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第十七章 触れぬ指先
17-5 不思議な鈴の音
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* * * * * * * *
今日は何だか寝付きが悪い。
自室の布団でごろごろと転がり、うーんと唸る。傍で丸まって居るコマちゃんは、気持ち良さそうに寝息を立てていた。
枕元の時計をちらりと確認すると、午前一時を過ぎている。
いつもは二時台に悪夢で目を覚ますのだが、それを見る前に丑三つ時になってしまいそうだ。
「うー……」
珀弥君のところへ行こうかな。多分、添い寝してくれたら落ち着くかも。
コマちゃんを起こさないよう、そっと布団から這い出る。
そのまま抜き足差し足忍び足で障子まで向かい、音を立てないように廊下に出た。
向かいの窓の外には夜空が広がっている。今日は一段と月が明るい。
「綺麗……」
珀弥君にも見せてあげたいなと思ったが、流石にわざわざ起こすのもどうかと思い、ぐっと堪える。
私はまあるい月を尻目に、珀弥君の部屋へと足を向けた。
後で一緒に月見をしよう。縁側に座りながら、ゆっくりと見られたら素敵だな。
その時だ。
——リーン……リーン……——
突如響く涼やかな音色に足を止めた。
遠くから鳴っているように聞こえるのに、音は妙に鮮明で、距離感が掴めない。
——リーン……リーン……——
心地よくて、気分が落ち着く音色。
すぐ近くで鳴っているようにも聞こえる。不思議な音色だ。
誰が鈴を鳴らしているのだろう。この鈴の音の出処を知りたい。
唐突に思い立ち、気付けば足は珀弥君の部屋と真逆の方向に進んでいた。
何故か鈴の音に対して熱烈な興味を抱いた。
理由はわからない。ただ、『行かなければならない』と思ったのだ。
ふらり、ふらり、と靴を履くのも忘れて。ひやりとした石畳みに足をつく。
——リーン……リーン……——
心地よい音色は響き続ける。
この闇夜へ私を誘うかのように。頭がふわふわする。
鈴が呼んでいる、私を。
だから、行かなくちゃ。だって、きっと、待ってるから。
だれかが、わたしのこと、まってる。
「わん! わん!」
どこかとおくから、わたしをよぶこえがした……きがする。
***
「……あれ?」
気付けば、私は見知らぬ建物の中に立っていた。
高い位置にある小窓から月光が差し、室内の一部を照らす。
錆びたドラム缶や鉄骨、木材などが積み重ねられているのがわかった。
倉庫だろうか。埃っぽくてあまり使われていない様子だ。
どこだろう。何で私はここに居るのか。
そうだ、鈴の音が聞こえてから意識が飛んだような気がする。
私はここまで歩いて来たのだろうか。夢遊病にしても程度というものがあるだろうに。
ハテナを五つくらい頭の上に浮かべつつ、とりあえず早く帰ろうと出口を探す。
月の光が当たるところ以外は真っ暗で何もわからない。
扉のようなものも見当たらないが、壁を伝って行けばそのうち行き着くだろう。
「ええと、こっちかな?」
手探りで闇の中を進む。
何故か裸足になっているから、時折砂利みたいなものを踏み、びっくりして跳ね上がった。
どうして靴を履いていないんだろう。ここに来る前の自分に疑問を抱きながら、一歩一歩進む。
——リーン……——
「ひゃっ!?」
鈴の音が聞こえた直後、何かに足を引っ掛けてしまい、体勢が崩れた。
暗くて、床までの距離もわからない。
「あわわ!」
バランスを取ろうとしたが、その努力も虚しく私は地面に叩きつけられた。
腕で咄嗟に頭を守ることは出来たが、膝や肘がじーんと痛む。
きっとまた擦りむいてしまったのだろう。
せっかく珀弥君に手当てしてもらったのに、また傷を作ってしまった。
「いたた……」
よいしょと起き上がり腕を抑える。
目頭が熱くなり、熱がじわっと広がった。痛みによる生理的な涙と、自分の不甲斐なさへの涙。
私はどうして、こう、駄目なんだろう。
「無様ね」
「おうっ!」
すぐ近くから、女の子の冷ややかな声が降ってきて、思わず声を上げる。
誰かが近くにいるのか。
よく目を凝らして見ると、闇の中にぼうっと人型のシルエットが浮かび上がった。
「誰?」
人のことは言えないが、夜中に女の子がこんな所に来て何をしているのだろう。
闇の中の人物に不信感が増す。
「私のこと、忘れたなんて言わせないわよ?」
コツ、コツ、と優雅な靴音が倉庫にこだまする。
人影は闇の中を移動し、月光のスポットライトの下に踊り出る。
その顔は忘れもしない。珀弥君を傷付けた、私と同じ名を名乗る少女。
「『千真』……!」
人間のふりをした鬼だ。
「あら。呼び捨てなんて随分と御挨拶ね、ニセモノさん?」
彼女は意に介していないのか、ニコニコして私を煽る。これが彼女のやり口だ。
人を不安にさせて、陥れる。
でも、私は千真。だから、自信を持って、この名前を名乗るんだ。
「私は千真だよ。ニセモノなんかじゃない」
「偉そうに。大きな口を叩くのね?」
「だって、本当のことだもの」
狼狽えずに彼女の嘲笑を睨みつける。絶対、負けてなるものか。
彼女はそんな私が気に食わないのか、笑顔を少し崩して一瞬だけ顔を顰めた。
「ふーん。そう」
「いたっ!」
いきなり前髪を鷲掴みにされ、斜め後ろへ引っ張り上げられた。
顔を上に向けさせられ、身体が仰け反る。
「あなたが身の程知らずということはよく分かったわ」
「離して!」
彼女の手を振りほどこうとするが、固く髪を握っており、外れそうも無い。
「あなたの目的は何なの!? どうしてこんな乱暴なことが出来るの!」
自由に動けない代わりに、精一杯の抵抗をする。だが、それが彼女の神経を逆撫でたようで、更に表情が険しくなる。
「うるさいな」
抑揚のない平坦なトーンの一言。
それだけなのに、私の口をつぐませるには十分な抑止力を持っていた。
そして、彼女はスカートのポケットに手を入れ、何かを探る。
お目当てのものが見つかったのか、手をそろりと出し、私の目の前に突き付けた。
——リーン……——
「この音……」
私を誘った鈴の音と一緒。まさか……!
「ようやく気付いたみたいね? でも、もう遅いわ。あなたはもう私の術中にあるんだから」
また意識が遠くなる。
今、気を失ったら絶対駄目だ。そう思って堪えるが、頭がぐらぐらする。
彼女は楽しそうに私を眺めていた。
「今からあなたを蝕むのは、限界より少し上の苦痛。その痛みから逃れる手段は——」
今日は何だか寝付きが悪い。
自室の布団でごろごろと転がり、うーんと唸る。傍で丸まって居るコマちゃんは、気持ち良さそうに寝息を立てていた。
枕元の時計をちらりと確認すると、午前一時を過ぎている。
いつもは二時台に悪夢で目を覚ますのだが、それを見る前に丑三つ時になってしまいそうだ。
「うー……」
珀弥君のところへ行こうかな。多分、添い寝してくれたら落ち着くかも。
コマちゃんを起こさないよう、そっと布団から這い出る。
そのまま抜き足差し足忍び足で障子まで向かい、音を立てないように廊下に出た。
向かいの窓の外には夜空が広がっている。今日は一段と月が明るい。
「綺麗……」
珀弥君にも見せてあげたいなと思ったが、流石にわざわざ起こすのもどうかと思い、ぐっと堪える。
私はまあるい月を尻目に、珀弥君の部屋へと足を向けた。
後で一緒に月見をしよう。縁側に座りながら、ゆっくりと見られたら素敵だな。
その時だ。
——リーン……リーン……——
突如響く涼やかな音色に足を止めた。
遠くから鳴っているように聞こえるのに、音は妙に鮮明で、距離感が掴めない。
——リーン……リーン……——
心地よくて、気分が落ち着く音色。
すぐ近くで鳴っているようにも聞こえる。不思議な音色だ。
誰が鈴を鳴らしているのだろう。この鈴の音の出処を知りたい。
唐突に思い立ち、気付けば足は珀弥君の部屋と真逆の方向に進んでいた。
何故か鈴の音に対して熱烈な興味を抱いた。
理由はわからない。ただ、『行かなければならない』と思ったのだ。
ふらり、ふらり、と靴を履くのも忘れて。ひやりとした石畳みに足をつく。
——リーン……リーン……——
心地よい音色は響き続ける。
この闇夜へ私を誘うかのように。頭がふわふわする。
鈴が呼んでいる、私を。
だから、行かなくちゃ。だって、きっと、待ってるから。
だれかが、わたしのこと、まってる。
「わん! わん!」
どこかとおくから、わたしをよぶこえがした……きがする。
***
「……あれ?」
気付けば、私は見知らぬ建物の中に立っていた。
高い位置にある小窓から月光が差し、室内の一部を照らす。
錆びたドラム缶や鉄骨、木材などが積み重ねられているのがわかった。
倉庫だろうか。埃っぽくてあまり使われていない様子だ。
どこだろう。何で私はここに居るのか。
そうだ、鈴の音が聞こえてから意識が飛んだような気がする。
私はここまで歩いて来たのだろうか。夢遊病にしても程度というものがあるだろうに。
ハテナを五つくらい頭の上に浮かべつつ、とりあえず早く帰ろうと出口を探す。
月の光が当たるところ以外は真っ暗で何もわからない。
扉のようなものも見当たらないが、壁を伝って行けばそのうち行き着くだろう。
「ええと、こっちかな?」
手探りで闇の中を進む。
何故か裸足になっているから、時折砂利みたいなものを踏み、びっくりして跳ね上がった。
どうして靴を履いていないんだろう。ここに来る前の自分に疑問を抱きながら、一歩一歩進む。
——リーン……——
「ひゃっ!?」
鈴の音が聞こえた直後、何かに足を引っ掛けてしまい、体勢が崩れた。
暗くて、床までの距離もわからない。
「あわわ!」
バランスを取ろうとしたが、その努力も虚しく私は地面に叩きつけられた。
腕で咄嗟に頭を守ることは出来たが、膝や肘がじーんと痛む。
きっとまた擦りむいてしまったのだろう。
せっかく珀弥君に手当てしてもらったのに、また傷を作ってしまった。
「いたた……」
よいしょと起き上がり腕を抑える。
目頭が熱くなり、熱がじわっと広がった。痛みによる生理的な涙と、自分の不甲斐なさへの涙。
私はどうして、こう、駄目なんだろう。
「無様ね」
「おうっ!」
すぐ近くから、女の子の冷ややかな声が降ってきて、思わず声を上げる。
誰かが近くにいるのか。
よく目を凝らして見ると、闇の中にぼうっと人型のシルエットが浮かび上がった。
「誰?」
人のことは言えないが、夜中に女の子がこんな所に来て何をしているのだろう。
闇の中の人物に不信感が増す。
「私のこと、忘れたなんて言わせないわよ?」
コツ、コツ、と優雅な靴音が倉庫にこだまする。
人影は闇の中を移動し、月光のスポットライトの下に踊り出る。
その顔は忘れもしない。珀弥君を傷付けた、私と同じ名を名乗る少女。
「『千真』……!」
人間のふりをした鬼だ。
「あら。呼び捨てなんて随分と御挨拶ね、ニセモノさん?」
彼女は意に介していないのか、ニコニコして私を煽る。これが彼女のやり口だ。
人を不安にさせて、陥れる。
でも、私は千真。だから、自信を持って、この名前を名乗るんだ。
「私は千真だよ。ニセモノなんかじゃない」
「偉そうに。大きな口を叩くのね?」
「だって、本当のことだもの」
狼狽えずに彼女の嘲笑を睨みつける。絶対、負けてなるものか。
彼女はそんな私が気に食わないのか、笑顔を少し崩して一瞬だけ顔を顰めた。
「ふーん。そう」
「いたっ!」
いきなり前髪を鷲掴みにされ、斜め後ろへ引っ張り上げられた。
顔を上に向けさせられ、身体が仰け反る。
「あなたが身の程知らずということはよく分かったわ」
「離して!」
彼女の手を振りほどこうとするが、固く髪を握っており、外れそうも無い。
「あなたの目的は何なの!? どうしてこんな乱暴なことが出来るの!」
自由に動けない代わりに、精一杯の抵抗をする。だが、それが彼女の神経を逆撫でたようで、更に表情が険しくなる。
「うるさいな」
抑揚のない平坦なトーンの一言。
それだけなのに、私の口をつぐませるには十分な抑止力を持っていた。
そして、彼女はスカートのポケットに手を入れ、何かを探る。
お目当てのものが見つかったのか、手をそろりと出し、私の目の前に突き付けた。
——リーン……——
「この音……」
私を誘った鈴の音と一緒。まさか……!
「ようやく気付いたみたいね? でも、もう遅いわ。あなたはもう私の術中にあるんだから」
また意識が遠くなる。
今、気を失ったら絶対駄目だ。そう思って堪えるが、頭がぐらぐらする。
彼女は楽しそうに私を眺めていた。
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