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第二章 車内でも隣には

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 そのままさらっと流れそうになる気になる単語を宮前がしっかりと捕まえる。

「え、なに? 事件?」

 宮前と目雲が途端険しい表情になる。愛美もぽかんとしている。
 ゆきと堺は、そうかと顔を見合わせる。

「入学してわりとすぐだっけ? 俺も詳細は知らないんだけど、事件だよな?」

 ゆきが一応と頷きながら簡単に説明する。

「一年生の五月とか六月とかで、まだ友達ってほとんどいなかったから大学の学生課の人たちにいろいろ相談に乗ってもらって解決したんです」

 軽い口調のゆきだが、目雲はもちろん宮前もそのまま受け流しはしない。

「解決しなきゃいけなかったくらいのことだったんだ」

 宮前が聞けば、堺が記憶を引っ張り出す。学内で大事件になったわけでも、噂になったわけでもなく、ただ浅井教授がたまにゆきに様子の確認をしていたのでその時簡単に聞きかじった程度だった。

「隣の部屋に住んでた別の大学の奴がやばい奴だったんだっけ?」

 宮前も目雲も事件の全容がつかめず深刻さが増していく。

「なにそれ、マジでやばい感じ?」

 愛美も初耳だったために酔いながらも不安げな表情になっていく。

「わたしもしらない」

 ゆきと堺に視線が集まるので、堺が後にゆきが雑談の中で話したことを思い出す。

「えーっと結局警察沙汰になったんだっけ? なんだっけDVとか薬とか」
「マジでやばい奴じゃん」

 宮前があまりの想像をし始めたのを感じ取ったゆきは、そこまで大事ではなかったと補足する。

「麻薬じゃないですよ、市販薬の過剰摂取と、彼氏への暴力と。廊下で大騒ぎしたり、部屋で奇声あげたり、あと隣だといろいろ聞こえてしまって」
「こわっ」

 肩を竦めて怯える愛美の背中を微笑みながらゆきがそっと撫でる。

「彼氏へのって女の子がなの?」

 宮前が聞くとゆきが頷いた。

「女性専用アパートだったんで。意外と多いみたいです、女性から男性へというのは。男の人がひたすら謝ってる声とか聞こえてました。大きな物音と一緒に。そのあと女性の方が泣きながら捨てないでと謝ってました」
「マジのやつ……」

 愛美が呟いて、ますます表情が落ちる。
 話すこと自体はなんでもないゆきだったが、家族に説明した時の反応が大騒ぎだったので、もう何でもないことで心配をかけ過ぎることに躊躇いがある。

 けれどここまで来ると話さない方がもっとややこしいことなりそうだと感じ取ったゆきは詳細を求める雰囲気に押されて、自分の中ではすっかり過去の出来事だと前置きをしてから話し始めた。

「最初は廊下で大声出す人がいて住みづらいからと大学の学生課に引っ越しの相談をしてたんです。そのうち隣りの部屋からさっき言った喧嘩の様なことが聞こえるようになってからはそれも相談して。一応警察にも相談履歴残す意味で付いて来てもらって話に行って」
「大学の学生課って結構親切なんだね」

 宮前は認識より手厚くフォローしている話に関心していた。それを大学に勤めている堺が全てではないだろうと補足する。

「大学にもよるし、当時ちょっと女子大生がいろいろ事件に巻き込まれることが続いてたから気を配ってたのかもです」

 堺の言葉でニュースを思い出して納得した。

「ストーカーとか強盗とか、結構凄惨なのもあったからか」

 ほとんど会話を聞いているだけの目雲だったがこの事ばかりはきちんと追及する。

「相談したってだけじゃ警察沙汰とは言わないですよね」

 目雲がゆきに確かめると、堺がどうしてそうなったのか思い出そうとした。

「なんだっけ、ゆきも絡まれるようになったんだっけ?」
「絡まれるって、ゆきに何かしてきたの?」

 愛美の心配顔にゆきは苦笑する。

「誤解というか、なんというか、警察に話したのが原因ではなくて、その彼氏さんと廊下ですれ違ったことがあってそれで仲を疑われたというか」
「え、完全にとばっちりじゃん」

 愛美が驚愕すると堺が確認する。

「そもそもあのアパート男子禁制だったろ?」

 大学からほど近く、学生が多く斡旋されるアパートなので堺にはその情報があった。
 ゆきは頷きながら、困ったように笑う。

「こそこそ入って来てるところに遭遇しちゃったから、余計に覚えられたというか」
「被害妄想で何かされた?」

 宮前の問いに皆の想像が膨らむ前に、ゆきはそこは思い悩むことなく答える。

「嫌がらせを少し、定番の奴をいくつか」
「定番?」

 ゆきはまるで昨日食べたものでも思い出すように、淡々と羅列していく。

「玄関に淫乱、泥棒猫、死ね、クズ、などなどの張り紙と。ごみを漁られたり、監視されてる感もありましたね」
「ありましたねって、それ実害出てるし」

 そこまで聞いたのが初めてだった堺までもが驚き始めたので、大丈夫だと分かるようにゆきは続きを話す。

「それもちゃんと警察に相談して。そしたら、それで彼氏の人が謝りに来ちゃったんですよ、びっくりしました。あなたが来たら話がこじれますよって思ってたら、案の定こじれて警察沙汰です」
「早く引っ越せば良かったのに」

 愛美の言うことももっともだと思うが、それができなかった理由がゆきにはあった。

「これ、二週間のできごと」

 ゆきでも急展開だなと思ったくらいだったので、皆が驚くのも納得のゆきだった。

「え?!」
「初めて学生課に相談に行ってから二週間。ちょっとその期間で新しい部屋には入れなかったよ」

 参った参ったと笑うゆきに信じられないような話に愛美がどうしてそんなことになるのかと不審がる。

「そんなに急にその子闇落ちした?」
「入学してから廊下が騒がしいなってことと隣の物音が激しいなってときはたまにあったんだけど、別に気にしてなかったんだよ。本読みだしたらよっぽどじゃなきゃ気付かないし」
「あ、そうか。ゆきはそうだった」

 当時を知る堺があっさり納得する様に、ゆきは自分を顧みて反省しつつ、事情を説明する。

「あと四月は季節的にまだ部屋の窓閉め切ってたから。それが暖かくなってどっちの部屋も窓開けるようになってより鮮明に聞こえるようになったんだと思う」
「警察沙汰ってことは、ゆきちゃんも何かされたの?」

 宮前の心配事の一番はそこだった。もちろん目雲もだ。

「住居侵入くらいです。幸いケガはしませんでしたし、彼氏の人が庇ってくれたので」
「詳しく聞いてもいい?」

 ゆきのことを気遣いながらの尋ね方だったのでゆきは笑顔でそんな重たくないですよと、軽く頷く。

「大学で何度か相談したので学生課の人が毎回警察に付いて来てくれて、近くの警察署に三回目くらいに行った時に部屋の張り紙の事とか話して、一人で部屋に帰って来たんです。とりあえずその日はどこかネットカフェでも泊まろうかなって荷物だけ取りに行くつもりで。そうしたら部屋のチャイムが鳴ったんです。カメラのないインターフォンで、受話器で話すタイプだったんですけど、取ったら隣の者ですが今までの件を謝りたいって言われて、それで」
「ドア開けたの?」

 愛美が聞くが全員が息をのむのがゆきにも分かり、困り笑いを浮かべながらまるで怪談でも話してるみたいだと思いながら続ける。

「開けなかった、こうして伝えてくれただけで十分だから、これ以上は結構ですって。彼氏の人もありがとうございますってそれで会わずに終わったの」
「正しい対処だと思うよ」

 宮前が頷いているが、ゆきの反省はこの先だった。

「私の読みが甘かったのはここからです」
「え、なに?」

 愛美の方がすっかり怯えている。

「どっか別のところに泊まろうと思ったのが良くなかったの。すぐ出るのはなんだか良くない気がして、一時間くらい引っ越しの準備とかして過ごしてから、最低限の荷物持って玄関開けたら」
「え、いたの? どっち?」

 酔いもありかぶりつくように愛美は話に入り込んでいた。
 ゆきの話を遮るわけでもないのでそれ以外は口を挟まない。

「彼氏の人がね。待ち伏せしてたわけじゃなくて、隣の人に締め出されてたみたい」
「うん」
「それでそこで謝られちゃったんだ。見てないわけないよね、隣の人」
「それで?」
「隣の部屋から飛び出してきて、殴りかかられそうになって、彼氏の人がそれを一瞬止めてくれて私は幸い自分の部屋の玄関開けたまま彼氏の人と対面してたからすぐ戻れたんだけど、すぐに彼氏さん一発ガツンと殴られたみたいで玄関の鍵かけるの間に合わなくて、トイレに逃げ込んだの。そこで鍵掛けて、警察に電話してすぐ来てもらったんだ」
「なにその壮絶な話……結構な体験じゃん」

 愛美がゆきをぎゅうぎゅうと横から抱きしめるのを微笑みながら受け止める。
 そうだねーと、過去のことだから何ともないと愛美の腕をよしよしと撫でる。

「ちゃんと警察に相談しておいて良かったよ、本当にすぐ来てくれたから」
「そんな大丈夫だったからオッケーな話じゃないでしょ」

 男性陣は一先ず愛美にゆだねたのか深刻そうな表情でその様子を眺めている。

「トイレのドアガンガン叩いてるのを止めようとした彼氏の人がそこでも結構殴られてたみたいで、部屋は血しぶきが飛んでたよ」
「いや、それもひどい話だけど。ゆきも怖かったでしょ?」

 ゆきは当時の状況をまざまざと思い出すことができるが、イコール恐怖と結びついてるかというと少し違った。

「怖かったけど、急展開過ぎで状況に付いていけてなかったから、もう自分が無事なだけで良かったって思うしかなかったんだよね。あれ以上何かできたか考えても分からなくて」

 ゆきはどんな出来事もよく最善の方法は何だっただろうかと考えることがある。
 それは母がゆきの物心付いた頃から、いろんなパターンでこれから起こることを想定してその対処法を教えてくれたから、癖の様になっていることだった。

 もしこんなことが起こったならどうすべきか。

 それを一番多く知れる方法が本を読むことだったから、そこからゆきの読書好きは始まっている。ただ今やその根本を超えて、もう読むことそのものが快感に近くなっているのだから、人間は不思議だなと自分事ながらゆきは思っていたりもする。

 だからゆきも恐怖とは別に、あの出来事を様々考えてはいるが、どうすればもっと良い結果になったのかまだ答えが見つかっていないがために、ゆきがまず思うことは、最適解探しになってしまっていた。

 宮前がゆきの言葉を拾って、その答えを導くように話し出した。

「二週間で三回警察に相談に行って、大学の学生課の人が親身になってくれるくらいには話してあったし、引っ越しも手配してたんでしょ?」

 宮前はゆきのそんな心理はもちろん読めていなかったが、慰める意味も含めてゆきの答え探しに参加する。

「はい、入学してからまだ間がなかったので、すぐ入れる安全な部屋がなかったんです。どこでも良かったらあったんですけど」

 ゆきは自分以外の視点の考察が増えると少し積極的に事の詳細を付け加えていく。

「引っ越す理由考えたら妥協はしない方が正解だよね。ゆきちゃんから相手に直接接触図ってるわけじゃないし、ドアの前に男がいたのも偶然だし、すぐ逃げられるように玄関も開けたままだったし、下手に部屋の外に逃げて追いかけられて追いつかれた方がまずい場合もあるし、部屋に押し込まれる危険はあるけど」
「なにか考えてのことではなかったんです。部屋の位置的にその隣りの人のドアの前通らないといけなくて、それでドア開けたらお隣の玄関の前に人が立っていて、彼氏の人だって認識する前に頭下げられて、まずいかもって思った瞬間には隣の女の人が飛び出してきてて、彼氏さんが捕まえるのは微かに見えたんですけど、すぐ玄関の中に逃げ込んで鍵に手を伸ばす前にドアノブが引かれる感覚があって、考える前にトイレに逃げ込んで鍵かけてました」

 その詳細がゆき以外想像以上に壮絶な体験だと感じて、重いため息を吐く。

「そのあとは?」
「警察の人が来てくれて、彼氏さんが結構殴られてたので救急車が来たり、私も話聞かれたりして、私からは特に何か訴えようとは思ってなかったので、彼氏さんを殴ったことが事件的にはどうなったのかよく分からないんですが、お隣の方は大学はやめて親御さんが引き取ったみたいです」
「ゆきちゃんはその後すぐ引っ越したの?」
「はい、一人暮らし用で家賃も変わらないとてもいい部屋に。メグの家に行く前まで住んでたところです」

 結構長く住んでいたんだと目雲も宮前も思った。
 それ以上にそんなことがあったのに、隣の人間が倒れていたからとよく行動できたと驚きを皆隠せなかった。

「ゆきちゃん、そんなことがあったのに周弥のこと助けてくれたんだね」

 宮前が改めて言えば、出会いを聞いたばっかりの堺も大きく頷いている。
 ゆきは隣人対して警戒心をもっていることは隠さなかった。

「私が引っ越しの時挨拶したのはそれがあったので、どんな人か少し知っておきたいというのもあるんです。目雲さんは最初からしっかり目を見て話してくれる人でしたし、挨拶もしてくれるし、それ以上の接触もなくて、最初に倒れてる時も私に極力触れないように何とか頑張ろうとしてましたから、徒労に終わってましたが」

 もう目雲がそこまで気にしなくなっていたからこそ、ゆきは冗談めかした。

「すみません」

 素直に謝る目雲にゆきは笑顔で首を振った。
 けれど宮前はゆきの心情を思って悲痛な表情をしている。

「夜中にチャイムが鳴った時なんて、本気で怖かったでしょ?」

 ゆきは素直にその時の状態を語る。

「怖かったです。でも目雲さんで良かったです、知らない他の人だった方がもっと怖いですから」

 ゆきのポジティブ思考に宮前が仕方なさそうに笑う。

「考えようによってはそうか」

 酔っている堺は目を潤ませている。

「スゥ、本当によくがんばったなぁ。俺が事件のときもっと仲よかったら、もっと力になってやれたのに」
「大変だったのは二、三週間だったから」

 宮前は合点が行ったのか頷いている。

「だから前の部屋は大学から少し離れたところなんだね」

 以前の部屋からバイト先の定食屋が近いと話していたので、そこが大学の最寄と少し距離があった謎が解け宮前は一つ頷いた。

「学生課の人がすっごく探してくれて、引っ越し費用は隣の人の親御さんが出してくれたので、敷金礼金の心配はなくて家賃だけ同じくらいで安全性の高い部屋にしてくれたんです」
「そうだよ、ゆきぃ。いまは、いまの部屋はだいじょうぶなの?」
「大丈夫だよ。三階の角部屋だし、隣の人もいい人そうだったから」
「よかったよぉ」

 急な引っ越しを強いてしまった愛美がもうほとんど泣きながらゆきを抱きしめる。

「そんな心配しないで、毎回隣の人が変な人なことないでしょ」

 毎回事件を呼び込む名探偵の様な生き方はしていないとゆきが笑っていたが、宮前は改まってそれを否定する。

「いや、ゆきちゃん。それはゆきちゃんは言えないよ」
「そうですか?」

 ゆきが宮前にも何か経験があるのかと思えば、そうではなかった。

「だって、隣の人間がドアの前でぶっ倒れてるなんてこともそうないよ」

 それもそうかとゆきは笑う。

「あ、ふふふ、そうですね。良い人でよかったです」
「だってよ、周弥。ちゃんとゆきちゃん大事にしろよ」
「言われなくてもだ」

 目雲はゆきの実家で小学生の頃にも倒れているのを介補したと聞いていたのもあって、誰よりも心配し、心に留めておく。
 ありがとうございます、とゆきは微笑んだ。そして最後に今はもう心配する様なことはないと話を纏めた。

「ちょっと珍しい話かなとは思うんですけど、今は特に影響もないですから。そうだ、気分転換にデザート食べませんか? スイーツも美味しいんですよ」

 マスターのこだわりのスイーツをオススメする。

「いいねぇ、俺も頼もぉ」

 宮前もメニューを広げるので、元バイトの営業トークが入る。

「結構お酒にも合うんですよ、メニューの横におすすめのお酒が載ってます」
「本当だ、どれにしようかな」

 スイーツの他にもさらにいろいろ追加して、なぜだか改めて乾杯したりしてなかなかにお酒の量は増えていった。



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