9 / 10
第9話「事件の顛末」
しおりを挟む
「最初は本当に、代金のご相談に上がるだけのつもりだったのです。流石に盗まれたまま、放っておける代物ではないですからね」
そう言って、ヴァルダさんは今回の事件の顛末を語りだした。ヴァルダさんが言うには、中村教授の二番目の妻が浮気性であることは、学生の噂話等で、前々から小耳に挟んでいたらしい。
相当な美人の様だし、歳の差が歳の差だから、十分にあり得る話だ。何か役に立つこともあるかもしれぬと、色々と準備をしていったら、いきなり現場に鉢合わせしたそうである。その現場を写真に収めてから、ヴァルダさんは今回の計画を立てた。
教授は「何かお宝がないか」と毎日のように顔を出すし、僕は半分以上ヴァルダさん目当てで店に来てるから、雨降りの今日はきっと鉢合わせるに違いないと、最初から思っていたそうだ。
「それでなんだか、今日はそわそわしていたのですね。熱心に棚の掃除もしていたし」
「そうよ。あんまり雨が強いので、今日は教授が来ないんじゃないかと、ヒヤヒヤしてたわ。貴方は何か話せっていうけれど、教授が来る前に祈祷書の話をする訳にはいかない。それで、シルレルの話をしたり、マクベスの話をしたりして繋いでいたの」
僕がアニメオタクだってことも、ヴァルダさんにはとっくにお見通しらしい。
「なるほど。ところで、あの企画書の話は本当ですか? 全く聞いたことのないシロモノなのですが……」
「本当の訳ないじゃない。貴方がメシマズな顔をしてたから、食いつきそうな話をでっち上げただけよ。あそこで帰られちゃ、計画もご破算ですからね」
「なるほど。それで、今日に限ってお金なんか取ったのか」
「そうよ。少しでも身銭を切らせれば、元を取るまでは帰らないと思ってね」
別にそんなことしなくても、僕は歓談中に他の客が来たりだとか、ヴァルダさんに直接帰れと言われない限り、大体、店に居すわってるのだけど、念には念を入れたという事だろう。
「まあ、途中から何かおかしいなとは思ってたんです。急にユダヤの話なんか始めるし、島原の乱の頃に日本に辿り着いたって本に、ピョートル大帝の事が書いてある訳がないですから」
「それくらいの世界史の知識はあるみたいね」
島原の乱は一六三七年。ピョートルが帝位についたのは、一六八二年だ。アルという悪魔が実在したとしても、ピョートルの事が祈祷書に書かれている訳がない。
「でもその辺の事は、先生は全く気付いてなかったと思うわ。私、先生が中に入ってきた途端、話題を変えたでしょう?」
「そうでしたっけ?」
「ええ。本をすり替える手癖の悪い学生の話にね。貴方はずっと、こっちを向いてたから気づかなかったでしょうけど、先生はしっかり聞き耳を立ててたわ。まあ、そうでなくっちゃ困るんですけどね」
「それで、盗まれた祈祷書の話を始めたと……」
「そうよ。でもあの時点では、まだ嵌めるつもりはなかったの。直ぐに白状して下されば、シルレルの詩集を手放さずに済んだのにね」
なんでも、あの中村とか言う教授はドイツ文学以外はさっぱりらしい。だから、あの祈祷書にそれなりの価値がある事を理解させないと、金なんて払いっこないと思ったと、ヴァルダさんは僕にいった。
「手口は分かってることを話しても、彼は自分が盗んだことを言い出さなかった。むしろ、自分が犯人である事はバレてないと思って安心したはずよ。だから私、計画通りに先生を嵌めることにしたの」
「正札の三倍の話は、ちゃんとしてましたもんね」
「そうよ。私は嵌める時はフェアに嵌める。それも嘘ではなく、真実だけを使ってね。本当の事を、人は疑えないから」
そういって、ヴァルダさんは口元に笑みを浮かべた。
「そうですね。悪魔の話も、ユダヤの長老の話も、まるでヴァルダさんがデュッコ本人じゃないかって思う位に真に迫ってましたよ」
「まあ、デュッコ・シュレッカーは、私が過去に仕えた伝承者の一人だしね。私だけでなく、沢山の悪魔を使役して、長老たちの刺客と戦ってたの。なかなか面白い男だったわ」
「えっ?」
「いや、こっちの話。さて、アケミさん。今日のお話はご満足いただけたかしら?」
普段は、『貴方』としか言わないヴァルダさんが、下の名前で僕を呼んだ。どうやら、謀が上手く行って至極ご機嫌のようだ。
「ええ、勿論。とても楽しかったです」
「では、お代を」
そういって、ヴァルダさんが差し出した請求書には、『金参千円也』と書かれてあった。
「えー、本当に取るんですか? 僕のお陰で、教授を嵌められたのに」
「それとこれとは話が別よ。こちらも商売ですからね」
「分かりましたよ。じゃあ、三千円」
僕は懐から財布を取り出し、ヴァルダさんに紙幣を三枚、手渡した。いつの間にか、あんなに強かった夕立の雨音も聞こえなくなっていた。
「雨も止んだようね。だいぶ明るくなって来たわ」
「そうですね」
「明日はお天気になりましょう。さて、今日は少し早じまいしようかしらね。流石に少し疲れたわ。取り合えず、百万円も入ったことだし」
「僕の三千円もね」
「そうね。毎度ありがとう存じます。これからもどうぞご贔屓に」
それから中村先生の手つきの悪さはなくなり、まさか生徒に指導した訳でもないだろうが、店に来る学生たちの態度の悪さも、目に見えて改善されたという。
オタバレした僕は、いっそ開き直ろうと、流行りの漫画やラノベをヴァルダさんに教え始めた。ヴァルダさんは中身には全く興味がないようだが、アドバイスは素直に受け入れてくれて、『死者の書のしもべ』でも、客寄せにその手の本を扱いだした。おかげで経営は順調のようだ。
時折、「〇〇先生の新作はどうなの?」などと尋ねられたりもする。都合良く転がされてるだけかもしれないが、ヴァルダさんとの距離がほんの少し縮まった気がして、僕は素直に嬉しかった。
僕の体の中には、名うての収集家だった爺ちゃんの血が流れている。ラノベや漫画については、それなりに目利きの力もあるつもりだ。いつかこの店で、ヴァルダさんと一緒に働ければいいなと、僕は静かに夢想した――
と、これで終われば、普通に良い話なのであるが、現実と言うものはどうにも後味の悪いものらしい。それから二カ月ほどたったある日の事、僕がまた雨の日に爺ちゃんの本を持って『死者の書のしもべ』に行くと、少しばかり意外な展開が待っていたのだ。
(続く)
そう言って、ヴァルダさんは今回の事件の顛末を語りだした。ヴァルダさんが言うには、中村教授の二番目の妻が浮気性であることは、学生の噂話等で、前々から小耳に挟んでいたらしい。
相当な美人の様だし、歳の差が歳の差だから、十分にあり得る話だ。何か役に立つこともあるかもしれぬと、色々と準備をしていったら、いきなり現場に鉢合わせしたそうである。その現場を写真に収めてから、ヴァルダさんは今回の計画を立てた。
教授は「何かお宝がないか」と毎日のように顔を出すし、僕は半分以上ヴァルダさん目当てで店に来てるから、雨降りの今日はきっと鉢合わせるに違いないと、最初から思っていたそうだ。
「それでなんだか、今日はそわそわしていたのですね。熱心に棚の掃除もしていたし」
「そうよ。あんまり雨が強いので、今日は教授が来ないんじゃないかと、ヒヤヒヤしてたわ。貴方は何か話せっていうけれど、教授が来る前に祈祷書の話をする訳にはいかない。それで、シルレルの話をしたり、マクベスの話をしたりして繋いでいたの」
僕がアニメオタクだってことも、ヴァルダさんにはとっくにお見通しらしい。
「なるほど。ところで、あの企画書の話は本当ですか? 全く聞いたことのないシロモノなのですが……」
「本当の訳ないじゃない。貴方がメシマズな顔をしてたから、食いつきそうな話をでっち上げただけよ。あそこで帰られちゃ、計画もご破算ですからね」
「なるほど。それで、今日に限ってお金なんか取ったのか」
「そうよ。少しでも身銭を切らせれば、元を取るまでは帰らないと思ってね」
別にそんなことしなくても、僕は歓談中に他の客が来たりだとか、ヴァルダさんに直接帰れと言われない限り、大体、店に居すわってるのだけど、念には念を入れたという事だろう。
「まあ、途中から何かおかしいなとは思ってたんです。急にユダヤの話なんか始めるし、島原の乱の頃に日本に辿り着いたって本に、ピョートル大帝の事が書いてある訳がないですから」
「それくらいの世界史の知識はあるみたいね」
島原の乱は一六三七年。ピョートルが帝位についたのは、一六八二年だ。アルという悪魔が実在したとしても、ピョートルの事が祈祷書に書かれている訳がない。
「でもその辺の事は、先生は全く気付いてなかったと思うわ。私、先生が中に入ってきた途端、話題を変えたでしょう?」
「そうでしたっけ?」
「ええ。本をすり替える手癖の悪い学生の話にね。貴方はずっと、こっちを向いてたから気づかなかったでしょうけど、先生はしっかり聞き耳を立ててたわ。まあ、そうでなくっちゃ困るんですけどね」
「それで、盗まれた祈祷書の話を始めたと……」
「そうよ。でもあの時点では、まだ嵌めるつもりはなかったの。直ぐに白状して下されば、シルレルの詩集を手放さずに済んだのにね」
なんでも、あの中村とか言う教授はドイツ文学以外はさっぱりらしい。だから、あの祈祷書にそれなりの価値がある事を理解させないと、金なんて払いっこないと思ったと、ヴァルダさんは僕にいった。
「手口は分かってることを話しても、彼は自分が盗んだことを言い出さなかった。むしろ、自分が犯人である事はバレてないと思って安心したはずよ。だから私、計画通りに先生を嵌めることにしたの」
「正札の三倍の話は、ちゃんとしてましたもんね」
「そうよ。私は嵌める時はフェアに嵌める。それも嘘ではなく、真実だけを使ってね。本当の事を、人は疑えないから」
そういって、ヴァルダさんは口元に笑みを浮かべた。
「そうですね。悪魔の話も、ユダヤの長老の話も、まるでヴァルダさんがデュッコ本人じゃないかって思う位に真に迫ってましたよ」
「まあ、デュッコ・シュレッカーは、私が過去に仕えた伝承者の一人だしね。私だけでなく、沢山の悪魔を使役して、長老たちの刺客と戦ってたの。なかなか面白い男だったわ」
「えっ?」
「いや、こっちの話。さて、アケミさん。今日のお話はご満足いただけたかしら?」
普段は、『貴方』としか言わないヴァルダさんが、下の名前で僕を呼んだ。どうやら、謀が上手く行って至極ご機嫌のようだ。
「ええ、勿論。とても楽しかったです」
「では、お代を」
そういって、ヴァルダさんが差し出した請求書には、『金参千円也』と書かれてあった。
「えー、本当に取るんですか? 僕のお陰で、教授を嵌められたのに」
「それとこれとは話が別よ。こちらも商売ですからね」
「分かりましたよ。じゃあ、三千円」
僕は懐から財布を取り出し、ヴァルダさんに紙幣を三枚、手渡した。いつの間にか、あんなに強かった夕立の雨音も聞こえなくなっていた。
「雨も止んだようね。だいぶ明るくなって来たわ」
「そうですね」
「明日はお天気になりましょう。さて、今日は少し早じまいしようかしらね。流石に少し疲れたわ。取り合えず、百万円も入ったことだし」
「僕の三千円もね」
「そうね。毎度ありがとう存じます。これからもどうぞご贔屓に」
それから中村先生の手つきの悪さはなくなり、まさか生徒に指導した訳でもないだろうが、店に来る学生たちの態度の悪さも、目に見えて改善されたという。
オタバレした僕は、いっそ開き直ろうと、流行りの漫画やラノベをヴァルダさんに教え始めた。ヴァルダさんは中身には全く興味がないようだが、アドバイスは素直に受け入れてくれて、『死者の書のしもべ』でも、客寄せにその手の本を扱いだした。おかげで経営は順調のようだ。
時折、「〇〇先生の新作はどうなの?」などと尋ねられたりもする。都合良く転がされてるだけかもしれないが、ヴァルダさんとの距離がほんの少し縮まった気がして、僕は素直に嬉しかった。
僕の体の中には、名うての収集家だった爺ちゃんの血が流れている。ラノベや漫画については、それなりに目利きの力もあるつもりだ。いつかこの店で、ヴァルダさんと一緒に働ければいいなと、僕は静かに夢想した――
と、これで終われば、普通に良い話なのであるが、現実と言うものはどうにも後味の悪いものらしい。それから二カ月ほどたったある日の事、僕がまた雨の日に爺ちゃんの本を持って『死者の書のしもべ』に行くと、少しばかり意外な展開が待っていたのだ。
(続く)
0
お気に入りに追加
66
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
仏眼探偵 ~樹海ホテル~
菱沼あゆ
ミステリー
『推理できる助手、募集中。
仏眼探偵事務所』
あるとき芽生えた特殊な仏眼相により、手を握った相手が犯人かどうかわかるようになった晴比古。
だが、最近では推理は、助手、深鈴に丸投げしていた。
そんな晴比古の許に、樹海にあるホテルへの招待状が届く。
「これから起きる殺人事件を止めてみろ」という手紙とともに。
だが、死体はホテルに着く前に自分からやってくるし。
目撃者の女たちは、美貌の刑事、日下部志貴に会いたいばかりに、嘘をつきまくる。
果たして、晴比古は真実にたどり着けるのか――?
雨屋敷の犯罪 ~終わらない百物語を~
菱沼あゆ
ミステリー
晴れた日でも、その屋敷の周囲だけがじっとりと湿って見える、通称、雨屋敷。
そこは生きている人間と死んでいる人間の境界が曖昧な場所だった。
遺産を巡り、雨屋敷で起きた殺人事件は簡単に解決するかに見えたが。
雨屋敷の美貌の居候、早瀬彩乃の怪しい推理に、刑事たちは引っ掻き回される。
「屋上は密室です」
「納戸には納戸ババがいます」
此処で起きた事件は解決しない、と言われる雨屋敷で起こる連続殺人事件。
無表情な美女、彩乃の言動に振り回されながらも、事件を解決しようとする新米刑事の谷本だったが――。
どんでん返し
あいうら
ミステリー
「1話完結」~最後の1行で衝撃が走る短編集~
ようやく子どもに恵まれた主人公は、家族でキャンプに来ていた。そこで偶然遭遇したのは、彼が閑職に追いやったかつての部下だった。なぜかファミリー用のテントに1人で宿泊する部下に違和感を覚えるが…
(「薪」より)
ここは猫町3番地の1 ~雑木林の骨~
菱沼あゆ
ミステリー
「雨宮……。
俺は静かに本を読みたいんだっ。
此処は職場かっ?
なんで、来るたび、お前の推理を聞かされるっ?」
監察医と黙ってれば美人な店主の謎解きカフェ。
僕達の恋愛事情は、それは素敵で悲劇でした
邪神 白猫
ミステリー
【映像化不可能な叙述トリック】
僕には、もうすぐ付き合って一年になる彼女がいる。
そんな彼女の口から告げられたのは、「私っ……最近、誰かにつけられている気がするの」という言葉。
最愛の彼女のため、僕はアイツから君を守る。
これは、そんな僕達の素敵で悲劇な物語──。
※
表紙はフリーアイコンをお借りしています
↓YouTubeにて、朗読中(コピペで飛んでください)
https://m.youtube.com/channel/UCWypoBYNIICXZdBmfZHNe6Q/playlists
双極の鏡
葉羽
ミステリー
神藤葉羽は、高校2年生にして天才的な頭脳を持つ少年。彼は推理小説を読み漁る日々を送っていたが、ある日、幼馴染の望月彩由美からの突然の依頼を受ける。彼女の友人が密室で発見された死体となり、周囲は不可解な状況に包まれていた。葉羽は、彼女の優しさに惹かれつつも、事件の真相を解明することに心血を注ぐ。
事件の背後には、視覚的な錯覚を利用した巧妙なトリックが隠されており、密室の真実を解き明かすために葉羽は思考を巡らせる。彼と彩由美の絆が深まる中、恐怖と謎が交錯する不気味な空間で、彼は人間の心の闇にも触れることになる。果たして、葉羽は真実を見抜くことができるのか。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる