白鬼

藤田 秋

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第零章 千年目の彼岸桜 後編

0-35 嫌われ者の英雄

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 鳩尾に突き刺さるのは、鋭い爪を先端とした白い腕。その腕には湧き出る血が伝い、白が赤に染まる。

「ぐ、は……っ」
 串刺しにされた珀蓮は口から血を吐き、だらりと腕を降ろした。

「今度は良い線行ってたよ。ただ、まだ詰めが甘かったね」
 宝月は愉しげに腕をねじ込む。
 腕を捻る度に珀蓮の呻き声が上がり、それがまた愉快なのだ。

 光の五芒星で宝月の動きを止め、攻撃に差し掛かるまでは良かった。
 だが、珀蓮の拳は寸前のところで受け止められ、その代わりに宝月の槍のような腕を鳩尾に打ち込まれてしまったのだ。

 宝月が腕を降ろすと、それに合わせて珀蓮もズルズルと滑り落ちていく。もう、身体に力が入っていない。

 また、駄目だった。本物の鬼となっても、やはり適わなかった。
 そんな絶望的な状況は珀蓮を蝕む。

「……なんてね」
 意識を失ったかと思われた珀蓮は、宝月の腕を掴んで口元に笑みを浮かべた。

「っ!?」
「捕まえた……!」 
 次の瞬間、宝月の腕は肩から根こそぎもぎ取られていた。

 彼は片腕を奪われた拍子に体勢を崩してしまう。珀蓮は畳み掛けるように宝月の肩を掴み、彼を地面に叩き付けた。

「っ……やるじゃないか」
「お褒めに預かり光栄です」
 珀蓮は自身に突き刺さった鬼の腕を無理矢理引き抜き、無造作に投げ捨てた。

 傷口の蓋となっていた腕が無くなり、より多くの血が流れ出たが、それを覆うように身体が再生し始める。

「勝負ありです」
 珀蓮は息を切らしながら宝月に自分の勝利を宣告した。

「おや、アタシはまだ死んでないがねぇ」
 宝月はまだ余裕なのか、くっくっと笑う。

「今の私相手に、腕一本では厳しいものがあるでしょう?」
「ふっ、違ぇねぇ」
 もぎ取られた腕の断面はもう塞がってしまっている。傷口に取れた腕を接合する事も適わない。

 消耗しているとはいえ、五体満足の鬼に、欠けた身体の鬼が勝てる可能性は低いだろう。
 改めて勝利を確信し、珀蓮は口を開く。

「教えてください。貴方は何故、私を鬼にしたのですか?」
 長年の疑問。自分は何故鬼にされてしまったのか、それを全ての元凶にぶつける。

「大それた理由じゃなかったら、あんたは怒るかい?」
「……場合によります」
「くっ、はは! 狡いねぇ!」
 宝月はひとしきり笑うと、珀蓮に挑むような視線を送った。そして、残っている方の手で彼を指さす。

「あんたを特別に選んだわけじゃないよ。ただの、気まぐれさ」
 頭を鈍器で殴られたような、そんな衝撃。
 あまりにも理不尽な返答に、珀蓮は呆然となる。

 ただの『気まぐれ』で全てが壊された。その事実が珀蓮に突き刺さり、目の前が真っ暗になる。

 湧き上がるのは怒りか悲しみか、はたまた悔しさか。例えようのない感情が彼の中に渦巻いた。

「……そうですか。もう結構です」
 珀蓮は何もかもに失望したような暗い目で宝月を見下ろし、封印の呪文の詠唱を始める。

 自分が苦しんだことに意味は無かった。
 この妖怪を封印したとしても、自分が化け物になってしまった事実は取り消せない上、何の解決にもならない。
 単に、虚しいだけ。

 宝月の周りに複数の光の玉が浮かび上がり、それら一つ一つが線を結ぶように光線を放つ。
 彼は抵抗もせず、呑気に自分を囲む光線を眺めた。

 もう、押さえつける必要はないだろう。
 それどころか、彼の近くに居ては自分も封印されてしまう、と珀蓮は立ち上がろうとした。

 しかし、宝月は珀蓮の腕を掴んでそれを引き止める。

「往生際の悪いことですね」
 普段の優しさの一欠片もない、珀蓮の冷たい視線が宝月を射抜いた。

「あぁ、このまま逝くと具合が悪いのさ」
 その瞬間、珀蓮の腕が強く引っ張られ、生暖かいものが飛び散った。
 返り血が顔に付着し、流れ落ちる。

「何故……?」
 彼には理解出来なかった。宝月が珀蓮の腕を使って、自らの心臓を突き刺したことに。

 封印対象を失ってしまった術式は、ボロボロと崩れ落ちるように消えてしまった。

 宝月は最期まで笑みを浮かべていた。
 全てが遊びで、自分の命すら軽んじているように見える。

 珀蓮は事切れた妖怪から腕を引き抜いた。
 命を奪った感触が、確かに残っている。べっとりと付着している血や肉片をまじまじと見た。

 この手で、殺した。この手で、この手で。

「は、は、はははは……」
 あぁ、虚しい虚しい。
 また、殺してしまった。もう殺さないと決めたのに、殺してしまった。

 殺してしまった。殺してしまった。殺してしまった。

「あはははははは!!」
 悔しいのに、虚しいのに、腹の底から笑いが飛び出る。もう止まらない。
 このような無意味な勝利があってたまるか。

「あああああ!!」
 この感情をどこにぶつけて良いのかがわからなくて、地面を殴りつける。地はひび割れ、珀蓮を中心に大きな穴が出現した。

 ふと気付けば、宝月の死体が消えている。
 勿論、地面を殴った衝撃で飛んだわけでもなく、忽然と消えてしまったのだ。

 だが、珀蓮にはそれさえどうでも良く感じてしまった。

「珀蓮」
「……」
 背後から聞こえる馴染みのある声。珀蓮は返事もせず、ただ俯いた。

「珀蓮、勝ったのか?」
「……えぇ、勝ちました」
「そうか」
 主人の無感情な声音に目の色を変えたが、狐珱はあくまでも平静を保って返事をした。

「先……生?」
 控え目に聞こえてくるのは、教え子の声。
 彼女の声は恐怖に震えており、振り向けば逃げ出すのではないかと思ってしまうほどだ。

「小百合さん、ご無事だったのですね。良かった」
 機械的に返すそれは、いつもの彼のものではない。小百合には珀蓮と同じ声をした別の誰かに見えた。

 いや、そうに違いない。珀蓮は真っ黒い髪をしていて、穏やかで、優しくて、こんな荒んだ白髪の男ではないのだ。

「本当に先生なの……?」
「寂しいですね、私のことを忘れてしまわれましたか」
 珀蓮は小さく笑い、小百合に顔を見せた。

「ひっ……」
 小百合は狐珱の着物を掴み、彼の後ろに隠れてしまう。

 深い闇を映し出す獣の目に、禍々しく生える一対の黒い角、血だらけの身体や顔。
 表情の抜け落ちた彼は、狐珱でさえも誰だか判別し難くなっていた。

 最早人間ではない。化け物、鬼。

「おや、そんなに酷い顔をしていましたか」
 珀蓮は小百合の恐怖心を和らげる為か、穏やかな笑みを見せる。しかし、それすら恐怖心を煽る不気味なものであった。

「お主、何があった」
 見かねた狐珱は珀蓮に問い掛ける。しかし、彼は不気味に笑ったまま首を振るだけ。

「別に何も」
「そのような訳が無かろう。今のお主は異常じゃぞ」
 今度は怒気を込めた口調で迫る。今の珀蓮は明らかにおかしくなっていた。

「……もう良いでしょう。それより、小百合さんを家に返しま——」
 此処で、珀蓮は自分に起こっている異変に気付いた。
 目を見開き、自分の手や髪を探るように見る。

「……はは、そうですか」
 何度絶望すれば良いのだろうか。
 珀蓮は人間の姿に戻れなくなっていた。

「珀蓮、お主……」
「さて帰りましょうか。左兵衛さんが心配してらっしゃる筈ですよ」
 今度はひたすらに笑顔を浮かべていた。
 主人は情緒不安定に陥っている、そう判断した狐珱は顔をしかめた。

「小百合さん、怖がらせて申し訳ありません」
「あ、の……うん……」
 小百合は顔を引き吊らせて頷く。恐怖心で彼に逆らえないような気がしたからだ。

 狐珱がこの白髪の男を珀蓮と呼んでいる。ならば、彼は珀蓮本人に違いないのだ。昔から慕っている、兄のような存在なのだ。

 珀蓮は怯える小百合に構わず足を進める。そんな彼を見て、狐珱は慌てて呼び止めた。

「おい、珀蓮! 今は身を隠した方が……」
「構いません」
 ピシャリと狐珱の申し出を突っぱねる珀蓮。その声音からは、『心底どうでもいい』という気持ちが滲み出ていた。

 暫く進めば、妖怪に破壊されていない地点まで辿り着く。
 そこには、様子を見に来ていた里の者が数人確認できる。彼らは総じて珀蓮の姿に驚いていた。

 あれは鬼だ、化け物が此方まで侵攻してきた。殺されてしまう。
 里の者は一斉に駆け出す。珀蓮はそれを詰まらなそうに眺めながら、歩みを進めた。

 段々と増えてくる人間たち。だが、珀蓮を見てすぐに逃げる。鬼が来た、鬼が来たと悲鳴を上げながら。
 中には九尾の狐の後ろに隠れている女性に気づく者もいた。

 鬼は進む。いつもの家へ。

***

 黎藤家に着いたのは、影が一番長く伸びる頃であった。

「さ、小百合……」
 左兵衛は化け物に率いられている娘を見て呆然としていた。彼女は蒼い顔をしており、とても穏やかな状況には見えない。

「お父さん」
 小百合は珀蓮から顔を背けつつ、父の前まで出る。

「悪い妖怪から、助けてくれたの。彼らは悪くないの」
「何を言っている!? こいつらも妖怪だぞ! 化け物め!!」
 左兵衛は小百合を抱き込んで珀蓮を睨みつける。軽蔑の籠もった目を向けられ、珀蓮は笑いを零した。

「……それが普通の反応ですよ、左兵衛さん」
 それは、聞き慣れた穏やかな声。

 左兵衛は気付いてしまった。この化け物が、自分の気に入っている好青年だということに。
 しかし、出してしまった言葉は取り消せない。

「あ、あの……」
「さようなら」
 口をぱくぱくと動かす左兵衛を尻目に、珀蓮はまた歩み出す。

 この時だけは、淋しそうな目をしていた。
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