れてた! お湯に浸かる前にこれを入れるのよ」
 なっちゃんは整理整頓されたラックから、小さな和紙を取り出した。
 和紙は畳まれており、その中に緑の粉のようなものが入っている。

「これは?」
「河爺特製の入浴剤よ。これを入れれば普通のお風呂も傷に良く効く薬湯になるわ」

「わぁ、ありがとう!」
 なっちゃんから入浴剤を受け取ると、和紙からは仄かな草の匂いがした。

 今日はお風呂によく浸かって、しっかり傷を治そう。

「じゃあ、ごゆっくり~。百まで数えるのよ~」
「はぁい」
 小学生じゃないんだけどな。なっちゃんはニコニコしながら脱衣所から出て行った。

 ドアを閉めると、私は服を脱ぎ始めた。姿見には私の貧相な身体が映る。
 普段のなっちゃんなら一緒に入ると言いだしそうだけど……。

「これがあるから、かな」
 肩から腹に掛けて斜めに走る生々しい傷。
 獣に引っ掻かれたように、何本もの線が引かれている。

 これは……あまり見られたくない。なっちゃんもそれを察してか、ただ備品の説明をするだけで行ってしまった。

 彼女の気遣いには本当に頭が上がらない。

「一真……」
 赤く残る線に指を沿わせる。彼が刻んだこの傷は、私を一度死へと追いやった。

 あの晩を思い出すと、今でも身体が震えるし、恐ろしいと思う。でも、彼に怒りを覚えることはない。

 彼はわざと私に牙を剥いたわけじゃないもの。
 狂気に飲まれかけて、それでも私を殺さないように歯を食いしばって、耐えてくれた。

 彼が必死に戦ってくれなかったら、私の心臓は抉られて、手遅れになっていたかもしれない。

 きっと珀弥と一緒に黄泉の国へ行っていただろう。

 彼は私の命を奪おうとしながら、ギリギリのところで繋ぎとめてくれたんだ。
 ただただ、今は彼が心配でたまらない。

 今、どこで、何をしているのだろう。傍に居たい。
 傍で寄り添って……大丈夫だよと言いたいのに、手を伸ばしても届かない距離にいる。



 浴室に入ると、神社ほどではないが広かった。ここもなんかいい匂いがする。

 傷が開かないよう、身体を泡で撫でるように洗い、髪も洗う。
 やっぱりお湯で流すのは気持ち良い。髪が長いとその分洗うのも大変だけど。

「そろそろ切ろうかなぁ」
 私は意識して伸ばしている訳ではなく、一時期ホームレスになりかけるくらいには貧乏だった為、美容院など行けなかったのだ。

 こっちに来てからは、髪を切るタイミングを逃し続けてここまできた。伸びに伸びた髪は腰を越えた。

「来たばかりだと思っていたけれど、随分経ったんだなぁ」
 とはいえ、まだ一年も経っていないけれど。

 シャンプーを流すと、私は湯船に河童のお爺さん特製入浴剤を振りかけた。
 和紙から緑色の粉がサラサラとお湯に落ち、溶けたところから鮮やかな若草色のお湯に変わった。

 レモンのような匂いが控えめに香る。

「わぁ!」
 入浴剤で色が変わる瞬間はワクワクする。かがくのちからって、すごい。

 手を入れてぐるぐるとかき回し、色が均等になったのを確認すると、私は脚を湯船に着けた。

 親指の先から徐々に沈めていくと、そこからじわぁと疲れが出ていく様な気持ちよさを感じる。膝まで浸かり、もう片方の脚、そして肩まで沈む。

「ふぉあぁぁ~」
 温泉に浸かってる気分。身体の芯までギュッと温まって、凝り固まった疲れがどんどんほぐれていくような。

 傷口もほわほわと暖かい。優しく包まれて、痛みなんてどこかへ飛んで行ってしまいそう。

 薬湯すごい。後でお爺さんには菓子折りを持って行かなきゃ。

「ふあぁ……」
 あまりにも気持ちよくて、目がまどろんでしまう。

 湯が首まで浸かり、頭がガクンと揺れて湯に顔を突っ込み、慌てて目をさますのを三回繰り返した。危ない危ない。

「う~……ぶくぶく」
 今度は脚が前に滑り込み、爪先から頭までゆっくりと沈没する。
 口から上、鼻、目、頭の天辺……。

「おぼぼぼぼ!?」
 やべぇ溺れる! 手足を動かしてもがくが、ツルツルな浴槽で滑って余計に沈む。暴れているせいで息が保たない。

 黒くうねる蛇のような、恐ろしい濁流の映像が頭の中に流れた。

***

 ——かごめかごめ
 女の子は落ちた。黒い川の濁流に。息が出来なくて、苦しくて。

 ——かごの中の鳥は
 どうして落ちたの? 二つの手のひらが、背中を押したの。

 ——いついつ出やる
 誰が押したの? わからない。

 ——夜明けの晩に
 もう一人、誰かいたんでしょう? お話したんでしょう?
 うん、そう。心にぽっかり穴が空いた気がして、わんわん泣いていたの。そうしたら、お散歩に行こうって。

 ——鶴と亀が滑った
 じゃあ、思い出してみて。あなたを突き落とした——。

 ——後ろの正面だぁれ

***

「ぶはっ!」
 なんとかお湯の中から脱出し、大きく息を吸う。お風呂で寝てしまうのは危険だと再認識。

 肩で大きく呼吸をしながら、突然流れた謎の映像を思い出す。
 川に落ちた女の子がいた。それは私だった。

 何故落ちたのか。それは誰かに突き落とされたからだ。
 突き落とした誰かとは?

「うーん……」
 記憶にノイズが走る。あの日、私は外に連れ出されたらしい。
 その連れ出した誰かが犯人だ。あと少し、もう出かかっているのに、思い出せない。

「あの子は……私のことが嫌い」
 嫌いだからこそ、川に突き落とすなんて真似ができた。
 普通なら、私は死んでいる筈だ。殺すつもりで、押したんだ。

 そこまで恨みを買った人がいた? いや、身に覚えがない。

 私が忘れているだけかもしれないけれど……でも、珀弥が見せてくれた私は、誰かに恨まれるような人間ではなかった。と思う。

 頭が空っぽなアホの子が、うっかり恨みを買った? アホの行動は予測不能だし。

「うーん……」
 自分で自分を客観視して悲しくなった。でも、人の考えることはわからないのは確かだ。
 何か小さなきっかけでも、人との軋轢は生まれるもの。

 思い出さなきゃ。これは、きっと大事なことだ。

 一真の行方とは直接関係ないことなのかもしれないけれど、何か手掛かりになる気がする。

 些細なことでも、手掛かりゼロよりはマシだ。
 自分自身のことに関して、不鮮明なことは残しちゃ駄目だ。全部、思い出すの。

 過去だけじゃない、現在まで全て。今の私に残された微かな記憶も、全部。

「……あっ」
 一人、いるじゃないか。私に明確な悪意を向けてきた人物が。

 そうだ。何で真っ先に出てこなかったんだ。あんなに恨まれて嫌われていた。
 何度も『死』に近い苦しみを味わわせてきたじゃないか。

 私を殺したいほど、大嫌い。

「神凪……千真……」
 私と同じ名前を名乗る人。

 いや、違う。千真は私。あの子は私の名を騙っているだけだ。
 彼女の本当の名前は、彼女の正体は——。
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