白鬼

藤田 秋

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第零章 千年目の彼岸桜 後編

0-27 人攫い

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 儂は、お主などの為に怒らぬ。

* * * * * * * *

 とある暗闇の中、女性の上擦った嬌声が聞こえる。
 近くを誰かが通れば、節操のない男女が逢い引きしているのだろうと考えるだろう。

 だが、実際はそのような甘いものではなかった。

 齢は十七、十六辺りの女性に覆い被さり、彼女を弄るのは長い白髪の男性。彼は女性と大して歳は変わらないように見える。

 彼は女性の首筋に唇を落とし、更なる嬌声を産む。

 気分が乗ってきたのか、白髪の男性はニヤリと口角を上げ、首筋にそのまま
 愛撫の一種ではない。彼は本当に女性の首筋を噛み千切ったのだ。

 当然、けたたましい悲鳴が上がり、不快な臭いと共に赤い血潮が噴き出る。
 男性は痛みに身悶える女性の身体を押さえつけ、その血肉に鋭い牙を突き立てた。

 耳を塞ぎたくなるような生々しい音が闇に響き、暫くすると悲鳴が聞こえなくなった。

「あーらら、可哀想に」
 残酷な現場には不釣り合いの脳天気な声。
 白髪の男は口に付いた血を手の甲で乱暴に拭き取り、声のした方向に振り返った。

「覗いてたのかい? 悪趣味だねぇ」
 白髪の男は腕を天に突き上げ、伸びをする。
 食事を邪魔されて眉間にしわを作っているが、さほど怒っているようには見えない。

「俺らの種族は悪趣味だよ。なーんでも覗いちゃうからね」
「はいはい、これだからさとりサマは怖いねぇ」
 白髪の男は立ち上がり、覚と呼んだ男に近づいた。

「で、何の用だい?」
 覗きが目的でないことなど、既にお見通しだとばかりに老獪な笑みを浮かべる。覚もまた、顔に笑みを貼り付けた。

「そろそろ、頃合いなんじゃないか? 作った鬼の完成が」

* * * * * * * *

 珀蓮はまだ蕾のままの桜を見上げ、開花の時を楽しみにしていた。

 この桜の開花を見るのは今年で何回目だろうか。彼の歳は既に二十を越えていた。

 この里に来て数年、珀蓮の門下生は徐々に増え、彼の温厚で真面目な性格も手伝ってか里の人々からの人望も集まっていた。

 時たま結婚の話も舞い込んでは来たが、珀蓮は全て断った。彼の心には、ただ一人しか居ないからだ。
 報われることは無いが、それでも忘れないのは彼なりの信念があるのだろう。

 珀蓮は桜に寄りかかり、息をついた。

「せーんせいっ! お昼持ってきたよ!」
 風呂敷包みを抱えて走ってきたのは小百合。彼女も成長し、今は十七歳の立派な大人の女性だ。

 彼女はずっと珀蓮を慕っており、こうして手作りの料理を彼に届けたりしている。

「ありがとうございます。いつもすみません」
 珀蓮は風呂敷を受け取りつつ、頭を下げた。

「良いって、好きでやってることだし? それより、たまにはうちに食べに来なよ!」
「えぇ、またの機会にでも」
「約束だからね?」
 小百合は背伸びをして珀蓮の顔に自分の顔をずいっと近付け、念を押す。珀蓮は微笑みながらもう一度頷いた。

「そういえばさ、先生は知ってる?」
 小百合は珀蓮から離れ、ころりと話を変えてしまう。

「何をですか?」
 珀蓮はキョトンとしながら答えを促した。
 突然話を変えてしまったことについては、特に言及するつもりはないらしい。

「人攫いの話だよ。最近、騒ぎになってるでしょ?」
「あぁ、物騒ですよね」
 珀蓮は合点が行ったように、ポンと手を叩いた。

 最近、巷を騒がせているのは若い娘を狙った人攫いだ。
 夜中出歩いていればもちろんのこと、家の中に居ても攫われるのだそうだ。家に侵入した痕跡も一切残さず、何の手がかりもない。

 人々の中には『神隠しだ』と言う者も居た。
 この近辺では、既に三人もの娘が行方知れずになっており、未だ帰る気配を見せていない。

「非常に残念なことです」
 珀蓮は静かに語り、遠い目で空を見上げる。

「攫われた子たちは戻ってくるかな?」
 小百合は不安げな目で問う。
 行方不明の娘たちとは面識は無いが、歳は近いため、親近感と共に同情を抱く。

「……さぁ、どうでしょうか」
「そう……」
 はっきりしない珀蓮の返答に、小百合は落胆する。彼が曖昧な返事をするときは、大抵悪い答えなのだ。

 肩を落とす小百合を見て、珀蓮は優しく笑った。

「彼女たちが無事であって欲しい、戻ってきて欲しいと祈るのは大切なことですよ」
「……うん!」
 自分の想いは無駄ではない。小百合は娘たちの無事を祈ることに決めた。

 奮い立つ小百合を、珀蓮は複雑そうな眼差しで見つめていたが、それを誤魔化すように口を開いた。

「小百合さんも、夜は気をつけてくださいね? 可愛らしいですから、ひょいと持っていかれてしまうかもしれません」
「もーっ、先生ったら!」

 小百合は頬を膨らめたが、その顔はほんのりと紅潮していた。
 彼女は珀蓮に背を向けて小走りに距離を取ると、くるりと振り返った。

「この天然たらしー!」
「はい!?」

「あ、容器は取りにくるからねー!」
「かたじけのうございます」
 小百合は手を振り、そのまま丘を降りていったのだった。

「……天然たらし?」
 珀蓮は『うむ』と唸るが、いまいち思い当たりが無い。
 そういえば、昔もこういう類のことがあった気がしたが、あの時も原因はよくわからなかった。

 彼は相変わらず鈍感である。

「お主は駄目じゃのう、珀蓮」
 どこからか聞き覚えのある声が聞こえた。
 いつものことなので、珀蓮は動じずに風呂敷を開けて中の容器を開ける。

「おや、油揚げの煮付けが入っておりますよ」
「何じゃと!?」
 ぽん、と音を立てて虚空から一人の青年が現れた。背は珀蓮より高いが、それは頭に付いている狐の耳のお陰だろう。

 ふさふさの九本の尻尾を携える彼は、古の大妖怪・九尾狐である狐珱だ。彼は変化や幻術が得意で、よく人を化かしている。

 そして今、狐珱は『油揚げ』という単語に食いつき、目隠しの幻術を簡単に解いてしまったのだ。

「よかったですね、小百合さんが気遣ってくださったようです。それよりも、何が駄目なのですか?」
「お主は鈍い、女心を判っておらんと申しておる」

 狐珱が油揚げに手を伸ばし掛けたところで、珀蓮はそっと蓋を閉めた。
 それに対して狐珱は目の下を一瞬ピクリと動かす。

「私は男ですので、至らぬ部分もございます」
 珀蓮も多少は自覚があるのか、ツンとした様子で頷いた。手元では風呂敷包みを素早く結び直している。

「それを踏まえても駄目駄目じゃのう、昔から。これじゃあ、もてないぞ?」
 狐珱はひっひと笑いながら珀蓮の反応を伺った。相も変わらず、主人をからかうことが趣味らしい。

 もてない、と言いながらも珀蓮は黙っていても女に言い寄られる事が多数あり、本当は入れ食い状態である。

「別に構いませんよ。独り身で生きてゆくつもりですので」
「詰まらん奴じゃ」
 あっさりと流された狐珱は目を細め、腕を組む。

「まぁ、こんなおじさんを本気で好んでくださる希有な方もいらっしゃらないでしょう」
「本当にお主は駄目じゃの」
 狐珱は頬を赤らめた小百合の事を思い出し、呆れ顔で首を振った。

 珀蓮は自分を『おじさん』と呼称しているが、見た目はまだまだ若く、十代後半の頃と大差が無い。
 元々の落ち着いた雰囲気で、見た目と実年齢の差を補完していた。

「ところで珀蓮よ。先程の小百合の話じゃが、何か知っておるのか?」
 最初から近くにいて話を聞いていたのだろう。狐珱は珀蓮に問いかけた。

「いいえ、何も」
「そうか。お主は娘たちが戻って来ないことを知っているような様子じゃったからの」

「ああ、それは単に人攫いなら、身売りされて一生戻っては来ませんし、もし人攫いなら——」
 珀蓮は痛ましい事物を思い出すかのように、顔を歪めながら目蓋を閉じた。

「餌にされて、今は骨しか残っていないでしょうから」
「ほう、なるほどのう。しかし、お主も悪い大人じゃの。娘に嘘を吹き込むとは」
 狐珱は納得したよう耳を立てると、口笛を吹いた。

「いいえ、死者に優しい祈りを届けることは大切なことですよ」
 珀蓮はそれだけ言うと、小屋の方へと脚を進めた。

「子供たちが来てしまいますから、早くお昼にしましょうか」
「の、油揚げじゃの!」
 狐珱は一尾の仔狐の姿に変化し、珀蓮の後を追いかけた。
 彼曰く、身体が小さい方が体感的に油揚げを多く食べられるとのことだ。



「こうして、菅原道真は藤原時平の陰謀により大宰府へと左遷されてしまいました。彼の死後は様々な人が急死し、天災が起こり、道真の祟りだと恐れられたのです」

 珀蓮は生徒の要望に応え、今日は歴史の授業を執り行っていた。
 今は学問の神様として有名な菅原道真のところを解説している。

 そんな中、李吉がスッと手を挙げた。彼は初期から珀蓮の授業を受けていた子供の一人だ。今は十歳くらいに成長している。

「はい、何でしょう?」
「菅原道真って今は神様なんでしょ? どうして人間なのに神様になれたの?」
「確かに、普通の人間は神にはなれませんね」
 珀蓮はにこりと笑い、解説を始めた。

「道真の祟りの所まで話しましたね。祟りを恐れた朝廷は、怒りを鎮める為に道真を祀りました。それが天満天神です」

「へぇ、道真公は怨みの力で神様になったんだね」
 李吉は小さく頷きつつ、頭の後ろに手を組んだ。

「うーん、まぁ、そうですねぇ」
 珀蓮は苦笑いしつつ、頬を指先で掻く。

「んじゃ、おいらも死んだら化けて出て神様になろうかな!」
「それはいけませんよ」
 李吉の言葉に、教室からは笑いが生まれた。珀蓮も軽く窘めつつ、釣られて笑う。

 和やかで穏やかな日々。何もかもが平穏で、珀蓮はすっかり忘れていた。
 自分が異形の者であるということに。
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