白鬼

藤田 秋

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第七章 先生! バナナはおやつに入りますか!?

7-6 なげやりなあなたとの月見

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* * * * * * * *

 私は無音の世界で、ただ叫んでいた。
 叫んではいるけれど、自分の声さえ聞こえない。

 真っ赤に染まった両手は、ゆっくりと鼓動する何かを必死に押さえていた。しかし、その努力も虚しく、とめどなく赤いものが溢れ出ている。

 ふと、頬を触れられた。骨張った大きな手だ。私はその手に、自分の手をそっと当てた。
 大きな手の持ち主は、微かに口を動かすと、私から手を離した。正確に言うと、力を無くして滑り落ちたのだ。

 片手だけで押さえていた鼓動する物も同時に動きを止め、溢れる赤いものの量が減った。
 その意味を理解したくなかった。

 だけれど、生命の光を灯していない目を見た途端、それは嫌でも思い知らされたのだ。

****

「はっ!」
 月明かりに照らされて浮き上がる顔の模様が目に入った。天井のアレだ。

 枕元の携帯電話で時間を確認すると、午前二時だった。起きるにはまだ早い。何故、目が覚めてしまったのだろうか?
 また、悪い夢を見たのかな。でも内容をよく憶えていない。

 ディスプレイを閉じ、ボーッと天井を見つめた。顔がニヤリと笑った気がした。え、こわい。

「むう……」
 今日は色々あったな。
 志乃ちゃんを探しに行って……途中から記憶が無くて、気付いたらベンチでなっちゃんに膝枕されていた。
 道行く人々の奇異を見るような目は忘れられない。

 その後、フラフラになりながらも普通にアトラクションに乗ったり、パレードを見たり、お土産を買ったりした。
 山賊のアトラクションでは人形が妙にリアルだったな。パレードは沢山のキャラクターが歌って踊っていたが、中の人は——おっと。

 神社のちびっこ組へのお土産にお菓子と光るステッキをあげたら、すごく喜んでいたな。良かった良かった。

 楽しかった。楽しかったけど……珀弥君が何だか怖く見えて、少しよそよそしく接してしまった。なっちゃんの膝の上で起きてから、家に帰るまでずっとだ。

 寝る前は目も合わせずにさっさと部屋に戻ってきちゃったし。

「うわぁああ、私の馬鹿ーっ」
 あの時、志乃ちゃんごと消し飛ばそうとしていたのは、珀弥君なりの考え方があったのに。仕方なかったのかもしれないのに。

 正直、今でもそれは受け入れられないけど、彼を避けるのは間違ってる。
 よし、謝りに……いや、こんな時間じゃ非常識だ。え? こんな時間によく転がりこんでるじゃないかって? 何の話かな?

 そもそも、珀弥君に会う決心がつかない。
 どうしよう、どうしよう。でも無駄に目が冴えちゃったし。デモデモダッテ、ウジウジ。

「よし」
 外で頭を冷やしてくるか。

 なるべく音を立てないように廊下を歩き、渡り廊下に出る。途中で異物を踏んだ気がするが、スルーしてきた。

 渡り廊下からは、月光を背に受けて風に葉を鳴らす葉桜が見えた。
 三月の末、御神木いっぱいに咲き誇っていた花を見たことは、今でもよく覚えている。

 今思えば、早い桜だったな。ソメイヨシノではないんだね。
 どこからか蛙の鳴き声が聞こえる。田んぼの水も張られたし、そこで鳴いているのだろう。初夏だなぁ。

 私は渡り廊下に腰掛け、脚をぶらぶらと揺らした。

 そういえば、今は私専用のサンダルがあるけれど、この前はぶかぶかの下駄を履いて転びかけたっけ。

 あのとき、助けてくれた人がいた。
 白くて長い髪で、怖い顔をしていて、爪が鋭くて、刀を差していて……。
 あれ、傍から見たら良いイメージ受けなくね? でも、彼のお陰で擦り傷を作らずに済んだのは確かだ。

「ゲストキャラさん、銃刀法違反してるしなぁ」
「誰がゲストキャラだ」
「ひぃ!」
 突然、低くて恐ろしい声がし、私は背筋を伸ばした。

 その声の主は私の目の前に飛び降りてきて、琥珀色の目で睨み付けてくる。怖い顔だ。それより屋根の上にいたのかよ!

「ごごご、ごめんなさい! もう二回も出演なさってますもんね! バリバリのレギュラーですよね!」
 慌ててフォローするが、
「もっと出てる……」
 ぼそりと一言。じ、地雷踏んだ! やっちまった!

「何て失礼なことを! お詫びにこれ、差し上げます」
 私は光るステッキを献上してみようと試みた。

「いらねぇ、つーか何処から出した」
「いらないんですか!? ココを押すと、ほら、回りながら光りますよ」
「いらねぇよ……うん」
 今、ちょっと心揺れたな。

「まぁ、立ち話もなんですし、座りませんか?」
 私は隣の床をポンポンと叩いてみた。彼は不審そうにじっとこちらを見てくる。うむむ、負けない。

 彼とは暫く無言の睨み合いになったが、先に折れたのは彼の方だった。

「わかったよ」
 面倒くさそうにそう言うと、彼は腰から刀を外して、私の隣にどっかりと座った。床に置いた刀から、重量感のある音が鳴る。

「で、何か話でもあるのか?」
 彼は月を見ながら、ぼそぼそと言った。

「うっ!」
 しまった。何故か勢いで座らせちゃったけど、何も考えて無かった!

「何も考えて無かった、とは言わせねぇよ」
 先手を打たれた! えぇと……。
 視線を泳がせると、一際大きな月が目に入った。

「つ、月が綺麗ですね!」
 しーん。
 辺りは静寂に包まれた。大合唱していた蛙たちは、ステージから退場したのだろうか。何も聞こえねえ。

 彼は仏頂面のまま数秒間私を見ていたが、表情を緩め、優しげに微笑んだ。
 それはほんの一瞬のことで、あっという間に仏頂面に戻ってしまったが。

「何だよ、告白か?」
「ち、違いますっ!」
 とある文豪が『I love you.』を『月が綺麗ですね』と訳したって噂があったような。
 とんでもないことを口走ってしまった。

 それよりも、私は彼の仏頂面と笑顔のギャップに驚き、鼓動が早くなった。

「話はそれだけか?」
「えっ、いや」
 いけない。何か話さなきゃ。何を?
 彼は何度か面識はあるが、関係は顔見知りレベルだ。全く親交が無い。

 だからこそ、話せること……あった。

「悩み事があるんですけど、聞いてもらっていいですか?」
 近い人だと、逆に相談しづらい話もあるものだ。

「悩み?」
「だ、駄目ならいいです! ごめんなさい!」
 唸るような低い声で返してきたものだから、竦み上がって首を振った。

「別に駄目じゃない。何だ、言ってみろ」
 彼の声は少しだけ柔らかくなった。気がする。
 私は今まで緊張していたのだろうか、安心して肩の力が抜けた。

「じゃあ、お言葉に甘えて……」
 原因となった出来事はぼかし、省きつつ、悩んでいることを話した。
 その間、彼は相槌を打ちながら黙って聞いてくれた。意外と聞き上手さんなのかもしれない。

「ざっくりまとめると、その友達とは表立った喧嘩はしていないが、お前が勝手にギクシャクしていると?」
「そういう事です」
 口に出したことで、多少はすっきりしたが、まだモヤモヤは晴れない。

「普通に接すれば良いだろう」
 彼はぽつりと一言。

「へ?」
 目をぱちくりさせる私に、彼はため息をついて説明を入れる。

「顔を会わせたら、何事も無かったかのように、いつも通りに挨拶すればいいんだよ。ずっとぎこちなく接されるくらいなら、そっちの方がいいと思う」
 『俺はな』と付け加え、私から目を逸らした。

「それに、相手は多分、気にしてない」
「何で?」
「お前の説明を聞く限り……そいつ、アバウトな性格だろ」
「仰る通りです」
 私が肯定すると、彼は目の下をぴくりと動かした。

「じゃあ、一晩経てばケロッとしてるだろうよ」
「言われてみれば、そうかもしれない……」
 モヤモヤが晴れていくような気がした。

「ありがとう、私頑張れる気がします」
「そうか、よかったな」
 私が礼を言うと、彼は刀を持って立ち上がった。

「じゃあな。餓鬼は早く寝ろよ」
 余計な一言を付け加えつつ、彼は闇に溶けるようにどこかへ消えてしまった。

 あっ、そういえば。
「名前、聞いてないや」
 彼が消えていった方向を見つめる。

 また、会える。
 そんな気がしたから、次に聞くことにしようと思った。

「ふわぁあぁ……寝よ」
 私は手で口を覆って欠伸をすると、渡り廊下を引き返す。その先でもぞもぞと何かが動いた気がするが、スルーすることにした。

 行きよりも足取りは軽かった。
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