私を支配するあの子

葛原そしお

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第一話①

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 中学生になって一ヶ月と少し。お姉ちゃんのお下がりの制服は、まだ私には大きくて、ブレザーの袖が手の甲の半ばまであった。
 制服は濃紺のブレザーに、同色のプリーツスカート。それと赤いリボンタイに白いブラウス。リボンタイの色は学年ごとに指定されていて、私たち一年は赤、二年は緑、三年は水色に近い青。この色は学年が上がっても変わらない。
「もう少し明るい色、ピンク色がよかったな」
 そう同じクラスの加藤菜純なすみさんは言っていた。加藤さんとは小学校が同じで、たまに休みの日に誘われて、一緒に遊んだりすることもあった。
 加藤さんはバスケットボール部で、ショートボブの似合う、可愛くて元気な子だ。運動が得意で、体育の時間には大人気だった。頭も良い。私が勉強で分からないところを、親切に教えてくれる。
 なにもかも私とは正反対なのに、加藤さんはこんな私にも優しく、気にかけてくれていた。
 さすがに私が彼女を友達と思うのはおこがましいが、彼女は友達の中の一人として、私に接してくれていた。
咲良さくらさん、返却の本、戻してきてもらっていい? 私、カウンターやるから」
「うん」
 放課後、私──咲良花奈はな──と加藤さんは図書委員の当番だった。当番の仕事は、昼休みと放課後に、図書の貸し出しや、返却本を書架に戻すこと。そのほか雑用もいくつかある。
 私と加藤さんは同じクラスで、二人でクラスの図書委員を担当していた。今日は私と彼女と、二年の先輩が一人、当番の日だった。
 人と話すのが苦手な私の代わりに、いつも加藤さんがカウンターをやってくれる。先輩はいたりいなかったり、何かほかの仕事をしているようだった。
 放課後、十七時まで図書室は開放している。十七時になれば、委員の仕事はそこで終わり。二年は分からないが、一年生はその時間に下校することになっている。
 本当は早く帰りたいのに。どうしてもそんなことを思ってしまった。私は早く帰って家のことをしたかった。
 私が図書委員に選ばれたのは、クラスから各委員を決める際、「本を読んでそう」という理由だった。どうしてそう思われたのか。私が暗そうだったからだろうか。小学生の時は休み時間や、家に帰ったあとでは、よく本を読んでいたが。本を読むことしかすることがないだけで、特に好きというわけではない。
 私が一人目の図書委員に選ばれたあと、次に加藤さんは自ら立候補してくれた。各クラスから、各委員を二人選ぶことになっていた。
 私は彼女が立候補したのが意外だった。明るくて元気な彼女なら、学級委員や体育委員が向いてそうに思えた。
 私は彼女と同じ当番になった日、なぜ立候補したのかたずねてみた。
「結局、どれかやらされるならさ、咲良さんと同じのがいいなって。それに部活もあるし、図書委員って楽そうじゃん?」
 そう彼女は軽い感じで答えた。私としては彼女が一緒で嬉しくて、心強かった。
 鈍臭い、人付き合いが苦手。そう自覚している私は、せめて返却された本を書架に戻すことを、一生懸命に頑張ろうと思った。
 図書室の本には背表紙にシールが貼られ、そこに割り振られた記号──ひらがなと数字の組み合わせ──が書かれていて、いくつもある書架の中から、どこに戻すか場所が指定されている。
 今日は返却された本が多かった。私は一度に戻しきれず、カウンターと書架を何回か往復する。ようやく最後の一冊。表紙には、幽霊のように白い肌の美しい女性が、その赤い唇を三日月のように歪ませて微笑んでいた。タイトルには『吸血鬼マリーカ』とあった。どんな内容か気になったが、それ以上にどんな人が借りたのか気になった。
 私は文学ジャンルの書架にそれを戻す。隙間に差し入れて、背表紙を指で押し、しっかりと戻す。
「その本、借りるの?」
 不意に声をかけられ、私は弾かれたように、その声のした方を見た。ただそれが本当に私に対してか分からず、辺りを見回した。近くには私と、そう声をかけてきた少女しかいなかった。
 彼女は少し波打った黒髪に、色素の薄い茶色い瞳、小顔で目や鼻は細く、唇は薄く、どこか儚げな顔立ちをしていた。
 彼女は私を見て微笑んでいた。背は同じくらい、彼女の方が少し高いかもしれない。初対面だけれど、リボンタイが赤なので、私と同じ一年生だと分かった。
「えっと、あ、あの、いいえ……」
 今日というよりも、中学生になってから、加藤さん以外の誰かと話すのが久しぶりで、変に緊張してしまった。喉が詰まったような、舌が強張ったような感じがして、うまく喋れなかった。
「そう」
 彼女は残念そうに、がっかりした様子だった。
「あ──私、図書委員で、本、返してたから……でも、気になるから、読んでみる……」
「そうなんだ。読んでみて。私、好きなんだ」
 そう彼女は笑った。

   *  *  *

 あの日から、休み時間や教室を移動している時、彼女とすれ違った際に声をかけてくれるようになった。
 今日は登校の際、下駄箱で彼女とすれ違った。
「咲良さん、おはよう」
「あ、おはよう……」
 彼女──羽鳥はとり英梨沙えりざさん──は、学年は同じだけれどクラスが違った。私は三組で、羽鳥さんは一組。それぞれの教室がある校舎の階は同じなので、私たちは下駄箱から彼女の教室の前まで一緒だった。彼女の教室から一つ隔てて、私の教室がある。
 私たちは並んで歩く。羽鳥さんは肩を寄せてくる。一瞬、お互いの手の甲が触れ合って、私はどきっとした。
 声をかけてくれることは嬉しくもあるけれど、私は彼女の距離感が少し苦手だった。彼女は近視なのか、肩が触れ合いそうな距離だったり、息がかかりそうなぐらい顔を近づけてくることもあった。
 少し離れた方がいいのか迷っていると、不意に彼女が言った。
「もう読んだ?」
 あの本のことだった。私はあれから少しして、彼女にすすめられた本を借りたけれど、まだ最初の数ページしか読んでいなかった。冒頭の途中で、まだ何の話なのかさえ分かっていない。
「まだ……家のことが、忙しくて……」
 本当は家のことよりも、勉強で忙しいのもあった。もともと私はあまり勉強が得意ではない。特に数学がまったく分からない。私はお姉ちゃんと同じ高校に行きたいので、ちゃんと勉強しなければいけなかった。私が進学する頃には、三つ上のお姉ちゃんは卒業しているけれど。
「咲良さんと本の話、したいのになぁ」
 羽鳥さんの声音は残念そうだった。
「ごめんなさい……」
 私は彼女の横顔を見て謝った。
 羽鳥さんの横顔は、朝の鈍い光の中で、透けてしまいそうに見えた。滑らかな鼻筋と、薄い桜色の唇。色素の薄い瞳は、時折、光の加減によって琥珀色に見えることがあった。
「……どんな話なの?」
 私は彼女の機嫌を損ねたくなくて、必死に話題をふってみる。
 それに羽鳥さんは笑顔になる。突然私の腕に彼女の腕を絡めてきた
「吸血鬼の少女とね、人間の少女の、切ない恋愛小説なの。いちおうホラー小説ってことになっているけど、私は恋愛小説だと思うな」
「そうなんだ……」
「咲良さんも読んだら、どう感じたのか私に教えて。あなたがどう感じたか、私知りたいの」
 彼女は本を読み、その話を誰かとするのが好きなのだろう。私もお姉ちゃんと本や物語の話をするのが好きだった。どちらかというと、お姉ちゃんの話を聞くのが好きだけれど。
 そのうち彼女の教室の前に着く。
「それじゃ、私ここだから。またね」
「うん」
 羽鳥さんの教室の前で別れる。その際に突然、今度は彼女に抱きしめられた。彼女の柔らかい黒髪が頬に触れる。彼女の細い体の感触が、制服越しに伝わってくる。私を抱きしめる力が、意外と強いのにも驚いた。
 私は友達のような相手が加藤さんぐらいしかいないので、普通の友達同士の距離感がよく分からなかった。羽鳥さんは何か普通とは違う気がするけれども、こういう時は抱きしめ返した方がいいのだろうか。
 私はどうしたらいいか分からず立ち尽くしていると、彼女は羽のように軽やかに私から体を離して、にっこりと笑い、教室に入っていく。
 彼女の笑顔を初めて正面から見たかもしれない。唇を三日月にして、のぞいた白い歯列は、前歯が重なり合って、犬歯が牙のように突き出ているように見えた。
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