白鬼

藤田 秋

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第十四章 奥底に秘めるのは

14-6 白鬼君と私

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* * * * * * * *

 俺の目の前に誰かが立っている。見下ろしてしまうほどに小柄な少年だ。

 陶磁器のような白い肌に、それを際立たせる黒い髪。そして、暗く濁った緑色の瞳が目に付く。
 こいつは誰だ。

『お、まえ……』
 彼が俺を指さすために手を上げると、枝のように細い腕が露出した。
 病的にやせ細っており、生命力の弱さを感じる。

 だが、暗い瞳に宿したどす黒い怨念は刺すように強かった。

『何で生きてるんだよ』
『……』
『……だ』
 俺が何も答えないでいると、彼は恨めしそうに顔を歪めた。

『おまえのせいだ……おまえのせいだ、おまえのせいだ!』

 軽蔑するような視線をこちらへ寄越し、背伸びをして俺の首に手を掛ける。
 身体がいうことを聞かない。小さな手が首を這い、尖った指先が肌に食い込んだ。

 しかし、か細い手が俺を絞め殺すには、力が弱過ぎた。指先が少々食い込んだ。ただ、それだけ。
 怨みの籠もった目だけは鋭く、強かった。

『おまえのせいで、は——』
『退けよ』
 少年が言いかけたとき、彼の横から冷たい声が聞こえた。
 そしてコンマ数秒の間に、彼は俺の目の前から姿を消してしまった。

『おいおい、あいつは殺した筈だろ。何故まだ居るんだ』
 その代わりに、俺と瓜二つの男が冷酷な笑みを浮かべていた。

 毛先が所々跳ねている長い白髪に、鋭い琥珀色の目。
 一つ違うのは、彼の額から異物が生えていることだ。

 真っ黒い一本の突起物。それは牛の角を連想させた。いや、本当に角なのかもしれない。

 俺と同じ顔をしたこいつは誰だ。

『お前は……』
 ——ポタ、ポタ。
 生臭い水音が耳に届いた。すぐ近くから聞こえているようだ。

 いや、何が音を立てているのか、それは最初から判っていた。見て見ぬふりをしていたのだ。
 目の前の男の横へと、視線をゆっくり移動させる。

 ポタ、ポタ、と水音は止まない。
 男の腕は横に伸びており、肘の辺りまで深々と何かを串刺しにしている。

 腕が貫いているのは、俺の首を絞めてきた少年だ。彼は胸から血を滲ませ、頭をだらりと下げていた。

『俺が、誰だって?』
 視線は目の前の男に移る。彼は口から牙を覗かせて不気味に笑っていた。

 腕を振り下ろし、少年を地面に叩きつけると、ぐしゃりと何かが潰れたと思われる音が聞こえた。もう見ようとは思わない。

『お前が一番良く知ってるだろ? ……**』

* * * * * * * *

 私が知らない誰かの名を呼んだ途端、白髪の人が目を見開いた。

「ひえっ!」
 いきなりのことで驚き、私は妙な声を上げてしまう。

 彼は胸を大きく上下させ、息を整えながら視線をあちこちに巡らせた。
 部屋をぐるりと見回した後、私と目が合う。

「お、おはようございます」
「……」
「……」
 気まずい空気が到来した。彼は黙って私を見つめた後、スッと目を逸らした。

「俺が寝てる間、お前に何かしたか?」
 とだけ言い、口を閉ざす。
 顔がこわばっており、緊張しているように見えた。

「いいえ、何も。ぐっすりと寝てましたよ」
「……そうか、良かった」
 彼はホッとしたように息を吐く。
 どうしてそんなことを聞くのだろう。本当は寝相が悪いのかな?

「悪い、世話を掛けたな」
 彼は弱々しく起き上がろうとする。まさか、もう出て行く気なのか。

「まだ寝てなきゃ駄目です!」
 私は彼の肩を掴み、布団に押し戻す。まだ顔色も優れないし、無理をさせてはいけない。

「病人は安静にしないといけないんですよ?」
「別に病人って程では……」

「死にそうな顔で倒れてた人が何を言うんですか!」
「俺そんなに酷い顔してたのか」

「はい!」
「即答か」
 この感覚。いつもの珀弥君と話す時のテンポとそっくり。
 雰囲気は怖いのに、何故か一緒にいると落ち着く。

 そんなに話したことも無いのに、すらすらと口が動く。やっぱり、彼は不思議な人だ。

「……あなたは何者なんですか?」
 つい、疑問が口から出てしまった。
 彼はピタリと固まり、私を見据えた。口を開き掛け、つぐむ。

 何と答えようか迷っている……ように見えた。

「ずっと、不思議だったんです。普段は全く見ないのに、いざ会う時はだいたい神社の中でした」
 彼は黙って私の話を聞いている。どこか気まずそうだ。何か視線が泳いでいる。

「それで、あなたはどこか珀弥君と似ているんです。この家に関係がある人なんですか?」
「えぇと……」
 白髪の人は完全に明後日の方向を見て、微かに首を振った。

「俺は人じゃない」
「人じゃない? それってどういう……?」
 ふと、狐珱君の顔が頭に浮かんだ。
 彼は妖狐であり、この家にずっと住み着いていると聞いた。

「お前が想像している通り、俺は妖怪だ。普段は姿を現さないが、ここに住み着いてる」
「え、そうなんですか!」
 まさか、見た目的に狐珱君よりも人間っぽかったのに。

 でもよくよく考えてみれば、普通のヒトにしてはおかしい部分はあった。
 獲物を殺す気満々の鋭い爪、獣のような琥珀色の瞳。これは人間の持ち物じゃない。

 それに、口から覗く牙もまた、人間のソレとは異なっている。

「ちなみに何の妖怪さんなんですか?」
 この見た目だけでは、いまいちどんな妖怪なのかは判らない。

「……鬼、だ」
 彼は忌々しそうに『鬼』と口にした。

「鬼? 角が生えてないのに?」
 やはり、鬼といえば頭に生えている角が一般的な特徴だけれど、彼にはそれが見受けられない。

「全ての鬼に角が生えていると思うなよ」
「えっ、生えてない鬼も居るんですか!?」
「当たり前だろ。ここの神様だってそうだろうが」
 彼はムスッとした顔になる。その表情は、何だか子供っぽい。
 目つきは鋭いのに、可愛く思えてしまった。

「あー……」
 そういえば天ちゃんは鬼神様だっけ。

 鬼さん曰く、鬼は角が生えているイメージが定着しているけれど、角の無い鬼だって存在するとのこと。

 角の有無が、鬼なのかそうでないかを左右する訳では無いのだそうだ。
 いや、でもやっぱり角があった方が鬼っぽいよね。ステレオタイプってやつかな。

「鬼神様の神社だから、鬼のあなたも住み着いている、とか?」
「あー……そういうことにしておいてくれ」
「適当!」
 彼のぞんざいな口振りからして、私の憶測は明らかに間違っているようだ。

 先程から考えながらモノを言っているようで、嘘は言っていないみたいだけど、本当の事を言っているという訳でもなさそう。

「もしかして、他の皆とは面識があったりします?」
「まぁ……それなりに」
「嘘ぉ!」
 私以外みんな知ってただなんて! まるでもう一人の住人が存在しないかのように振る舞っていたのに。

「どうして普段は出てきてくれないんですか? 一緒に食卓を囲みましょうよ」
「断る」
「えー」
 即座に却下されてしまった。そんなに嫌なのか。

「俺は表に出るべきじゃない存在なんだよ」
 鬼さんは目を伏せ、抑揚のない声で言い放つ。
 その所作からは感情が読みとれない。不意に壁を作られたような気がした。

「あぁ、俺が珀弥に似てるって言ったよな?」
「は、はい」
「……それ、本人には言うなよ。あいつは俺のことが大嫌いだから」
 彼は目蓋を閉じ、自嘲気味に言う。
 何となくだが、私には彼も自分のことを嫌っているように思えた。

「仲直りはしないんですか?」
「……出来ない。『珀弥』が俺を許すことは無い」
「えっ」
 彼は断言した。珀弥君との仲を修復するのは不可能だと。

 珀弥君はどれだけ鬼さんを嫌っているのだろう。
 彼らの過去に何があったのかを尋ねてみたかったが、その好奇心をなんとか押し留めた。

「それは、残念です」
 だが、不仲の訳を尋ねるよりも更に無神経なことを口にしようとしている。

「残念?」
「はい。家族は仲良くして欲しいって思うから……」
 私の言葉に、鬼さんはピクリと眉をしかめた。
 やっぱり怒らせちゃったかな。と思いきや、キョトンとした顔で尋ねてくる。

「家族? 俺とあいつがか?」
「もちろん。それに、私も、狐珱君も、天ちゃんも、コマちゃんも、たまに見かける何者かも、神社に住んでるみんなが家族ですよ」

 血で繋がった家族では無いけれど、私にとってはこの家の住人みんなが家族。
 だから、鬼さんも家族の一人なんだ。

「身勝手な話ですけど、私は『仲良しな家族』っていうのに憧れているんです。たとえ喧嘩をしても、すぐに仲直りして笑いあえるような、そんな家族に」

「……だから『家族』の珀弥と俺には仲直りして欲しいと?」
 彼は意味がわからないと顔を引きつらせた。

「そうです」
「簡単に言いやがって」
 ぶっきらぼうな口調であるが、表情は少し柔らかいものとなっていた。
 多分、私の言いたいことが通じたのだろう。

「お前の頭はお花畑だな」
 その優しい声には、親しみが込められているように感じた。だが、聞き捨てならない言葉なのは確かだ。

「な、何をぅ!? 馬鹿って言いたいんですか! 馬鹿って言った方が馬鹿なんですよ!」
「馬鹿馬鹿うるせぇな、インコかお前」

「あなたが始めたんでしょ!?」
 私は頬を膨らませたが、彼の大きな手に挟まれ、プシューと空気が口から漏れた。

白鬼びゃっき
「ふぇ?」
 なんだ藪からスティックに。

「俺の名前というか通称というか……」
 視線を泳がせ、言葉がゴニョゴニョと尻すぼみになる。後半が気になるが、どうやら彼の名前は白鬼というらしい。

「ふぁっふぃふん」
「ん?」
 彼が手を離してくれたので、もう一度聞いてみる。

「白鬼君って呼んで良いですか?」
「……構わない。ついでに、敬語もいらない」
「わかった! よろしくね、白鬼君!」
 ようやく、彼が心を許してくれたような。そんな気がした。

「う、嬉しそうだな……」
「うん! 何でだろうね!」

「自分でもわからないのかよ」
 白鬼君は呆れたように苦笑いをした。
 その姿は、鬼というにはあまりにも穏やかだった。
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