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第一章「タペストリーの中のプリンツ・オイゲン」
第8話「半力さんの夢」
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「突然ですが、ボクはご主人様がちっちゃい時に飼っていた犬の生まれ変わりです」
「えっ?」
半力さんが僕の目の前でしゃべってる。半力さんは全力さんと違ってタダの猫だから、これはきっと夢だ。
「そうか。それで半力さんは、なんか犬っぽかったのか……」
「そうです。更に言うなら、僕は二代目・アンの生まれ変わりでもあります」
「初代じゃなくて?」
「はい。初代は、お母様の猫です。ご主人様の猫ではありません」
「そうなんだ」
「主人を持たない猫は居ますが、主人を二人持つ猫や犬は居ません。たとえ家族に飼われていたとしても、主人と仰ぐ人間は一人だけなんです」
アンというのは、犬がいなくなった後に来たシャム猫の名前だ。多分ポンは、事故で死んだか、保健所に連れていかれちゃって、その事を誤魔化すために、母親がどこかから貰って来たんだろう。僕がまだ子供の頃には、そこらじゅうの家で厄介になってる、半野良みたいな犬や猫が、そこら中に居た。
「二代目のアンは、確かに喧嘩が強かったな。猫のくせに、近所の小型犬まで泣かせてたっけ……」
「そうですよ。ご主人様を守るのが、ボクの役目ですから」
「でもアンは、半力さんよりは賢かったよ。何しろ、お母さんが凄かった」
「そうですね」
子どもと言うのは残酷なもので、犬が居なくなった悲しみは数日で忘れ、僕は新しく来た綺麗なシャム猫に夢中になった。アンはとても聡明な猫で、家族以外には決して心を許さず、それでいて寄り添って欲しい時にはちゃんと傍に居てくれた。
猫でありながら、そこらの駄犬より、よっぽど飼い主に忠実だった。
僕は今まで、色んな猫に出会ってきたけど、今でもあの猫が一番賢かった気がする。僕がダメ猫に厳しいのも、生粋のシャムの賢さを知っているからだ。今にして思えば、僕はアンから自分の子供のように思われていたのかもしれない。
だけどいつしか、アンはどこぞの黒トラの子を孕んでしまって、あまり僕とは遊んでくれなくなった。僕が黒トラを嫌うのはそのせいだ。そして生まれてきたのが、半力さんの前世だという二代目である。
二代目は、見た目こそアンに似ていたが、黒トラの血がそうさせるのかとにかく乱暴な猫だった。シャムのくせに鍵しっぽで、手足がかなり短かく、言われてみれば、少し半力さんに似ていた気もする。
「半力さんが二代目の生まれ変わりなら、不格好でも仕方ないかなぁ」
「そうですよ。鍵しっぽじゃないだけ、全然いいでしょう?」
「二代目は、猫のくせに体が全然しなやかじゃなくて、なんか筋肉の塊みたいな猫だった。あれは前世が犬だったからなのか」
二代目が生まれた頃、元々あまり仲の良くなかった僕の両親は別居をはじめた。僕は、アンやその子供たちと一緒に、母親に付いていった。母は勤めに出るようになり、いつも遅くまで帰ってこない。ご飯はちゃんと用意されていたけど、食べるのはいつも一人で、勝手に外に出ることも許されなかった。僕の友達は、アンとその子供たちだけだった。
だけどある日、その聡明なアンが事故に遭った。アンが偉かったのは、傷を負ったその体で、ちゃんと家まで戻ってきたことだ。当時の僕は幼くて、まだ死という概念を知らなかった。朝起きるとアンが玄関で堅くなってて、触ってもピクリともしなかった。僕はどうしたんだろう? と思いながらも、そのまま学校に向かった。
家に帰ったら、珍しく母が家に居て、「アンはもう焼いてもらった」と聞かされた。白いちっちゃな骨壺だけが、僕の手元に残された。あれが生き物の死を自覚した、最初の瞬間だった。
まだ小さかったアンの子供たちは、次々に貰われていった。だけど、一番不格好で、凶暴な二代目だけは、いつまでたっても引き取り手がなかった。僕はその凶暴な二代目にアンの名を受け継がせ、「この子だけは上げないで」と母に頼んだ。母はそれを了承したが、ボンクラで凶暴な二代目との楽しい日々は、長くは続かなかった。
母は僕ごと、二代目を捨てたのだ。
二年生に上がる頃、僕は児童養護施設に入ることになった。その施設には何故だか漫画が沢山あったし、外出できる時間は逆に増えたから、入る事自体に不満はなかったけど、アンと別れるのだけが嫌だった。だけど、僕にはどうすることも出来なかった。
「いつか必ず迎えに来るから」という言葉を残して、母は二代目を連れ、僕の前から消えた。母はその後、誰かと再婚したと聞いた。
「あれから、君はどうなったの?」
「捨てられました。でも、大丈夫。地域のボスになって、ちゃんと天寿を全うしたんです。あの辺りには、僕の血を引くノラ猫が、今でも沢山いるはずですよ」
「それは良かった」
「でも、ご主人さまには会えなかった。それだけがずっと心残りでした。こんな変な黒トラになっちゃいましたが、再会できて良かったです」
「別に拾う気はなかったんだけどね」
「いや。ご主人様は、ボクを気遣って、ゆっくり歩いてくださいました。変わらないなあって思いましたよ」
「逃げたって、どうせ追っかけてくるだろうなって思っただけだよ」
そう言って、僕は笑った。そうだ。僕はあのバカで、凶暴で、僕にとてもよく懐いてた二代目との別れがつらくて、猫を嫌いになろうとしたんだ。
「ボクはずっと、『早く猫か犬を飼ってくれないかなあ……』って思いながら、ご主人様を見てたんです。気づいたら、死んでから二十年も経ってました。天国暮らしも、もう飽きましたよ」
「もっと早く生まれ変わればよかったのに……。ニワトリなら、僕は二匹飼ってたよ」
「卵から生まれるような奴らなんて、信用できませんよ。僕には犬としてのプライドがあるんです。猫だけど」
僕は昔、とんでもないトラブルに巻き込まれたことがあって、人里離れた山のおうちで自給自足の生活を試みたことがあった。それで、ヒヨコからニワトリを育てたのだ。
「それに結局、二匹とも、イタチに襲われて死んだじゃないですか?」
「あれは可哀想なことをしたなあ……。結構懐いてたし、せっかく、ちゃんと卵生むところまで育てたのに」
「亡骸を焼いてる時は、ちょっと美味しそうだなあと思ってみてました。どうせなら、食べてあげればよかったのに」
「若鳥だから美味しかっただろうけど、流石に食う気にはなれなかったよ」
そう答えた時、僕は違和感に気づいた。
「鳥はともかく、全力さんに生まれ変わってくれば良かったじゃないか? そしたら、あと五年は早く再会できたよ。飼い主は赤瀬川さんだけど、ほとんど僕が世話してるんだし」
「全力さんは、猫じゃないから無理です」
「猫じゃない? 三毛猫を超えた何かだってこと?」
「いや、比喩的な意味じゃなく、マジで」
「じゃあ、一体何だっていうんだ?」
僕がそう問い詰めると、半力さんは困ったような顔で、「ボクにもよく分からないのです」と言った。とにかく全力さんは、僕らの知ってる輪廻転生の枠からは外れた存在らしい。
「生き物かどうかも怪しいと思います。もしかしたら、未来から送り込まれた生体兵器かなんかじゃないかな?」
「生体兵器? コオロギと五分のヘタレなのに?」
「確かに喧嘩は弱いですけど、全力さんって時々、ご主人様の事をジッと見つめてたりしませんか?」
「してる」
「死んだ目のまま、数分間動かなくなったりもしてますよね?」
「そうだね」
「あれって多分、情報をどっかに送ってるんだと思うんですよね。陰口みたいで嫌ですけど、あんまり重要なことを、全力さんの前で話さない方が良いんじゃないかな?」
そう語る半力さんの表情は、とてもまじめだった。
「重要な事って?」
「うーん、分からないですけど、全力さんのバックに居る何者かが、ご主人様の事を探ってるのは間違いないと思うんです」
「探ったって何も出てこないと思うけどなあ……。僕も赤瀬川さんも、とっくに相場からは足を洗ってるし。ところで普段、君は全力さんとどんな話をしてるの?」
「大体、食い物の話しかしないですよ。あと、赤瀬川さんが見てるヤクザ映画の話とか」
全力さんは、ヤクザ映画の物真似をするのが大好きで、『お前、ワシと兄弟分にならんか?』って五月蠅いので、仕方なくちゅーるで盃を交わしたという。半力さんが弟だそうだ。
「そっか。悪いけど、ああ見えて全力さんはメンヘラだから、上手く立ててあげてくれ」
「はい。それくらいなら別に構わないんですけど、ボクと遊んでる時も、時々あらぬことを口走ったりするんですよね」
「あらぬこと?」
「フォールド・システムがどうとかとか、『この世界線は、もう失敗なんじゃないかな』とか……」
「フォールド・システム?」
「全力さんがよく居眠りしてる、変な箱が赤瀬川さんの事務所にあるでしょう? どうも、あれがそうらしいんです」
半力さんがそう答えた瞬間、目が覚めた。変な夢だった。半力さんは丸くなって、僕の足元で寝ていた。
(続く)
「えっ?」
半力さんが僕の目の前でしゃべってる。半力さんは全力さんと違ってタダの猫だから、これはきっと夢だ。
「そうか。それで半力さんは、なんか犬っぽかったのか……」
「そうです。更に言うなら、僕は二代目・アンの生まれ変わりでもあります」
「初代じゃなくて?」
「はい。初代は、お母様の猫です。ご主人様の猫ではありません」
「そうなんだ」
「主人を持たない猫は居ますが、主人を二人持つ猫や犬は居ません。たとえ家族に飼われていたとしても、主人と仰ぐ人間は一人だけなんです」
アンというのは、犬がいなくなった後に来たシャム猫の名前だ。多分ポンは、事故で死んだか、保健所に連れていかれちゃって、その事を誤魔化すために、母親がどこかから貰って来たんだろう。僕がまだ子供の頃には、そこらじゅうの家で厄介になってる、半野良みたいな犬や猫が、そこら中に居た。
「二代目のアンは、確かに喧嘩が強かったな。猫のくせに、近所の小型犬まで泣かせてたっけ……」
「そうですよ。ご主人様を守るのが、ボクの役目ですから」
「でもアンは、半力さんよりは賢かったよ。何しろ、お母さんが凄かった」
「そうですね」
子どもと言うのは残酷なもので、犬が居なくなった悲しみは数日で忘れ、僕は新しく来た綺麗なシャム猫に夢中になった。アンはとても聡明な猫で、家族以外には決して心を許さず、それでいて寄り添って欲しい時にはちゃんと傍に居てくれた。
猫でありながら、そこらの駄犬より、よっぽど飼い主に忠実だった。
僕は今まで、色んな猫に出会ってきたけど、今でもあの猫が一番賢かった気がする。僕がダメ猫に厳しいのも、生粋のシャムの賢さを知っているからだ。今にして思えば、僕はアンから自分の子供のように思われていたのかもしれない。
だけどいつしか、アンはどこぞの黒トラの子を孕んでしまって、あまり僕とは遊んでくれなくなった。僕が黒トラを嫌うのはそのせいだ。そして生まれてきたのが、半力さんの前世だという二代目である。
二代目は、見た目こそアンに似ていたが、黒トラの血がそうさせるのかとにかく乱暴な猫だった。シャムのくせに鍵しっぽで、手足がかなり短かく、言われてみれば、少し半力さんに似ていた気もする。
「半力さんが二代目の生まれ変わりなら、不格好でも仕方ないかなぁ」
「そうですよ。鍵しっぽじゃないだけ、全然いいでしょう?」
「二代目は、猫のくせに体が全然しなやかじゃなくて、なんか筋肉の塊みたいな猫だった。あれは前世が犬だったからなのか」
二代目が生まれた頃、元々あまり仲の良くなかった僕の両親は別居をはじめた。僕は、アンやその子供たちと一緒に、母親に付いていった。母は勤めに出るようになり、いつも遅くまで帰ってこない。ご飯はちゃんと用意されていたけど、食べるのはいつも一人で、勝手に外に出ることも許されなかった。僕の友達は、アンとその子供たちだけだった。
だけどある日、その聡明なアンが事故に遭った。アンが偉かったのは、傷を負ったその体で、ちゃんと家まで戻ってきたことだ。当時の僕は幼くて、まだ死という概念を知らなかった。朝起きるとアンが玄関で堅くなってて、触ってもピクリともしなかった。僕はどうしたんだろう? と思いながらも、そのまま学校に向かった。
家に帰ったら、珍しく母が家に居て、「アンはもう焼いてもらった」と聞かされた。白いちっちゃな骨壺だけが、僕の手元に残された。あれが生き物の死を自覚した、最初の瞬間だった。
まだ小さかったアンの子供たちは、次々に貰われていった。だけど、一番不格好で、凶暴な二代目だけは、いつまでたっても引き取り手がなかった。僕はその凶暴な二代目にアンの名を受け継がせ、「この子だけは上げないで」と母に頼んだ。母はそれを了承したが、ボンクラで凶暴な二代目との楽しい日々は、長くは続かなかった。
母は僕ごと、二代目を捨てたのだ。
二年生に上がる頃、僕は児童養護施設に入ることになった。その施設には何故だか漫画が沢山あったし、外出できる時間は逆に増えたから、入る事自体に不満はなかったけど、アンと別れるのだけが嫌だった。だけど、僕にはどうすることも出来なかった。
「いつか必ず迎えに来るから」という言葉を残して、母は二代目を連れ、僕の前から消えた。母はその後、誰かと再婚したと聞いた。
「あれから、君はどうなったの?」
「捨てられました。でも、大丈夫。地域のボスになって、ちゃんと天寿を全うしたんです。あの辺りには、僕の血を引くノラ猫が、今でも沢山いるはずですよ」
「それは良かった」
「でも、ご主人さまには会えなかった。それだけがずっと心残りでした。こんな変な黒トラになっちゃいましたが、再会できて良かったです」
「別に拾う気はなかったんだけどね」
「いや。ご主人様は、ボクを気遣って、ゆっくり歩いてくださいました。変わらないなあって思いましたよ」
「逃げたって、どうせ追っかけてくるだろうなって思っただけだよ」
そう言って、僕は笑った。そうだ。僕はあのバカで、凶暴で、僕にとてもよく懐いてた二代目との別れがつらくて、猫を嫌いになろうとしたんだ。
「ボクはずっと、『早く猫か犬を飼ってくれないかなあ……』って思いながら、ご主人様を見てたんです。気づいたら、死んでから二十年も経ってました。天国暮らしも、もう飽きましたよ」
「もっと早く生まれ変わればよかったのに……。ニワトリなら、僕は二匹飼ってたよ」
「卵から生まれるような奴らなんて、信用できませんよ。僕には犬としてのプライドがあるんです。猫だけど」
僕は昔、とんでもないトラブルに巻き込まれたことがあって、人里離れた山のおうちで自給自足の生活を試みたことがあった。それで、ヒヨコからニワトリを育てたのだ。
「それに結局、二匹とも、イタチに襲われて死んだじゃないですか?」
「あれは可哀想なことをしたなあ……。結構懐いてたし、せっかく、ちゃんと卵生むところまで育てたのに」
「亡骸を焼いてる時は、ちょっと美味しそうだなあと思ってみてました。どうせなら、食べてあげればよかったのに」
「若鳥だから美味しかっただろうけど、流石に食う気にはなれなかったよ」
そう答えた時、僕は違和感に気づいた。
「鳥はともかく、全力さんに生まれ変わってくれば良かったじゃないか? そしたら、あと五年は早く再会できたよ。飼い主は赤瀬川さんだけど、ほとんど僕が世話してるんだし」
「全力さんは、猫じゃないから無理です」
「猫じゃない? 三毛猫を超えた何かだってこと?」
「いや、比喩的な意味じゃなく、マジで」
「じゃあ、一体何だっていうんだ?」
僕がそう問い詰めると、半力さんは困ったような顔で、「ボクにもよく分からないのです」と言った。とにかく全力さんは、僕らの知ってる輪廻転生の枠からは外れた存在らしい。
「生き物かどうかも怪しいと思います。もしかしたら、未来から送り込まれた生体兵器かなんかじゃないかな?」
「生体兵器? コオロギと五分のヘタレなのに?」
「確かに喧嘩は弱いですけど、全力さんって時々、ご主人様の事をジッと見つめてたりしませんか?」
「してる」
「死んだ目のまま、数分間動かなくなったりもしてますよね?」
「そうだね」
「あれって多分、情報をどっかに送ってるんだと思うんですよね。陰口みたいで嫌ですけど、あんまり重要なことを、全力さんの前で話さない方が良いんじゃないかな?」
そう語る半力さんの表情は、とてもまじめだった。
「重要な事って?」
「うーん、分からないですけど、全力さんのバックに居る何者かが、ご主人様の事を探ってるのは間違いないと思うんです」
「探ったって何も出てこないと思うけどなあ……。僕も赤瀬川さんも、とっくに相場からは足を洗ってるし。ところで普段、君は全力さんとどんな話をしてるの?」
「大体、食い物の話しかしないですよ。あと、赤瀬川さんが見てるヤクザ映画の話とか」
全力さんは、ヤクザ映画の物真似をするのが大好きで、『お前、ワシと兄弟分にならんか?』って五月蠅いので、仕方なくちゅーるで盃を交わしたという。半力さんが弟だそうだ。
「そっか。悪いけど、ああ見えて全力さんはメンヘラだから、上手く立ててあげてくれ」
「はい。それくらいなら別に構わないんですけど、ボクと遊んでる時も、時々あらぬことを口走ったりするんですよね」
「あらぬこと?」
「フォールド・システムがどうとかとか、『この世界線は、もう失敗なんじゃないかな』とか……」
「フォールド・システム?」
「全力さんがよく居眠りしてる、変な箱が赤瀬川さんの事務所にあるでしょう? どうも、あれがそうらしいんです」
半力さんがそう答えた瞬間、目が覚めた。変な夢だった。半力さんは丸くなって、僕の足元で寝ていた。
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