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第三章「黒衣の少女」

第28話「意識と言う病」

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 ところで、諸君。僕はこれから、なぜ僕が【作り手】になれなかったかを、話して聞かせたいと思う。

 堂々と恥を晒してのけるが、僕は今までに何度も、クリエーターになるのだと周囲に宣言してきた。けれども、僕がどんなに真面目にモノを創りたいと訴えても、「貴方はお金だけ出してくれれば良いのです。後は僕らで上手くやっときますから」としか、周りの人間に言ってもらえなかったのだ。

 だから僕は、相場で身ぐるみをはがされて初めて、ようやく最初の一歩を踏み出す資格を与えられた事になる。だが諸君、誓って言うが、かつて僕にモノを創らせようとはしなかった周りの判断は、やはり正しかったのだ。

 トレードとは、自分がどう考えるかではなく、他人がどう考えるかを正確にとらえる技術の事である。そしてこの、なのだ。つまり、他人の目を気にして作品を書いているうちは、何時まで経っても自分の文章を金には出来ない。

 他人の視線を意識することは、作家を目指すうえで何のメリットもない。僕はハッキリと断言するが、他人にどう思われようとまったく気にしない人間にしか、【成功】というものは掴めないように出来ているのだ。

 僕は賭けてもいいが、諸君は僕がこんなことを書くのを、本当はお金のためだ――相場師として復活するために、悪趣味ながら自分の人生を切り売りし、可哀想だと思った善良な読者から、新たな金主きんしゅを見つけようとしているのだ――と、考えておられるに違いない。

 しかし、諸君。他人のお金を運用しようというのに、自分の病気を自慢げに語る相場師がどこにあろう? しかもそれを、案外得意げに感じている奴なんて、僕以外にいるはずがない。

 いや、僕は一体、何を言っているのだ? 誰だって、自分を大きく見せようとしているではないか。つまり皆、病気を自慢しているのだ。少なくとも、作家を目指そうという人間は、皆そうである。僕などは、おそらくその最たるものだろう。

「いや私は、皆の幸せにために書いてるんです。皆の幸せが、私の幸せなんです」みたいな事を真顔で言う作家バカもいるには居るだろう。だが、それは結局のところ、自分の事しか考えてないという事を、別の言葉で言い換えているにすぎないのだ。

 別に議論をするつもりはない。信じたくなければ、信じなくたって構わない。だが僕は、こと意識の問題に関してだけは、心の底から確信している。意識の過剰どころか、どんな種類の意識であろうと、なのである。勿論、そんな病気を抱えてるうちは、まともな作家には決してなれない。僕はそれを主張する。

 僕のこの主張は、大半の読者からは受け入れられないであろう。なので、この主張が真実であることを実感していただくために、まずはひとつ、質問に答えていただきたい。この質問にどう答えるかで、僕と諸君との【距離】が決まるからだ。

 何故僕は(そして、もしかしたら君たちは)、あの大切な瞬間に、つまり、普通の人間が到底なしえない、「美しくして、深淵なるもの」を手中にしようとする瞬間に、どうして見ぐるしい所業をやってのけ、自ら幸せを放棄するような真似をしてしまうのか? 

 しかもそれは――正直に言えば、皆もそうに違いないと僕は確信しているのだが――決して、不注意から起こるミスではない。「今は絶対に、そんな事をやってはならない」と十二分に意識しているにもかかわらず、愚かな行為を【好んで】やってしまうのである。

「美しくして、深淵なるもの」を手にしたいと、はっきり意識すればするほど、いよいよ深く自己の内部の泥沼にはまりこみ、すべてをぶち壊しにするより、他に手がなくなってしまうのである。

 何よりも困ったことは、どうもそれが偶然ではなく、そうならざるをえないように仕組まれている点である。つまりこれが、僕の正常な状態であって、けっして病気でもなければ、変態でもないらしいのだ。

 結局のところ、それは、他人の目を意識しているから起こる問題であると思う。つまり、幸運を掴むとか、何かを成しうる人間になるためには、努力とか能力の問題以前に、「他人の視線などまったく気にしない」というスタンスが、どうしたって必要なのだ。

 僕はハッキリと言うが、「読み手がどんな気持ちになるかを、常に考えながら書きましょう」などと言っている輩の事を、絶対に信じてはならない。それは、まばゆい才能をもった人間を、少しずつすりつぶすための罠である。既に伸びしろのない彼らは、諸君らに自分らの食い扶持を減らされると困るのだ。

 他人を喜ばせよう、理解させよう、幸せになってもらおうと思った瞬間から、作品は腐っていく。彼らはそのことを骨の髄まで知っているから、「まずはテンプレ作品を作ってみましょう」などと勧めてくるのだ。

 僕は奴らの言葉を信じてしまったおかげで、一時期は彼らに感謝までし、戦おうという気持ちなど微塵もなくなってしまった。他人に尽くすなど、不可能な人間であることをちゃんと分かっていながら、「文章を使って他人に奉仕すること」が自分のノーマルな状態であると、ほとんど信じかねない状態に陥っていたのだ。

 いや、ことによったら、本当に信じ切っていたかもしれない。

「読者を喜ばせるために書きましょう」という、このクソみたいな言葉のお陰で、一体どれだけの才能が闇に葬られたことだろう? 皆この言葉をウソだとは思わない。真実に気づいた人間は、自分より才能のある人間にそれに気づかれると困るから、この言葉はずっと、常識としてまかり通った。まるで、呪いでもあるかのように。

 僕は、それを素直に信じた自分を恥じた。だが、真実に気づいた時には、僕は他人の意識を捨象することなど、到底不可能な人間になっていた。だから僕は、逆に自分というものを捨て、何をやったら、他人が自分を愚かな人間だと思ってくれるかだけを考えて生きる、下劣な生き物になることを決断したのだ。

「今日もまた、愚劣なことをやってのけた。しかし、やってしまったことは取り返しがつかない」

 一生懸命に意識の中でくり返しては、心ひそかに自分を責めさいなみ、我が身を噛み砕き、しまいにはこの意識の苦汁こそが、一種の呪わしい汚辱に満ちた甘い蜜に変わるのだ。そして最後には、それこそが間違いのない真剣な快楽になってしまう。

 そうだ、これは快楽なのだ! 僕はそれを主張する。

 僕がこんな手記を書き始めたのは、他の人にもこんな快楽があるものか、それを知りたくてたまらなかったからだ。僕は諸君に説明しよう。この場合の快楽は、あまり強烈に、自己の愚かさを意識するところから生まれる。

 つまり、自分がどんづまりの壁にぶつかって、その苦しさを痛感しながら、逃れるべき道がない、今さら別人になる訳にもゆかないといった袋小路に嵌って、ようやくたどり着ける真の愉悦なのである。

(続く)
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