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実験開始

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「どうぞ。夕食です」
「ああ……」

 アークは<闇姫>から渡された皿を受け取る。

 体積が半分ほどになった賊を荷台に積み込んだ時点で日は暮れかけていた。
 賊が転がした丸太は<闇姫>が蹴飛ばしてあっさりと片付けたが、それから進んだのは血の臭いが届かなくなる程度の距離。
 そこで野営となった。

「もしかして、メシはずっとこうなのか?」
「そうです。不満でも?」
「いや、不満はまったくない……」

 アークが手にした皿にはホカホカの料理が載っていた。
 素人が野外で適当に調理したなんちゃって料理が、ではない。料理に適性のある天職――プロの料理人がしっかりした調理場で作った食欲をそそる料理が作りたての状態で、だ。

<亜空間収納>は中に入れたモノの時間を止める機能が備わっている。<闇姫>はその機能を利用し、店で買っておいた料理をそのままの状態で保存、供しているというわけだ。

 斬新な行為、というわけではない。<探索者>がいる中堅以上のパーティーなら同様のことをやっているところも珍しくないと聞く。

 実際に体験してみると、これはよくない。
 とてつもなく大きな問題がある。

 ソロのアークは全ての荷物を自分で運ばねばならない。魔物の素材という荷が増える帰りのことを考えると、調理器具は用途万能の鍋ですら持っていく余裕はない。
 そうなると、冒険中の食料はそのまま食べられるものに限定される。初日こそ果物などの生ものも食べるが、二日目以降はパンや干し肉などの携行食が主となる。
 目の前にある温かく旨そうな料理と比べれば、それらを食料とするのは顎が鍛えられるくらいしかメリットがない。

(これに慣れたら、ソロなんかアホくさくて戻りたくなくなるぞ……)

<亜空間収納>の持ち主がいれば、野外の食事も英気を養えるレベルになる。しかも作る手間がない。<亜空間収納>をスキルとして得られる<探索者>の争奪戦が起きるのも頷けるというものだった。

 * * *

「水を浴びてきます。その後、実験を。よろしいですか?」
「願ってもないが、実験ってのはここでもできるのか?」

 食事の後に切り出された提案にアークは首を傾げた。

「どこでも可能です。私がいれば」
「んじゃ、それで頼む」

 アークが頷くと、<闇姫>は近くの林の中へ姿を消した。
 そこに川があるかは不明だが料理のストックがあるくらいだ、水も浴びるほど持っているのだろう。

「……実験か――どんなことやるのかね」

 アークとしてはありがたい話だ。
 英雄級の強さを見せられた心は猛っている。このままでは生殺しだ。
 成功するかどうかは別にしても、実験がどんなものなのか早く知りたかった。

 実は馬車の荷台に一抹の不安があったりするのだが、あれは実験用ではなく<闇姫>の生贄用なのだろうとアークは考えている。というか願っている。

(しかし、<闇姫>がいれば、ってのはどういうことだ? 実験の内容を知ってる、実験を考えたのが<闇姫>だからってのはわかるが……)

 それだけなのか、<闇姫>がいなければできない理由が他にもあるのか。

「はは、いかんな……」

 アークは無性に落ち着かなくなってきた。

(微妙に性格悪いんだよな、あの女……)

 戻ってきてからさあ実験だとやってくれれば、そわそわせずに済んだというのに。

「なんかやること……といってもなぁ」

 雑用があればやっておこうと思うものの、食事後の器は<闇姫>が無造作に<亜空間収納>に放り込んでいたし、寝床は遊牧民が使うような移動式の住居が組み立てられた状態で出現済みだ。夜間の警戒はしないのかと問えば、接近する者に気づける仕掛けを施せるという返事。その効果は<闇姫>の無事が証明しているといっていいだろう。それほど離れていない距離に賊の手足が転がっていて、獣が集まっていそうなのが不安要素ではあるが。

 半円形の住居の入り口には光を放つ魔導具がぶら下げられており、ぼんやりと目立たない程度に周囲を照らしている。暖を取る季節でもないため、火の番も今日のところは必要ない。

 残るは馬の世話といったところだが、彼らの餌もポーションのおまけ付きで準備されていたし、腹を満たした二頭は既に休息に入っている。世話に役立つスキルなどもないため、近づくのはもうマイナスでしかないだろう。

 まさに同行しているだけ。
 寄生状態だった。

 * * *

「何をしているのです」
「……見ればわかるだろ? 鍛えてるんだよ」

 気を静めるため、アークが選んだのは日課をこなすことだった。

 腕立てや腹筋などの単純な筋力トレーニングだ。
 熟練度による能力補正は基本的に乗算であり、元の力が大きいほど効果が高い。戦闘職としての補正しか得られないアークにとっては、地力はより重要な要素なのだ。

「そうではなく。汗を掻くのでは?」
「それは……そこそこは?」

 実験に支障が出てはいけないと軽めにやっていたが、それでも三十分も続けていれば汗も出る。

「却下です。水を浴びて、着替えて下さい。元よりその予定でしたが、より念入りに」
「おう……?」

 アークは服の埃を払いながら立ち上がる。実験というと、なんとなく汚れそうだというイメージがあったのだが、どうやら今回の実験では違うようだ。

「水、タオルと着替えです」

 水はタルに入っていた。タルは貯水以外の用途に使われたことはなさそうで、水は飲めそうなくらいに澄んでいる。新品に見えるタオルと着替えはカゴに入れられていた。

「んじゃ、オレもあのへんで……」
「ここでお願いします」
「ま、まあオレは構わないが……」

 経験が多くなくとも二十歳ともなれば、女に肌を晒すことに抵抗はない。
 それでも向かい合ってというのはなんなので、背中を向けて服に手をかけた。

「そんなに見られてるとむず痒いんだが……」
「実験に必要なので」

(なんか騙されてんじゃねえだろうな……)

 己を観察する視線を訝しげに思いながらパンツ一丁になり、何度か水を被った。

「こんなもんでいいか?」
「足りません。あと三度ほど」
「へいへい……」

 火照った体が冷やされてさっぱりした……が、さらに何度か水を被らされるアークだった。
 髪と体を拭き、用意されていた服を着る。多少緩かったが激しく動く必要がないなら問題はない。

「始めましょう」
「ああ……!」

 少し冷えたアークの体に、再び熱が灯った。

 * * *

「――で、どうすればいい?」
「まずは……」

 勇んで尋ねたアークに対する指示は灯りの近くに立つことだった。
 夜でなければ、そのへんに直立不動、となっていただろう。まったくもって拍子抜けだが……。

(それっぽいと言えば、それっぽい……か)

 立っているだけでいいという指示は、これから何かをされるということに他ならない。
 アークはごくりと唾を呑んだ。

「では、兜から」

<闇姫>の手に、紫黒色の兜が現れた。
 この状況であるのだから、それは当然――アークの頭へ被せられる。

「んん……?」
「次は胸当てを」

 兜を皮切りに、鎧の各パーツが<闇姫>の手に現れてはアークに装着されていく。
 やがて、アークの全身が紫黒の鎧に覆われた。
 
「どうですか?」
「どう……って……」
「何かと繋がり、力が湧いてきたりなどは?」
「うーむ……動いても?」

<闇姫>が頷いたのを見て、アークは鎧を纏った手足を動かしてみた。
 鎧は金属製かと思いきや、皮鎧と同程度の重さしかない。それは驚きだったが、自分自身に変化は感じられない。

「……いや、特に変わった感じはねえな」
「そうですか。これも試しましょう」

 渡されたのは鎧と同じ色の剣だった。
 アークはそれを左手で受け取るが、体に変化はない。

「失敗ですね……」
「これ、どういう意図があったんだ?」
「――龍の素材でできた武具を装備してみてはどうかと思いまして」
「龍ッ……!? この剣と鎧がか……!?」
「素材の名称は龍です」

 微妙な表現だったが五つ星冒険者の言うことだ、すでに<鑑定>済みだろう。

「な、なるほどな……<龍騎士>にも<黒騎士>みたいな装備条件があったら、ってことか」
「そうです。失敗は想定していました。既に試されている可能性が高かったので」

 アークが読んだ書物にこの実験は記されていなかったが、どこかで試されていても不思議はなかった。

 竜や龍は様々な種が存在するが、下級の龍ならば百年に一度くらいは討伐の記録がある。はぐれとなって山から出てきた場合や迷宮の深部に出現した場合などだ。
 その素材は貴重だが、<龍騎士>個人ならいざ知らず、実験した国やその研究所が手に入れられないほどではない。というより、一般の市場に流れない希少素材の入手に必要なのは金ではなくコネなので、実験に国が関係しているなら求めれば手に入っただろう。

 結果は残念なものだったが、自分の身で体験できたのは悪くない。龍の装備を身に着ける――盲点ではあったが、いずれ思いつき、試そうと考えたかもしれないからだ。そして当然、アークにはコネなどない。自力の取得は茨の道だ。

「……ところで、これあんたがいつも着てる鎧なのか?」

 幼少期を孤児院で暮らしたアークだが、幸いにもというべきか身長・体格は平均以上まで育っていた。<闇姫>と比べれば頭一つ分ほど違い、同じ装備を身に着けるのは普通は無理だ。しかし、色合いや質感などは<闇姫>の鎧と同じ。何よりそこそこ念入りに体を清めさせられたことがその疑問を浮かばせた。

「当たらずとも遠からずですが、その説明は後に回します」
「……ん? まだなにかあるのか?」
「言いましたよ。過去に試されていない手法を、と」

<闇姫>はイスを出すと、アークに勧めた。
 そして、始まったのは神話語りであった。
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