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第一章「タペストリーの中のプリンツ・オイゲン」
第9話「思考するシド・ヴィシャス」
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次の日、僕はいつも通りにシドの格好をして、半力さんを連れて赤瀬川さんの事務所に顔を出した。全力さんはいつも通り、箱の上で寝ていた。
その箱は美しい蒔絵の施された京漆器で、一流の品であることに間違いはないように思えた。今までは何とも思わなかったが、半力さんにそう言われてみると、何だか怪しい箱に見えてくる。
僕がトイレの砂を取り換えていると、赤瀬川さんが珍しく午前中から出てきた。掃除を終えた後、僕は馬鹿にされるのは覚悟の上で、昨日の夢について赤瀬川さんに話してみた。
「そりゃあ、また変な夢を見たもんだな」
「でしょう。あの箱って、一体何なんです?」
「お前の師匠――つまり、俺の義兄弟である剣乃 征大の遺品だよ。それなりに由緒のある品らしいが、何なのかは俺もよく知らない。まさか、捨てる訳にもいかないしな」
「そうですね」
「もし俺に万一の事があったら、お前にやるよ。そのフォールド・システムやらとは、何の関係もないと思うがな」
「あったら困りますよ。ところで赤瀬川さんは、何か動物を飼っていたことがありますか?」
半力さんは否定していたが、全力さんが、昔飼っていたペットの生まれ変わりという事はあり得る。いくら経済ヤクザとはいえ、ずっと極道の世界で生きてきた赤瀬川さんが、全力さんにだけこんなにデレデレなのは、どうにも腑に落ちないからだ。
「俺は何も飼ってないが、兄貴がよく、ノラ猫にエサをあげてたんだ。一番懐いてたのが、将門によく似た三毛猫だった。それで懐かしくなって、病院で貰って来たのさ」
「名前は?」
「だから、将門だよ。奴はいわば、二代目なのさ」
「じゃあ、デーモンコアは何なんですか?」
「ロスアラモスの実験で使われた、プルトニウムの塊だよ。なんか禍々しくていいだろ? まあ、病院で付けられてた仮名は、キャサリンだったけどな」
「どっちにしろ、似あってませんね」
全力さんが病院に保護された経緯は、前に少し聞いたことがある。まだ子猫だった頃に、一匹だけ群れからはぐれ、ニャーニャー泣いていたところを保護されたと、病院の先生は言っていた。
その時は、「全力さんなら、そんな事もあるだろうなあ……」と何の疑問も感じずにいたけれども、逆に言えば、全力さんの家族を見たものは誰もいない。
「まさかね……」
そう思いつつも、僕は昨日の夢をもう一度、思い出そうとしていた。
『ボクと遊んでる時も、時々あらぬことを口走ったりするんですよね。フォールド・システムがどうとかとか、この世界線は、もう失敗なんじゃないかなとか……』
夢の中の半力さんは、確かにそういった。僕は忘れないうちに、夢で出てきた世界線という言葉と、フォールド・システムについて調べてみた。
世界線とは、パラレルワールドとほとんど同じ意味だった。そして、フォールド・システムとは、SFの世界で、超光速の空間移動を可能とする装置の事らしい。もしそれが可能になれば、時間軸を遡ったり、一気に進めたりすることが出来るという。
すべてが一本の軸で繋がりそうで、なんだか微妙に繋がらかった。このまま自分一人で考え続けても、多分答えは出ないだろう。ならば頼るのは、僕の家内だ。
「赤瀬川さん。申し訳ありませんが、半力さんをしばらく見ててくれませんか?」
「本当に見てるだけだが、それでいいのか?」
「かまいません。ちょっと一人になりたいんです」
僕は、付いてこようとする半力さんを、無理やり事務所に押し返すと、ここから徒歩数分にある、自分のワンルームに駆け足で帰った。
「……という訳なんだけど、君はどう思う?」
僕は久しぶりに玄関のプリンツ・オイゲンのタペストリーに話しかけ、これまでの話を全て説明した。
「どうもこうも、答えは一つしかないんじゃない、提督?」
「一つ?」
「全力さんは、フォールド・システムを使って、何者かの手によって未来から送り込まれたのよ。提督に何かをさせるために……」
「まさか、そんな……」
「だって、お師匠さんの遺品である箱は確かに存在して、全力さんはいつもその上に居るんでしょ?」
「うん」
「だとしたら、昔お師匠さんのところにいた三毛猫も、やっぱり全力さんだったのかもしれないよ」
「まさか。もう五十五年も前の話だよ」
「フォールド・システムが本物なら、何の問題もないじゃない? 全力さんが、フォールド・システムと一緒に若い頃のお師匠さんのところに送り込まれたなら、何も矛盾は起こらないわ」
師匠が昔、猫を飼っていたという話は初耳だったが、全力さんがあの箱を異様に気に入っているのは間違いなかった。赤瀬川さんが、僕にわざわざそんな嘘をつく理由も思いつかない。
「いくら夢だからって、今まで全く知らなかった用語や、意識してなかった考えが、そんな克明に出てくるものかしら? 何か理由があると考えた方が自然よ」
「それは確かにそうだね」
「これまでの経緯がそもそも変よ。どれか一つピースが欠けても、今の状況は絶対に成立してない。数少ない友人が猫を飼う羽目になって、そのノロケ話に逆上して、それから猫の一杯いる街に引っ越して……」
あの猫が腐るほどいる街で、僕はなんだか犬みたいな性格をした半力さんに出会った。そして、半力さんを置いて仙台に戻ろうとした瞬間に、半力さんは謎の皮膚病にかかって動けなくなる。公募の落選はいつもの事だが、本気で殺そうと思っていたのに毒薬を入れ忘れて、結局僕は、正式に半力さんを飼うことになってしまった。
「一つ一つはありえる話だと思うけど、全部揃うと、何だか不思議な気はするね」
「そうよ。いくら何でも話ができすぎよ。前から居た全力さんはともかく、半力さんの生まれ変わりは本当だと思う。きっと、何か意味があって今ここに居るんだわ」
「そうだね」
「もしかしたら、別の世界線での提督は、あの箱を使って半力さんや全力さんと一緒に、色んな時代を渡り歩いたりしていたのかもしれない」
壁のプリンツは、そう力説した。多分、しばらく出番がなくてうっ憤が溜まっていたんだろう。彼女の事を思い出してよかった。僕はらしくもなく、家族のありがたみをひしひしと感じていた(タペストリーだけど)。
プリンツとの会話は有意義だが、非常にカロリーを使う。理論的に言えば、一つの脳ミソで二人分の思考を制御するんだから当然だ。子供の頃から基本的に一人で、動物以外に話す相手が居なかった僕は、こういうやり方じゃないと自分の思考をまとめられない。
僕はフラフラと部屋に入り、そのままバタンとベッドに倒れ込んだ。
まだお昼を少し回ったぐらいだというのに、少し肌寒さを感じる。戻ってきた時は真夏だったのに、最近の仙台は早くも秋の雰囲気を醸し出していた。シドの格好で過ごすのも、そろそろ限界かも知れない。
そもそも僕は、何でシドの真似事なんか始めたんだろう? 猫を寄せ付けないためだったのは間違いないが、奇抜な恰好なら、別にパンク・ファッションじゃなくったって良かったはずだ。たとえば、作務衣を着たっていい。坊主頭には、むしろそっちの方がよく似合う。
人生で挫折を繰り返すたびに、いつしか僕は、正しい事、真っ当な事をして生きることに疑問を持つようになった。そうやって生きていても、何もいいことがなかったからだ。
どうせ結果が同じなら、正しくなくても楽しいことをやった方が良い。だから僕は、シドの生き方に憧れた。
本人は幻想を押し付けられて辛かったかもしれないが、死ぬまでパンクな生き様を貫き、ロクに楽器も弾けないのにロックの歴史に名を遺した彼の生きざまに、僕は強烈に感化されてしまったのだ。
(続く)
その箱は美しい蒔絵の施された京漆器で、一流の品であることに間違いはないように思えた。今までは何とも思わなかったが、半力さんにそう言われてみると、何だか怪しい箱に見えてくる。
僕がトイレの砂を取り換えていると、赤瀬川さんが珍しく午前中から出てきた。掃除を終えた後、僕は馬鹿にされるのは覚悟の上で、昨日の夢について赤瀬川さんに話してみた。
「そりゃあ、また変な夢を見たもんだな」
「でしょう。あの箱って、一体何なんです?」
「お前の師匠――つまり、俺の義兄弟である剣乃 征大の遺品だよ。それなりに由緒のある品らしいが、何なのかは俺もよく知らない。まさか、捨てる訳にもいかないしな」
「そうですね」
「もし俺に万一の事があったら、お前にやるよ。そのフォールド・システムやらとは、何の関係もないと思うがな」
「あったら困りますよ。ところで赤瀬川さんは、何か動物を飼っていたことがありますか?」
半力さんは否定していたが、全力さんが、昔飼っていたペットの生まれ変わりという事はあり得る。いくら経済ヤクザとはいえ、ずっと極道の世界で生きてきた赤瀬川さんが、全力さんにだけこんなにデレデレなのは、どうにも腑に落ちないからだ。
「俺は何も飼ってないが、兄貴がよく、ノラ猫にエサをあげてたんだ。一番懐いてたのが、将門によく似た三毛猫だった。それで懐かしくなって、病院で貰って来たのさ」
「名前は?」
「だから、将門だよ。奴はいわば、二代目なのさ」
「じゃあ、デーモンコアは何なんですか?」
「ロスアラモスの実験で使われた、プルトニウムの塊だよ。なんか禍々しくていいだろ? まあ、病院で付けられてた仮名は、キャサリンだったけどな」
「どっちにしろ、似あってませんね」
全力さんが病院に保護された経緯は、前に少し聞いたことがある。まだ子猫だった頃に、一匹だけ群れからはぐれ、ニャーニャー泣いていたところを保護されたと、病院の先生は言っていた。
その時は、「全力さんなら、そんな事もあるだろうなあ……」と何の疑問も感じずにいたけれども、逆に言えば、全力さんの家族を見たものは誰もいない。
「まさかね……」
そう思いつつも、僕は昨日の夢をもう一度、思い出そうとしていた。
『ボクと遊んでる時も、時々あらぬことを口走ったりするんですよね。フォールド・システムがどうとかとか、この世界線は、もう失敗なんじゃないかなとか……』
夢の中の半力さんは、確かにそういった。僕は忘れないうちに、夢で出てきた世界線という言葉と、フォールド・システムについて調べてみた。
世界線とは、パラレルワールドとほとんど同じ意味だった。そして、フォールド・システムとは、SFの世界で、超光速の空間移動を可能とする装置の事らしい。もしそれが可能になれば、時間軸を遡ったり、一気に進めたりすることが出来るという。
すべてが一本の軸で繋がりそうで、なんだか微妙に繋がらかった。このまま自分一人で考え続けても、多分答えは出ないだろう。ならば頼るのは、僕の家内だ。
「赤瀬川さん。申し訳ありませんが、半力さんをしばらく見ててくれませんか?」
「本当に見てるだけだが、それでいいのか?」
「かまいません。ちょっと一人になりたいんです」
僕は、付いてこようとする半力さんを、無理やり事務所に押し返すと、ここから徒歩数分にある、自分のワンルームに駆け足で帰った。
「……という訳なんだけど、君はどう思う?」
僕は久しぶりに玄関のプリンツ・オイゲンのタペストリーに話しかけ、これまでの話を全て説明した。
「どうもこうも、答えは一つしかないんじゃない、提督?」
「一つ?」
「全力さんは、フォールド・システムを使って、何者かの手によって未来から送り込まれたのよ。提督に何かをさせるために……」
「まさか、そんな……」
「だって、お師匠さんの遺品である箱は確かに存在して、全力さんはいつもその上に居るんでしょ?」
「うん」
「だとしたら、昔お師匠さんのところにいた三毛猫も、やっぱり全力さんだったのかもしれないよ」
「まさか。もう五十五年も前の話だよ」
「フォールド・システムが本物なら、何の問題もないじゃない? 全力さんが、フォールド・システムと一緒に若い頃のお師匠さんのところに送り込まれたなら、何も矛盾は起こらないわ」
師匠が昔、猫を飼っていたという話は初耳だったが、全力さんがあの箱を異様に気に入っているのは間違いなかった。赤瀬川さんが、僕にわざわざそんな嘘をつく理由も思いつかない。
「いくら夢だからって、今まで全く知らなかった用語や、意識してなかった考えが、そんな克明に出てくるものかしら? 何か理由があると考えた方が自然よ」
「それは確かにそうだね」
「これまでの経緯がそもそも変よ。どれか一つピースが欠けても、今の状況は絶対に成立してない。数少ない友人が猫を飼う羽目になって、そのノロケ話に逆上して、それから猫の一杯いる街に引っ越して……」
あの猫が腐るほどいる街で、僕はなんだか犬みたいな性格をした半力さんに出会った。そして、半力さんを置いて仙台に戻ろうとした瞬間に、半力さんは謎の皮膚病にかかって動けなくなる。公募の落選はいつもの事だが、本気で殺そうと思っていたのに毒薬を入れ忘れて、結局僕は、正式に半力さんを飼うことになってしまった。
「一つ一つはありえる話だと思うけど、全部揃うと、何だか不思議な気はするね」
「そうよ。いくら何でも話ができすぎよ。前から居た全力さんはともかく、半力さんの生まれ変わりは本当だと思う。きっと、何か意味があって今ここに居るんだわ」
「そうだね」
「もしかしたら、別の世界線での提督は、あの箱を使って半力さんや全力さんと一緒に、色んな時代を渡り歩いたりしていたのかもしれない」
壁のプリンツは、そう力説した。多分、しばらく出番がなくてうっ憤が溜まっていたんだろう。彼女の事を思い出してよかった。僕はらしくもなく、家族のありがたみをひしひしと感じていた(タペストリーだけど)。
プリンツとの会話は有意義だが、非常にカロリーを使う。理論的に言えば、一つの脳ミソで二人分の思考を制御するんだから当然だ。子供の頃から基本的に一人で、動物以外に話す相手が居なかった僕は、こういうやり方じゃないと自分の思考をまとめられない。
僕はフラフラと部屋に入り、そのままバタンとベッドに倒れ込んだ。
まだお昼を少し回ったぐらいだというのに、少し肌寒さを感じる。戻ってきた時は真夏だったのに、最近の仙台は早くも秋の雰囲気を醸し出していた。シドの格好で過ごすのも、そろそろ限界かも知れない。
そもそも僕は、何でシドの真似事なんか始めたんだろう? 猫を寄せ付けないためだったのは間違いないが、奇抜な恰好なら、別にパンク・ファッションじゃなくったって良かったはずだ。たとえば、作務衣を着たっていい。坊主頭には、むしろそっちの方がよく似合う。
人生で挫折を繰り返すたびに、いつしか僕は、正しい事、真っ当な事をして生きることに疑問を持つようになった。そうやって生きていても、何もいいことがなかったからだ。
どうせ結果が同じなら、正しくなくても楽しいことをやった方が良い。だから僕は、シドの生き方に憧れた。
本人は幻想を押し付けられて辛かったかもしれないが、死ぬまでパンクな生き様を貫き、ロクに楽器も弾けないのにロックの歴史に名を遺した彼の生きざまに、僕は強烈に感化されてしまったのだ。
(続く)
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