白鬼

藤田 秋

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第十七章 触れぬ指先

17-9 無間地獄

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* * * * * * * *

 暗い、暗い、闇の中。誰も居ない、何も無い。
 私は独りで、何も見えなくて、酷く恐怖していた。

「誰か、誰か居ませんか! コマちゃん!」
 呼び掛けても、誰も答えない。私の声は虚しく闇の中に吸い込まれた。

 壁を伝って何処かへ行けないかと思い、手を伸ばしながら壁を探す。

 そこで気付いた。自分の身体だけは闇の中に白く浮かび上がって、輪郭まではっきりと見えていることに。

 自分の身体が見えているなら、多少の距離感が掴める。こんな些細なことでも安心できるくらい、私は不安だった。

 ゆっくり、ゆっくりと壁を探すが、私の手は空を切るだけ。

「あれ?」
 足元で何かを蹴ったのか、こつ、と硬い音がした。

 つま先でつついてみる。
 表面はツルツルしていて硬い。一部冷たい所がある。広いところは木製で、冷たい所は金属かな? 何だろう、これ。

 しゃがんでソレを手にすると、木の板にバチンと手が固定された。

「えっ! 何!?」
 鼠取りとは多分違う構造。指一本が嵌まるような溝に、中指が捕らえられている。
 指先には冷たい感触。外そうとしても、びくともしない。

「や、やだ……外れて」
 急に中指の爪の間に針が差し込まれる。
 レバーやスイッチのような物には触っていない。勝手に動いているのだ。

「いや、なに……」
 針が徐々に爪の中に食い込む。ただ差し込まれているのではなく、斜め上に持ち上げられ、爪だけを引き剥がそうとしていた。

 じわじわと先端から、爪と肉が離れ始める。

「痛い! いや! 痛い痛い! やめて!!」
 めり、めり。爪が浮く。あまりもの痛みに目から涙が溢れるが、それで待ってくれるはずもない。

「いたっ……ぁ……いや……」
 爪の半分が剥がれ、ぐりぐりと捻られる。そして、最後は一気に毟り取られた。

「いやあああああああああっ!!」
 痛みが指先から脳まで達する。一瞬で気が遠くなり、ブラックアウトした。

 ……のも一瞬で、気付けばまた暗闇の中に立っていた。
「今のは……」
 急いで自分の手を確認するが、指先には一枚も欠けることなく爪が乗っている。痛みもない。

 さっきのは夢……?
 とにもかくにも、爪を剥がされたという事実が無いことに安堵する。

 実際に起こっていないことなのに、やけにリアルで、私の寝間着は汗で湿っていた。

「でも……振り出しか」
 また、暗闇。見えるのは自分の身体だけ。
 出口を探さなきゃ。今度は何かに触れるのはやめておこう。

 一歩一歩、少しずつ慎重に足を出す。何かを蹴ってもスルーを心掛けようとしたが、それ以前に何も見つけられない。それはそれで困る。

 手をで何もない空中を撫でていると、ペタリ、と冷たくて平たい感触が。

 壁だ。意外とあっさり壁際まで辿り着いた。あとは壁を伝って行けば出口も見つかるだろう。
 はぁ、と一息。早くここから出よう。

 壁に手をつき、さぁ進もうとした時だ。

「え?」
 太い釘のような物が私の掌を貫いた。
 それも一本ではない。五、六本くらいは壁の中から突き出ている。

「あああっ!!」
 驚きと痛みのあまり、酷い叫び声を上げた。どうして、またこんなのが。

 これは夢だ、夢だ、そうに違いない。なのに、何でこんなに痛いの? 鮮明なの?
 嫌、嫌だ。痛いのは、嫌だ。

 プツンと記憶が途切れる。

「……また」
 目が覚めると、暗闇の中。自分の身体以外、何も見えない。

 串刺しにされた掌を確認してみても、擦り傷ひとつ無かった。また、何も無い。なのに、嫌なほど鮮明な夢。

 もう、動かない方が良い。動いても、痛い思いしかしない。

 今は夜なんだ。待てば朝が来る。
 朝が来れば太陽が登って、こんな暗闇も吹き飛ばしてくれる。待つんだ、心細くても、何もしない。何も……。

 ——チクッ。

「いっ……」
 身体が、何だか変。
 頭が、顔が、首が、胸が、腹が、手が、足が、皮膚の内側から針でチクチクとつつかれるような感覚。

「なんで……」
 最初は注射の針を刺される程度の痛みだったのに、どんどん痛みが大きくなって、いくつもの針に身体が突き破られそう。
 やめて、痛い、やめて。

「痛い、痛い、痛い、痛い、痛い、痛い……」

 ——プツン。

***

 記憶が途切れて、リセットされる。

 もう何度繰り返したことか、数えるのもやめてしまった。
 耐えきれない苦痛を受けて、気を失って、つかの間の休息の後にまた襲いかかる苦痛。

 この苦痛は、私が何かをしてもしなくても、襲いかかって来る。刺されて、切られて、削がれて、剥がされて……。

 私は、逃げられないんだ。朝が来る前に気が狂ってしまいそう。
 いや、気が狂った方が幸せなのだろうか。
 気を失ってもまた目が覚めてしまうなら、いっそ何も感じなくなった方が良い。

「……駄目」
 自分以外何も見えない完全な孤独の中だからだろうか、気が滅入ってしまって、碌なことも思いつかないんだから。

「これは夢……夢なんだ……負けちゃ駄目……」
 と自分に言い聞かせる。そう思わないと、本当に死んでしまうと思ったから。

「早く、覚めて……うっ」
 今度は頭を割るような痛みが私を襲った。 

 頭痛に悩まされている時、誰かが私に近付いて来た。
 顔も身体も黒い靄がかかっていて、顔も性別もわからない。

 人かどうかもわからないソレは、私の肩を乱暴に掴んだ。

「死ね」
 低くて機械のような恐ろしい声。そして、掴まれた肩がナイフで突き刺されたように痛んだ。

「いや! 痛い! 痛い!!」
 手を振り払うと、黒い影はあっさりと身を引く。だが、遠巻きに呪詛の言葉を私にぶつけ続けた。

 アレは何なのか、わからない。でも、私にはきっと良くないものだ。冷たくて、怖いもの。
 頭痛が酷い。小さな虫が中から少しずつ食い荒らしているような。

 ふと、手元で何かが光っていることに気付いた。

「……これは」
 いつの間にかナイフが握られていた。
 全部銀色で、持ち手は私の手にピッタリ合う。刃渡り十センチ以上はあるだろうか。

 黒い影はゆらゆらと蠢き、私の様子を伺っている。
 そうだ、これはきっと、戦う為に出て来たんだ。私は、あいつと戦わなきゃいけない。

 あいつを倒せば、この中から出られる。そんな気がしてならないのだ。

「やらなきゃ……」
 待っているだけじゃ駄目だ。
 自分も戦わなきゃ……助けられるだけじゃ駄目。自分の力でなんとかするんだ。

 私は黒い影にナイフを向けた。

「お前に何が出来る。足手まといが」
 影は一瞬動きを止め、嘲笑った。
 そう、私は足手まとい。だから、自分で頑張らなきゃいけないんだ。

「うるさい!」
 私はナイフを大きく振るう。
 影はゆらゆらと揺れ、私の攻撃を避けるが、ナイフの切っ先が少しだけ掠った。

 影は一本後ろに下がり、傷口を押さえる仕草を見せる。

「あれ、痛みが」
 不思議なことに、頭痛がほんの少しだけ弱まった。もしかすると、これは。

 私は影に向かって更にナイフを振るう。
 だが、今度は上手くいかず、手首を押さえられてしまった。握られたところが焼けるように熱い。

「痛っああっ!!」
 影は私の悲鳴に狼狽したのか、慌てて手を離す。
 その隙を狙って、ナイフを突き刺した。どこの部分なのかわからないが、手応えはある。

 そして、また頭痛が弱まった。今度はよくわかる。やはり、あの影が苦痛の原因なのだろう。そうに違いない。

 アレを倒さないと、私はこの苦痛から逃げられない。
 アレが全ての元凶。消さなきゃ。

 私がアレを殺さなきゃいけない。

 早く倒して、ここから出て、神社に帰るんだ。
 珀弥君に会いたい。会って、大丈夫だよって言ってもらいたい。一緒に居て欲しい。

 だから、を殺さなきゃ、殺さなきゃ……。
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