白鬼

藤田 秋

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第十六章 夏の河と風

16-7 近くて遠い存在

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「お前、何故——!?」
「バーカ、イイオンナを前にして目が眩んだか? 死亡確認くらいしとけっつーの」
 翼は間抜け面を晒す天狗たちをせせら笑いながら、あたしを降ろす。

 地面に足が着いた時、足枷と手枷が外れていることに気付いた。全く、仕事が早すぎる。

「それか、敗者の最期には用は無ぇってか。高慢な天狗らしいな」
 彼は首を左右に曲げ、コキコキと小気味良い音を鳴らす。

 死に至らない程度といえど、身体は相当のダメージを負っている筈だ。しかし、それを感じさせない程の余裕を見せていた。

 手を横に出すと、つむじ風と共に錫杖が出現する。
 彼はその錫杖をシャランと鳴らし、天狗たちに向けた。

「さぁて、此処で問題です! オレがお前等に手を出せない理由がなくなりました。これからどうするでしょーか!」
 あまりにも軽く、緊張感の無い態度。

 だが、彼の纏う空気は、あたしも押し潰されそうなほど重くなっていた。

「くっ、退却だ!」
 リーダー格の天狗が号令を掛け、他の天狗たちもこの場から逃げようとする。もちろん、翼はそれを許さない。

「逃がすかよ」
 彼は錫杖を地に突き立てる。
 シャラン、シャラン、と金属音が鳴り響き、錫杖を中心に風が渦巻いた。

 闇が晴れ、幾多もの鳥居があたしたちを囲むように立ち並ぶ。
 土がむき出しだった地面は石畳で整備され、やしろが転々と並んだ。

 退避しようとした天狗たちは見えざる壁に退路を塞がれ、立ち往生する。

 これは、ただの妖怪が張る結界じゃない。
 もっと高位の、神格を持つ者が展開できる聖域だ。

「あんた、何で……」
 まだ鴉天狗の筈なのに、こんなことが——。

「クラスの皆にはナイショだぜ」
 語尾に星でも付きそうな明るい口調で、翼は口の前に人差し指を立てる。

 彼は天狗たちに向き直った。
 錫杖から手を離し、握り拳を天狗たちに向ける。すると、また風が起こり、手の中に葉団扇が出現した。

「下克上は上等。でもぉ、失敗した場合は死を以って償えよな? ——この法印ほういんが貴様らに引導を渡してやる」
 天狗たちはざわめき、顔を見合わせる。
 当たり前だ、葉団扇を所持していない筈の翼——いや、法印様が支配者の証を手にしているのだから。

「夏河の顔に傷をつけて、生きて帰れると思うな……!」
 低く唸るようなその一言に、全ての殺気が込められていた。

「怯むな! あれはただのハッタリだ!」
 リーダー格の天狗はクナイを構え、周りの天狗に怒声を浴びせる。
 しかしながら、その声音からは迷いが感じられ、天狗たちの士気も下がっていた。

「へぇ、ハッタリねぇ」
 この世界の主は薄く笑い、あたしを抱き寄せる。そして、団扇を持った腕を横に一振りした。

 その瞬間、団扇から巻き起こされた風が吹き荒ぶ。
 あまりの暴風に身体を持って行かれそうになったが、逞しい腕があたしを捕まえているお陰で、飛ばされることはなかった。

 一方、標的にされた天狗たちは荒ぶる風に押され、見えざる壁に打ち付けられる。
 その衝撃で身体が潰れ、無惨な姿になってずるずると滑り落ちていった。

「これで誰に喧嘩を売っていたのか、愚かなお前でも分かる筈だな?」
「あ……え……」
 意図的に一人だけ攻撃対象から外されていたリーダー格の天狗は、武器を構えつつも呆然としていた。

 何が起こったのか、理解できていないらしい。

「命だけは……」
 口から零れた、か細い声。
 実力差にようやく気付いたのか、威勢の良かった天狗は萎縮して武器を落とした。

 その情けない姿を見て、は忌々しそうに舌打ちをする。

「夏河、目を瞑っていろ」
「……はい」
 有無も言わせぬ威圧感の前に、あたしはただ頷くしかなかった。
 あたしが目を瞑るのを確認したのか、彼は腰に回していた手を離す。

 今更、思い出した。いや、思い知ったというべきか。
 彼は

 カッカッ、と一歩二歩。一本歯の下駄の音。
 急に、彼がどこか遠い所へ行ってしまったように感じてしまった。

 いや、最初から手の届く場所には居なかったのではないか。
 今までの状況がおかしかったんだ。あたしが触れられる立場の方ではない。

 これまでのつばさは全てまやかしだった。

 そう思うと、身体の芯が冷えていってしまうような感覚に陥った。
 『翼』が居ない。隣で喚いたり笑ったりしてる鬱陶しいあいつが、居ない。

「つば、さ……」
 震える手をゆっくりと上げ、探るように伸ばす。
 視界には何も見えない。目を開ければそれで済むのに、法印様の命令には逆らえなかった。

 カッカッ、一歩二歩。一本歯の下駄の音。
 宙を彷徨う手を何かが包み込んだ。

「ナツ、どうした?」
 不意の優しい声に、思わず目を開けてしまった。
 薄目の狭い視界の中、夕陽色の瞳があたしの顔を覗き込んでいるのが見えた。

「翼、いるの?」
「大丈夫、いるよ。オレと離れて寂しくなっちゃった?」
 笑い混じりの気の抜けた軽い口調は、正に翼のものだ。
 翼が此処にいる。手には確かな温もりを感じる。

「一瞬、あんたが居なくなったような気がして」
「おいおい、結構本気で寂しがってんじゃん。ちょっと照れちゃうゾッ?」
「馬鹿言わないでよ」

「お前ホント可愛いな」
 彼は茶化すようにケラケラ笑う。翼だ。
 いつもなら回し蹴りを喰らわすところだが、今回は見逃してやろう。

 さっきまでの不安が全て吹き飛んでしまったのだから。

 しかし、安心するにはまだ早かった。
 カシャン。呆然と立ち尽くしていた天狗が、クナイを拾った。まだ、戦意を残していたのか。

 全てがスローモーションに見える。咄嗟に翼から手を離し、身を屈めた。

「死ね!」
 奴は腕を振り上げ、クナイを投げる動作に入る。逸らせた上半身、胴に大きな隙。

 ——見切った。
 あたし曲げた膝をバネにして、天狗の懐まで一気に跳躍した。

「はぁっ!」
 隙だらけの鳩尾に拳をめり込ませる。

「ぐあっ!?」
 天狗はクナイを取りこぼし、呻き声を上げた。あたしはそのまま更に力を入れ、奴を後方まで突き飛ばす。

「忘れ物よ!」
 宙に取り残されて落下するクナイを取り、天狗に投げつけた。

 クナイは彼を追尾するように真っ直ぐ進み、心臓部に命中する。
 天狗は社に激突し、瓦礫の中に身を埋めたのだった。

「はあ、はあ……」
 息が切れ、どっと疲れが出てきた。
 脚から力が抜けてゆく。だが、崩れ落ちようとした矢先、背後から伸びる二本の腕があたしを支えた。

「やるじゃん。オレの出番取られちゃった」
「ほんと、調子良いわね」
 あたしは息をつき、後ろの馬鹿に身を委ねた。

***

「……ん」
 冷たい風が頬を撫でる。辺りはもう陽が落ち、夕闇に沈んでいた。

「よぉ、早いな。元気?」
 上から声が掛かる。視線を斜め上に向けると、翼がヘラっと笑った。

 横たえられた身体、肩と脚を支える腕、浮遊感と吹き付ける風。
 どうやらあたしは横抱きにされており、更に空中を飛んでいるらしい。

 気を失っていた時間はどれくらいだろうか。
 翼曰わく目覚めるのが早かったらしいし、それだけ短い間だったのだろう。

「あんた、飛んで大丈夫なの?」
「心配してくれんのか、嬉しいなー」
「真面目に答えなさいよ!」

「ちょっ、暴れんなって!」
 平気そうな顔をしているが、集団リンチを受けていたのだ。無事というわけではないだろう。

 そんなこともお構いなしな態度の翼に腹が立った。

「ダイジョーブ! 大丈夫だから、大人しく送られろ」
「は? それが人にものを頼む態度?」

「アッ、スイマセン、リラックスしてごゆるりと送られてください」
「……はぁ」
「うわー、自分で振っておいて、うわー」
 大丈夫だ。元気だこいつ。

「うるさい、調子に乗るな」
「へーい」
 翼は反省の色を見せないが、面倒だからもういい。

「……ねえ」
「なーに?」
 ふと、気になったことがあり、声をかけてみた。彼は間延びした返事を返してくる。

「あんたさ、今のソレも、演技なの?」
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