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第二章 車内でも隣には

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 翌朝、明るさの刺激でゆきは目を覚ました。

「ん……」

 見慣れない天井をそうだと認識した瞬間、ゆきは軽い絶望感を味わった。

「ぅわぁ……」

 そして現実から逃げるように目を閉じて、そっと布団を頭まで被る。

 酔うこと自体は覚悟の上だったが、ここまで飲んだのは久しぶりだったこともあってゆきは自分の想像より理性を吹き飛ばしていたと回想して、本気でどこかへ行ってしまいたくなった。穴があったら入りたいなんて生ぬるいと思うほど、自分の存在を消してしまいたいくらいだった。
 塵芥になり吹き飛ばしてもらいたいと心から願ったが、そんなわけにはいかないことは百も承知している。

 それでもせめて自分の家に帰れよ、昨日の自分! ときつく叱責せずにはいられなかった。
 自分の家なら少なくとも独りでのたうち回ることができたし、できたからと何も状況は変わらないと分かっていても冷静を装えるようになるまで自分を立て直す時間が持てたのに、今はそれさえ許されない。

 どんな顔をしていいかも分からないのに、今目雲がどうしているか確認するところから始めないと、どう行動することもできない不条理なミッションを必ず実行しなければならないゆきは、布団の中で見えない空を仰いで、神に試練の厳しさを心の中で訴えた。
 信仰している神はいないから、いっそそのせいかと、自分の信仰心のなさが招いた悪夢なのかと最早無意味なことを考えるところまで思考は逃げていた。

 そして当然と言えば当然ながら、目雲はゆきが起きたことに気が付いていた。
 眠ったゆきをしばらく眺めていた目雲も眠れないかもしれないと思いつつ、いつの間にか眠っていたのだが、自然とゆきより先に目が覚めた。
 人がいる緊張感でよく眠れなかったわけではなく、どこかでゆきが心配だったのが一番の理由だなと眠気もなくすっきり起きれた自分を分析した。

 そして隣で眠るゆきをそれとなく眺めていた。

 それほど時間が経たずに、ゆきが目覚める様子を見ることになった目雲はそのままゆきが呻きと共に布団に潜ったことで、平素のゆきに戻ったのだと安堵と一緒に声を出さず少し笑ってしまった。
 布団の中でわずかに身じろぐ感じで、昨日のことを思い出しているのだと目雲にも伝わったのだが、一向に顔を出す様子がない。
 目雲はゆきが逡巡しているならそっとしておくのが優しさだろうとは思っていても、もしかして体調が悪いのではと声を掛けることにした。

「おはようございます」

 大した声量ではなかったのにも関わらず、ゆきは大きくびくりと体を震わせた。
 そして、布団から顔を出さないまま小さな小さな声で返事をした。

「あ、う……おはよう、ございます」
「気分は悪くないですか?」

 一番の心配を目雲が聞けば、ゆきはさっきよりは少しだけ聞き取りやすい音量で声を出した。

「まったく……本当に、元気そのものです」

 声に僅かに力が籠ったことで心配の減った目雲は、潜ったままのゆきに話を続けた。

「お酒強いんですね」
「いや、変な飲み方すれば酩酊すると思います」
「それは誰でもそうですよ」

 目雲が笑ってるのが声で分かったゆきは少しだけ布団をずらして、その表情を盗み見るように伺った。
 目雲が柔らかく微笑む。

「おはようございます」

 目が合ったから、改めてそう言った目雲はいつになくにこやかな雰囲気にゆきには見えた。
 自分の手を枕にしてゆきの方を向いて寝ている姿は、目に毒なほど色香が溢れていて、ゆきはすーっと布団に潜りなおした。

「ゆきさん?」
「目雲さん、髪の毛下ろしてると別人みたいです」

 ゆきの声と仕草でどうやら照れているのだと分かった目雲だったが、どうも腑に落ちない。

「それほど変わらないと」
「大ありです」
「昨日も見てると思いますよ」
「それは私であって私じゃないのです」

 布団の中から出てこないまま、ゆきの声が上ずっているとだけ目雲には分かる。

「そうですね、不思議なゆきさんで可愛かったです」

 今もですとは言わないでおいた。ますます出て来なくなりそうだったからだが、それを言わなくてもゆきは布団の中で背を向けて丸まった。

「あぁあ、わすれてください」
「それは無理な相談です」
「ですよね」

 普段のゆきとも昨晩のゆきとも違う、その様子に目雲は愛しさが溢れてしまう。
 目雲がふいにゆきの名前を呼んだ。

「ゆき?」
「ぅ……今それを、言いますか」

 背中から抱き寄せる。

「昨日と違うゆきか確かめたい」
「めく、ぅう……周弥の方が違うんだけど」

 ゆきが空気を読んで言いなおしたことに目雲の口角を上がる。

「そうか?」
「そう」

 言われたから、目雲はゆきの上に覆いかぶさり至近距離で見下ろす。
 目を見開いて驚くゆきをそのままに、キスをしようとするとゆきは慌てて顔を逸らした。

「ダメッ」

 想定内の反応で目雲は意地悪く問う。

「昨日言ったこと忘れた?」
「覚えてます、でもダメです」

 距離を保つように目雲の胸を両手で押すゆきに、わざと目を細めて昨日のゆきの発言を蒸し返す。

「今は酔ってない、だろ?」
「酔ってないけど、こんなさんざん飲んだ次の日の起き抜けはなんて駄目です」
「気にしない」

 ゆきの赤らむ顔がただの拒絶ではないと分かるから目雲はいつもとは違いゆきの言うことをそのまま受け入れない。
 けれど負けるわけにはいかないゆきは反論を述べる。

「私が気にしてます。それになんか下着とかコンビニのだし」
「悪いけど、その服着てくれてるだけで昨日から相当理性を試されてるから」
「目雲さんが選んできたんですよ」

 動揺でため口はきけなくなったらしいゆきをそのままにしている目雲だが、譲れないラインもある。

「名前」

 拘りを指摘する目雲に、打ち負かされたように目を閉じでため息をついてから、ゆきは言いなおした。

「周弥が着させたのに」
「だから余計にだ」
「ダメです。とにかくお酒完全に抜かせてください。着てるものはもう何でもいいとしても、これだけは譲れません」
「もう少しあとならいいと?」
「いい、ですけど、その前にお風呂貸してもらいますよ」
「いくらでも」
「こんなことなら、昨日の状態のままの方がまだこんなに恥ずかしくなかった」

 自棄になって言えば、目雲は言質を取ったと笑う。

「そうか、ならそれは次の機会にする」
「あぁー、墓穴……」
「とりあえず起きよう」
「……はい」

 目雲が上体を起こし、そのままゆきの手を取りゆきも起き上がらせる。
 ベッドから出ると水を飲んだり、トイレに行ったり顔を洗ったり、目雲はキッチンにも立つ。

「ゆきさん、先に朝ご飯食べますか?」
「食べます……さっきと同じ目雲さんですか?」

 目雲が出したタオルで顔を拭きながら洗面台から歩いてきたゆきに目雲は近づき、腰に手を回して見下ろす。

「ゆきはこっちの方がいいか?」
「む、むりです」

 慌てたように見上げたままきゅっと目を瞑ったゆきの唇に軽くキスをして目雲はゆきを開放する。

「お湯を張るのでお風呂は少しだけ待ってください」

 固まったゆきは少ししてそろそろとその場にしゃがみこみ大人しく悶絶したあと、のそのそと立ち上がって、タオルを胸に抱いて目雲に会釈した。

「……ありがとうございます」

 目雲が作った綺麗なほかほかの出し巻き卵の朝定食を堪能したのち、ゆきは宣言通りお風呂を借りた。
 そして観念して同じ服装で出てきたゆきを目雲が捕まえてベッドに導いたのは言うまでもない。




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