白鬼

藤田 秋

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第十六章 夏の河と風

16-3 大変な約束

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********

『お前弱っちいな!』
『早く泣いちゃえ!!』
 幼い頃、あたしは他の天狗たちに虐められていた。

 虐める理由は簡単。半妖だから。
 半妖は人間よりは強いが、妖怪よりは弱い。そんな半端者だからと、純粋な妖怪たちはこぞってあたしを貶めてきた。

『やめて……や、めて……』
 あたしは頭を手で守り、殴る蹴るの暴力に耐えていた。

 奴らも考えていて、服に隠れている部分ばかりを狙う。だから、痣や擦り傷が公になることは無かった。

 更に、死なない程度に乱暴をするのだからタチが悪い。
 腹を蹴られ、背中を踏まれ、まともに息ができなくて、生理的な涙が目に溜まる。

 早く終わらせて欲しい。早く飽きて。もう、嫌。

『おーい、何してんの?』
 乱暴してきた天狗の子たちの視線は、あたしを通り越し、後ろに居る誰かに向いていた。

 軽い声に聞こえるが、滲み出る威圧感。
 彼らの恐れおののいた表情。あたしの後ろに誰が居るのか、見当はつく。

『お兄ちゃん……』
 天狗たちが棲む山の主・大天狗の息子。
 あたしの従兄にあたる妖怪だ。神出鬼没で、会おうと思って会える奴じゃない。

『よっ。今日もチョッカイ出されてんな?』
『……』
 あまりにも軽く言うものだから、ムッとして黙ってしまった。同時に、やられっぱなしの自分にも腹が立つ。

『怒っちゃった? ごめんごめん』
 彼は謝りながらも、視線だけはいじめっ子たちに向いていた。

『わ、若様……僕たちは』
『おう、遊んでやってたんだよな?』
『はい!』
 何を都合良く返事してんのよ、卑怯者。こいつも何でこんなことを……。

『そっか』
 はあたしの頭を撫で、いじめっ子たちの方へ歩み出た。

 刹那、両手に小刀を構え、彼らの喉元に突きつけている。刀を抜いた動作さえ見えなかった。

『ひっ!』
『おいクソガキ共、よーく聞きな』
 声を低くし、小刀を更に肌に食い込ませる。
 少しでも身動きを取れば、彼らの喉元は裂かれるだろう。

『喧嘩を売る相手を間違えんなよ? ナツはホントはすっげー強いから』

『は?』
『は?』
『はぁ!?』
 この天狗、いきなり何を言っているの?
 いじめっ子達もあたしと同意見のようで、呆気にとられている。

『オレはオトナの男だし? ここで弱いもの虐めなんて、みっともねぇ真似はしねーよ。つーか部外者だし』
 小刀を降ろして、奴はケラケラと笑う。

『ただし、ナツを本気で怒らせたら怖ェぞー? ほれほれ、しっぺ返し喰らう前にさっさと失せな』

 若様がしっしっと手を振る素振りを見せると、いじめっ子たちは顔を見合わせ、どこかへと消えてしまった。

 彼らの背中が見えなくなると、に詰め寄った。

『な、何であんな適当なこと言ったの!?』
『ん? 適当なこと?』
『そうよ! あたしが強いって……』
 半妖のあたしが、純粋な妖怪より強いわけがない。

 それなのに、何て適当なことを言うのだ。
 お兄ちゃんはしゃがんで、あたしと視線を合わせた。

『ナツはやられっぱなしで良いの?』
『それは……』
 夕陽の色と同じ瞳から、目が逸らせない。


『だろ?』
 奴はしめしめと頷くと、あたしの両肩に手を置いた。

『適当なことなんか言ってねぇよ。だって、オレがナツを強くするんだからな』
『お兄ちゃん……格好付け過ぎ』
『あらやだ毒舌』
 いつも、適当なことを言うんだから。少しだけ、顔がほころぶのを感じる。

『でも……やってみるよ』
 あたしが頷くと、お兄ちゃんは『強いな』と言って、また頭を撫でた。



『人間は暴力で解決しちゃ駄目って言うが、妖怪は力で上下を決める生き物なんだな、これが。まー、力で示せってこった』

 それから、あいつに武術を叩き込まれた。
 中途半端に鍛えたところで、あたしの何倍も生きてる妖怪には適わない。

 だからこそ、より厳しく鍛えられた。

 いじめっ子たちには相変わらず影で虐められたが、歯を食いしばって耐えた。
 絶対に見返してやろうと思ったから。

『何だこいつ泣かねーじゃん。つまんないの』
 そう吐き捨てて去るあいつらを見て、口元に笑みが浮かぶ。今に見てろ、絶対に泣かせてやる。



『殺す気で掛かって来い』
 こんな物騒な台詞も慣れてきた。

 こいつは殺そうと思っても殺せない。飄々として、いい加減な振る舞いをするが、確かな実力がある。
 だからこそ、本気で掛かれるのだ。

『そうそう、イイカンジ。飲み込み早いねー』
 あいつは投げつけたクナイを軽々と避け、あたしの蹴りを片手で受け止めた。
 余裕綽々という表情に腹が立つ。

『だけど、この程度じゃ雑魚一匹倒せないぜ!』
『くっ!』
 そのまま弾き飛ばされ、あたしは床に倒れ込んだ。
 まだ馬鹿にされている。こんなことじゃ駄目だ。もっと強くならないと。

『ほら、早く立ちな。実戦だったらここでトドメさされてるぞ?』
 笑いながら冷ややかな言葉を投げ掛けてくる。これは冗談なんかじゃない、と声が訴えてくるのだ。

『負けない……』
『その意気だ』
 床に手を着き、起きあがる。ここで負けたら何にも勝てない。

 あいつはにっこりと笑い、いつものようにあたしの頭を撫でてきた。
 撫でられるのは嫌いじゃない。恥ずかしいから口には出さないけれど。

 本人は判っているのかいないのか、ことあるごとに撫でてくる。
 それだけで、頑張ろうと思えた。

***

『やあ!』
 あたしの蹴りがいじめっ子の腹に食い込む。彼は呻き声を上げると、膝を着いた。

 こいつで最後。他の奴らも、あたしの周りに倒れ伏している。当のあたしも傷だらけで、立っているのがやっとだった。

 翼に弟子入りをして二年経った頃の話だ。
 まだ未熟で、身体も出来ていないし、技も馴染んでいない。
 だけれど、やられっぱなしの頃よりは随分強くなったと思う。

 呆然としながら立ち尽くしていると、目の前に大きな黒い影が舞い降りた。
 影はしゃがみ、あたしと目線を合わせる。

『よくやったな、ナツ。頑張ったな』
 ぼーっとしながら、優しい声を聞き、頭の中で言葉を反芻させる。

『あたしが、やったの?』
『そうだ』

『ほんとに?』
『ああ』

『おにいちゃん、あたし……頑張った?』
『もちろんだ。短期間で、ここまで強くなったんだからな』

『そっか……』
 やっと、勝てた。もう、馬鹿にされないんだ。そう思うと、途端に視界が滲む。

『強くなったな』
 黒い影はあたしを包み込むように抱き締め、頭を撫でてきた。
 暖かくて、ふわふわして……羽に包まれているみたい。

 今はそれが心地良くて、そっとまぶたを降ろした。

『ナツ、ご褒美にこれをやる』
 彼が耳元で優しく囁いた後、手に何かを握らされた。細い棒の様なもの?

 重い瞼を開けて確認すると、棒の先には、ヤツデのように裂けた葉が扇のようにくっついていた。

 これは葉団扇というものだ。この山では偉い妖怪しか持っていないと聞いたことがある。

『どうしてあたしに?』
『んー? 気まぐれ?』
『何それ……』

『まーまー、これでナツも立派な天狗だからな!』
 彼はあたしの頭をぐりぐりと撫で回した。

『んじゃー、ナツがもーっと強くてイイオンナになったら、嫁に貰っちゃおうかなー』
『はっ!?』
 彼が冗談めかして呟いた台詞に、大きく反応してしまった。
 あたしの反応にご満悦なのか、奴はニヤリと笑う。

『おー、赤くなってる。かわいー』
『ふ、ふざけないでよ!』
『オレはいつも真面目ですケドー』
 あたしの反応を面白がって、まともに取り合ってくれない。こいつ!

『じゃあ強くなってやるから! そのときは責任とってよね!!』
 売り言葉に買い言葉。あたしはとんでもないことを口走っていた。

『あぁ、男に二言は無ェ!』
 しまった、と思った時には、あいつは既に承諾済み。
 変な約束を取り付けてしまっていた。

********

「っ!?」
 変なことを思い出してしまった。
 馬鹿みたい。あんな約束であたしがやる気を出すわけないじゃない。

 それに、子供の口約束なんてアテにはならないわ。

「ん? どうした?」
「どうもしないわよ!」
 アホ面を晒すあいつに対し、あたしは大音量で怒鳴り散らした。

 誰がこんな脳天気な顔した奴の嫁になるか。ああ、顔が熱い。まだ残暑が厳しいみたいだ。

 丁度あたしの家の前に差し掛かった。
 もうあいつの顔を見てられないので、さっさと家に入ることにする。

「ナツ、また明日~」
「……ふん」
 あいつはユルく手を振るが、あたしは無愛想に鼻を鳴らし、玄関のドアを強く閉めた。

「はぁ」
 リビングのソファに座り、エアコンのスイッチを入れる。
 日中誰も居なかった部屋は、熱い空気が籠もっていた。じわりと汗が額に滲む。暑い。

 右手に妖力を込めると、掌の上に風が巻き起こった。
 風が渦巻き、いつの間にか葉団扇が出現する。

 半分人間でも半分は妖怪だから、このように非現実的なことも引き起こせるのよ。

 それは置いておいて、部屋が冷えるまではこの団扇で扇ごう。
 パタパタと団扇を扇ぐと、冷たい風が私の肌を撫でる。

 この団扇は特別なもので、例え熱気が籠もった部屋であっても冷風を起こせるのだ。
 使い方を間違えると山が吹き飛ぶほどの突風さえも起こせる……らしいが。

 この団扇は本来、大天狗にしか持つことを許されない。つまり、あたしには持つ資格が無い。

 こうして、本来の力を引き出せずに、宝を腐らせるだけ。なのに、元の持ち主は宝をあたしに預けたのだ。

「何でよ、馬鹿じゃない」
 部屋はまだ冷えず、団扇の仕事が終わらない。
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