73 / 128
14 伊賀の乱
14-2 塩鯛
しおりを挟む
伊賀上野に平楽寺城がある。この城は元々、真言宗の寺で、平相国(平清盛)の創建といわれている寺領七百石をもつ伊賀第一の大寺だった。その寺はやがて勢力を増し、多くの僧を抱えて武装すると、僧房を櫓に変え、今は伊賀衆の一大拠点と化している。その数およそ七百。
「経典の代わりに薙刀を持ち、傍若無人な振る舞いをする悪僧はもはや僧にあらず。一人たりとも逃さず、供に籠る伊賀衆もろとも討ち果たせ!」
陣太鼓を叩き、法螺を吹かせると、兵が一斉に兵楽寺城へと攻めかかった。屈強な僧たちが手に手に武器を携え抵抗し、激しい白兵戦と化したが、敵の十倍の兵力を持ってこれを討ち果たした。
「大鉄砲を撃ち込み、塀を打ち壊して中へ乱入せい」
大鉄砲が激しい音をたてて塀を壊し、砲撃と爆破によって地面が揺れる。倒壊した壁の穴から寺社の中が見えると、土塁を乗り越え、中にあるすべての堂塔に火をかけた。
「若殿、火を見た寺の者どもが逃げ惑っておりまする」
「逃がすな、皆、なで斬りにせよ」
大軍を前に戦意喪失した敵兵を倒していると、吹きすさぶ風で火が扇を広げたように燃え広がり、寺が紅蓮の炎に包まれ、空を赤々と照らした。
平楽寺城は半日もたたずに制圧され、忠三郎は燃え上がる寺を満足そうに見上げ、時をうつさずして進軍を続ける。
ほどなく全軍が集結することになっている比自山に到着した。
ここは寺領三百石をもつ観音寺と仏性寺、天台宗を開いた最澄の開基と伝わる西蓮寺、同じ天台宗の常行院常住寺がある。すでに多羅尾口から伊賀入りした堀久太郎率いる近江衆と、笹間口から来た筒井順慶率いる大和衆が到着し、本隊が来るのを待っているところだった。
「若殿、一大事でござりまする。我らの道案内をしていた伊賀の耳須弥次郎が既に敵の手にかかり、命をおとしておりまする」
町野左近の報告に耳を疑い、顔色を変えた。
「…そんなことがあったとしたら…」
あの夜襲のときかもしれない。ここに来るまでに将を二人も失っていることになる。
「敵も侮れぬな。最早許せぬ。恨み、骨髄まで徹すとはこのことよ。目にもの見せてくれねば」
見ると目の前の比自山の敵は思いのほか士気高揚していた。
「爺。城の者どもは何をしておるのか」
夜になってもかがり火が赤々と山を照らし、昼夜問わず、音が聞こえてくる。
「城の守りを固めて居るのでは?日に日に伊賀全土から人が集まってきているようにも見えまする」
北面は断崖絶壁、南は谷、どう見ても攻めあぐねそうな地形に加え、更に城の守りを固められては益々寄せ手に不利になる。
忠三郎はこのまま黙って見過ごすわけにはいかないと判断した。
「知らせを送り、諸将を集め軍議を開こう」
堀久太郎、筒井順慶の陣営にそれぞれ伝令を送り、付き従う近江衆にも声をかけて一同を呼び集めた。
「今、我らで攻め込まねば敵はますます増え、守りが固められてしまう。ここはひとつ、討って出ては如何なものか」
一同を見渡してそう言うが、織田家に加わってから日の浅い筒井順慶にはほぼ発言権はなく、忠三郎が同意を求めてもただ頷くばかり。この場で意見できるものは堀久太郎しかいない。忠三郎の天敵でもある信長の側近、堀久太郎は、忠三郎の提案に眉を顰めた。
「待て。おぬしはまた功を焦って何を言い出すやら。滝川・丹羽の本隊を待って総攻撃をかけると、そう最初から決まっていたではないか」
「臆したか、久太郎。敵が日々力をつけているのが分からぬのか。我らはすでに一万五千もの大軍。にも拘わらず、このまま黙って指をくわえて見ておれば、我らはただの臆病者と、下賤な伊賀者どもに笑われようぞ」
帷幕の外には織田家に服従する伊賀の者もいるというのに、下賤な伊賀者とは、暴言にも甚だしい。
いつになく声を荒げる忠三郎に、久太郎は驚き、
「されど安土での軍評定では…」
「では我らが行って敵を蹴散らし、一泡吹かせてくるのを黙ってみておれ。他の皆は如何なる所存か」
忠三郎に詰め寄られた筒井順慶は頷くしかなく、軍目付の安藤将監も忠三郎に同意した。結果、忠三郎に押し切られる形で堀久太郎も同意し、本隊の到着を待たずに城攻めを開始することになった。
翌朝早く、諸将は手筈通り、比自山総攻撃を開始した。比自山は要害といっても山頂にあるのは城というよりは、砦に近い。山頂にある観音寺を取り囲むように櫓が築かれている。伊賀衆はこの山そのものを要塞化しようとして櫓を立て、石を積み、日夜強化していたのだろう。
いち早く比自山北側にある仏性寺を抑えた忠三郎は、風呂カ谷と呼ばれる谷から急こう配を登ろうと兵を差し向けた。ところが気づいた敵方が上から巨大な岩石をいくつも雪崩のように降り注いでくる。先を行く兵は馬もろとも岩の下敷きとなった。かろうじて岩を避けた兵に鉄砲が次々に撃ち込まれ、銃声がやむと、間髪入れずに弓矢が飛んできた。谷には人馬の屍が積み重なり、致命傷を負った兵の悲鳴やうめき声は軍勢の士気を低下させた。
「容易に登れるものではありませぬぞ」
伊賀衆の激しい抵抗を見た町野長門守が忠三郎に告げると、忠三郎もうーんと唸る。
「南の筒井勢は如何した?」
「どうにも攻めあぐねている様子にて」
同じように山の上から攻撃を受け、兵の消耗が激しく、先に進むことができないでいるようだ。
「致し方ない。先導して、一気に攻めかかるか」
痺れを切らし、忠三郎は手勢を率いて筒井勢の前を走り抜け、大手口へ向かっていく。
「あれは蒲生殿ではないか」
向かい鶴の旗印をひらめかせて走り抜ける煌びやかな忠三郎の姿は嫌が上でも人目をひく。みな、その姿を垣間見、口々にささやいている。
筒井藤四郎もその声に顔をあげる。筒井藤四郎は筒井順慶の嫡子で、忠三郎と同じように、信長の末娘を娶っている。
「忠三郎殿は我らの働きを不甲斐ないと感じ、自ら先頭に立って敵に向かって行かれるのではないか」
筒井勢の前を走り抜ける忠三郎の姿を見て、口惜しさに手綱を持つ手が震える。
「このままでは臆病者のそしりを受けよう。蒲生勢に遅れを取るな。皆、続け!」
忠三郎の後を追うように馬を走らせると、家臣たちが慌ててつき従った。
忠三郎が坂を駆け上ろうとしたとき、激しい銃声が鳴り響いた。敵の伏兵の一斉射撃だ。先を進んでいた兵が倒され、躯が積み重なっていくのが見えた。急な坂の上から攻撃されている。どうやら坂を登った先には開けた場所があり、少なからぬ伏兵が待ち受けていることはわかった。しかし下からは姿を確認することもできぬ状況で、鉄砲を撃つこともできない。
「おのれ、下賤な素破ども。このまま退いては末代までの名折れじゃ」
なおも兵を繰り出そうとしていると、堀久太郎の元から伝令が遣わされてきた。
「敵の抵抗すさまじく、一旦退かねば我らは全滅。戦さは引き際が肝要、滝川・丹羽の到着を待つべしと」
筒井藤四郎が家臣たちを率いて追いついてくると、居並ぶ筒井家の家臣たちが一様に頷く。
「蒲生殿、堀殿の仰せの通りかと。味方の損害激しく、引き際を過てば全滅でござりまする」
六つ年下、若干二十歳の藤四郎にそう言われ、敵に背を向けて逃げるのかと反論しようとしたとき、
「若殿!軍目付の安藤様が重傷を負って退却された由にござりまする!」
町野長門守の声が響く。忠三郎はようやく我に返り、辺りを見回した。一帯が味方の屍で埋め尽くされている。
「口惜しい。伊賀勢がここまでとは…」
敵にも少なからず損害を与えている筈だが、一向に勢いが治まらず、依然として激しく抵抗を続けている。久太郎の言う通り、このまま続けていても兵を失うばかりで大した戦果はあがらないだろう。
「確かに…敵を甘く見過ぎていたようじゃ」
失策を認めざるを得ない。あれほど言われていたのに一益を待たずに比自山攻めを始め、多くの犠牲を払って、なんの戦果もあげられなかった。
「長門、退却の法螺を…」
「ハハッ」
全軍に退却を知らせる法螺が鳴り響く中、忠三郎は馬首を返して撤退した。
夕暮れ時から雨になった。
事態を重く見た滝川助太郎は、一益のところまで行き、事と次第を知らせた。一益の元からは、夜襲に供え、佐奈具まで退却するようにと知らせがきた。
ここに至っては一益の言うとおりにするしかない。忠三郎は酒宴を開いた佐奈具まで退却した。堀、筒井勢もそれぞれ兵を退き、元いた場所で陣を張る。
「不寝番を増やせ。よもやここまで来るとも思えぬが、のこのこ出てきたら返り討ちにしてくれる」
そばに控える町野長門守にそう告げ、見回りに出た。手痛い敗戦と前回の夜襲を思い出し、夜も更けたというのに目が冴えて寝付けない。
自分が伊賀衆であれば、この局面でどう手を打つか、考えてみる。
(勝ち戦の勢いに乗じて夜襲をしかける。ほうほうの体で退却し、多少なりとも損害を出している敵に追い打ちをかければ、戦果が期待できる)
堀久太郎の軍勢は先鋒の半数を失って退却したというし、筒井勢も同じような被害を出しているとの報告を受けたが、改めて見ると、蒲生勢はさほど被害を受けていなかった。
(鉄砲の数か)
領内に鉄砲生産地がある蒲生勢は、他家よりも鉄砲の数が多い。伊賀衆はそれを警戒し、蒲生勢を避けて攻撃していたようだ。
(だとすると…)
夜襲をしかけるなら、狙うのは蒲生勢ではなく、堀久太郎率いる近江衆か、筒井勢ではないだろうか。
(されど久太郎のところには多羅尾作兵衛がいる)
戦さ慣れした甲賀の多羅尾がいれば、伊賀衆が襲ってきてもすぐに気づくだろうし、対処可能だ。
(いや…待て…敵も同じことを考えるのではないか)
であれば、今日、最も被害が大きかった筒井順慶率いる大和衆が危険だ。
「長門!筒井殿に使者を出し、夜襲に供えるように伝えよ」
「ハハッ」
筒井勢とは距離があるため、ここからでは様子を窺い知ることはできない。筒井順慶は比自山からは川を挟んでいるとはいえ、敵に一番近い場所に陣営を構えている筈だ。
しかし忠三郎が送った使者が到着する前に、伊賀衆は動いていた。寝込みを襲われた筒井勢は、大混乱に陥った。本陣近くまで敵の侵入を許し、家老の一人が討死、もう一人も手傷を負い、兵の半分を討ち取られて退却した。
翌日の昼を過ぎたころ、滝川一益、丹羽長秀の率いる一万四千の軍勢が比自山に到着した。一益は早速、忠三郎を呼び出し、状況の説明を求めた。
「比自山では日に日に兵が増え、土塁を築き、強固な守りを固めておりまする」
ばつ悪そうにそう言う忠三郎に、一益は叱るでもなく頷き、
「鶴。そなたは智勇兼備、士卒にも公正。己が軍勢の軍規厳しく、それゆえに蒲生勢は一糸乱れぬ行動をすると聞く。そのそなたが命に背き、皆を説き伏せ、兵を動かしたのは私心によるものか」
一益は忠三郎が従兄の美濃部茂盛を討たれたことで、復讐心に燃え、比自山攻めを強行したものと気づいている。忠三郎が返す言葉もなく俯くと、
「私利私欲で動いてはならぬ。日々、その身を高潔に保ち、いかなることにも大局を見極めねば天下万民を治める君主たる器とはいえぬ」
忠三郎は反論することもできない。今度ばかりは黙って頷くしかなかった。
「これより皆を集めて軍議を開く。それまで少し大人しゅうしておれ」
淡々と諭され、忠三郎は意気消沈して帷幕の外に出た。
「おぉ、鶴。なんじゃ、腹をくだした蛙のような顔じゃ」
笑ってそう近づいてきたのは義太夫だ。
「腹を下した蛙の顔とは如何なる顔じゃ。義太夫も存じておろう。今日はおぬしと戯れるような気力もわかぬ」
珍しく肩を落としてそう言う。一益に叱られたからではないようだ。ここまでひどい敗戦を経験したことはなかったのか。
「勝負は時の運と、おぬしの初陣の折、上様もそう仰せられたではないか。そう気を落とすな。殿は織田家の老臣として、おぬしに物を教えておるのじゃ。これしきの敗戦で上様は何も仰せにはなるまい。されど、蒲生忠三郎が討死でもしてみよ、我らは皆、お咎めを受けるわ」
ずばり本音を言われ、忠三郎は恨めしそうにちらりと義太夫を見る。
「まるで、上様に咎められなければ、わしなどはどうなってもよいと、そう言うておるように聞こえてくる」
「ん?まぁ…そうじゃが…いや、そうではなく…」
今日の忠三郎は妙に扱いにくいな、と義太夫は比自山を遠望しながら、大きな岩に腰を下ろす。
「鶴、分かっておらぬな。己の一言がどれほど大きいか、考えたことがあるか」
「なんのことか、よう分からぬ」
忠三郎も傍へ腰を下ろした。
「比自山へ攻めかかろうと言うたとき、蒲生忠三郎が攻めかかるというたから、皆、致し方なく従ったまで。皆、気乗りしなかった筈じゃ。その場でおぬしに逆らえる者等はおらなんだからのう」
「…そうかもしれぬな」
「上様は早、城介殿に家督を譲られたが、年を考えれば織田家の老臣たちもよいところあと五・六年で皆々様、隠居となる。さすれば次は若い者たち。ご当主の城介様は兎も角、他のご連枝はどうにも心もとない。となると、城介様を補佐し、織田家を背負って立つのは鶴や堀久太郎、我が家の若殿辺りではないか。此度は殿や丹羽殿がおられるゆえ、多少の敗戦はなんとでもなろう。されど、皆々様が隠居なされた後は、そうはいかぬ。それゆえ、この敗戦を最後に、もう負ける戦さなどはしてくれるなと、殿はそう思うておられるのじゃ」
義太夫がしたり顔で言うが、忠三郎は浮かない顔のままだ。義太夫はその原因に気づいて、
「従兄を失ったのが辛いか」
忠三郎が頷く。
「許せぬ…伊賀全土を燃やし尽くすまで戦う」
眼前にそびえる比自山を睨んでそう言う。義太夫はオヤと眉をあげて、忠三郎を見る。
「似合わぬことを申すな。雪が降るではないか」
「侮るな。わしとて戦国乱世に生きる武士じゃ」
義太夫はうむうむと頷き、
「怒りにかられた戦さは珍しくもない。怒りの破壊力で多くの敵を倒すこともあろう。されど復讐を果たし、怒りが去ったあと、おぬしはまた酒に逃げることになる」
今日の義太夫は嫌なことばかり言う、と忠三郎は顔をそむける。
「わしは酒に逃げているわけではない」
「フム。そうかもしれぬな。まぁ、わしの話を聞け。おぬしら大名の子は幼き頃より武経七書から兵法を学び、戦術を学び武芸を学ぶが、我ら素破は幼き頃より刀や槍、手裏剣を持ち、戦う術を学ぶ。そうやって幼き子らに戦う術を教えていると、わかることがある」
「分かること?」
「然様。人には生まれ持って二種類の気質がある。一つは、戦うこと、命を奪うことを喜びとする者。もう一つは戦うことは好ましいとは思わぬが、臆病者と言われるのが嫌で戦う者」
「わしは臆病者と言われとうなくて戦っている者だと?」
「己を顧み、どちらか考えてみい。されど、戦うことを喜びとし、人の命を奪うことを楽しむ者はのう、五十人の童の中では一人くらいしかおらぬ。それゆえ、戦わずに勝つのが上策なのじゃ」
「五十人に一人…」
「時折、和睦となるとつまらぬと騒ぐものがおろう。例えば…城介様のところの森勝蔵のような。あの類ではないか?」
飛び出して来た蛇を槍で突き刺し、生で食べるという森勝蔵。確かに森勝蔵は心底戦さが好きなようだ。戦さ以外でも怒りに任せて関所の番人を手打ちにしたり、罪人を処刑するときも目を爛々と輝かせて、嬉しそうだったと聞く。
「高潔に身を保てと、殿はそう仰せであったろう。私心で人を殺めれば、あの者と大差なき者となる。如何に悲しむべきことがあったとしても、ああいう者には成り下がってくれるな。今のままのおぬしでいてくれ」
義太夫が笑顔を浮かべ、忠三郎の肩を叩く。
「心しておく」
話していると諸将が集まってくるのが見えた。忠三郎は義太夫を振り返って笑いかけると、立ち上がって大小を腰にさした。
軍議が開かれた翌朝未明、比自山総攻撃が開始された。前回同様、投石を想定して兵を進めたが、一向にその気配がない。比自山頂上まで登ったが、人っ子一人いなかった。
「我らの軍勢が到着したのを見て、逃げたか。」
伊賀の中でも大勢を収容できる場所はそう多くない。赤目の柏原城目指して逃走したのだろう。柏原城までは五・六里(二十四キロ)といったところか。
一益は全軍に使者を送り、柏原城目指して進軍を始めた。ほどなく、忠三郎の元から使者がきた。
「比自山には、老人、女子供もおりました。まだそう遠くへは行っていない筈。追撃しては如何なものかと」
「追撃したくば、あえて止めはせぬが…」
伊賀最後の拠点、柏原城に人が集まりつつある。二千人はいると思われ、いたずらに攻めかかるのは危険だ。
(柏原城近くを攻略している北畠三介殿も来られる筈。大軍をもってすれば兵糧攻めで一か月というところか)
日も西の山の端に傾きだしたころ、柏原城まであと二里(八キロ)のところまで到達した。先に来ている北畠信雄から、付近にある陣城に来るようにと知らせが届いた。見ると、離れた場所で北畠信雄が早くも陣城を築きあげていた。
「奇襲に供えておられるのか」
「なんでも、伊賀の素破どもが大将首を狙って徘徊しておるとかで、寝首をかかれてはたまらぬと、北畠中将様は家臣たちに陣城を築かせ、そこから一歩も出て来ぬとのことにござりまする」
義太夫が笑っている。
それにしても柏原城から離れすぎている。軽く二里はある。北畠信雄の名誉挽回のための伊賀攻めだった筈だが、これではかえって物笑いの種となってしまう。
「城攻めのための陣城にしては過ぎたる城であるが致し方あるまい」
すでにできてしまっている以上、口を挟むこともできない。諸将を陣城に集めて軍議を開くことにした。
陣城と呼ぶには大規模で、堀を巡らせ、土塁を築いている。即効で造った割にはしっかりしており、砦、もしくは城と呼ぶべきかもしれない。北畠信雄が闇討ちを恐れて作らせたその城は、都にある信雄の屋敷が桜町にあることから、誰ともなく桜町中将城と呼ばれている。更にその隣にも城が築かれており、あちらは信雄の兵を駐留させるために作ったようだ。
「歴戦の伊賀者どもが多く籠る柏原城。堀は三重、本丸は強固な石垣の上にあり、これを落とすには容易ならざること。されど比自山をはじめ、伊賀全土から人が集まっておることを鑑みるに、ここは十重二十重に包囲し、兵糧攻めとしては如何なものかと存じ上げまする」
一益がそう進言すると、北畠信雄は難色を示した。
「それでは時がかかる。これほどの軍勢を集めたのじゃ。伊賀の下賤な素破ごときに時をかけては名折れじゃ。一気に落とすことはできぬのか」
「力攻めとなると、お味方も相当な損害を覚悟せねばなりますいまい」
丹羽長秀が苦言を呈する。
比自山の敗戦を思うと、力攻めで攻略できると思う者はいないようだ。皆、渋い顔をして考え込む。
「老臣どもの慎重論では埒が明かぬ。忠三郎、久太郎、如何じゃ。四万の軍勢をもってして、たかが二千余りの兵しかおらぬ小城をおとせぬと申すか」
負ける戦さはするなと言い渡されたばかりだ。さしもの忠三郎も容易く返事ができず、堀久太郎も返事に窮して一益と丹羽長秀のほうを見る。
信雄はそんな二人の様子に苛立ちを抑えられなくなり、床几から立ち上がった。
「これでは伊賀者どもに侮られるばかりではないか。総攻撃を仕掛けよ。明日早朝より皆、総がかりで城を攻め落とせ」
かなり強引に城攻めが決まったが、否とは言えない。皆、顔を見合わせ、気乗りせぬ様子で返事をした。
翌朝から総攻撃が開始された。忠三郎は従弟の後藤喜三郎に声をかけ、いち早く手勢を率いて小高い丘を駆け上る。鉄砲隊の乱射により敵の先鋒がひるむと、足軽に交じって槍を振り回し、敵兵をなぎ倒した。
「敵は浮足立っておる。このまま突き進め!」
忠三郎が味方を鼓舞して逃げる敵を追いかけて行くと、土塁の陰に潜んでいた伏兵が姿を現し、一斉に襲い掛かって来た。
「若殿!これは罠でござります!」
鬨の声に驚いていななく馬を御しながら、町野長門守が叫ぶ。
「喜三郎!勢いに乗じて突き進み、敵中を突破するのじゃ」
後藤喜三郎を呼ばわるが、返事がない。気づくと後方についてきていた筈の喜三郎の姿がない。
「喜三郎!」
途中でどこかに取り残されているのかと不安になり、大声を張り上げると、木陰から現れたのは喜三郎ではなく堀久太郎とともに出馬したはずの池田孫四郎だった。
「孫四郎、よいところへ。喜三郎を見なんだか?」
「あの計算高い後藤が、無鉄砲なおぬしについてくると思うていたのか」
「それは…喜三郎はこの場におらぬとか」
言われて初めて気づいた。喜三郎は最初から、忠三郎についてくる気などなかったのだ。
(何故ついてこなかったのだ)
喜三郎の不可解な行動に首を傾げるが、それならそれで致し方ない。
「孫四郎、我ら二人でこやつらを倒し、先へ突き進もう」
次々に襲い掛かる敵を倒しながら、忠三郎が声をかけると、孫四郎が冷笑して馬の首を返した。
「四郎や木猿同様、わしを楯にして手柄を立てるつもりか」
「四郎…関四郎のことか」
忠三郎の従弟の一人、関四郎。長島願証寺攻めのとき忠三郎と共に松の木の渡しを駆け抜けて長島一番乗りを果たし、その直後に討死した。
「関四郎も美濃部茂盛も、皆、蒲生忠三郎が名をあげるために利用され、死んだ。おぬしの汚い魂胆などはとうに見抜いておるわ」
池田孫四郎はそう言うと、馬を走らせ、一目散に逃げていく。
「待て!孫四郎!」
忠三郎の叫ぶ声は、敵の怒声でかき消される。見ると、二十人ほどの兵に取り囲まれていた。
「若殿!敵に囲まれておりまする!」
しかし、池田孫四郎の捨て台詞が胸に突き刺ささり、危険を知らせる町野長門守の声が耳に入らない。
(孫四郎…このわしが皆を利用したと、そう思うていたのか)
これまでずっと、そんな目で見られていたのかと思うと、口惜しさがこみあげてくる。
「忠三郎様!」
足元に迫った敵兵の槍が、忠三郎の足に届きそうになった瞬間、滝川助九郎が背後から敵を切り倒した。後ろを振り向くと、すでに退路を断たれ、後方にいる味方から離されている。
これはさすがに拙い、と気づいた時、激しい銃声が鳴り響き、側面の兵がバタバタと倒れた。
「忠三郎!」
滝川三九郎が手勢を率いて走り寄る。更に少し離れたところで、木全彦次郎が鉄砲隊を指揮しているのが見えた。
「三九郎、何故ここが分かった?」
「おぬしが一人で飛び出していくのが見え、父上の命で皆で追いかけてきたのじゃ。これは伊賀の滝野小三郎率いる伊賀者ども。敵を誘い出しては取り囲んで襲うという戦法じゃ。ひとまず引かねば、すぐにまた囲まれようぞ」
「承知した。長門、引き上げじゃ」
忠三郎は三九郎とともに滝川勢が切り開いた道を引き返した。
この日一日で織田勢の死傷者は千を超えたが、一向に敵の勢いは治まらなかった。桜町中将城では再び軍議が開かれ、丹羽長秀は兵糧攻めを強く主張した。
「いかに大軍とはいえ、これでは悪戯に兵を失うばかり。一旦、兵を治め、兵糧攻めとする旨、安土へ使いを出しては如何なものかと存じ上げまする」
北畠信雄はようやく力攻めを諦め、兵糧攻めとすべく安土の信長に使者を送った。
信長が馬廻衆を連れて伊賀の地に姿を現したのは十月十日。 一益は桜町中将城から凡そ四里離れた敢国(あいくに)神社に信長の御座所を設けている。敢国神社まで来た信長一行は、諸将の陣営を見回り、兵糧攻めとする旨、全軍に通達した後、最後に蒲生忠三郎の陣屋に立ち寄った。
「変わらず蒲生勢は士気が高いのう。されど、さしもの鶴も伊賀は攻めあぐねておるか」
「ハッ。どうにも素破と申すはこれまでの合戦とは異なり、掴みどころなき戦術を繰り出して参りまする」
信長は頷き、
「戦さのイロハを学ぶ時と心得よ。老臣どもに従い、伊賀を鎮圧するのじゃ」
忠三郎がハッと短く返事をする。信長がわざわざ陣屋に来たのは、比自山の敗戦の話を聞いたからだろうか。どこまで信長の耳に入っているのかと気になったが、あえて自分から言い出すのもはばかられる。チラチラと信長の顔色を伺いながら陣屋の外まで見送りに出ると、一益の昔馴染みという甲賀の多羅尾作兵衛が手勢を率いて待っていた。
「上様。この辺りは伊賀者が潜んで居るやもしれませぬ。それがしが敢国神社まで御供仕りまする」
それを聞いて、忠三郎も前へと進み出る。
「それは聞き捨てならぬ。上様、それがしも御供仕りとうござりまする」
信長は頷き、忠三郎、多羅尾作兵衛とともに敢国神社に向かった。敢国神社は忠三郎が陣を張った場所からは四里も離れてはいない。ゆっくりと馬を走らせたとしても半刻(一時間)ほどで到着する。
「作兵衛殿は我が義兄、滝川左近殿の昔馴染みと聞き及びましたが」
忠三郎が多羅尾作兵衛に馬を寄せて話しかけた。
一益から甲賀にいたころの話を聞いたことがない。これはいい機会とばかりに訊ねてみると、
「左近とは供に悪さばかりしておったわい」
「ほぉ、どのような?」
忠三郎は興味津々で耳を傾ける。
「博打で負けた腹いせに、賭場に火を放ったり…」
「義兄上が、そのような無法な真似を!」
今の一益からは考えられない。なるほど、これでは甲賀にいたころの話をしないのも頷ける、と忠三郎は納得する。
「傲岸で、不遜な態度を取り、行く先々で敵ばかり作っておった。甲賀中で喧嘩騒ぎを起こしていたが、いずこから手に入れたのか、ある日、火縄銃を手に入れた。それからは、日夜砲術の鍛錬だけは欠かさなかった。領主として相応しくないと身内からも見下され、侮られていたが、一向に意に介せず、あれやこれやとひたむきに砲術を研究していた。ついには甲賀を飛び出していったがのう」
作兵衛がしみじみとそう言う。
「今の義兄上は、そのような無法な姿を微塵も感じさせぬ、思慮深い武士でござりまする」
「誰しも若き頃は、無鉄砲な真似をするものじゃ。そうやって長じたときに、若き頃を思い返して身を正すものよ」
似たような話を一益から聞いたことがある。若い時は分別がありすぎるのはよくないと、そう言っていた。
「親類縁者、誰も認めることなき左近の砲術。されど、上様は左近の射撃の腕を見込んで家臣の列に加えたというではないか。未だ甲賀には左近を嫌う者も多いが、先を見据え、陰ながら砲術の研鑽を積んでいた左近の勝ちであろう。今や押しも押されぬ織田家の重臣。砲術の腕もさることながら、将としての実力は万民が認めるところじゃ」
織田家で存分にその力を発揮し、誰からも一目置かれる今の一益にはもはや、甲賀での評価など気にもならないことなのだ、と作兵衛はそう言う。
「誰も認めることなくとも、陰ながら研鑽を積んでいたと…」
池田孫四郎の捨て台詞を思い出す。後藤喜三郎にしても、わざわざ声をかけたにも関わらず、付いてはこなかった。二人は忠三郎を評価していなかったということだ。忠三郎が従兄弟たちを利用して名をあげていると、孫四郎はそう言った。本音だろう。
普段から余り快く思われていないことに気づいてはいたが、改めて面と向かって言われ、一抹の寂しさを感じていた。
(義兄上も甲賀では嫌われ者か)
作兵衛が話して聞かせた若い時の一益と自分が重なった。作兵衛はそんな忠三郎の心境を知ってか知らずか、話を続ける。
「御供の義太夫というのも、とんだ曲者でな」
作兵衛が思い出したように笑いを堪えている。
「あやつも左近に倣って砲術をはじめたのじゃ。で、ある日、酒の肴に、兎を仕留めたと自慢げに持ってきよった」
「義太夫が兎を?」
今の義太夫の腕であれば野の兎を仕留めることなど朝飯前だろう。
「居並ぶ皆が喜び、誉めそやしたので、気を良くしたらしく、翌日、また酒の肴を持ってきた」
「また兎を?」
「いや、塩鯛じゃ」
「塩鯛?」
「これは?と訊ねると、兎を狙うたが、弾がそれて塩鯛に当たったなどと抜かしおったわ」
自慢げに塩鯛を見せる義太夫が目に浮かび、忠三郎が笑い転げる。
なんとも義太夫らしい。塩を振った鯛を仕留めたなどとは。塩鯛も、恐らくは最初の兎も、どこかで買ったものを、わざわざ火縄銃で撃ってもってきたのだろう。
「昔から、恍けた者だったのでござりますな」
「今も変わらぬようじゃな、あの道化者は」
「よいお話をお聞かせいただき、道行を供にできたことを大変嬉しく存じまする」
「まだまだ昔の面白き話は積もるほどある。また参られよ」
作兵衛はそう言うと豪快に笑った。忠三郎も笑顔を見せ、一礼すると列の先頭に戻った。話をする前の沈んだ気持ちが、知らぬうちに晴れ晴れとした心持に変わっていた。
敢国神社への道のりは、短い距離の間に伏兵を潜ませるような場所もない。懸念していた伊賀衆の襲撃もなく、一行は何事もなく敢国神社についた。
「大層な社にござりまするな」
町野長門守が巨大な鳥居を見上げて感心する。
敢国神社の創建は凡そ八百年前。主祭神は四道将軍の1人、大彦命(おおひこのみこと)。社殿を見ると、ところどころに古い修繕の跡がみえる。古来より総鎮守大氏神として伊賀の人々に崇められているようだ。
「八百年もここに鎮座し、伊賀を守ってきたのであろうな」
忠三郎は町野長門守と並んで鳥居を見上げる。
「では我らは…」
柏原城へ引き上げを、と言おうとしたとき、にわかに地鳴りのようなドォンという大きな音が連続して鳴り響いた。
(大鉄砲か!)
忠三郎は慌てて信長のいる後方へ馬を走らせる。
「上様!」
その場は騒然となり、供の者が何人か、吹き飛ばされて馬ごと倒れているが、信長はかすり傷ひとつ負っていない。
「曲者じゃ!捕えよ!」
複数の人影が走り去る姿が見え、皆、顔色を変えて追いかける。
「若殿!多羅尾様が!」
町野長門守の声に、忠三郎がハッとなって振り返ると、大鉄砲の砲撃で倒れた者の中に多羅尾作兵衛の姿があった。
「多羅尾殿!」
馬を下りて駆け寄ると、眉間を撃ち抜かれているのが見えた。大鉄砲は銃弾の他、鉄や石を詰めて撃つ塵砲だ。一度に多くの敵を倒すことができるが、精度に問題があり、遠くから狙い定めて撃つことは難しい。周りの木々が倒れているのを見ると、至近距離から複数人で大鉄砲を放ち、信長を狙撃しようとしたことがわかる。大鉄砲を担いでついてきたとは思えない。信長一行を追ってきたのではなく、最初から敢国神社に身を潜めて、信長の到着を待っていたようだ。
「これなる社も曲者どもと呼応していたのであろう。鶴、火をかけて社を燃やし、宮司どもをひっ捕らえて首をはねよ」
敢国神社がどこまで伊賀衆と結託していたのかは知る由もないが、民からは伊賀の一宮とまで称される鎮守の社だ。伊賀衆を匿っていたとしても不思議ではない。
忠三郎は町野長門守に命じて本殿、幣殿、拝殿といった全ての建物に火をかけ、神職にあるものを捉えて首をはねた。しかし肝心の狙撃犯を見つけることはできなかった。
信長がまたもや伊賀衆によって狙撃されたとの知らせは、即座に全軍にもたらされる。
「作兵衛が撃たれた?」
「はい。大鉄砲に額を撃ち抜かれ、即死でござりました」
忠三郎のそばにいた滝川助太郎が告げる。
「して、上様は?」
「すでに安土に向け出立されました。はや甲賀を抜け、蒲生領にはいられたものかと」
蒲生領まで行けば狙撃の危険はない。今日中に安土に到着するだろう。一益は息をつき、義太夫に向き直る。
「義太夫、下手人は例の音羽の木戸なるものか」
「仰せの通り。伊賀音羽村の木戸弥兵衛。北畠中将様の手の者が、木戸に一味する者どもを捕えて尋問しておるとのことにて」
一度ならず二度までも信長の命を狙ってきた音羽の木戸とその一味。今度は逃がすわけにはいかないのは分かるが、
「一味する者とは?名も顔も分からぬものを捕えるとは…」
「怪し気な呪術を使って逃げているとの噂もござりまする。それゆえ、木戸の信奉する修験道、つまりは山中にいる山伏や農夫、はては杣人(木こり)までも見つけては捕え、拷問にかけているとか」
疑わしい者はすべて捕え、次から次と首を刎ねているのだろう。伊賀の霊山は山岳修行の場として利用されている。山伏装束で修業を行っている者が少なくないと聞く。素破よりもまことの修験者のほうがはるかに多い筈だが、それらを全て捕えて処刑しているとはいささか乱暴な話だ。
「作兵衛の躯は?」
「多羅尾家の家人が引き取りに来て、甲賀に連れ帰っておりまする」
「そうか…」
予期せぬ昔馴染みの作兵衛の突然の死に、短く返事を返すと、静かに床几から立ち上がった。山に囲まれたこの地の夜は早い。いつしか空は暗くなり、月明りが辺りを照らしている。
「面白き奴であったな」
一益が誰にともなくそう言う。多羅尾作兵衛のことだと気づいた義太夫が相槌をうつ。
「いかにも甲賀者らしい豪胆な御仁でござりました」
「然様」
昔、銃弾が横なぐりの雨のように降り注ぐ中でも平然と手をあげ指揮をとっていた姿が思い起こされた。
「伊賀の者どもも同じ思いなのであろう」
織田勢が伊賀入りしてから味方の損害は著しいが、倒した敵の数はその十倍、二万を超えている。その中には戦さとは関係のない者も多くいた。田畑を踏み荒らす織田家の侵攻を快く思わない民百姓が戦さに加わることで、長期戦となり、泥沼化してきている。
「このままでは柏原城が落ちるころには伊賀から人はおろか、獣さえも姿を消す惨事となる」
「伊賀衆もそれを承知で、城に籠っておるのでは?」
「すべての者がそうとは思えぬ。城の兵糧も残り少なくなっておろう。そろそろ和議の話を出す頃合いじゃ」
「和議、にござりまするか。この戦局では難しいものかと」
未だ伊賀衆の士気が高い。難しい話し合いになる。無闇に人を送って無事に帰ってくるとも思えない。
問題は誰を使者として送り出すか。
「殿。鶴が戻って参りました」
国境まで信長を送って来た忠三郎が帰陣した。
「義兄上、敢国神社で…」
多羅尾作兵衛の話をしようとすると、一益がそれを遮る。
「鶴、柏原城へ和睦の使者を送る。誰か、伊賀衆と縁のある者を知らぬか」
「和睦。縁のある者…でござりまするか」
忠三郎が小首を傾げ、思考を巡らせる。
「義兄上は伊賀衆をお許しになると?」
「許す、とは?」
「多羅尾殿の仇を取らずともよろしいのでござりまするか」
一益の昔馴染みの多羅尾作兵衛。その作兵衛が討たれたのだから、当然、伊賀衆を殲滅するつもりがあると思っていたのだが。
「将たるものは私怨で兵を動かしてはならぬ。他の国を見るにあたり,己が国を見るようにする。他家を見るのに,己が家を見るようにする。他の身を見るのに、己が身を見るようにする。さすれば互いを損なうことはなくなると故事にある。仇討ちを望むのは敵も同じこと。されどこれ以上続けても、もはや敵味方どちらの利にもならぬ。利のない戦さを続ければ国が亡ぶ。それは伊賀衆も心得ておろう。そろそろ潮時じゃ。伊賀衆を伊賀から立ち退かせれば、上様も北畠中将殿も矛を収められる。立ち退きを条件に、和議を結ぶときではないか」
一益の真意を確かめると、忠三郎はしばらく黙って考えていたが、やがて腑に落ちたと見えて、顔をあげる。
「義兄上の御心の内はようわかりました。ここは武士ではないものに仲介を頼んでは如何なものかと存じまする」
「武士ではないもの?僧侶か?」
「いえ。猿楽大夫にござりまする。観世大夫は存じておいででしょう?」
室町時代の猿楽師、観阿弥。伊賀で生まれた服部清次は幼少の頃より大和の猿楽師の元で育てられた。長じて観阿弥と名乗り一座建立し、猿楽に田楽や曲舞を取り入れ、大和猿楽(能)を大成した。その後、足利将軍の目に留まり、幕府に庇護されたことで戦国期には大和猿楽、猿楽の能として全国に広まった。一説には観阿弥は素破であったとも伝わる。
その大和猿楽の一座のひとつ、結崎座の大倉五郎次なる猿楽大夫が柏原城の城主、滝野十郎と以前から繋がりがあるという。
「鶴はその大倉五郎次なる大夫を存じておるのか」
義太夫が興味深そうに尋ねると、
「毎年、城下にある近江猿楽の大夫が城まできて猿楽能を披露しておる。その大夫の一人が結崎座の者だったはず」
鎌倉時代からと伝わる猿楽。近江には多くの猿楽の一座があり、天女舞という風情ある優美な舞で室町初期にその名が知られるようになったが、戦国期には既に廃れていると聞いている。
「日野の猿楽能が終わると、毎年必ず、やんごとなき草履が献上されておりまする。それを持って大和へ使者をお立てくだされ。さすれば大倉五郎次に取次も可能かと」
「やんごとなき草履?」
それはどのような草履なのか。
早速、日野に使いを出して草履を取り寄せ、義太夫に持たせて大和へ送り出す手筈を整えた。
「経典の代わりに薙刀を持ち、傍若無人な振る舞いをする悪僧はもはや僧にあらず。一人たりとも逃さず、供に籠る伊賀衆もろとも討ち果たせ!」
陣太鼓を叩き、法螺を吹かせると、兵が一斉に兵楽寺城へと攻めかかった。屈強な僧たちが手に手に武器を携え抵抗し、激しい白兵戦と化したが、敵の十倍の兵力を持ってこれを討ち果たした。
「大鉄砲を撃ち込み、塀を打ち壊して中へ乱入せい」
大鉄砲が激しい音をたてて塀を壊し、砲撃と爆破によって地面が揺れる。倒壊した壁の穴から寺社の中が見えると、土塁を乗り越え、中にあるすべての堂塔に火をかけた。
「若殿、火を見た寺の者どもが逃げ惑っておりまする」
「逃がすな、皆、なで斬りにせよ」
大軍を前に戦意喪失した敵兵を倒していると、吹きすさぶ風で火が扇を広げたように燃え広がり、寺が紅蓮の炎に包まれ、空を赤々と照らした。
平楽寺城は半日もたたずに制圧され、忠三郎は燃え上がる寺を満足そうに見上げ、時をうつさずして進軍を続ける。
ほどなく全軍が集結することになっている比自山に到着した。
ここは寺領三百石をもつ観音寺と仏性寺、天台宗を開いた最澄の開基と伝わる西蓮寺、同じ天台宗の常行院常住寺がある。すでに多羅尾口から伊賀入りした堀久太郎率いる近江衆と、笹間口から来た筒井順慶率いる大和衆が到着し、本隊が来るのを待っているところだった。
「若殿、一大事でござりまする。我らの道案内をしていた伊賀の耳須弥次郎が既に敵の手にかかり、命をおとしておりまする」
町野左近の報告に耳を疑い、顔色を変えた。
「…そんなことがあったとしたら…」
あの夜襲のときかもしれない。ここに来るまでに将を二人も失っていることになる。
「敵も侮れぬな。最早許せぬ。恨み、骨髄まで徹すとはこのことよ。目にもの見せてくれねば」
見ると目の前の比自山の敵は思いのほか士気高揚していた。
「爺。城の者どもは何をしておるのか」
夜になってもかがり火が赤々と山を照らし、昼夜問わず、音が聞こえてくる。
「城の守りを固めて居るのでは?日に日に伊賀全土から人が集まってきているようにも見えまする」
北面は断崖絶壁、南は谷、どう見ても攻めあぐねそうな地形に加え、更に城の守りを固められては益々寄せ手に不利になる。
忠三郎はこのまま黙って見過ごすわけにはいかないと判断した。
「知らせを送り、諸将を集め軍議を開こう」
堀久太郎、筒井順慶の陣営にそれぞれ伝令を送り、付き従う近江衆にも声をかけて一同を呼び集めた。
「今、我らで攻め込まねば敵はますます増え、守りが固められてしまう。ここはひとつ、討って出ては如何なものか」
一同を見渡してそう言うが、織田家に加わってから日の浅い筒井順慶にはほぼ発言権はなく、忠三郎が同意を求めてもただ頷くばかり。この場で意見できるものは堀久太郎しかいない。忠三郎の天敵でもある信長の側近、堀久太郎は、忠三郎の提案に眉を顰めた。
「待て。おぬしはまた功を焦って何を言い出すやら。滝川・丹羽の本隊を待って総攻撃をかけると、そう最初から決まっていたではないか」
「臆したか、久太郎。敵が日々力をつけているのが分からぬのか。我らはすでに一万五千もの大軍。にも拘わらず、このまま黙って指をくわえて見ておれば、我らはただの臆病者と、下賤な伊賀者どもに笑われようぞ」
帷幕の外には織田家に服従する伊賀の者もいるというのに、下賤な伊賀者とは、暴言にも甚だしい。
いつになく声を荒げる忠三郎に、久太郎は驚き、
「されど安土での軍評定では…」
「では我らが行って敵を蹴散らし、一泡吹かせてくるのを黙ってみておれ。他の皆は如何なる所存か」
忠三郎に詰め寄られた筒井順慶は頷くしかなく、軍目付の安藤将監も忠三郎に同意した。結果、忠三郎に押し切られる形で堀久太郎も同意し、本隊の到着を待たずに城攻めを開始することになった。
翌朝早く、諸将は手筈通り、比自山総攻撃を開始した。比自山は要害といっても山頂にあるのは城というよりは、砦に近い。山頂にある観音寺を取り囲むように櫓が築かれている。伊賀衆はこの山そのものを要塞化しようとして櫓を立て、石を積み、日夜強化していたのだろう。
いち早く比自山北側にある仏性寺を抑えた忠三郎は、風呂カ谷と呼ばれる谷から急こう配を登ろうと兵を差し向けた。ところが気づいた敵方が上から巨大な岩石をいくつも雪崩のように降り注いでくる。先を行く兵は馬もろとも岩の下敷きとなった。かろうじて岩を避けた兵に鉄砲が次々に撃ち込まれ、銃声がやむと、間髪入れずに弓矢が飛んできた。谷には人馬の屍が積み重なり、致命傷を負った兵の悲鳴やうめき声は軍勢の士気を低下させた。
「容易に登れるものではありませぬぞ」
伊賀衆の激しい抵抗を見た町野長門守が忠三郎に告げると、忠三郎もうーんと唸る。
「南の筒井勢は如何した?」
「どうにも攻めあぐねている様子にて」
同じように山の上から攻撃を受け、兵の消耗が激しく、先に進むことができないでいるようだ。
「致し方ない。先導して、一気に攻めかかるか」
痺れを切らし、忠三郎は手勢を率いて筒井勢の前を走り抜け、大手口へ向かっていく。
「あれは蒲生殿ではないか」
向かい鶴の旗印をひらめかせて走り抜ける煌びやかな忠三郎の姿は嫌が上でも人目をひく。みな、その姿を垣間見、口々にささやいている。
筒井藤四郎もその声に顔をあげる。筒井藤四郎は筒井順慶の嫡子で、忠三郎と同じように、信長の末娘を娶っている。
「忠三郎殿は我らの働きを不甲斐ないと感じ、自ら先頭に立って敵に向かって行かれるのではないか」
筒井勢の前を走り抜ける忠三郎の姿を見て、口惜しさに手綱を持つ手が震える。
「このままでは臆病者のそしりを受けよう。蒲生勢に遅れを取るな。皆、続け!」
忠三郎の後を追うように馬を走らせると、家臣たちが慌ててつき従った。
忠三郎が坂を駆け上ろうとしたとき、激しい銃声が鳴り響いた。敵の伏兵の一斉射撃だ。先を進んでいた兵が倒され、躯が積み重なっていくのが見えた。急な坂の上から攻撃されている。どうやら坂を登った先には開けた場所があり、少なからぬ伏兵が待ち受けていることはわかった。しかし下からは姿を確認することもできぬ状況で、鉄砲を撃つこともできない。
「おのれ、下賤な素破ども。このまま退いては末代までの名折れじゃ」
なおも兵を繰り出そうとしていると、堀久太郎の元から伝令が遣わされてきた。
「敵の抵抗すさまじく、一旦退かねば我らは全滅。戦さは引き際が肝要、滝川・丹羽の到着を待つべしと」
筒井藤四郎が家臣たちを率いて追いついてくると、居並ぶ筒井家の家臣たちが一様に頷く。
「蒲生殿、堀殿の仰せの通りかと。味方の損害激しく、引き際を過てば全滅でござりまする」
六つ年下、若干二十歳の藤四郎にそう言われ、敵に背を向けて逃げるのかと反論しようとしたとき、
「若殿!軍目付の安藤様が重傷を負って退却された由にござりまする!」
町野長門守の声が響く。忠三郎はようやく我に返り、辺りを見回した。一帯が味方の屍で埋め尽くされている。
「口惜しい。伊賀勢がここまでとは…」
敵にも少なからず損害を与えている筈だが、一向に勢いが治まらず、依然として激しく抵抗を続けている。久太郎の言う通り、このまま続けていても兵を失うばかりで大した戦果はあがらないだろう。
「確かに…敵を甘く見過ぎていたようじゃ」
失策を認めざるを得ない。あれほど言われていたのに一益を待たずに比自山攻めを始め、多くの犠牲を払って、なんの戦果もあげられなかった。
「長門、退却の法螺を…」
「ハハッ」
全軍に退却を知らせる法螺が鳴り響く中、忠三郎は馬首を返して撤退した。
夕暮れ時から雨になった。
事態を重く見た滝川助太郎は、一益のところまで行き、事と次第を知らせた。一益の元からは、夜襲に供え、佐奈具まで退却するようにと知らせがきた。
ここに至っては一益の言うとおりにするしかない。忠三郎は酒宴を開いた佐奈具まで退却した。堀、筒井勢もそれぞれ兵を退き、元いた場所で陣を張る。
「不寝番を増やせ。よもやここまで来るとも思えぬが、のこのこ出てきたら返り討ちにしてくれる」
そばに控える町野長門守にそう告げ、見回りに出た。手痛い敗戦と前回の夜襲を思い出し、夜も更けたというのに目が冴えて寝付けない。
自分が伊賀衆であれば、この局面でどう手を打つか、考えてみる。
(勝ち戦の勢いに乗じて夜襲をしかける。ほうほうの体で退却し、多少なりとも損害を出している敵に追い打ちをかければ、戦果が期待できる)
堀久太郎の軍勢は先鋒の半数を失って退却したというし、筒井勢も同じような被害を出しているとの報告を受けたが、改めて見ると、蒲生勢はさほど被害を受けていなかった。
(鉄砲の数か)
領内に鉄砲生産地がある蒲生勢は、他家よりも鉄砲の数が多い。伊賀衆はそれを警戒し、蒲生勢を避けて攻撃していたようだ。
(だとすると…)
夜襲をしかけるなら、狙うのは蒲生勢ではなく、堀久太郎率いる近江衆か、筒井勢ではないだろうか。
(されど久太郎のところには多羅尾作兵衛がいる)
戦さ慣れした甲賀の多羅尾がいれば、伊賀衆が襲ってきてもすぐに気づくだろうし、対処可能だ。
(いや…待て…敵も同じことを考えるのではないか)
であれば、今日、最も被害が大きかった筒井順慶率いる大和衆が危険だ。
「長門!筒井殿に使者を出し、夜襲に供えるように伝えよ」
「ハハッ」
筒井勢とは距離があるため、ここからでは様子を窺い知ることはできない。筒井順慶は比自山からは川を挟んでいるとはいえ、敵に一番近い場所に陣営を構えている筈だ。
しかし忠三郎が送った使者が到着する前に、伊賀衆は動いていた。寝込みを襲われた筒井勢は、大混乱に陥った。本陣近くまで敵の侵入を許し、家老の一人が討死、もう一人も手傷を負い、兵の半分を討ち取られて退却した。
翌日の昼を過ぎたころ、滝川一益、丹羽長秀の率いる一万四千の軍勢が比自山に到着した。一益は早速、忠三郎を呼び出し、状況の説明を求めた。
「比自山では日に日に兵が増え、土塁を築き、強固な守りを固めておりまする」
ばつ悪そうにそう言う忠三郎に、一益は叱るでもなく頷き、
「鶴。そなたは智勇兼備、士卒にも公正。己が軍勢の軍規厳しく、それゆえに蒲生勢は一糸乱れぬ行動をすると聞く。そのそなたが命に背き、皆を説き伏せ、兵を動かしたのは私心によるものか」
一益は忠三郎が従兄の美濃部茂盛を討たれたことで、復讐心に燃え、比自山攻めを強行したものと気づいている。忠三郎が返す言葉もなく俯くと、
「私利私欲で動いてはならぬ。日々、その身を高潔に保ち、いかなることにも大局を見極めねば天下万民を治める君主たる器とはいえぬ」
忠三郎は反論することもできない。今度ばかりは黙って頷くしかなかった。
「これより皆を集めて軍議を開く。それまで少し大人しゅうしておれ」
淡々と諭され、忠三郎は意気消沈して帷幕の外に出た。
「おぉ、鶴。なんじゃ、腹をくだした蛙のような顔じゃ」
笑ってそう近づいてきたのは義太夫だ。
「腹を下した蛙の顔とは如何なる顔じゃ。義太夫も存じておろう。今日はおぬしと戯れるような気力もわかぬ」
珍しく肩を落としてそう言う。一益に叱られたからではないようだ。ここまでひどい敗戦を経験したことはなかったのか。
「勝負は時の運と、おぬしの初陣の折、上様もそう仰せられたではないか。そう気を落とすな。殿は織田家の老臣として、おぬしに物を教えておるのじゃ。これしきの敗戦で上様は何も仰せにはなるまい。されど、蒲生忠三郎が討死でもしてみよ、我らは皆、お咎めを受けるわ」
ずばり本音を言われ、忠三郎は恨めしそうにちらりと義太夫を見る。
「まるで、上様に咎められなければ、わしなどはどうなってもよいと、そう言うておるように聞こえてくる」
「ん?まぁ…そうじゃが…いや、そうではなく…」
今日の忠三郎は妙に扱いにくいな、と義太夫は比自山を遠望しながら、大きな岩に腰を下ろす。
「鶴、分かっておらぬな。己の一言がどれほど大きいか、考えたことがあるか」
「なんのことか、よう分からぬ」
忠三郎も傍へ腰を下ろした。
「比自山へ攻めかかろうと言うたとき、蒲生忠三郎が攻めかかるというたから、皆、致し方なく従ったまで。皆、気乗りしなかった筈じゃ。その場でおぬしに逆らえる者等はおらなんだからのう」
「…そうかもしれぬな」
「上様は早、城介殿に家督を譲られたが、年を考えれば織田家の老臣たちもよいところあと五・六年で皆々様、隠居となる。さすれば次は若い者たち。ご当主の城介様は兎も角、他のご連枝はどうにも心もとない。となると、城介様を補佐し、織田家を背負って立つのは鶴や堀久太郎、我が家の若殿辺りではないか。此度は殿や丹羽殿がおられるゆえ、多少の敗戦はなんとでもなろう。されど、皆々様が隠居なされた後は、そうはいかぬ。それゆえ、この敗戦を最後に、もう負ける戦さなどはしてくれるなと、殿はそう思うておられるのじゃ」
義太夫がしたり顔で言うが、忠三郎は浮かない顔のままだ。義太夫はその原因に気づいて、
「従兄を失ったのが辛いか」
忠三郎が頷く。
「許せぬ…伊賀全土を燃やし尽くすまで戦う」
眼前にそびえる比自山を睨んでそう言う。義太夫はオヤと眉をあげて、忠三郎を見る。
「似合わぬことを申すな。雪が降るではないか」
「侮るな。わしとて戦国乱世に生きる武士じゃ」
義太夫はうむうむと頷き、
「怒りにかられた戦さは珍しくもない。怒りの破壊力で多くの敵を倒すこともあろう。されど復讐を果たし、怒りが去ったあと、おぬしはまた酒に逃げることになる」
今日の義太夫は嫌なことばかり言う、と忠三郎は顔をそむける。
「わしは酒に逃げているわけではない」
「フム。そうかもしれぬな。まぁ、わしの話を聞け。おぬしら大名の子は幼き頃より武経七書から兵法を学び、戦術を学び武芸を学ぶが、我ら素破は幼き頃より刀や槍、手裏剣を持ち、戦う術を学ぶ。そうやって幼き子らに戦う術を教えていると、わかることがある」
「分かること?」
「然様。人には生まれ持って二種類の気質がある。一つは、戦うこと、命を奪うことを喜びとする者。もう一つは戦うことは好ましいとは思わぬが、臆病者と言われるのが嫌で戦う者」
「わしは臆病者と言われとうなくて戦っている者だと?」
「己を顧み、どちらか考えてみい。されど、戦うことを喜びとし、人の命を奪うことを楽しむ者はのう、五十人の童の中では一人くらいしかおらぬ。それゆえ、戦わずに勝つのが上策なのじゃ」
「五十人に一人…」
「時折、和睦となるとつまらぬと騒ぐものがおろう。例えば…城介様のところの森勝蔵のような。あの類ではないか?」
飛び出して来た蛇を槍で突き刺し、生で食べるという森勝蔵。確かに森勝蔵は心底戦さが好きなようだ。戦さ以外でも怒りに任せて関所の番人を手打ちにしたり、罪人を処刑するときも目を爛々と輝かせて、嬉しそうだったと聞く。
「高潔に身を保てと、殿はそう仰せであったろう。私心で人を殺めれば、あの者と大差なき者となる。如何に悲しむべきことがあったとしても、ああいう者には成り下がってくれるな。今のままのおぬしでいてくれ」
義太夫が笑顔を浮かべ、忠三郎の肩を叩く。
「心しておく」
話していると諸将が集まってくるのが見えた。忠三郎は義太夫を振り返って笑いかけると、立ち上がって大小を腰にさした。
軍議が開かれた翌朝未明、比自山総攻撃が開始された。前回同様、投石を想定して兵を進めたが、一向にその気配がない。比自山頂上まで登ったが、人っ子一人いなかった。
「我らの軍勢が到着したのを見て、逃げたか。」
伊賀の中でも大勢を収容できる場所はそう多くない。赤目の柏原城目指して逃走したのだろう。柏原城までは五・六里(二十四キロ)といったところか。
一益は全軍に使者を送り、柏原城目指して進軍を始めた。ほどなく、忠三郎の元から使者がきた。
「比自山には、老人、女子供もおりました。まだそう遠くへは行っていない筈。追撃しては如何なものかと」
「追撃したくば、あえて止めはせぬが…」
伊賀最後の拠点、柏原城に人が集まりつつある。二千人はいると思われ、いたずらに攻めかかるのは危険だ。
(柏原城近くを攻略している北畠三介殿も来られる筈。大軍をもってすれば兵糧攻めで一か月というところか)
日も西の山の端に傾きだしたころ、柏原城まであと二里(八キロ)のところまで到達した。先に来ている北畠信雄から、付近にある陣城に来るようにと知らせが届いた。見ると、離れた場所で北畠信雄が早くも陣城を築きあげていた。
「奇襲に供えておられるのか」
「なんでも、伊賀の素破どもが大将首を狙って徘徊しておるとかで、寝首をかかれてはたまらぬと、北畠中将様は家臣たちに陣城を築かせ、そこから一歩も出て来ぬとのことにござりまする」
義太夫が笑っている。
それにしても柏原城から離れすぎている。軽く二里はある。北畠信雄の名誉挽回のための伊賀攻めだった筈だが、これではかえって物笑いの種となってしまう。
「城攻めのための陣城にしては過ぎたる城であるが致し方あるまい」
すでにできてしまっている以上、口を挟むこともできない。諸将を陣城に集めて軍議を開くことにした。
陣城と呼ぶには大規模で、堀を巡らせ、土塁を築いている。即効で造った割にはしっかりしており、砦、もしくは城と呼ぶべきかもしれない。北畠信雄が闇討ちを恐れて作らせたその城は、都にある信雄の屋敷が桜町にあることから、誰ともなく桜町中将城と呼ばれている。更にその隣にも城が築かれており、あちらは信雄の兵を駐留させるために作ったようだ。
「歴戦の伊賀者どもが多く籠る柏原城。堀は三重、本丸は強固な石垣の上にあり、これを落とすには容易ならざること。されど比自山をはじめ、伊賀全土から人が集まっておることを鑑みるに、ここは十重二十重に包囲し、兵糧攻めとしては如何なものかと存じ上げまする」
一益がそう進言すると、北畠信雄は難色を示した。
「それでは時がかかる。これほどの軍勢を集めたのじゃ。伊賀の下賤な素破ごときに時をかけては名折れじゃ。一気に落とすことはできぬのか」
「力攻めとなると、お味方も相当な損害を覚悟せねばなりますいまい」
丹羽長秀が苦言を呈する。
比自山の敗戦を思うと、力攻めで攻略できると思う者はいないようだ。皆、渋い顔をして考え込む。
「老臣どもの慎重論では埒が明かぬ。忠三郎、久太郎、如何じゃ。四万の軍勢をもってして、たかが二千余りの兵しかおらぬ小城をおとせぬと申すか」
負ける戦さはするなと言い渡されたばかりだ。さしもの忠三郎も容易く返事ができず、堀久太郎も返事に窮して一益と丹羽長秀のほうを見る。
信雄はそんな二人の様子に苛立ちを抑えられなくなり、床几から立ち上がった。
「これでは伊賀者どもに侮られるばかりではないか。総攻撃を仕掛けよ。明日早朝より皆、総がかりで城を攻め落とせ」
かなり強引に城攻めが決まったが、否とは言えない。皆、顔を見合わせ、気乗りせぬ様子で返事をした。
翌朝から総攻撃が開始された。忠三郎は従弟の後藤喜三郎に声をかけ、いち早く手勢を率いて小高い丘を駆け上る。鉄砲隊の乱射により敵の先鋒がひるむと、足軽に交じって槍を振り回し、敵兵をなぎ倒した。
「敵は浮足立っておる。このまま突き進め!」
忠三郎が味方を鼓舞して逃げる敵を追いかけて行くと、土塁の陰に潜んでいた伏兵が姿を現し、一斉に襲い掛かって来た。
「若殿!これは罠でござります!」
鬨の声に驚いていななく馬を御しながら、町野長門守が叫ぶ。
「喜三郎!勢いに乗じて突き進み、敵中を突破するのじゃ」
後藤喜三郎を呼ばわるが、返事がない。気づくと後方についてきていた筈の喜三郎の姿がない。
「喜三郎!」
途中でどこかに取り残されているのかと不安になり、大声を張り上げると、木陰から現れたのは喜三郎ではなく堀久太郎とともに出馬したはずの池田孫四郎だった。
「孫四郎、よいところへ。喜三郎を見なんだか?」
「あの計算高い後藤が、無鉄砲なおぬしについてくると思うていたのか」
「それは…喜三郎はこの場におらぬとか」
言われて初めて気づいた。喜三郎は最初から、忠三郎についてくる気などなかったのだ。
(何故ついてこなかったのだ)
喜三郎の不可解な行動に首を傾げるが、それならそれで致し方ない。
「孫四郎、我ら二人でこやつらを倒し、先へ突き進もう」
次々に襲い掛かる敵を倒しながら、忠三郎が声をかけると、孫四郎が冷笑して馬の首を返した。
「四郎や木猿同様、わしを楯にして手柄を立てるつもりか」
「四郎…関四郎のことか」
忠三郎の従弟の一人、関四郎。長島願証寺攻めのとき忠三郎と共に松の木の渡しを駆け抜けて長島一番乗りを果たし、その直後に討死した。
「関四郎も美濃部茂盛も、皆、蒲生忠三郎が名をあげるために利用され、死んだ。おぬしの汚い魂胆などはとうに見抜いておるわ」
池田孫四郎はそう言うと、馬を走らせ、一目散に逃げていく。
「待て!孫四郎!」
忠三郎の叫ぶ声は、敵の怒声でかき消される。見ると、二十人ほどの兵に取り囲まれていた。
「若殿!敵に囲まれておりまする!」
しかし、池田孫四郎の捨て台詞が胸に突き刺ささり、危険を知らせる町野長門守の声が耳に入らない。
(孫四郎…このわしが皆を利用したと、そう思うていたのか)
これまでずっと、そんな目で見られていたのかと思うと、口惜しさがこみあげてくる。
「忠三郎様!」
足元に迫った敵兵の槍が、忠三郎の足に届きそうになった瞬間、滝川助九郎が背後から敵を切り倒した。後ろを振り向くと、すでに退路を断たれ、後方にいる味方から離されている。
これはさすがに拙い、と気づいた時、激しい銃声が鳴り響き、側面の兵がバタバタと倒れた。
「忠三郎!」
滝川三九郎が手勢を率いて走り寄る。更に少し離れたところで、木全彦次郎が鉄砲隊を指揮しているのが見えた。
「三九郎、何故ここが分かった?」
「おぬしが一人で飛び出していくのが見え、父上の命で皆で追いかけてきたのじゃ。これは伊賀の滝野小三郎率いる伊賀者ども。敵を誘い出しては取り囲んで襲うという戦法じゃ。ひとまず引かねば、すぐにまた囲まれようぞ」
「承知した。長門、引き上げじゃ」
忠三郎は三九郎とともに滝川勢が切り開いた道を引き返した。
この日一日で織田勢の死傷者は千を超えたが、一向に敵の勢いは治まらなかった。桜町中将城では再び軍議が開かれ、丹羽長秀は兵糧攻めを強く主張した。
「いかに大軍とはいえ、これでは悪戯に兵を失うばかり。一旦、兵を治め、兵糧攻めとする旨、安土へ使いを出しては如何なものかと存じ上げまする」
北畠信雄はようやく力攻めを諦め、兵糧攻めとすべく安土の信長に使者を送った。
信長が馬廻衆を連れて伊賀の地に姿を現したのは十月十日。 一益は桜町中将城から凡そ四里離れた敢国(あいくに)神社に信長の御座所を設けている。敢国神社まで来た信長一行は、諸将の陣営を見回り、兵糧攻めとする旨、全軍に通達した後、最後に蒲生忠三郎の陣屋に立ち寄った。
「変わらず蒲生勢は士気が高いのう。されど、さしもの鶴も伊賀は攻めあぐねておるか」
「ハッ。どうにも素破と申すはこれまでの合戦とは異なり、掴みどころなき戦術を繰り出して参りまする」
信長は頷き、
「戦さのイロハを学ぶ時と心得よ。老臣どもに従い、伊賀を鎮圧するのじゃ」
忠三郎がハッと短く返事をする。信長がわざわざ陣屋に来たのは、比自山の敗戦の話を聞いたからだろうか。どこまで信長の耳に入っているのかと気になったが、あえて自分から言い出すのもはばかられる。チラチラと信長の顔色を伺いながら陣屋の外まで見送りに出ると、一益の昔馴染みという甲賀の多羅尾作兵衛が手勢を率いて待っていた。
「上様。この辺りは伊賀者が潜んで居るやもしれませぬ。それがしが敢国神社まで御供仕りまする」
それを聞いて、忠三郎も前へと進み出る。
「それは聞き捨てならぬ。上様、それがしも御供仕りとうござりまする」
信長は頷き、忠三郎、多羅尾作兵衛とともに敢国神社に向かった。敢国神社は忠三郎が陣を張った場所からは四里も離れてはいない。ゆっくりと馬を走らせたとしても半刻(一時間)ほどで到着する。
「作兵衛殿は我が義兄、滝川左近殿の昔馴染みと聞き及びましたが」
忠三郎が多羅尾作兵衛に馬を寄せて話しかけた。
一益から甲賀にいたころの話を聞いたことがない。これはいい機会とばかりに訊ねてみると、
「左近とは供に悪さばかりしておったわい」
「ほぉ、どのような?」
忠三郎は興味津々で耳を傾ける。
「博打で負けた腹いせに、賭場に火を放ったり…」
「義兄上が、そのような無法な真似を!」
今の一益からは考えられない。なるほど、これでは甲賀にいたころの話をしないのも頷ける、と忠三郎は納得する。
「傲岸で、不遜な態度を取り、行く先々で敵ばかり作っておった。甲賀中で喧嘩騒ぎを起こしていたが、いずこから手に入れたのか、ある日、火縄銃を手に入れた。それからは、日夜砲術の鍛錬だけは欠かさなかった。領主として相応しくないと身内からも見下され、侮られていたが、一向に意に介せず、あれやこれやとひたむきに砲術を研究していた。ついには甲賀を飛び出していったがのう」
作兵衛がしみじみとそう言う。
「今の義兄上は、そのような無法な姿を微塵も感じさせぬ、思慮深い武士でござりまする」
「誰しも若き頃は、無鉄砲な真似をするものじゃ。そうやって長じたときに、若き頃を思い返して身を正すものよ」
似たような話を一益から聞いたことがある。若い時は分別がありすぎるのはよくないと、そう言っていた。
「親類縁者、誰も認めることなき左近の砲術。されど、上様は左近の射撃の腕を見込んで家臣の列に加えたというではないか。未だ甲賀には左近を嫌う者も多いが、先を見据え、陰ながら砲術の研鑽を積んでいた左近の勝ちであろう。今や押しも押されぬ織田家の重臣。砲術の腕もさることながら、将としての実力は万民が認めるところじゃ」
織田家で存分にその力を発揮し、誰からも一目置かれる今の一益にはもはや、甲賀での評価など気にもならないことなのだ、と作兵衛はそう言う。
「誰も認めることなくとも、陰ながら研鑽を積んでいたと…」
池田孫四郎の捨て台詞を思い出す。後藤喜三郎にしても、わざわざ声をかけたにも関わらず、付いてはこなかった。二人は忠三郎を評価していなかったということだ。忠三郎が従兄弟たちを利用して名をあげていると、孫四郎はそう言った。本音だろう。
普段から余り快く思われていないことに気づいてはいたが、改めて面と向かって言われ、一抹の寂しさを感じていた。
(義兄上も甲賀では嫌われ者か)
作兵衛が話して聞かせた若い時の一益と自分が重なった。作兵衛はそんな忠三郎の心境を知ってか知らずか、話を続ける。
「御供の義太夫というのも、とんだ曲者でな」
作兵衛が思い出したように笑いを堪えている。
「あやつも左近に倣って砲術をはじめたのじゃ。で、ある日、酒の肴に、兎を仕留めたと自慢げに持ってきよった」
「義太夫が兎を?」
今の義太夫の腕であれば野の兎を仕留めることなど朝飯前だろう。
「居並ぶ皆が喜び、誉めそやしたので、気を良くしたらしく、翌日、また酒の肴を持ってきた」
「また兎を?」
「いや、塩鯛じゃ」
「塩鯛?」
「これは?と訊ねると、兎を狙うたが、弾がそれて塩鯛に当たったなどと抜かしおったわ」
自慢げに塩鯛を見せる義太夫が目に浮かび、忠三郎が笑い転げる。
なんとも義太夫らしい。塩を振った鯛を仕留めたなどとは。塩鯛も、恐らくは最初の兎も、どこかで買ったものを、わざわざ火縄銃で撃ってもってきたのだろう。
「昔から、恍けた者だったのでござりますな」
「今も変わらぬようじゃな、あの道化者は」
「よいお話をお聞かせいただき、道行を供にできたことを大変嬉しく存じまする」
「まだまだ昔の面白き話は積もるほどある。また参られよ」
作兵衛はそう言うと豪快に笑った。忠三郎も笑顔を見せ、一礼すると列の先頭に戻った。話をする前の沈んだ気持ちが、知らぬうちに晴れ晴れとした心持に変わっていた。
敢国神社への道のりは、短い距離の間に伏兵を潜ませるような場所もない。懸念していた伊賀衆の襲撃もなく、一行は何事もなく敢国神社についた。
「大層な社にござりまするな」
町野長門守が巨大な鳥居を見上げて感心する。
敢国神社の創建は凡そ八百年前。主祭神は四道将軍の1人、大彦命(おおひこのみこと)。社殿を見ると、ところどころに古い修繕の跡がみえる。古来より総鎮守大氏神として伊賀の人々に崇められているようだ。
「八百年もここに鎮座し、伊賀を守ってきたのであろうな」
忠三郎は町野長門守と並んで鳥居を見上げる。
「では我らは…」
柏原城へ引き上げを、と言おうとしたとき、にわかに地鳴りのようなドォンという大きな音が連続して鳴り響いた。
(大鉄砲か!)
忠三郎は慌てて信長のいる後方へ馬を走らせる。
「上様!」
その場は騒然となり、供の者が何人か、吹き飛ばされて馬ごと倒れているが、信長はかすり傷ひとつ負っていない。
「曲者じゃ!捕えよ!」
複数の人影が走り去る姿が見え、皆、顔色を変えて追いかける。
「若殿!多羅尾様が!」
町野長門守の声に、忠三郎がハッとなって振り返ると、大鉄砲の砲撃で倒れた者の中に多羅尾作兵衛の姿があった。
「多羅尾殿!」
馬を下りて駆け寄ると、眉間を撃ち抜かれているのが見えた。大鉄砲は銃弾の他、鉄や石を詰めて撃つ塵砲だ。一度に多くの敵を倒すことができるが、精度に問題があり、遠くから狙い定めて撃つことは難しい。周りの木々が倒れているのを見ると、至近距離から複数人で大鉄砲を放ち、信長を狙撃しようとしたことがわかる。大鉄砲を担いでついてきたとは思えない。信長一行を追ってきたのではなく、最初から敢国神社に身を潜めて、信長の到着を待っていたようだ。
「これなる社も曲者どもと呼応していたのであろう。鶴、火をかけて社を燃やし、宮司どもをひっ捕らえて首をはねよ」
敢国神社がどこまで伊賀衆と結託していたのかは知る由もないが、民からは伊賀の一宮とまで称される鎮守の社だ。伊賀衆を匿っていたとしても不思議ではない。
忠三郎は町野長門守に命じて本殿、幣殿、拝殿といった全ての建物に火をかけ、神職にあるものを捉えて首をはねた。しかし肝心の狙撃犯を見つけることはできなかった。
信長がまたもや伊賀衆によって狙撃されたとの知らせは、即座に全軍にもたらされる。
「作兵衛が撃たれた?」
「はい。大鉄砲に額を撃ち抜かれ、即死でござりました」
忠三郎のそばにいた滝川助太郎が告げる。
「して、上様は?」
「すでに安土に向け出立されました。はや甲賀を抜け、蒲生領にはいられたものかと」
蒲生領まで行けば狙撃の危険はない。今日中に安土に到着するだろう。一益は息をつき、義太夫に向き直る。
「義太夫、下手人は例の音羽の木戸なるものか」
「仰せの通り。伊賀音羽村の木戸弥兵衛。北畠中将様の手の者が、木戸に一味する者どもを捕えて尋問しておるとのことにて」
一度ならず二度までも信長の命を狙ってきた音羽の木戸とその一味。今度は逃がすわけにはいかないのは分かるが、
「一味する者とは?名も顔も分からぬものを捕えるとは…」
「怪し気な呪術を使って逃げているとの噂もござりまする。それゆえ、木戸の信奉する修験道、つまりは山中にいる山伏や農夫、はては杣人(木こり)までも見つけては捕え、拷問にかけているとか」
疑わしい者はすべて捕え、次から次と首を刎ねているのだろう。伊賀の霊山は山岳修行の場として利用されている。山伏装束で修業を行っている者が少なくないと聞く。素破よりもまことの修験者のほうがはるかに多い筈だが、それらを全て捕えて処刑しているとはいささか乱暴な話だ。
「作兵衛の躯は?」
「多羅尾家の家人が引き取りに来て、甲賀に連れ帰っておりまする」
「そうか…」
予期せぬ昔馴染みの作兵衛の突然の死に、短く返事を返すと、静かに床几から立ち上がった。山に囲まれたこの地の夜は早い。いつしか空は暗くなり、月明りが辺りを照らしている。
「面白き奴であったな」
一益が誰にともなくそう言う。多羅尾作兵衛のことだと気づいた義太夫が相槌をうつ。
「いかにも甲賀者らしい豪胆な御仁でござりました」
「然様」
昔、銃弾が横なぐりの雨のように降り注ぐ中でも平然と手をあげ指揮をとっていた姿が思い起こされた。
「伊賀の者どもも同じ思いなのであろう」
織田勢が伊賀入りしてから味方の損害は著しいが、倒した敵の数はその十倍、二万を超えている。その中には戦さとは関係のない者も多くいた。田畑を踏み荒らす織田家の侵攻を快く思わない民百姓が戦さに加わることで、長期戦となり、泥沼化してきている。
「このままでは柏原城が落ちるころには伊賀から人はおろか、獣さえも姿を消す惨事となる」
「伊賀衆もそれを承知で、城に籠っておるのでは?」
「すべての者がそうとは思えぬ。城の兵糧も残り少なくなっておろう。そろそろ和議の話を出す頃合いじゃ」
「和議、にござりまするか。この戦局では難しいものかと」
未だ伊賀衆の士気が高い。難しい話し合いになる。無闇に人を送って無事に帰ってくるとも思えない。
問題は誰を使者として送り出すか。
「殿。鶴が戻って参りました」
国境まで信長を送って来た忠三郎が帰陣した。
「義兄上、敢国神社で…」
多羅尾作兵衛の話をしようとすると、一益がそれを遮る。
「鶴、柏原城へ和睦の使者を送る。誰か、伊賀衆と縁のある者を知らぬか」
「和睦。縁のある者…でござりまするか」
忠三郎が小首を傾げ、思考を巡らせる。
「義兄上は伊賀衆をお許しになると?」
「許す、とは?」
「多羅尾殿の仇を取らずともよろしいのでござりまするか」
一益の昔馴染みの多羅尾作兵衛。その作兵衛が討たれたのだから、当然、伊賀衆を殲滅するつもりがあると思っていたのだが。
「将たるものは私怨で兵を動かしてはならぬ。他の国を見るにあたり,己が国を見るようにする。他家を見るのに,己が家を見るようにする。他の身を見るのに、己が身を見るようにする。さすれば互いを損なうことはなくなると故事にある。仇討ちを望むのは敵も同じこと。されどこれ以上続けても、もはや敵味方どちらの利にもならぬ。利のない戦さを続ければ国が亡ぶ。それは伊賀衆も心得ておろう。そろそろ潮時じゃ。伊賀衆を伊賀から立ち退かせれば、上様も北畠中将殿も矛を収められる。立ち退きを条件に、和議を結ぶときではないか」
一益の真意を確かめると、忠三郎はしばらく黙って考えていたが、やがて腑に落ちたと見えて、顔をあげる。
「義兄上の御心の内はようわかりました。ここは武士ではないものに仲介を頼んでは如何なものかと存じまする」
「武士ではないもの?僧侶か?」
「いえ。猿楽大夫にござりまする。観世大夫は存じておいででしょう?」
室町時代の猿楽師、観阿弥。伊賀で生まれた服部清次は幼少の頃より大和の猿楽師の元で育てられた。長じて観阿弥と名乗り一座建立し、猿楽に田楽や曲舞を取り入れ、大和猿楽(能)を大成した。その後、足利将軍の目に留まり、幕府に庇護されたことで戦国期には大和猿楽、猿楽の能として全国に広まった。一説には観阿弥は素破であったとも伝わる。
その大和猿楽の一座のひとつ、結崎座の大倉五郎次なる猿楽大夫が柏原城の城主、滝野十郎と以前から繋がりがあるという。
「鶴はその大倉五郎次なる大夫を存じておるのか」
義太夫が興味深そうに尋ねると、
「毎年、城下にある近江猿楽の大夫が城まできて猿楽能を披露しておる。その大夫の一人が結崎座の者だったはず」
鎌倉時代からと伝わる猿楽。近江には多くの猿楽の一座があり、天女舞という風情ある優美な舞で室町初期にその名が知られるようになったが、戦国期には既に廃れていると聞いている。
「日野の猿楽能が終わると、毎年必ず、やんごとなき草履が献上されておりまする。それを持って大和へ使者をお立てくだされ。さすれば大倉五郎次に取次も可能かと」
「やんごとなき草履?」
それはどのような草履なのか。
早速、日野に使いを出して草履を取り寄せ、義太夫に持たせて大和へ送り出す手筈を整えた。
0
お気に入りに追加
14
あなたにおすすめの小説
獅子の末裔
卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。
和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。
前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。
独裁者・武田信玄
いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます!
平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。
『事実は小説よりも奇なり』
この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
満州国馬賊討伐飛行隊
ゆみすけ
歴史・時代
満州国は、日本が作った対ソ連の干渉となる国であった。 未開の不毛の地であった。 無法の馬賊どもが闊歩する草原が広がる地だ。 そこに、農業開発開墾団が入植してくる。 とうぜん、馬賊と激しい勢力争いとなる。 馬賊は機動性を武器に、なかなか殲滅できなかった。 それで、入植者保護のため満州政府が宗主国である日本国へ馬賊討伐を要請したのである。 それに答えたのが馬賊専門の討伐飛行隊である。
大航海時代 日本語版
藤瀬 慶久
歴史・時代
日本にも大航海時代があった―――
関ケ原合戦に勝利した徳川家康は、香木『伽羅』を求めて朱印船と呼ばれる交易船を東南アジア各地に派遣した
それはあたかも、香辛料を求めてアジア航路を開拓したヨーロッパ諸国の後を追うが如くであった
―――鎖国前夜の1631年
坂本龍馬に先駆けること200年以上前
東の果てから世界の海へと漕ぎ出した、角屋七郎兵衛栄吉の人生を描く海洋冒険ロマン
『小説家になろう』で掲載中の拙稿「近江の轍」のサイドストーリーシリーズです
※この小説は『小説家になろう』『カクヨム』『アルファポリス』で掲載します
毛利隆元 ~総領の甚六~
秋山風介
歴史・時代
えー、名将・毛利元就の目下の悩みは、イマイチしまりのない長男・隆元クンでございました──。
父や弟へのコンプレックスにまみれた男が、いかにして自分の才覚を知り、毛利家の命運をかけた『厳島の戦い』を主導するに至ったのかを描く意欲作。
史実を捨てたり拾ったりしながら、なるべくポップに書いておりますので、歴史苦手だなーって方も読んでいただけると嬉しいです。
陣代『諏訪勝頼』――御旗盾無、御照覧あれ!――
黒鯛の刺身♪
歴史・時代
戦国の巨獣と恐れられた『武田信玄』の実質的後継者である『諏訪勝頼』。
一般には武田勝頼と記されることが多い。
……が、しかし、彼は正統な後継者ではなかった。
信玄の遺言に寄れば、正式な後継者は信玄の孫とあった。
つまり勝頼の子である信勝が後継者であり、勝頼は陣代。
一介の後見人の立場でしかない。
織田信長や徳川家康ら稀代の英雄たちと戦うのに、正式な当主と成れず、一介の後見人として戦わねばならなかった諏訪勝頼。
……これは、そんな悲運の名将のお話である。
【画像引用】……諏訪勝頼・高野山持明院蔵
【注意】……武田贔屓のお話です。
所説あります。
あくまでも一つのお話としてお楽しみください。
織田信長IF… 天下統一再び!!
華瑠羅
歴史・時代
日本の歴史上最も有名な『本能寺の変』の当日から物語は足早に流れて行く展開です。
この作品は「もし」という概念で物語が進行していきます。
主人公【織田信長】が死んで、若返って蘇り再び活躍するという作品です。
※この物語はフィクションです。
淡き河、流るるままに
糸冬
歴史・時代
天正八年(一五八〇年)、播磨国三木城において、二年近くに及んだ羽柴秀吉率いる織田勢の厳重な包囲の末、別所家は当主・別所長治の自刃により滅んだ。
その家臣と家族の多くが居場所を失い、他国へと流浪した。
時は流れて慶長五年(一六〇〇年)。
徳川家康が会津の上杉征伐に乗り出す不穏な情勢の中、淡河次郎は、讃岐国坂出にて、小さな寺の食客として逼塞していた。
彼の父は、淡河定範。かつて別所の重臣として、淡河城にて織田の軍勢を雌馬をけしかける奇策で退けて一矢報いた武勇の士である。
肩身の狭い暮らしを余儀なくされている次郎のもとに、「別所長治の遺児」を称する僧形の若者・別所源兵衛が姿を見せる。
福島正則の元に馳せ参じるという源兵衛に説かれ、次郎は武士として世に出る覚悟を固める。
別所家、そして淡河家の再興を賭けた、世に知られざる男たちの物語が動き出す。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる