白鬼

藤田 秋

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第十二章 二人の千真

12-11 河童のお医者さん

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* * * * * * * *

『少しだけ、千真様のお耳を塞ぎます。ご無礼をお許しください』
 天ちゃんが心の中で伝えてきた。
 途端に音が聞こえなくなり、私はサイレント映画を見ているような状態になる。

 狐珱君が社に座り、何かを喋ると、私の口も動いた。天ちゃんが話しているようだ。
 視線は千真さんに向き、また口が動く。彼女は理解できないという表情で何かを訴えてくるが——。

 寒ッ! 急に肌寒くなった。どうしてだろう? 千真さんの口が動き、私の口も動く。空気がもっと冷え込んだ。

 そして、私の喉が激しく震えた。千真さんは硬直し、怯えながらこちらを見ている。あの勝ち気だった彼女はどこに行ったの?

 私の口は淡々と動き、その度に千真さんの顔は青ざめていった。今にも泣きそうな顔をしている。

 この雰囲気はただ事ではない。天ちゃんが千真さんを怯えさせるような事を話しているのだろう。
 彼は普段、そんなことをする子じゃない。おっとりとしていて、優しいのに。

 天ちゃんをそうさせるような、地雷を踏み抜いてしまったのだろうか。
 どくん、どくん、と鼓動が速くなる。私の中に激情が流れてきた。これは——怒り?

 結界に亀裂が入り、外の世界がちらりと覗いた。

 千真さんは僅かに口を動かし、嫌々と首を振った。私の口はまだ動く。
 天ちゃんが止めを刺すようなことを言ったのか、千真さんは頭を抱え、泣き『叫び』ながら崩れ落ちた。
 同時に結界が消滅する。

『終わりました。不自由をさせてしまい、申し訳ございません』
 心の中に天ちゃんの声が響き、音の世界が戻ってきた。

「な、何をしたの?」
 地面に蹲りながら噎び泣く千真さんの姿は尋常ではない。

「……少々、お灸を据えさせて頂きました」
「お灸?」
「えぇ、彼女はお痛が過ぎましたので」
 天ちゃんはいつもの柔らかいトーンで話すが、それが逆に怖い。
 ぼかしたような言い方からして、詳細を話す気は無さそうだ。

「そ、そう……」
 詳しく聞くのは止そう。何だか怖い。

「おや、酷いことをするね~?」
 突然、第三者の声が聞こえた。
 和服姿の若い男だ。黒髪のショートカットで、若草色の羽織を着ている。彼は千真さんの前に現れ、にやにやと笑っていた。

「何故、あなたが……!」
 天ちゃんは驚いた様子で、私の拳をギュッと握った。あの男に見覚えがあるようだ。

「ちょっとばかし、このお嬢さんに用があってね」
 男は呆然としている千真さんを抱きかかえた。私の体は身構え、目は男を睨み付ける。天ちゃんから、強い警戒心が流れてきた。

「いやだなぁ。まだ死にたくないし、あんたと戦う気は無いよ。じゃあね……『白鬼しろおに』さん」
 男は手を振り、空気に溶けるようにふわりと消えた。本当に、あっという間の出来事だった。

「……珀弥を薬師の方のところへ連れていきましょう。狐珱、周囲への『目隠し』を頼めますか?」
 私の身体は何事も無かったかのように、狐珱君を振り返る。

「追わぬのか?」
「今は珀弥を優先します」
 狐珱君は冷静に事を進めようとする天ちゃんに、やれやれと首を振った。

「承知した。じゃが珀蓮よ。お主、鬼のような形相をしておるぞ?」
「おや、それは大変ですね」
 私は今、どんな顔をしているのだろう。天ちゃんはクスクスと笑い、私の足は珀弥君に近づいた。

「コマ、珀弥を運ぶのを手伝って頂けませんか?」
「わん!」
 コマちゃんは一吠えしてから身体を伏せ、体勢を低くした。背中に乗せろということなのだろう。

「ご協力、感謝致します」
 天ちゃんは珀弥君の背中と脚の下に腕を差し込むと、ひょいと持ち上げてしまった。
 お姫様抱っこじゃない……お姫様抱っこだ! さっきも珀弥君を抱えて跳んでたけど、私ってこんなに力持ちだったのか……。

「さぁ、参りましょう。狐珱は先導をよろしくお願いします」
「うむ」
 天ちゃんは珀弥君を横抱きにしながらコマちゃんに乗ると、狐珱君に指示をした。狐珱君が地面を蹴り、コマちゃんもそれに続く。

「コマよ、儂の速さについてこれるかの?」
「わん!」
 元気の良い返事をするコマちゃん。……え? これ、凄く速くなりそうな予感? 通り過ぎてゆく景色が、超・早送りになる。

「イヤヤヤヤヤアアアアア! 速い速い速い速いぃ!!」
 怪我人が居るのにも関わらず、耳の生えた犬科の方々は爆走し始めたのでした。



「おっふぅ……」
 目的地とやらには、一分も掛からずに着いた。超速かった。ちょっと涙出そう。

「……川?」
 薬師というのだから、どこかの診療所かと思いきや、山の麓の川辺に来ていた。
 空気が澄んでいて、水も透き通っている。きれいな場所だ。魚も棲んでいるみたい。

「おやぁ、珍しい客さんだねぇ」
 穏やかな口調のお爺さんの声が後ろから飛んできた。もしや、例の薬師さんか?

「初めまして。すみませんが、急患……が……?」
 振り向くと、そこには河童が釣竿を肩に掛けて立っていた。河童……。
 川に河童の特殊メイクしたお爺さんがいる!

「うわああああ! お巡りさーん! 変な人がいるよぅ!!」
「人じゃなくて河童なんだがねぇ」
 心の中まで河童になりきっている。プロだ。

「意識高い河童コスですね」
「いやいや河童じゃろ」

「それより、その子が大変なことになってないかい?」
 河童爺さんは気絶している珀弥君を指さした。血の気が引き、元から白い肌が更に白くなっている。

「そ、そうなんです! 毒が身体の中に……」
「そうかい。じゃあ、小屋に連れていこう」
 河童爺さんは川から離れた木陰を指さす。そこには木造の小屋があった。少しボロいが大丈夫なのか?



 小屋に珀弥君を運び込むと、部屋の隅にある布団の上に寝かせてあげた。
 中は狭く、独特な草の匂いが籠もっている。壁際の棚や床には沢山の瓶が無造作に置いてあり、その中に干した草らしきものが入っていた。匂いの原因はそれだろう。

「どれどれ、毒消しにはこれだねぇ」
 河童爺さんはヤカンを手にし、珀弥君の横に座った。薬が入っているのかな?
 特に成分分析をした様子がないが、何の毒かもわからないのに、解毒出来るのだろうか。

「お嬢さん、嫁入り前だろう? 男の裸は余り見るもんじゃないよ」
 珀弥君の制服のボタンに手を掛けると、私を気遣うようにそう言ってくれた。

「あ、最近一緒にお風呂入ったり服剥いだので大丈夫ですよ」
「大丈夫じゃないだろう。何してんだあんたら」
 河童爺さんは珀弥君のシャツを開いた。
 意外と精悍な身体に、大きいものから小さいものまで、沢山の切り傷があった。

「ようやられたねぇ。毒を直接臓器に叩き込まれたみたいだなぁ」
 爺さんはヤカンを逆さにし、中身を珀弥君にぶちまけた。緑掛かった半透明の液体が、彼の顔から脚まで濡らす。

「な、何してるんですか! 飲ますんじゃないんですか!?」
 珀弥君はちょっと嫌そうな顔をしている。可哀想だ。

「河童の妙薬はねぇ、飲んでも塗っても良いんだよ。消毒、解毒、切り傷、火傷も何でもござれだ」
「凄い!」
 河童爺さん、妙な薬を持っているみたい。河童の妙薬だけに。

「嬢さんもどうだい? 疲労にも効くよ?」
「そんな、私は良い——」
 途端に身体の力が抜け、目の前が真っ暗になった。
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