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第4話「決意をしたシド・ヴィシャス」
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丸々と太った半力さんのおかげで、僕は外出の度ごとに、ずいぶん憂鬱な気持にさせられた。だが、そうして付いて歩いていた頃は、まだ良かったのである。大きくなった半力さんは、隠していた凶暴な本性を暴露しはじめた。行きあう猫の全てと、喧嘩して回るのである。
半力さんは足も短く、若年でありながら、喧嘩はかなり強い。ここが全力さんとは、まったく違うところだった。小牛のような大型犬に飛びかかっていって、あやうく死にかけたこともある。あの時は僕が蒼くなった。大型犬が、前足でころころ半力さんをおもちゃにして、本気でつきあってくれなかったので、半力さんも命が助かった。
近所のニワトリ小屋に踏みこみ、あっという間に袋叩きにされて、ミャーミャー泣きながら帰ってきたこともある。まあ、雄のニワトリは意外と強いから当たり前なんだけど、「なんで半力さんは、わざわざあんな所にツッコミに行くんだ?」と呆れたものだ。
どうやら半力さんは、勝つとか負けるとかじゃなくて、何か目の前に動いているものがあると、本能のままに飛びかかってしまうらしい。だが、何故だか虫の音は怖いらしく、この前はコオロギ相手にじりじりと退却していた。泣き声が悲鳴に近くなり、黒トラの半力さんの顔が、次第に蒼黒くなってくる。流石にその時は、僕も声をあげて笑った。全力さんでさえ、コオロギなら五分でやりあえるというのに、不思議な奴だ。
そういう訳で、半力さんは猫相手ならかなりやるのだが、異種格闘技戦となると、かなり分が悪いという感じであった。
いずれにせよ、僕は喧嘩を好まない。往来で野獣の組打ちを放置しているのは、文明国の恥だと信じている。かの耳をつんざくばかりの喧喧囂囂、シャーシャーいう猫の喚き声には、ドカンドカンと鉄砲を打ち込んでやりたいくらいの憤怒を感じているのである(うそ。流石にそこまでは感じてない)。
確かに僕は、半力さんを愛している。愛してはいるが、「このまま一緒に居ても先がないなあ……」とも思っている。半力さんはいつも僕に付いてきて、まるで僕を守ることが義務であるかの如く、相手が誰であろうと突っかかってゆく。だが僕は、その喧嘩を見ながら気が気ではなかった。なにしろ僕は、外ではシド・ヴィシャスの真似事をしているので、レザージャケットの下は裸同然なのだ。
喧嘩が始まった途端、タクシーを呼びとめて、一目散に逃げだしたい気持なのである。猫同士の組打ちで終るならまだしも、相手が大型犬や、更に凶暴なケモノだったら、どうするというのだ? 主人の僕に飛びかかってくるようなことだって、ないとはいえまい。
そもそも猫自体が、毒蛇をも容易たやすく屠る、トラやライオンの親戚である。気が狂ったら、一体何をしでかすか分かったものではない。僕はむごたらしく噛み裂かれ、三×七、二十一日間、病院に通わなければならないかもしれないのだ。僕は、機会あるごとに、半力さんにこう言い聞かせた。
「喧嘩をしてはいけないよ。喧嘩をするなら、僕から離れたところでやってもらいたい。僕は、争いごとに巻き込まれるのは嫌なんだ」
そう言われると、半力さんは多少しょげるのだ。全力さんとは違い、人の言葉が少し分かるらしいのである。いよいよ僕は、半力さんを薄気味悪くに思った。僕の忠告が効を奏したのか、あるいは、かの大型犬にぶざまな惨敗を喫したせいか、半力さんは、それからは眼に見えて、喧嘩を避けるようになった。
他の猫に喧嘩を売られると、「いや、こう見えて、僕はノーブルな生まれなんで」とでも言わんばかりに、上品ぶった顔でしっぽを立てるのである。そして相手の猫を、「仕方のない奴だね」と、さも憐れむような目で見つめるのだ。そうして半力さんは僕の顔色を伺い、心なしか笑みを浮かべながら、尻尾を振って僕を先導するのである。
「一つも良いところがないでしょう? こいつはいつも、僕の顔色ばかり伺っていやがるんです」と、僕は電話口の赤瀬川さんに向かってそういった。
「お前があんまり構うからだよ」
赤瀬川さんは、笑いながらそう答えた。彼は初めから、半力さんの話には無関心である。これが全力さんの話なら、相手が堅気だろうと容赦はしないのだろうが、所詮、余所の猫の事なんて知ったこっちゃないのだ。
「性格が破産しちゃったんじゃねえ?」
「お世話係に、似て来たという訳ですかね」
僕はいよいよ、苦々しく思った。皆さんも既にご承知だとは思うが、赤瀬川さんは、「将門、将門」などと呼んで、全力さんを猫かわいがりするだけで、トイレの始末やブラッシングなどは一切しない。それは、僕を始めとする舎弟の仕事である。
「そろそろ、物書きもお開きにして帰って来いよ。将門も寂しがってる」
僕が仙台を離れてもう七か月だ。全力さんは、ああ見えて気難しい所もある猫だから、きっと、他のお世話係が音を上げているのだろう。寂しがっているというのも、まんざらウソではあるまい。
「そんなこといっても、半力さんの引き取り手を探さないと戻れませんよ」
「一緒に、連れて帰りゃいいじゃねえか?」
赤瀬川さんは、やはり半力さんをあまり問題にしていない。世話をするのは自分ではないから、どうでもいいのである。だが全力さんは、メンヘラが毛皮を着て歩いているような猫だ。半力さんと、上手くやれるはずがない。ましてや半力さんは、同じ猫相手の喧嘩なら、ほぼ全勝の手練れである。下手したら、全力さんの方がいじめられてしまうかもしれない。
このヤサの契約は、七月の末までであった。この辺は周囲を緑に囲まれ、街中に水路が流れており、比較的涼しい。とはいえ、真夏をエアコンなしで過ごせるような土地でもなかった。ようやく一本、作品を書き上げた僕は、ぼちぼち涼しい所に移動しようと思っていたのだが、問題はこの半力さんである。
僕は赤瀬川さんのとの通話を終えた後、玄関の家内と、今後の事について相談した。
「僕はね、半力さんが可愛いから養っているんじゃないんだよ。あのまま放置したら死んじゃいそうだったから、仕方なく一時的に保護しただけだ。わからんかね?」
「でも提督は、ちょっと半力さんが見えなくなると、『どこへ行ったろう、どこへ行ったろう』と大騒ぎじゃない?」
「いなくなると、いっそう薄気味が悪いからさ。アイツはああ見えて喧嘩が強いから、ここらの猫に一目置かれてるんだ。僕に隠れて、何事か企んでいるかもしれない」
「まさか、そんなぁ……」
「いやいや、アイツは、僕に軽蔑されていることを知っているんだ。猫は復讐心が強いそうだからなあ……」
勿論これも、全部僕の独り言である。僕は別に引きこもりではないが、妄想力が激しすぎて、誰かと会話している体でないと、自分の考えをまとめられないのだ。
このまま、忘れたフリしてここへ置いていけば、まさか半力さんも、仙台まで追いかけてくることはあるまい。いやきっと、川越街道すら越えられないはずだ。ああ見えて結構強いし、多少太り気味とはいえ可愛いと言えなくもないし、ここらには地域猫も沢山いるから、飢えて死ぬ事は無いだろう。
僕は、半力さんを捨てるのではない。うっかり、連れてゆくことを忘れるのである。罪にはならない。また半力さんに恨まれる筋合もない。あの時僕が保護しなければ、断たれていた命だ。復讐されるいわれはない。
「大丈夫だよね? 置いていっても、飢え死するようなことはないよね?」
「まあ、もともと捨て猫だったんだし、喧嘩も強いから、大丈夫じゃない?」
「首輪はつけてるし、人間にも慣れてるから、保健所に連れていかれる事は無いだろう。なんとか、うまくやってゆくだろう。あんな猫、仙台へ連れていったんじゃ、赤瀬川さんに笑われちゃうよ。だいいち、胴が長すぎる。みっともない」
半力さんも、シド・ヴィシャスの真似事も、もう沢山だ。猫はもう、当分見たくない。一旦仙台に戻り、赤瀬川さんへの義理を果たしたら、どこか涼しいところに行ってしばらく休む。僕はそう決意した。
(続く)
半力さんは足も短く、若年でありながら、喧嘩はかなり強い。ここが全力さんとは、まったく違うところだった。小牛のような大型犬に飛びかかっていって、あやうく死にかけたこともある。あの時は僕が蒼くなった。大型犬が、前足でころころ半力さんをおもちゃにして、本気でつきあってくれなかったので、半力さんも命が助かった。
近所のニワトリ小屋に踏みこみ、あっという間に袋叩きにされて、ミャーミャー泣きながら帰ってきたこともある。まあ、雄のニワトリは意外と強いから当たり前なんだけど、「なんで半力さんは、わざわざあんな所にツッコミに行くんだ?」と呆れたものだ。
どうやら半力さんは、勝つとか負けるとかじゃなくて、何か目の前に動いているものがあると、本能のままに飛びかかってしまうらしい。だが、何故だか虫の音は怖いらしく、この前はコオロギ相手にじりじりと退却していた。泣き声が悲鳴に近くなり、黒トラの半力さんの顔が、次第に蒼黒くなってくる。流石にその時は、僕も声をあげて笑った。全力さんでさえ、コオロギなら五分でやりあえるというのに、不思議な奴だ。
そういう訳で、半力さんは猫相手ならかなりやるのだが、異種格闘技戦となると、かなり分が悪いという感じであった。
いずれにせよ、僕は喧嘩を好まない。往来で野獣の組打ちを放置しているのは、文明国の恥だと信じている。かの耳をつんざくばかりの喧喧囂囂、シャーシャーいう猫の喚き声には、ドカンドカンと鉄砲を打ち込んでやりたいくらいの憤怒を感じているのである(うそ。流石にそこまでは感じてない)。
確かに僕は、半力さんを愛している。愛してはいるが、「このまま一緒に居ても先がないなあ……」とも思っている。半力さんはいつも僕に付いてきて、まるで僕を守ることが義務であるかの如く、相手が誰であろうと突っかかってゆく。だが僕は、その喧嘩を見ながら気が気ではなかった。なにしろ僕は、外ではシド・ヴィシャスの真似事をしているので、レザージャケットの下は裸同然なのだ。
喧嘩が始まった途端、タクシーを呼びとめて、一目散に逃げだしたい気持なのである。猫同士の組打ちで終るならまだしも、相手が大型犬や、更に凶暴なケモノだったら、どうするというのだ? 主人の僕に飛びかかってくるようなことだって、ないとはいえまい。
そもそも猫自体が、毒蛇をも容易たやすく屠る、トラやライオンの親戚である。気が狂ったら、一体何をしでかすか分かったものではない。僕はむごたらしく噛み裂かれ、三×七、二十一日間、病院に通わなければならないかもしれないのだ。僕は、機会あるごとに、半力さんにこう言い聞かせた。
「喧嘩をしてはいけないよ。喧嘩をするなら、僕から離れたところでやってもらいたい。僕は、争いごとに巻き込まれるのは嫌なんだ」
そう言われると、半力さんは多少しょげるのだ。全力さんとは違い、人の言葉が少し分かるらしいのである。いよいよ僕は、半力さんを薄気味悪くに思った。僕の忠告が効を奏したのか、あるいは、かの大型犬にぶざまな惨敗を喫したせいか、半力さんは、それからは眼に見えて、喧嘩を避けるようになった。
他の猫に喧嘩を売られると、「いや、こう見えて、僕はノーブルな生まれなんで」とでも言わんばかりに、上品ぶった顔でしっぽを立てるのである。そして相手の猫を、「仕方のない奴だね」と、さも憐れむような目で見つめるのだ。そうして半力さんは僕の顔色を伺い、心なしか笑みを浮かべながら、尻尾を振って僕を先導するのである。
「一つも良いところがないでしょう? こいつはいつも、僕の顔色ばかり伺っていやがるんです」と、僕は電話口の赤瀬川さんに向かってそういった。
「お前があんまり構うからだよ」
赤瀬川さんは、笑いながらそう答えた。彼は初めから、半力さんの話には無関心である。これが全力さんの話なら、相手が堅気だろうと容赦はしないのだろうが、所詮、余所の猫の事なんて知ったこっちゃないのだ。
「性格が破産しちゃったんじゃねえ?」
「お世話係に、似て来たという訳ですかね」
僕はいよいよ、苦々しく思った。皆さんも既にご承知だとは思うが、赤瀬川さんは、「将門、将門」などと呼んで、全力さんを猫かわいがりするだけで、トイレの始末やブラッシングなどは一切しない。それは、僕を始めとする舎弟の仕事である。
「そろそろ、物書きもお開きにして帰って来いよ。将門も寂しがってる」
僕が仙台を離れてもう七か月だ。全力さんは、ああ見えて気難しい所もある猫だから、きっと、他のお世話係が音を上げているのだろう。寂しがっているというのも、まんざらウソではあるまい。
「そんなこといっても、半力さんの引き取り手を探さないと戻れませんよ」
「一緒に、連れて帰りゃいいじゃねえか?」
赤瀬川さんは、やはり半力さんをあまり問題にしていない。世話をするのは自分ではないから、どうでもいいのである。だが全力さんは、メンヘラが毛皮を着て歩いているような猫だ。半力さんと、上手くやれるはずがない。ましてや半力さんは、同じ猫相手の喧嘩なら、ほぼ全勝の手練れである。下手したら、全力さんの方がいじめられてしまうかもしれない。
このヤサの契約は、七月の末までであった。この辺は周囲を緑に囲まれ、街中に水路が流れており、比較的涼しい。とはいえ、真夏をエアコンなしで過ごせるような土地でもなかった。ようやく一本、作品を書き上げた僕は、ぼちぼち涼しい所に移動しようと思っていたのだが、問題はこの半力さんである。
僕は赤瀬川さんのとの通話を終えた後、玄関の家内と、今後の事について相談した。
「僕はね、半力さんが可愛いから養っているんじゃないんだよ。あのまま放置したら死んじゃいそうだったから、仕方なく一時的に保護しただけだ。わからんかね?」
「でも提督は、ちょっと半力さんが見えなくなると、『どこへ行ったろう、どこへ行ったろう』と大騒ぎじゃない?」
「いなくなると、いっそう薄気味が悪いからさ。アイツはああ見えて喧嘩が強いから、ここらの猫に一目置かれてるんだ。僕に隠れて、何事か企んでいるかもしれない」
「まさか、そんなぁ……」
「いやいや、アイツは、僕に軽蔑されていることを知っているんだ。猫は復讐心が強いそうだからなあ……」
勿論これも、全部僕の独り言である。僕は別に引きこもりではないが、妄想力が激しすぎて、誰かと会話している体でないと、自分の考えをまとめられないのだ。
このまま、忘れたフリしてここへ置いていけば、まさか半力さんも、仙台まで追いかけてくることはあるまい。いやきっと、川越街道すら越えられないはずだ。ああ見えて結構強いし、多少太り気味とはいえ可愛いと言えなくもないし、ここらには地域猫も沢山いるから、飢えて死ぬ事は無いだろう。
僕は、半力さんを捨てるのではない。うっかり、連れてゆくことを忘れるのである。罪にはならない。また半力さんに恨まれる筋合もない。あの時僕が保護しなければ、断たれていた命だ。復讐されるいわれはない。
「大丈夫だよね? 置いていっても、飢え死するようなことはないよね?」
「まあ、もともと捨て猫だったんだし、喧嘩も強いから、大丈夫じゃない?」
「首輪はつけてるし、人間にも慣れてるから、保健所に連れていかれる事は無いだろう。なんとか、うまくやってゆくだろう。あんな猫、仙台へ連れていったんじゃ、赤瀬川さんに笑われちゃうよ。だいいち、胴が長すぎる。みっともない」
半力さんも、シド・ヴィシャスの真似事も、もう沢山だ。猫はもう、当分見たくない。一旦仙台に戻り、赤瀬川さんへの義理を果たしたら、どこか涼しいところに行ってしばらく休む。僕はそう決意した。
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