滝川家の人びと

卯花月影

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19 決別のとき

19-5 亀山城攻防戦

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 伊勢 亀山城
 約三百年前に関氏の先祖が築城してから、関家十六代目の当主、関盛信にいたるまで、亀山城は関家の居城だった。鈴鹿峠を抑える交通の要所とみなされたためだろう。峠にある関所で徴収する通行料が関家の大事な収入源だったことは間違いない。
 そして新たに城主となったのは佐治新介。
「随分と派手な花火があがっておるな」 
 新介は物見やぐらに上り、峠の方を遠望して上機嫌でそう言う。昨夜も江南と北勢を隔てる山々から、一晩中爆音が響き渡っていた。
「あれなるは羽柴筑前が軍勢。蒲生勢は最後尾にいる由にて。前を進むつもりはないものかと」
 津田小平次がそう言う。
「あやつは昔から、小狡いところがある。はなから罠があることを承知で、筑前の兵を先に行かせたのであろうて」
「この亀山城をはじめ、峯城、関城、国府城、鹿伏兎城もすでに我らの手の内と知り、慌てふためいて兵を差し向けたのでしょう」
「ここまでは手筈通り。後は…峠を越えてきたらこの城で足止めせねばな」
 小平次が思案顔になる。
「三万もの軍勢を差し向けられたとあらば、長くはもちますまい。殿は危うくなったら長島に引き上げよと」
「つまらぬのぉ」
 佐治新介がため息交じりにそう言う。
「はぁ…。されどあちらは三万、こちらは二千にも満たないのでは…」
「口惜しいとは思わぬか。一泡吹かせてやりたいではないか」
 新介が笑いながらそう言うと、小平次は真面目な顔になり
「それはもちろん…。されど、今、すでに一泡吹かせておりましょう?」
 小平次にそう言われて、新介はアハハと笑い、
「それもそうじゃが…。小平次、もう一泡吹かせてやろうぞ。ほれ、耳を貸せ」
「は、はい」
 佐治新介が笑いを堪えながら、小平次に耳打ちすると、小平次は驚いて新介の顔を見る。
「かようにうまく事が運びまするか」
「案ずるより生むが安しじゃ。なんのかの言うても所詮は外様扱い。まして親類の関の城とあらば、先陣を務めざるを得まい。よいか、向鶴の紋をようく見定めてな。さてさて、早う峠を越えてきてほしいものよ」
 爆音はひっきりなしに轟いてくる。しばらく止みそうにはなかった。
「新介殿、長島から使いが…」
 上機嫌で峠の先を見ていた新介に、見知った顔の素破が現れて書状を差し出した。
「何かあったか?」
 新介が書状を開いてみると、思いがけない知らせだった。
「新介殿、如何なされた?長島で何か?」
 小平次が心配そうに問うが、文は折紙で、ずいぶんと長文のようだ。新介は難しい顔をして読んでいたが、やがて文から目を離し、いや…とだけ言って、小平次に書状を渡した。
 何事かと思った小平次は、渡された書状を不安げに広げて読み始める。
「川田村…とは、上野の?」
 便りを送って来たのは川田村の者。和歌の師、円珠を看取ったと書かれていた。
「あのまま川田で静かな暮らしをさせていれば、かようなことにはならなかったかもしれぬ」
 上野引き上げの際、厩橋城に置いてきた和歌の師、円珠。連れて戻るわけにもいかず、城を去る時に金子を渡して別れを告げた。
 滝川勢が上野を引き払ってひと月ほどで北条勢が厩橋城に入城したらしい。その時、すでに円珠は風邪をひいており、評判の歌人、円珠と聞いた北条氏邦は、丁重に川田村に送り届けてくれた。しかし円珠の体調は回復するどころか悪化の一途をたどり、肺炎を起こして、昨年の暮れに命を落とした。
 
 子持山 紅葉をわけて 入る月は
               錦に包む 鏡なりけり
                 
 文の最後には、かつて円珠が帝に絶賛されたという歌が、添えられていた。
「新介殿に非はありませぬ。まさか厩橋に入って二月、三月で上方に戻ることになるとは、誰も予想だにしなかったこと。ましてや人の生き死にだけはどうにもならぬ。これもまた天命」
 小平次は父、秀重を思い出したのだろう。津田秀重も遠い上野の地で命を落とした。あれからまだ一年もたってはいない。
「心の良い者は皆、先に死んでいくのか」
 新介が息をついてそう言うが、小平次は首を横に振る。
「この戦さはこれまでにない戦さ。我等とて、明日をも知れぬ身でござりましょう」
「そうであったな。では、やはり、一泡吹かせてやるか」
「ハッ」
 小平次が武器蔵へと走っていく。長島から持ち込んだ武器。これで敵に一泡吹かせ、気勢を制することができれば、羽柴勢の進軍はとりあえずは止めることができる。羽柴勢が峠を越えてくるのには二日か三日はかかる。そして峠を越え、亀山にあらわれたときこそ、勝負のときだ。

 三日後、ようやく峠を越えた秀吉の本隊が伊勢に乱入した。時間をかければ雪解けになる。雪が解ければ柴田勝家が兵をあげ、四方に敵を抱えて戦局は一気に不利になる。
 秀吉は兵を分けてすべての城を同時に攻略する戦法にでた。別動隊を峯城・国府城他の城へ向かわせ、自身は蒲生忠三郎、堀久太郎らを引き連れ、最も攻略が困難と思われる亀山城を取り囲み、陣を敷いた。
 城内の士気は高く、相当数の鉄砲隊から激しく撃ちかけられるので迂闊に近寄ることができない。
「城将は誰であろうか」
 忠三郎が町野長門守を振り返る。
「矢玉が飛び、近寄るのは難しく、中の様相を知りようもなく」
 義太夫か新介だろうと想像はつく。
「ま、いずれ分かろう」
 秀吉本陣で軍議が開かれた。
 秀吉の陣といっても軍議に集まったのは堀久太郎、長谷川藤五郎、池田与一郎といった織田家の臣ばかりが並び、見覚えのない顔は二人か三人程度しかいない。
「かようなところでグズグズしている暇はない。早々に城を落とし、長島へ攻め入るのじゃ」
 下知する秀吉は、日ごとに態度が変わってくるように思える。以前は織田家の家臣たちに対して遠慮がちだったが、日々、それも薄らぎ、相手によっては己が家臣であるかのような口ぶりで話す。
「では力攻めすると?」
「城に籠るはたかが千か二千。十倍の兵力をもってすれば一両日中に片はつくであろう」
 他の城はともかく、亀山城を力攻めするとなると味方の損害も大きい。気が進まないと思っているのは忠三郎ばかりではないようで、誰も口を開かない。
 しばしの沈黙のあと、堀久太郎が一番に声をあげた。
「さればそれがしが先陣を務めとうござりまする」
「おぉ、さすがは久太郎殿じゃ!では先陣は堀勢としよう」
 秀吉が手を打って喜ぶ。秀吉や諸将の前であからさまに己の力を誇示しているようで、なんとも腹が立った。
(我が田へ水を引いているだけではないか)
 相変わらず嫌な奴だなと思っていると、隣にいた関盛信がしきりに咳払いするのが聞こえた。ちらりと見ると、目が合った。忠三郎に名乗りをあげろと促している。この城は関家の居城だ。本来であれば真っ先に先陣を名乗りでるべきだと、そう言いたいのだろう。
「それがしも先陣を務めたく…」
 致し方なくそう言うと、秀吉は喜び、
「では忠三郎殿と二人に先陣を頼もう。我らはその後に続くゆえ、よろしゅう御頼み申す」
「されば、堀勢が大手門を、我らが搦手から攻め入りましょう」
 亀山城の縄張りは関盛信が熟知している。関家の家人がともにいれば、城兵に気づかれずに裏手に近づくことも可能かと思われた。
 なんとも微妙な空気の中、軍議が終わり、自陣に戻ったときには日が暮れ、鈴鹿の山々の上には星が瞬いていた。
 夜遅く、物見が戻り、城の様子が少しわかった。
「日がな鉄砲を撃ち、我らを寄せ付けないのはどうやら佐治殿の兵のようで」
 町野長門守が機転を利かせ、滝川家に出入りしたことがある使い番に確かめさせたようだ。
「城将は新介か。では峯城は…」
「恐らくは義太夫殿かと」
 手強いのはこの二人だ。あとの城は大軍で攻めかかればさほど時間はかからない。
「やはりそうか。であれば、面倒なことになるやもしれぬ」
 普段から新介は義太夫を意識した言動が目立つ。持久戦になれば互いに張り合い、どちらかが城を開けなければ、もう一方も城を開けるとは言わないだろう。
「義太夫は峯城か」
 亀山城から峯城は近い。川二つ隔てたところにある平山城で、亀山城と同じように羽柴勢が取り囲んでいる。峯城も明日には総攻撃が開始される。
(どこまでも愚かな奴)
 この大軍勢を前に、本気で戦おうとしている。寄せ集めとはいえ羽柴勢は十倍の兵力を誇る。それを相手に戦おうとは、到底まともな神経とは思えない。一体、何を考えて、羽柴勢の松明の明かりを見ているのだろうか。
 
 翌朝早く、城攻めが開始された。忠三郎は関盛信の案内で城の搦手へ周り、城壁目指して急な坂道を突き進む。
「叔父上、石垣を越えれば本丸に出られると?」
「さにあらず。石垣を越えれば出丸。櫓がござれば、まずはそこを落としたのちに兵を纏め、裏手門を通らねば本丸には出られぬ」
 やはり簡単に落とせそうにない。曲輪をひとつずつ落としていくしかない。
 兵を率いて険しい山道を登り切り、ようやく石垣が見えた。
 石垣は思いのほか堅固であり、容易く崩せそうにない。
「これを登らねば中には入れぬ。誰か、梯子を…」
 後ろを振り向くと、町野長門守が上を見て何か叫んだ。
「殿!」
 その声が終わらない内に、耳をつんざくような銃声が山間に響いた。見ると、石垣の上に鉄砲隊の姿が見えた。
「悟られた!皆、身を隠せ!」
 何発もの銃弾が忠三郎の兜に命中して、周りにいた足軽が次々に倒れていく。
「殿!早うこちらへ!」
 長門守が手招きする方へ転がり込む。ちょうど上からは死角になり、銃弾が届かないようだ。
「殿、迂闊に飛び出せば、的になりまする」
「危ういところであった。こちらからも矢を射かけよ」
 城からの矢玉を避けながら石垣を登るしかない。距離を取り、矢を射て、鉄砲を撃ち、敵がひるんだ隙に梯子をかけて石垣に取り付こうとするが、城からの抵抗はすさまじく、結局おびただしい犠牲を出しながら、石垣を越えて乗り込むことはできなかった。
「幸いにも明日は雨になりそうな雲行きにて。敵は火力頼み。鉄砲さえ封じられれば恐るるに及びませぬ。明日こそは城に乗り込んでみせましょう」
 忠三郎はその日の夕暮れの軍議でそう言うと、早々と自陣に戻った。
「新介のやつ。早々容易には城に入れてくれそうにない」
 どこか、城側の弱点を見つけなければ城に入ることができない。忠三郎はわずかな供周りを連れ、物見に出ることにした。
「長門、酒は?」
 片手に手綱、片手に馬上杯を持った忠三郎が長門守に酒を持ってくるようにと命じる。
「殿、また酒でござりまするか。せめて寝る前くらいにしては如何なもので?」
 通常、馬上杯で飲むのは茶であり、馬に跨ってまで酒を飲むのは余程の酒好きだ。
「こう寒いと酒が飲みたくなる。早う持って参れ」
 町野長門守がしぶしぶ酒を持ってきて、杯に注ぐと忠三郎は心底嬉しそうに笑い、
「では、皆、ついて参れ」
 機嫌よく馬を歩ませ、陣営の後方目指して馬を歩ませた。
 
 忠三郎の騎乗する馬には目を見張るような煌びやかな金箔を施した馬鎧が取り付けられている。月明かりに照らされてキラキラと輝き、夜目にも忠三郎だとはっきりと分かった。
「新介殿!あれなるは忠三郎殿では?」
 遠目に光輝きながら移動する影を見つけた小平次は、あれは織田家の武将に違いないとしばらく観察していたが、忠三郎ではないかと気づき、新介に知らせた。
「まことか!」
 新介が小躍りして櫓に上り、下の方を見ると、なるほど忠三郎のように見えた。
「あの阿呆め、ふらふらと出歩きおって。随分と我らを侮ってくれるではないか。小平次、千載一遇の機会を逃すな!今こそあの奸賊を討ち取るとき!例の奴を!」
「ハハッ!」
 これは思った以上の戦果をあげられる。新介も館を飛び出すと、馬に乗り、兵に号令をかけた。
 逸る気持ちを抑えられない忠三郎は、城からはかなり近い場所に陣を張っている。あれでは奇襲してくれと言わんばかりだ。
(あやつの弱みは親父殿だ)
 忠三郎の父、賢秀。戦さと聞けば急病になる、小さい漢と揶揄され続けた。忠三郎が戦場で無謀な特攻ばかり繰り返してきたのは父の汚名をそそぐためだ。賢秀は安土の留守を託されていたにも関わらず、信長横死の知らせを受けると、迫りくる明智勢を前に戦うこともなく安土を捨て日野に逃げ込んだ。
 そのせいで明智勢は無人の城に入るがごとく安土城に入城している。呆れた留守居役もあったもので、日野の蒲生は臆病者と陰でささやかれていることは忠三郎も気づいているようだ。今回の戦さで、その評判を覆したいと思い、不用意に城の近くに陣を敷いたのだろう。
「忠三郎!陣を構えるならもう少し城から離れたところにせい!」
 新介は高笑いすると、一群を率いて搦手口に急行する。
 すでに石垣のすぐ裏側に用意万端整えている。小平次はすぐさま搦手口まで走り、兵に命じて隠しておいた大筒を石垣まで運び、鉄砲隊を整列させて向鶴の旗印に筒口を向ける。その間に新介が門の傍に待機した。
 一発の銃声を合図に大筒、鉄砲が火を噴き、忠三郎の陣営目掛けて撃ち込まれた。地震が起きたかと思われるほどに地が揺れ、大きな音が轟いた。
「何が起きた?」
 忠三郎はしばらく何が起きたか分からず、辺りを伺っていると、にわかに鬨の声が聞こえてきた。
「夜襲でござります!敵が大筒を放ち、門を開いて一斉にこちらへ向かってきておりまする」
「夜襲?」
 昼間の戦闘が激しかったため、夜襲はないと思っていた。
「小癪な奴!誰か、兜と甲冑を貸してくれ」
 忠三郎は兜も甲冑も身に着けていない。馬上杯を投げつけると、家臣に渡された甲冑を身に着けようとする。
「陣を立て直せ!」
「いえ、もう敵がこちらに…」
 町野長門守が焦って忠三郎に甲冑を着せ終わったころには、驚いた味方の兵が総崩れになっていた。
「殿、ここは一旦、引き上げを…」
「何を申すか。相手は新介。背中を見せることなどできぬ」
 忠三郎は意地になって槍を取り、押し寄せる敵兵をなぎ倒していく。
「新介殿ではなお危のうござりまする。敵将はみな、見知った者ばかり。遠目にも殿を見定め、こちらに狙いをつけて押し寄せましょう。まずは兵を引き、陣を立て直してくだされ!」
「新介ごときに背を向けられるか!」
 二人が言い争いながら敵を倒していると、町野左近が兵を引き連れて馬を走らせてきた。
「殿!お引上げを!堀殿はすでに一里後方に引き上げておられますぞ」
「なに、久太郎が早逃げたか」
 堀久太郎は忠三郎に何も知らせずに、さっさと陣を引き払ったようだ。
(いかにも久太郎らしい処し方ではあるが、久太郎が逃げたのであれば、これは確かに危ういやもしれぬ)
 忠三郎も久太郎も保身のために秀吉に協力しているにすぎない。秀吉の家臣になったわけでもなく、秀吉を勝たせる義理もないので、危ういとあらば自分だけ逃げるのも不思議はない。
「夜戦は地の利を得ている敵に優位。このまま踏みとどまれば全滅するものかと」
 町野左近の言うとおりだ。辺りは暗く、足元も危うい中で奇襲を受け、大筒の音に驚いて恐れ逃げまどい、この辺り一帯はすでに敵の狩り場と化している。
「やむをえまい。退却の法螺を」
 新介にしてやられたと思うと口惜しいが、まだ初戦。取り戻す機会はまだまだある。
「長門、引き上げじゃ!」
 撤退命令を出すと、忠三郎は馬首を返して城に背を向け、馬を走らせた。
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