私を支配するあの子

葛原そしお

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第八話①

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 家族の写真を見返した時、綾奈──お姉ちゃんのアヤちゃんの小さい頃の写真があまりない。一人で育てるのが大変で、写真を撮ることなど思いもつかなかったから。
 二人目に花奈──ハナちゃんが生まれた時、もっと忙しくなると思ったけれど、アヤちゃんがハナちゃんのお世話を頑張ってくれて、二人の写真も増えていった。
 赤ちゃんのハナちゃんと遊ぶアヤちゃん。
 歩くようになったハナちゃんと手をつなぐアヤちゃん。
 アヤちゃんはしっかり者のお姉ちゃんで、ハナちゃんは引っ込み思案で不安になるけれど、素直ないい子だ。私──咲良雪穂──は二人のお母さんになれて嬉しいと思った。
 今日、ハナちゃんは図書委員の当番があるから、帰ってくるのは十七時過ぎ。アヤちゃんも同じぐらい。
 私はパートがお休みで、少し早いけれど夕飯の準備をしていた。
 十五時過ぎ、インターフォンが鳴った。宅配便だろうか。特に何か注文した覚えはないけれど。
「はーい」
 私が玄関を開けると、そこにはエリザちゃんがいた。エリザちゃん──羽鳥英梨沙、ハナちゃんのお友達。
「こんにちは」
 背はハナちゃんと同じぐらいで、私やアヤちゃんより頭ひとつ分は小さい。柔らかく波打つ長い黒髪に、小顔の、お人形のような女の子だった。彼女は色素の薄い茶色い瞳の目を細めて微笑んでいた。
「こんにちは。ハナちゃんは今日は図書委員で、まだ帰ってないよ」
「知ってます」
 同じ学校で、いつも一緒にうちに遊びにくる彼女が知らないわけはないだろう。それならいったいどうしたのだろうか。エリザちゃんが一人でうちに遊びに来るのは初めてのことだった。
「お邪魔してもいいですか?」
「ええ。夕飯も食べていくでしょ?」
「はい、ぜひ」
 エリザちゃんは礼儀正しくて、ハナちゃんと仲良くしてくれている。
 ハナちゃんの誕生日には、エリザちゃんは大きなホールケーキを買ってきて、彼女の友達二人も呼んでお祝いしてくれた。私は仕事で帰りが遅かったので、二人とは入れ違いになってしまった。
 最近ハナちゃんがつけているヘアピンも、エリザちゃんがプレゼントしてくれたもの。
 少し二人の距離感が近いのではないかと思う時もあるけれど、とても優しくて親切なお友達だ。
 エリザちゃんは慣れた様子でうちにあがる。学校のカバンを彼女がいつも座る椅子に置いた。
「今日は何をつくるんですか?」
「今日はね──」
「あ、待って! 当てます!」
 少しあごをあげて、匂いをかいで考えているようだった。
「シチュー?」
「今日はカレー」
「外れちゃったぁ」
 エリザちゃんが残念そうに言うのが可愛かった。
「まだ野菜を煮込んでいるところだから。今からでも、ルウを入れたらシチューになるよ」
「え、そうなんですか? すごい!」
 少し大げさだけれど、私の料理を喜んでくれたり、ハナちゃんやアヤちゃんとも仲良くしてくれるのが嬉しかった。
「何か手伝えることあります?」
「ありがとう。そしたらゆで卵のカラを剥くのお願いしてもいい?」
「はい、がんばります!」
 もうほとんど調理は終わっていて、あとは灰汁を取ってから、カレーのルウを入れるだけだった。
 私はエリザちゃんにカラ剥きをお願いしたけれど、すごく苦戦しているようだった。エリザちゃんは顔を赤くして、一生懸命剥いていた。ただ卵の身ごとカラが剥けて、ゆで卵はボロボロになっていた。彼女は一度卵をボールの角にぶつけて、そこに入ったヒビから剥いているようだった。彼女が意外と不器用なことを忘れていた。
「先にヒビを入れると剥きやすいよ」
 私はまだ剥いていないゆで卵を取って、まな板の上に置いて、少しだけ力を入れて手のひらで転がす。それによってカラを一周するようにヒビが入り剥きやすくなる。
「すごい、すごい!」
 エリザちゃんはきれいにカラが剥けて大喜びだった。
 些細なことでも喜んでくれるのが私は嬉しかった。
 エリザちゃんは学校のある日はほとんど毎日、ハナちゃんと一緒にうちに来て、夕飯を食べていく。その食費として彼女は毎週お金を出してくれた。受け取るのは気が引けたけれど、正直なところ、もう一人分多く食費がかかるのはきつかった。エリザちゃんが毎週一万円と、二人には内緒ということでいくらか多めに渡してくれるのは、彼女の分だけでなく、家計がとても助けられていた。
「いつも美味しいご飯を食べさせていただいてますので。むしろ少なくて申し訳ありません」
 私が遠慮すると彼女はそんなことを言って、お金を返そうとしても受け取ってくれなかった。
 普段、彼女はそのお金で、夕飯を外で買ってきて、一人で食事をしているらしい。私やアヤちゃんがちゃんとした料理をつくってあげられているかは分からないけれど、少しでも彼女に美味しいものを食べてほしいと思った。
 アヤちゃんはそんなエリザちゃんの家庭のことを心配していた。確かに私も不安なところがあった。ネグレクト、虐待までいかなくても、あまりエリザちゃんの面倒を見ていない、そんな気がした。
 彼女のお母さんはどんな人なのだろうか。まだ私はエリザちゃんのお母さんに会ったことがない。何かの機会に挨拶がしたいと思った。もし大変な家庭事情があるのなら、力になれるか分からないけれど、助けられることがあるかもしれない。
「今度、エリザちゃんのお母さんに挨拶がしたいんだけど。どうかしら?」
「そうですね。ママに聞いてみます」
 挨拶といっても、どうしたらいいか分からない。喫茶店かファミレスか、そもそも何を話せばいいのかも分からないけれど。私はママ友もいなければ、親しい知り合いもいないので、ほかの人はどうしているのか知らない。それにもしエリザちゃんのお母さんが怖い人だったらと思うと、言っておいて不安な気持ちになった。
 灰汁とりもおわり、私が鍋の中にカレーのルウを入れているのを、エリザちゃんは私にぴったりとくっついて、じっと見ていた。
「これでカレーができるんですね」
「そうだよ」
 エリザちゃんの距離感は不思議だった。そばに寄って手に触れてきたり、腕を絡めてきたり、抱きついてくる時もある。
「ハナちゃんのお母さんが、私のママだったらよかったのにな」
 その言葉から、エリザちゃんはあまりお母さんに甘えたことがないのかもしれない。そう思うと、突き放すようなことはできなかった。それにハナちゃんのことをこんなに大切に思ってくれるお友達。もし私のせいで二人の仲が悪くなったら申し訳ない。
「ねぇ、ハナちゃんのお母さん。もしもハナちゃんが、私と付き合ったら、お母さんは悲しいですか?」
「え、どういうこと?」
 エリザちゃんがどうしてそんな質問をしたのか分からない。
「もし私とハナちゃんが付き合ったら、お母さんはどうしますか?」
「うーん、娘がもう一人増えたみたいで、嬉しいかな」
 素直にそう思った。ハナちゃんはあまり人付き合いが得意な方じゃないのに、そのハナちゃんと仲良くしてくれるエリザちゃんには感謝していた。
「本当ですか?」
 エリザちゃんはにっこりと、嬉しそうに笑った。八重歯がのぞいて見えた。
 エリザちゃんがどうしてハナちゃんと仲良くしてくれるのか分からなかったけれど、もしかしたらハナちゃんのことが好きなのかもしれない。彼女がハナちゃんを好きだということは嬉しかった。
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