滝川家の人びと

卯花月影

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20 危急存亡

20-4 類まれなる勇士

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 時は一日前に遡る。

 町野長門守と滝川助太郎を送り出した忠三郎は、秀吉の甥、三好秀次の元に呼ばれていた。
(明日は開城というときに、なにごとであろうか)
 三好秀次は通称、孫七郎。当年十六くらいだろうか。秀吉の姉の子で三好家の名跡を継ぎ、三好を名乗っているが、元は苗字もないような百姓の子であるという噂だ。
 秀次は軍議の席でも発言することがほとんど皆無で、忠三郎は声を聞いたこともなかった。
「あ、蒲生殿」
 秀次は忠三郎の顔を見ると、遠慮がちにつぶやいた。
「明日は開城とか」
「左様。明日には使者を送りまする。開城して、城の者どもが退却したのちは、我等も桑名に向かう手筈でござる」
 三好秀次は何か言いたげに話を聞いていたが、ためらいがちに口を開く。
「そのことであるが…開城したのち、他の者は桑名への退却を認めるが、城将の滝川義太夫だけは捕らえよとの叔父からの知らせがござりました」
 秀吉が義太夫を捕らえよと命じているという。
「これは異なことを仰せで。それでは約定を違えると?なにゆえに義太夫だけ捕らえよと?」
「滝川義太夫を逃しては、先の戦さで難儀することは必定。かのものは類まれなる勇士。是非とも召し抱えたいと」
「義太夫を?筑前殿が召し抱えると、そう仰せか」
 意外な話の展開に驚きを隠せない。妙なことばかりしていたので目に付いたのかもしれないが、それでも召し抱えるとは。
(類まれなる勇士…)
 大いなる勘違いだ。しかしその勘違いが高じ、気に入られてしまったらしい。
(義太夫がいると、先の戦さで難儀するのは我等ではなく、義兄上ではなかろうか)
 峯城攻城戦での奮闘ぶりは認めるとしても、常より義太夫は一益の足を引っ張ってばかりいるように思える。
「それはいささか買いかぶりすぎでは。義太夫は筑前殿が思うておるような漢ではありませぬ」
「さりとて、あのような城に千の兵で、二万を超える我らを手玉に取り、四か月も籠城を続けるなど、なかなかできることではない。叔父上は滝川義太夫を五万石で召し抱えると、そう仰せになっておりまする」
「五万石?」
 忠三郎が六万石であることを思えば、破格の提示だ。
(困ったことになった)
 とりあえず、義太夫を城の外に連れ出さなければ。このまま籠城を続けていては、あと何日も持たない。そう考え、騙されたと怒りだすのを覚悟で開城を促した。
 
 町野長門守に連れて来られた義太夫は、何を察したのか、勧められた食事にも一切手を付けず、水一滴飲もうとしない。玉姫から届けられた小石と糸をジッと見つめて、ぼんやりしているらしい。
「殿。義太夫殿が大事そうに手にしている石と糸は一体、何の石でござりましょう」
 町野長門守は不思議でしようがないという顔をする。
「ただの石と糸は思うが…いと恋し(糸小石)と、そう言うておるのじゃろう」
「あ~、左様でござりましたか。これはまた面白き文じゃ」
 町野長門守は感心しているが、水も飲まぬでは感心してばかりもいられない。
(益々困ったことになった)
 致し方なく、本当のことを話そうと、義太夫を呼び出した。
「わしに何用か。斬るならさっさと斬れ!」
 義太夫が帷幕に入ってくると、幔幕の中は途端ににぎやかになった。威勢はいいが、足元はふらつき、支えられながらようやく歩いている。数か月前に会った時とは別人のような姿に、忠三郎は言葉もなく凝視した。
(義太夫…こんなに痩せて…)
 手足は棒のように細くなり、目ばかりが光って見える。
 ふいに涙がこみ上げ、下を向いて顔を隠し、一呼吸置いてから話しかけた。
「飯を食わぬと聞いた。人は飯を食う者ではなかったのか。何ゆえに箸を取らぬのか」
 なるべく普段通りに話しかけてみるが、騙されたと思っている義太夫は怒って
「敵の情けは受けぬ」
「強情な奴め。随分と手古摺らせてくれたな。されど羽柴筑前に気に入られたらしい。その方を五万石で召し抱えたいと、そう申しておるぞ」
「それは有難き話じゃ。されど、わしは滝川左近の家人。滝川左近の目の黒いうちは、例え百万石やると言われても、どこにも仕官などせぬ」
 そこまで言うと、疲れたように息をつき、頭をたれた。どうやら起きているのも辛いらしい。
「そう急いで答えを出さずともよい。まずは飯を食って…」
「飯などいらぬ。わしは仕官などせぬ」
 だんだんと義太夫の声がかすれ、弱弱しくなっていく。忠三郎は床几から立ち上がり、義太夫に背を向けた。水も飲まずでは、本当にあと数日ももたない。
(これでは、せっかく城から出てきた意味がない。何故、そこまで強情なのか。そのままでは義太夫、おぬしは本当に…)
 死んでしまう。そう思ったとき、忠三郎の目に再び涙がこみあげてくる。
(いや、なんとか説き伏せねば…)
 涙を拭い、気を取り直して明るい声を出した。
「腹が減っておろう?やせ我慢せずにそろそろ…」
 振り返ると、義太夫がその場に倒れている。
「義太夫!しっかりいたせ!長門!水を持って参れ!」
 あわてて抱き起すと、義太夫は気づいてうっすらと目を開けた。
「仕官せぬ。わしは滝川左近の家人じゃ。滝川左近の目が黒いうちは…」
 うわ言のように何度もそう繰り返す。忠三郎はたまらなくなって肩を震わせた。
「わかった!もうわかった!わしの負けじゃ。それゆえ、飯を食ってくれ!」
 忠三郎の目から大粒の涙がとめどなく流れ落ち、義太夫の額を濡らした。
 
 ここまで義太夫に頑強に拒まれては、もはや一益の元に帰してやるしか道がない。
「夜を待ち、皆が寝静まったころを見計らって桑名に送りとどけてやる。それゆえ、水くらい飲め」
 忠三郎が言って聞かせるが、義太夫は聞こえているのかいないのか、目を閉じたままだ。
 水を汲んできた町野長門守。二人の間に割って入ることもはばかられ、しばしの時、号泣する忠三郎を見ていたが、頃合いを見てそっと声をかけることにした。
「殿…それがしに考えがござりまする」
「長門。戻っておったか。言うてみよ」
「ここはやはり、刎頸ふんけいの友である殿が、口移して飲ませてみては?」
「な、何!口移し?」
 ギョッとなって二の句が継げなくなった。
 義太夫が刎頸の友であることは間違いない。しかし口移しで水を飲ませられるかというと、それは相当に難しい。
「これほどの苦渋の選択はかつて一度も味わったことがない」
 口をこじ開けて強引に飲ませればいい、という発想が浮かばない二人は、しばしのとき、難しい顔をして義太夫の顔を見ていたが、
「殿。これは義太夫殿のお命に係わることでござりますぞ」
「そのほうの言うこと、尤もじゃ。わしも織田家にこの人ありと言われた豪の者。かようなことは造作もない。長門、水を寄こせ!」
「ハハッ」
 長門守が膝をつき、竹筒に入った水を捧げると、忠三郎はそれを受け取り、
「で、では、いざ、参らん」
 覚悟を決めて水を口に含み、義太夫に顔を近づけたが、間近に迫ったところで体が拒絶反応を示す。
(ここで迷ってはいかん。…されど体が言うことをきかぬ…)
 忠三郎が顔を近づけ、躊躇っていると、気配を察した義太夫がにわかにパチリと目を開けた。
「つ、鶴!な、なにをする!血迷うたか!」
 仰天した義太夫が激しく暴れたので、思わず口に含んだ水をごくりと飲んだあと、
「そのほうがどうしても水を飲まぬと言うのであれば、口移しで水を飲ませようかと…」
「何!口移しとな?や、やめい、飲む。飲む、飲む。飲むからそれだけは堪忍してくれ!」
 忠三郎の手から竹筒をもぎ取ると、水を吸い込むように飲みだした。
「最初から素直に飲んでくれれば、かような思いをせずとも済んだものを…」
 忠三郎はどっと疲れて、その場に座り込んだ。
「今度こそは確かに桑名に帰してくれるのであろうな」
 水を飲み、人心地ついた義太夫がそう言うと、
「帰してやる」
「では飯を食ってやろう。早う持って参れ」
 打って変わった態度に忠三郎は笑いつつ、長門守に支度を命じる。
「そのほうを助けようと、義兄上が亀山あたりに住む村の女子を使って我らを酔い潰し、夜襲をしかけてきた」
 義太夫はあぁと何かに思い当たったような顔をする。
「あの辺り、おぬしの親類、関が何百年も治めていた地であろう。そのことは存じていた筈。何故、村に火を放った?」
「何故というて…それは、新介やおぬしが村に兵を潜ませ、襲ってくるゆえに…」
「それは違う。村の者は皆、槍、刀を持っておる。見慣れぬ旗印の者どもがにわかに押し寄せ、地を荒そうとしておる。村の者はそう考えて襲ったまでよ」
 町野長門守が椀を差し出すと、義太夫はガブガブと飲み込むように白粥を口に放り込み、ふぅと落ち着いて笑顔を見せた。
「鶴。そのほう、百姓を甘く見すぎじゃ」
「…というと?」
「我等はかつて、伊勢を奪い取るためにほうぼうに火をかけて進んだ。それゆえに分かったことがある。百姓どもは村々で固まり、身に危険が迫ると皆で団結し、集団で襲ってくる。いざとなれば田畑を放り投げて山に籠る。不当な賦役を課したり、地を守らぬ役立たずの大名であれば、年貢の徴収を拒み、襲ってきて追い出す。それほど恐ろしき者どもじゃ。なぜなら、この辺りの百姓は日野の百姓とは違う。おぬしも知っての通り、この北勢というは数え切れぬほど多くの戦禍に見舞われてきた。戦さのたびに苅田・乱取りに遭い、飢饉は日常。皆、食うや食わずの命がけの日々を送っておる。これよりのち、万が一にも筑前が勝ち、そのほうがこの地を治めるようなことがあったとしても、やめておいた方がよい。村に火をかけたのが蒲生であると、百姓どもは百年たっても忘れはすまい」
「わしが恨まれておると?」
「然様。それゆえ、村の者も我らに協力を惜しまなかった。殿は火付けの代償がどのようなものであるのか、それをおぬしに教えようとしたのであろう。まぁ、あとは、酒と女に気を付けよと言いたかったのやもしれぬが…」
 したたかに酒を飲み、強烈な睡魔に襲われながら聞いた、あの日の御前女郎のことばが思い起こされた。
(鬼のように非道で恐ろしいと、そう言っていた)
 日々、食うや食わずの生活をしている中で、突然現れた軍勢に家や田畑を焼かれた農民たちから見ると、忠三郎は鬼のように非道で恐ろしい存在なのだろう。
「では、義兄上は何ゆえにわしの大切にしている太刀と陣羽織を…挙句、馬まで捕っていかれたのじゃ」
「太刀と陣羽織とな?」
 義太夫が何のことかという顔をしたので、掻い摘んで、夜襲の時の話をすると、義太夫が腹を抱えて笑った。
「笑いごとではない。義兄上はわしを軽くあしらい、嘲笑うておる」
 忠三郎が拗ねたようにそう言うと、義太夫は笑い収めて、落ちくぼんだ目をこすりながら、
「鶴。そのほうは小さき器じゃなぁ。我が殿がいちいち、そのほう如きを相手に、かようなことをする筈もない」
「では、あれは義兄上の指図ではないと?」
「いや、殿の命であろう。されど、それは鶴ごときを手玉にとるためではない。殿は、そのほうの首を取る気はないと、そう仰せになっておるのじゃ。そして…」
 義太夫は忠三郎の陣羽織をポンポンと叩くと、よいしょ、と立ち上がり、
「そのほうにとって右府様は神か仏のようなものかもしれぬ。されど右府様はもうこの世にはない。よい加減に右府様の真似ばかりせず、己の足で立って歩けと、そう仰せになっておるのではないか」
 というと、立ち上がった忠三郎の腰から太刀を引き抜き、自分の腰に差した。
「何の真似か?」
「右府様から拝領した太刀が返って来たのであれば、こいつはわしに寄こせ。丸腰で帰っては殿に叱られてしまう」
 義太夫は膝を叩いて土ぼこりを払うと、帷幕の外へ出ようとする。
「待て。何処へいく?」
「迎えがきた。桑名に戻る。世話になった。章姫様によろしゅう伝えてくれ」
 義太夫は振り返ってそう言うと、帷幕の外に出ていく。
「迎え?待て、義太夫!」
 忠三郎が慌てて後を追おうと帷幕の外に飛び出そうとすると、その場に立っていた町野長門守にぶつかった。
「痛っ…長門…かようなところで何を…」
 頭を押さえ、前を見て、ハッとなった。
「三九郎…」
 三九郎が、数名の素破を従えて目の前に立っている。
「あの、殿。滝川様がお見えで…」
 町野長門守が緊張した面持ちで棒立ちになっている。にわかに三九郎が現れたので、青くなって知らせに来るところだったようだ。
 外へでると三九郎の背後にいる鉄砲隊が、筒口をこちらに向けているのが見えた。
「義太夫を迎えに来た」
 暗がりではっきりとは見えないが、三九郎の声が怒っている。
「三九郎、怒るな。わしは義太夫を桑名へ帰そうと…」
 忠三郎が、言い訳をしようとすると、
「これは、若殿自らおいでくださるとは、忝き次第じゃ」
 義太夫が喜んで駆け寄り、助九郎の手を借りて馬に跨った。
「今日のところはこれで帰る。桑名で待っておるぞ、忠三郎」
 三九郎はそう言い放つと馬首を返し、走り去る。
「鶴!次は芋粥で頼む」
 義太夫は先ほど忠三郎の腰から抜き取った太刀を高く掲げると、馬腹を蹴って三九郎の後に続き、供に来た者たちもその後に続いて闇の中に消えていった。
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