白鬼

藤田 秋

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第零章 千年目の彼岸桜 後編

0-30 嫌な予感

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「女の事となると間抜けになるのう」

 小百合が去った部屋の中に、愉快そうな声が聞こえた。その声の主は、もちろん狐珱だ。
 彼は虚空からぽんっと軽い音を立てて現れる。

 珀蓮は溜め息をつき、気怠げに口を開いた。

「見ていたのですか。どこに行ったのかと思えば……」
「あのようなは滅多に無いからのう」
「全く……」
 呆れて物も言えない。珀蓮は怒る気にもなれず、横たわったまま天井を見上げた。

「それと、そこら辺の物をさな変化へんげさせようと思うが、いるか?」
「何のために?」
「可哀相なゴシュジンサマを慰める為じゃが」
 狐珱はわざとらしい口調で珀蓮を煽る。
 彼の真意に気付いた珀蓮は、表情をフッと消した。

「そろそろ怒りますよ」
「おお、怖い怖い」
 珀蓮の目は本気だ。狐珱はそれすらも面白そうに笑うと、また何処かへと姿を消してしまった。
 これ以上、悪趣味な相棒に怒る気力も湧かず、息をつく。

「真様……」
 腕が動くことに気付き、手を天井に翳した。

 小百合の告白で想いを再認識させられた上、狐珱に煽られてしまった為、かつての主人に会いたいという衝動に駆られる。

 欲求が高まり、それが反映されたのか、珀蓮の指先に乗る爪が鋭く尖ってしまった。
 まさかと思い、自分の髪を見てみると、やはり色が抜け落ちて白くなっていた。

「呆れますね……」
 欲望が強くなるほど、自分は人間から遠のいてしまう。それもわかりやすく。

 珀蓮は拳を強く握り締め、畳に叩きつけようとしたが、寸前のところでこらえた。
 何かに当たっても仕方がない。無駄な破壊は止めよう。
 彼は腕で目を覆い、歯を食いしばった。

 途端、不快な耳鳴りが珀蓮を貫く。

『へぇ、いい感じに育ってるね』
 また、どこからか声が聞こえてきた。
 これは狐珱ではない。若く、軽い男性の声だ。そして、珀蓮には聞き覚えのない声音だった。

「どなたですか?」
 珀蓮は重い身体を咄嗟に起こし、辺りに視線を巡らせる。

『さぁ、誰でしょう?』
「……」
『警戒してるね? 俺が誰なのか、勝手に喋らせる為に黙ってるんだ? 判るよ。あんたの考えてること、全部』

「なっ……!?」
 男の言っていることは当たっていた。
 珀蓮は軽薄そうな男なら、黙っていれば一方的に何かを話すだろうと踏んでいたのだ。

『まぁまぁ、そう気を張らないでよ。別に俺はあんたを殺したいとか思ってる訳じゃないし? ただ、観察に来ただけだから』
「……観察?」
 珀蓮は眉を顰め、言葉を返す。

『楽しいことが起こるかどうかの下調べさ。まぁ、今後どうなるか、この俺でも見当がつかないや』
「意味がわかりません」
 答えになっていない答えに、珀蓮は少し苛立ちを覚えた。この男、何を考えているのかまるでわからない。

『わからなくてもいいんじゃない? いずれ、わかるんだから』
「何を——」
 と言いかけたところで、また耳鳴りが起こる。男はけらけらと笑い、こう言い残した。

『作られた鬼は、本物の鬼と何処まで渡り合えるか……見物だね』
 耳鳴りが終わると同時に、男の声も聞こえなくなってしまった。

 今のは一体何だったのか。
 恐らく、人間ではなく妖怪の類であろう。
 彼は珀蓮の思考を読み取っていた。もしや、さとりなのではないか。

 覚は人の心を読む妖怪であり、よく人の台詞を先取りしてからかうことがある。覚であれば、先程の件も辻褄が合うだろう。

「それにしても、何故……」
 知っていたのだろうか。珀蓮が『作られた鬼』だということを。覚妖怪は記憶まで覗いてしまうというのか。

 不可解な点が多いが、一つだけわかることがある。それは、近い内に何か悪いことが起こるということだ。

 珀蓮は鬼と化した自分の手を見つめる。筋張っており、爪が分厚く鋭い。この手だけでも人を殺せる凶器と成り得るだろう。

 彼はこれと似た物に鳩尾を貫かれた。避ける隙も無く、無慈悲に深々とおのが身に刺さる腕に死を覚悟したのを覚えている。

 しかし、彼は生き残った。それは、妖怪としての力を与えられ、人間離れした生命力を手に入れてしまったからだ。

 珀蓮を蝕む忌々しい力を与えた張本人は、死にかけている彼に止めも刺さず、愉しげに口元を歪めながら去っていった。

 わざわざ殺さなかったのは、何か魂胆があったのだろう。

「……本物の鬼」
 珀蓮は胸の辺りを握り締めた。

 鋭い爪は徐々に元の形に戻り、髪にも色が着く。獣のような琥珀色の瞳は、思慮深い翡翠色の瞳へと戻っていった。

 その目に映るのは、憎しみでも嫌悪でもなく、一つの決意であった。

***

 翌朝、珀蓮は起き上がって支度を済ませると、居間の方へ向かった。
 居間では既に小百合が朝餉の準備をしており、箸を並べている途中に珀蓮と目が合う。

「おはよう先生」
「おはようございます、小百合さん」
 いつも通りの雰囲気で、気まずさなどは微塵も感じさせない。

 小百合はいつも通り明るく、珀蓮は自然体で挨拶したからだ。彼は『手伝います』と申し出て、料理を運び始めた。

「ねぇ、先生。ちょっとお買い物があるんだけど、付き合って貰って良い?」
「ええ、構いませんよ」

 笑顔で両手を合わせる小百合に、珀蓮は快く承諾した。彼女の買い物に付き合うのは、特に珍しいことでもない。

 小百合は『やった』と軽く跳ねると、機嫌良く朝餉の支度を再開した。

***

 小百合と珀蓮は、里の中の商店が連なる場所へと出向いていた。

「えーっと、お豆腐と、お醤油と……あ、お魚も安いね!」
 彼女は買うものを口に出し、きょろきょろとしながら店を回る。珀蓮はその横で、荷物持ちを担当していた。

 暫く店を回っていると、小百合はある物に目を奪われた。

「あーっ! 綺麗!」
 それは白い百合の模様があしらわれた、べっ甲のかんざしだ。
 桜や梅などの小ぶりな花の模様が多い中、百合の模様とは珍しい。

 小百合はうっとりとした表情で、簪を見つめていた。

「おや、本当ですね。小百合さんにぴったりです」
「そ、そうかな?」
 簪と小百合を見比べ、素直に誉める珀蓮に、彼女は頬を染める。

「はい、とても。ところで、小百合さんはいつ頃お生まれになったのですか?」
「水無月だけど……」
 突然話を変える珀蓮に疑問を抱きつつ、小百合は誕生月を答える。

 珀蓮は『そうですか』と微笑むと、店員に百合の簪を手渡した。『あぁ、買うんだ』と眺めていた小百合は、はっと気付いて珀蓮を二度見する。

「何してるの先生!?」
 何故購入しているのかと、普通に会計を済ませている珀蓮の裾に掴み掛かった。

「え? あぁ。少しばかり早いですが、小百合さんにお誕生日の贈り物を」
「早すぎるって! それに、高そうだし……」
 見るからに高価そうな簪だ。人に高い買い物をさせるのは、正直気が引ける。

「小百合さんにはいつもお世話になっておりますから、このくらい構いませんよ」
「理由になってないから!」

 そうこうしているうちに、小百合の手には簪が握られていた。
 いつの間にと目を見開くが、珀蓮はクスクスと笑うだけ。

「いつもありがとうございます」
 礼儀正しく頭を下げる珀蓮。その所作の一つ一つが美しく、絵になってしまう。
 それだけでも、道行く女性たちの視線を独り占めにしていた。

「い、いえいえ、こちらこそ……」
 いきなり、どうしたのだろうか。
 昨日の事もあり、少し意識してしまったが、彼の心が動いたとは思えない。

 小百合は妙な胸騒ぎと共に、簪を握り締めた。
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