白鬼

藤田 秋

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第零章 千年目の彼岸桜 前編

0-6 目覚める悪

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* * * * * * * *

 屋敷の正門の外は多くの人々が出歩いており、店や家が連なっていた。

 珀蓮は慣れない人混みに戸惑いつつ、一つに結った髪を揺らしながら道を歩む。
 地図上の道を指で辿り、慎重に進んだ。

 空は雲一つ無い晴天で、小さな雀達がさえずりながら群れを成して飛んでいる。心地よい陽が当たるが、珀蓮は少し気だるさを覚えた。

 繁華街を抜け、寂しい道に入る。真と共に山へ繰り出した時より、大分遠回りだ。だが、道の無い竹藪を通るよりは負担が少ない。



 田んぼ道を抜け、漸く進むと山の麓まで来た。反対側に竹藪が小さく見え、屋敷から随分遠い所まで来たのだと実感する。

「祠があるのはこちら側ですか……」
 近くには川が流れている。浅瀬の綺麗な水は、川の底の小石も映していた。

 しかし、その長閑のどかさと相反する禍々しい殺気を感じ、鳥肌が立つ。
 珀蓮は気を引き締め、山へと入った。

 空気がピリピリしている。山の中の澄んでいた筈の空気も、淀んでいた。ますます怪しい。

 この一連の狐憑き騒動の手掛かりにはなりそうだ。

「あっ」
 暫く進んでいると、珀蓮の前に人が歩いているのが見えた。

 その歩き方は普通ではない。背中を丸め、腕をだらりと垂らし、ふらふらと右と左を行ったり来たり。いつ倒れてもおかしくはない。
 格好からして、若い女だろうか。

「あ、あのっ、大丈夫ですか?」
 珀蓮は緊張しながら、女に声を掛けた。
 今は真以外の人間にも慣れてきたが、それは屋敷の中の話。外の人間には萎縮してしまうのだ。

 女は何も反応を見せず、不安定に歩き続けた。

「あのぅ……!」
 珀蓮は無視されたことに傷付いたが、めげずに声を掛ける。女のただならぬ様子を見て、放っておけなかったからだ。

 彼は足を止めない女の前に、早足で回り込んだ。すると、そのおぞましい形相に、短く悲鳴を上げそうになる。

「っ!」
 女は白目を剥き、口を半開きにして涎を垂らしていた。彼女は正気を失い、ひたすら進もうとしている。

「狐憑き……!」 
 狐憑きが山の中に居て、そして恐らく珀蓮と同じ場所へ向かっている。

「間違いないようですね」
 珀蓮は右手の人差し指と中指を立てた。口が素早く開閉し、呪文を詠唱する。

 彼の周りには風が集まり、髪を激しく巻き上げた。
 狐憑きの女は苦しそうに呻き、頭を抱える。彼女の背中からは蒼白い靄が、ぼんやりと浮かび上がった。

「その方から出て行ってください」
 珀蓮の手が空気を横一文字に切り裂くと、それと連動するように靄も女から切り離された。

 女は地面に倒れ、靄は狐のような姿を取る。

「話をお聞かせ願います」
 珀蓮は立てた人差し指と中指を折り、拳を固く握った。すると、狐は凍り付いたように動きを止める。

 狐は空中に浮かびながら、自分を見えざる力で拘束する少年を睨み付けた。

「あなたは九尾狐の怨みの心ですか?」

 狐憑きが九尾の妖狐に関わりがあるという事がわかった。
 ならば、どうして関係があるのか。

 狐憑きは呪術の一種だ。それも、悪意がある。悪意が無ければ、流行り病のように次々と人が掛かることはない。
 九尾は悪意——怨みを抱いているのではないか。珀蓮はそう考えたのだ。

「グルルルル……!」
 狐が唸る。山の奥から嫌な気が伝わってきた。気を抜けばこの身を潰されてしまうのではないか、と錯覚してしまう程、重い。

「これは……ご本人にお聞きした方が早そうですね」
 珀蓮は道の先を見据え、声を低くした。あの先には、強大な何かがいる。

「お時間を取らせてしまいましたね、還りましょう」
 狐に向き直ってにこりと笑うと、右の拳を左の手の平に打ち付けた。すると、狐は弾けるように消え失せてしまう。

 本来なら大人の陰陽師でさえ手間取るものを、この少年はいとも簡単に消し去ってしまった。

 神凪の家では見せたことの無い才能。彼の力は真と同格か、或いはそれ以上であった。

「失礼します」
 珀蓮は倒れた女の脇を抱えて引き摺り、近くの木に寄り掛からせた。まだ、意識は戻らないようだ。
 女の乱れた髪を整えると、すくっと立ち上がる。

「申し訳ございません……わたしの『おつかい』が終わるまで、少々お待ちください」
 彼は表情を固くすると、また山の奥へと足を進めた。



 一歩進む度、ずしりと重くなる足。
 一歩進む度、息苦しくなる胸。
 一歩進む度、威圧感に潰されてしまいそうな精神。

 震える手を抑え、珀蓮は前を向く。目線の先にある物を捉え、下唇を噛みしめた。

「あれが九尾の祠ですか……」
 巨大な杉の木の下に安置されている、小さな祠。

 それには無数の札が張り巡らされ、何かを閉じ込めるように入り口を注連縄が封鎖していた。
 祠は脈を打っており、それはまるで生き物のようだった。

 珀蓮は摺り足をしながら、禍々しい檻に慎重に近づいた。
 安易に近付いてはならぬ。己の本能が危険信号を発する。

「失礼します」
 十歩以上離れたところで止まる。
 珀蓮は足元に落ちていた葉を広い上げ、祠に投げ付けた。葉は白い光を帯び、祠に一直線に向かう。

 たが、破裂音が鳴り響き、葉は木っ端微塵となった。

『……誰じゃ、随分とごあいさつじゃのう』
 祠の中から、機嫌の悪そうな低い声が響いてきた。珀蓮は足を一歩退き、身構える。

「あなたが九尾の妖狐ですね?」
『いかにも。そういうお主は何者じゃ?』
 普通に返答する九尾に、珀蓮は面を食らう。

 この妖からは、何の感情も読み取ることが出来なくなった。彼が抱えるもの、思惑が掴めないのだ。

「わ、わたしは珀蓮と申します」
『ほぅ、珀蓮とな。そのような処に居らんで、近う寄れ』
 九尾は笑いながら珀連を誘う。気の良さそうな声音だ。しかし、珀蓮は警戒して一歩も動かない。

『儂が恐ろしいか、童よ?』
「……!」
 九尾の老獪ろうかいに、珀蓮は顔を強張らせる。背中に嫌な汗が伝った。

『案ずるな、今は出られぬ。それより、お主は儂のことを知りに来たのじゃろう? そのように離れていては、失礼じゃないかのう?』
 九尾は挑発するような口調で、珀連を煽る。固まっていた珀蓮は拳を握り締め、意を決したように足を動かした。

「えぇ。わたしはあなたのことを調べに参りました」
 この九尾に下手な嘘は通じない。正直に目的を述べると、妖狐は可笑しそうに笑った。

『素直じゃのう……良いことじゃ。儂の許を訪ねるのは、好奇心旺盛な正直者ばかりじゃ』
 珀蓮は祠の目の前まで近付く。

『馬鹿正直な愚か者がのぅ……』
「!?」
 九尾の様子がおかしい。珀蓮は危険を感知し、咄嗟に飛び退こうとするが、妖狐には通用しなかった。

「あっ……!」
 突然襲い掛かる金縛り。
 力を入れても、身体は動かない。金縛りは四肢の機能を完全に奪い、締め付けるように少年を蝕んだ。

『お主は霊力が強いのう。善い糧となりそうじゃ』
 珀蓮の胸から白い光が発され、祠へと消えて行く。同時に、身体から力が抜け始めた。

 苦悶の表情を見せる珀蓮と対照的に、九尾は愉快そうに嗤う。

『感謝するぞ、珀蓮とやら。漸くこの忌々しい枷から解き放たれるのじゃからのう……』

 祠に巻き付いた注連縄が突然発火し、一瞬で灰になってしまう。
 張り巡らされた札は徐々に黒くなり、はらはらと崩れるように剥がれてしまった。

「ぐっ……」
 珀蓮は祠の封印が解かれる様を、苦々しく見守っていた。

 ドン、と祠を震動させる衝撃音。一定の拍子で繰り返される衝撃音は激しさを増し、ついに——。

「久し振りじゃのう、外の世界は」

 祠を突き破り、一匹の大きな狐が姿を現した。少なくとも、大人の男よりは大きな体格だ。黄金の毛並みに、同色の瞳。裂けた尾は九本ある。

 あれが、封印された元神使——現悪狐、九尾だ。

「そんな……」
 伝説の妖怪が現代に蘇ってしまった。しかも、最後の鍵となったのは恐らく自分だ。珀蓮は自分の失態に歯噛みした。

「やはり、弱い人間から力を吸い取るよりは、お主のような人間から奪った方が効率が善いのう」
 九尾は口の端を吊り上げ、いやらしい笑みを浮かべた。

「まさか、一連の狐憑きは、人の霊力を奪う為に!?」
「そうじゃ。お主、なかなか賢いのう」
 九尾は感心しながら、珀連の頭を前足でつついた。巨体の狐に押され、小柄な少年はよろめく。

 制御を失った足では踏ん張る事も出来ず、背中から倒れこんだ。

「あぅっ!」
「悪い悪い。加減を忘れとった」
 微塵も悪いと思っていない口調。数百年ぶりの『いたずら』を愉しんでいるようだ。

「さて、これからどうしたものかの」
 九尾が思案顔になると、珀連の金縛りはスゥッと解かれた。

「……何のつもりですか?」
「戯れじゃ」
 眉を寄せる珀連に、九尾はにやりと目を細める。

「儂の術を砕く程じゃ。お主、結構腕が立つのじゃろ?」
 妖狐は少年の胸倉をくわえると、乱暴に起き上がらせた。

「儂の暇潰しに付き合え、小さな術師よ」
「何故……」
「相手をせんでも構わぬぞ。どちらにしろ、お主は儂の腹に収まる運命じゃからのう」

 その瞬間、珀連の周りに炎の玉が出現した。炎は少年に狙いを付け、襲い掛かる。
 珀蓮は腕を振り上げ、見えざる盾を展開した。

「ほう、やるではないか」
 自分の術が標的の目前で消滅したのにも関わらず、九尾は嬉しそうにくつくつと笑った。

「今、死ぬ訳には参りませんので」
 珀蓮は腹を括ったのか、真剣な面持ちで巨大な狐を見据える。

「もう一度、永い眠りに就いて頂きます」
「……ちぃとは愉しめそうじゃ」
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