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12 かすみ桜咲くころ
12-3 疑惑
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二月に入り、ようやく一益の閉門が解けた。一益は上洛を促され、都の屋敷に入った。
「やれやれ。都の屋敷も久方ぶりにて。して、何ゆえの上洛にござりましょう」
義太夫が庭木を見回し、感無量とばかりに言う。
無論、閉門中も家中の者は都まで来てはいたが、表立って屋敷に出入りすることは控えていたため、屋敷の門をくぐるのは久しぶりだ。
「小田原から北条の使者が来るというので、佐久間右衛門、武井夕庵とともに饗応役を仰せつかっておる」
供に饗応役を務める武井夕庵は美濃以来の信長の側近であり右筆でもある。もう七十になる長い白ひげが印象的な老人だが、特にこれといって悪いところがあるわけではないようで、老齢とは思えぬ活動ぶりで京・堺・安土と飛び歩いている。
その武井夕庵が屋敷に訪ねてきた。
「左近殿。此度は大変な騒ぎとなりましたな」
「いやはや、一時は出家か切腹かというところまで来ておりました」
夕庵は信長に何を言われても黙って従う側近とは違う。信長に対しても歯に衣着せず物申すことができる数少ない側近の一人だ。学者肌で、かつて比叡山焼き討ちや越前一向宗征伐のときも故事を例えに苦言を呈していたという。
「荒木殿謀反の折より、上様は大変お心乱れておられる様子」
夕庵は何を言いたいのだろうか。何か内密の話があって来たのだろうが、言い出しにくい何かがあるようだ。
「二位法印|《にいのほういん》殿。上様は未だそれがしをお疑いか?」
怪訝な顔をして言うと、夕庵が首を横に振る。
「さにあらず。左近殿は尾張以来の譜代の臣。その働きぶりも高く評され、此度の件も二心を疑ってのことではなく、あくまでも連枝の方々の手前、沙汰くだされたまでのこと」
「では…」
何を言いたいのか。わざわざそんな話をするために来たのではないだろう。
「来月には和議が整い、本願寺が開城する。さすれば畿内の戦もようやくひと段落する。それゆえ、本願寺開城後、家中を改めようと、そうお考えじゃ」
なんともきな臭い話だ。家中を改めるとは。
「上様は何をなされると?」
「これは内々の話で、我ら側近の他、明智殿にしかお話してはおらぬことながら…」
明智光秀は知っているという。
「上様は本願寺攻めをはじめ、畿内の戦さを担っている佐久間殿に大層御不審じゃ」
意外な名前がでてきて驚いた。佐久間信盛といえば、織田家の宿老。譜代中の譜代で、他の家臣とは立ち位置が大きく異なる。六郎、九郎を預かっている三箇老人をはじめとする若狭衆、忠三郎の従弟の青地元珍などの近江衆のほか、三河、尾張、大和、和泉、紀伊からも多くの与力を従え、その勢力は織田家でも最大だ。
「右衛門が謀反など、あり得ぬこと」
「謀反をお疑いではない。これまでのご奉公についてご不満をお持ちじゃ」
そうだろう。信盛のやることは手抜かりが多い。本願寺包囲にしてもそうだ。包囲しているといいつつも、未だ雑賀の兵の出入りがあり、頻繁ではないが兵糧が送られることもあるという。ただ、弁が立つし、人との交流は得意なので、与力をまとめ上げることはできている。
その働きぶりに納得がいかないものがあるからといって、まさか佐久間信盛を追い出して、明智光秀に任せるのであれば、なんとも乱暴な話だ。
(手抜きと思われても仕方がないことかもしれぬが…右衛門の手抜きは今にはじまったことでもなし。これまで目を瞑っていたことが、目を瞑れないことになったのは…)
一益の時と同じ、何かが原因で、処罰しなければならないと、信長はそう思ったのではないだろうか。
「それが真のことであれば、正気の沙汰とも思えぬが…」
「わしもまさかと思うてはおるが、これは上様おひとりのお考え。我らにも計り知れぬこと。されどそうなれば、関東の仕置きは左近殿おひとりとなりましょう」
この話にひとつだけ、合点がいくことがある。今回の一益への信長の沙汰だ。
(葉月を柴田修理の息子に嫁がせ、七郎を丹羽五郎左の養子とした)
その時、ふと疑問に思ったことがある。
(もう一人の宿老、佐久間右衛門のもとには、子を送れと言われなかった)
信長は滝川家への沙汰を決めたときから、佐久間信盛を処分する考えだったのではないだろうか。
(だとすれば、夕庵の懸念は懸念では終わらない)
いかに本願寺を制圧したからといって、信盛を処罰するのは織田家にとっては痛手だ。
(そうせざるを得ない、何かがあったとしたら)
それは何だろう。誰かが信長の耳に、信盛にとって不都合な何かをささやいたのだろうか。
(誰が、何のために…。その可能性があるとしたら…)
信盛の近くにいるもの。下につけられている与力たちだ。
「右衛門の評判は?与力どもは何か言うておるのか」
「与力にばかり戦さをさせ、己は蓄財に走っていると。本願寺攻めの大将でありながら、堺に行っては茶の湯に耽っていると。上様はそう仰せでござりました」
そこまで言っては信盛が気の毒だ。信盛は関東の取次もさることながら朝廷とのやりとりをしている。身につけておかなければいけない作法や覚えておかなければならないしきたりなど、確認に行くことも多い。
(上様も心得ておられる筈。それをあえて取沙汰しているのは、取沙汰せねばならぬ何かがあったからではないか)
佐治新介の言葉が頭をよぎる。使い捨ての駒なのは、何も一益だけではない。股肱の臣である佐久間信盛でさえも、例外なくただの駒なのだ。
(例えそうであったとしても…)
これまで何のために戦ってきたのかと、新介にそう言葉をかけた。それを改めて自問自答してみる。
夕庵が帰った後も、しばらく考えていた。その様子をそっと見ていた義太夫が、恐る恐る声をかける。
「殿…あの…」
「聞いておったであろう。夕庵の話を。可笑しいとは思わぬか」
「は、可笑しいとは?」
信盛が与力たちから評判が悪いとは思えない。先日、河内であった三箇老人。
(むしろ、右衛門に感謝しているようだった)
三箇親子に謀反の嫌疑がかけられたとき、信盛は何度も根気強く信長に取りなしていた。
(与力たち…ではない。与力の一人もしくは二人が意図的に…何かをした、それで上様は…)
考えられるとしたら、
「近江衆では?」
義太夫が何かに思い当たったように言う。
「右衛門の与力に甲賀のものがいたはず。義太夫、調べて参れ」
「ハハッ、では早々に」
バタバタと素破らしからぬ物音を立てて義太夫が広間を出ていく。
(ここにも理兵衛が手を伸ばしているとは)
それだけ篠山理兵衛も必死だということだ。伊賀は存亡の危機にある。生き残りをかけて、全精力を傾けて織田家に対抗しようとしている。抜き差しならない状態になる前に、何かしらの手を打たねばならない。
本願寺との講和が成立したのはこの年の閏三月。
講和の使者が双方を行き交う中、誓紙が提出され、諸将は続々と帰国の途についた。
一益は武井夕庵、佐久間信盛とともに京で北条氏の使者を迎え、都見物の案内を務めた。
琵琶湖南岸にある青地荘。この一帯を治めるのは若き領主、青地元珍|《もとたか》。字は四郎左衛門。その父は蒲生忠三郎の父賢秀の弟で、先年の合戦で森可成とともに浅井・朝倉軍と戦い討死した。佐久間信盛の与力に組み込まれて以来、長く領国を留守にしていたが、ようやく国に戻ってきている。
忠三郎は幼い頃、何度となく一緒に遊んだこの従弟の長年の労をねぎらうため、都の帰りに青地荘に立ち寄った。
(幾年ぶりであろうか)
最後に会ったのは叔父が討死した直後だったから、かれこれもう十年になる。幼い頃から忠三郎を可愛がってくれていた元珍の父、青地茂綱が討死したとき、元珍は十歳だった。信長は幼い元珍に家督相続を許し、本領を安堵。元珍はわずか十歳で元服した。十三歳のときに初陣し、それ以来、佐久間信盛の与力として活躍している。
(懐かしい)
青地荘に来たのも久方ぶりだ。幼い頃のことをおぼろげに思い出す。祖父快幹は嫡男以外の息子を他家の養子にし、娘を他家に嫁がせてその勢力を伸ばしていた。このため親類縁者はみな、家長である快幹に従い、事ある毎に顔をあわせた。
この青地荘でも幾度となく、集まりがあり、そのたびに子供たちも連れてこられたため、子供たちは子供たちで皆で輪になって遊んだ覚えがある。
館に行くと、近侍が出てきて広間に通された。
(広間?)
はて、と首を傾げながら、近侍の後に続く。庭先には幼い頃、登った柿の木がまだ残されており、その横にある大きな石も、あのときのままだ。
(あの石から木に飛び移ろうとして、池に落ちたのであった)
水浸しになった忠三郎が着替えて戻った時には、誰かが柿をとってきていて、それを皆で食べた覚えがある。
(柿を取ったのは…)
木猿と呼ばれていた従兄だった。本名とは思えない。従兄弟同士のあだ名だろう。ただ、木猿が誰の子であったのか、思い出せない。
(誰であったか…千代寿は覚えておるかな)
会ったら聞いてみようか、そう思いつつ広間に入る。
「おお、千代寿」
広間で従兄弟の姿を見た忠三郎は、懐かしさに胸がいっぱいになり、幼名で呼びかけた。元珍は忠三郎に気安く声をかけられ、戸惑ったようだったが、
「忠三郎殿。お久しゅうござりまする」
恭しく平伏した。
「いや…わしは…」
思いがけない元珍の態度に、困惑してその続きが言えなくなる。元珍にとって忠三郎はもう昔の鶴千代ではない。信長という雲の上の存在の娘婿であり、織田家に極めて近い人間で、幼い頃のように気安く言葉を交わす相手ではなくなっている。遠い隔たりを感じていることがはっきりと伝わってきた。
(それで広間か)
元珍が平伏したままなので、仕方がなく上座に座る。
「そう畏まらずとも…。此度は上様の使いで参ったのではない。面を上げてくれぬか」
ようやく顔をあげた元珍は忠三郎より四つ年下には見えない。長い戦場暮らしで目つき、顔つきが変わり、鋭さを増した風貌は齢二十歳にして三十歳を超えているかのようだ。
「本願寺は手強かったか」
「は。まことに手強き敵でござりました」
労を労いたかったが、これでは主と家臣だ。昔話をすれば、昔のように忌憚なく話ができるかとも考えたが、話す勇気がでなかった。
「長い戦場暮らしは疲れたじゃろう」
「いえ。それがしの労苦などは…。忠三郎殿は先の安土での相撲でも大層な働きで上様からお褒めの言葉をいただいたとか。まことに誉れ高きことにござりまする」
元珍はにこりともせずにそう言う。唐突に相撲の話を持ち出され、忠三郎は屈託ない笑顔を見せる
「いや、そなたが相撲に出ておれば、また違う結果になったやもしれぬな」
「忠三郎殿のように和歌を詠んだり、香を焚いたりなど、芸事にはとんと疎く、戦さ場でしかご奉公できぬ粗忽者でござりまする。上様のお眼鏡にかなうとは思えませぬ」
元珍がそう言って、含みをもたせて笑ったので、忠三郎もおや、と気づいた。相撲と和歌に何の関係があるのか。もしやこれは、痛烈な皮肉ではないか。
(何故、そんなことを言う)
父を失い、一人、戦場で苦渋を舐めてきた元珍の気持ちを推し量るには忠三郎は若すぎる。理由はわからないが、自分に対して面白からぬ感情を持っていることだけが伝わってくる。
「四郎左、何か不足があれば言うてくれ。わしでできることであれば、力になろう程に」
今度は幼名ではなく字で呼びかけた。元珍がハハッと両手をつく。忠三郎は侘しい気持ちに襲われ、早々に席を立ちあがった。
(そういえば…)
帰りがけ、柿の木に目が留まり、聞こうと思っていたことを思い出した。
「覚えておるか。木猿のことを」
振り返ってそう訊ねると、一瞬、元珍の顔色が変わった。
「上総介が何か?」
忠三郎はいや、と笑って、
「如何しておるかな」
「それがしには分かりませぬ。近頃、甲賀からの便りはとんと参りませぬゆえ」
「然様か…まぁ、よい」
忠三郎は気にも留めぬ様子で館を後にする。
(おかしな態度だ)
他愛もない会話のつもりだったが、何を勘違いしたのか元珍は明らかに動揺していた。
(わしが何かを探りに来たと…そう早合点したのか)
最初からよそよそしい態度だったが、元珍が動揺したのは、木猿のことを聞いたときだ。
(上総介…甲賀…)
誰のことなのか分からなかった。
「長門、わしの縁者に木猿と呼ばれておるものがいたが、覚えておるか」
帰る道すがら、町野長門守に訪ねてみる。
「は、若殿は猿とも縁がおありとは」
真面目な顔でそう返され、忠三郎が苦笑する。どうも分かっていないようだ。
(そうじゃ、お爺様の密書)
快幹の手文庫にある密書を見れば、何かわかるかもしれない。
「急ぎ城に戻ろう。猿の縁者を探して甲賀に行かねばならぬやもしれぬ」
「若殿の物好きは変わりませぬな」
町野長門守がやれやれと馬を走らせる。この恍けた主従のちぐはぐな会話を黙って聞いていた滝川助太郎の目が、きらりと光った。
三月十七日付で信長から本願寺側に和睦の誓紙が送られた。花熊・尼崎、大坂退城が条件の一つにあり、ここに来てようやく、荒木村重との戦いも終わりを告げることになる。
長きに渡る大坂湾封鎖も解除され、港は大船から次々に小船に乗り移って下船する織田家の兵で溢れ、人で埋め尽くされた。一益と義太夫は下りてきた兵たちを迎えるため、港まで足を運んだ。
「皆、大儀じゃ!国へ戻ろうぞ!」
九鬼嘉隆の大きな声が辺りに響き渡る。一益を見つけると、大柄な体をゆらしてのしのしと歩いてきた。
「左近殿。ようやく終わりましたな」
「まことに。海戦の勝利がなければ、今日のこの日を迎えることはできなんだ」
淡輪沖での海戦から、もう二年がたつ。交代で乗り込んでいたとはいえ、あれ以来、船から降りていない者も多い。
「まずは都へ戻られよ。今宵は我が家で宴の用意をしておる」
「それはまことに忝い。では遠慮なく、馳走に預かるとしよう」
九鬼嘉隆が上機嫌でその場を後にすると入れ替わりに、滝川勢の姿が見えた。一年中船にいるため、皆、日焼けして真っ黒だ。
「父上!」
三九郎の姿が見え、その周りには津田秀重をはじめとする家臣たちもいる。
「若殿じゃ。お久しゅうござりまする。秀重も白いものが増えたのう」
義太夫が嬉しそうに迎えると、三九郎が晴れ晴れとした表情を浮かべて近づいてきた。
「三九郎、大儀」
一益の顔を見ると、三九郎はもどかしそうに
「国元の話を聞き及びました。新介たちは…」
気になっていたのだろう。挨拶もそこそこに三九郎が話し始めたので、一益はそれを軽く制する。
「待て、その話は都で」
どこで誰が聞いているかもわからない。京の屋敷に戻って話をすることにした。
「義太夫、妻帯したと言うておったな」
三九郎が声をかけると義太夫が嬉しそうに照れ笑いを浮かべる。
「それがしも年貢の納め時を迎えました。したが嫁を迎えるというのもよいもので」
いつまでもフラフラとして海の者とも山の者ともつかぬところがあった義太夫は、以前よりも落ち着いたように見える。
(わしも虎殿を迎えねば…)
長々とお虎を待たせている。忠三郎は気に留めていないようだが、お虎はどう思っているのだろうか。全く気にしていない筈もなく、安土の信長の前に伺候したのちは日野に挨拶に行くつもりだ。
京の屋敷につくと、三九郎は懐から簪(かんざし)を取り出し、義太夫の前に差し出した。
「義太夫、これを…」
義太夫が首を傾げる。棒の先端をねじって結んだ一本軸の結び簪で、結び目の部分には花びらを施した模様がある。
「はて、これは?」
「佐久間殿に挨拶に行った折に貰たものじゃ」
堺辺りで手に入れたものだろう。身分の高いものは垂髪なので簪を使わない。それで佐久間信盛は三九郎に渡したようだが、忠三郎の妹のお虎も平安時代のような髪型をしていて、髪を結った姿は見たことがなかった。
「奥方への土産としてくれ」
「ハハッ、これは嬉しき」
義太夫は簪を両手で持ち、手放しで喜ぶ。袴を履き、馬に乗ることもある玉姫はいつも、動きやすいように垂髪を後ろで束ね、末端を丸い輪にしている。
「早う伊勢に戻りたいのう」
玉姫の喜ぶ姿が目に浮かぶ。最近の義太夫は寝ても覚めても玉姫のことばかり考えているのが端で見ていても分かる。
「三九郎、右衛門に会うたか」
一益が入ってきて声をかけた。
「はい。その折に見知ったものの顔を見ました」
「見知ったもの、とは?」
「与力の若江三人衆の一人、多羅尾常陸介でござりまする」
会ったことはないが、耳にしたことがある。
「多羅尾…どこかで聞いたな」
どこだったか、思い出せない。義太夫が、ふと思い出し、
「若江といえば、六郎様、九郎様をお連れした三箇。あそこにおったキリシタンの爺が何やら申しておりましたな」
「三箇…」
三箇老人は何を言っていたか。
讒言され、危うく切腹をまぬかれ近江に送られた三箇老人。讒言したのはキリシタン嫌いの武将だった。
「それが多羅尾とか申していたような」
そうだ。多羅尾綱知。元は三好長慶の家人であり、三箇老人とはその頃からの付き合いだった筈だ。ロレンソたちは多羅尾をキリシタンの大敵と呼んで警戒している。その話を聞いた時、妙に違和感を覚えた記憶がある。
(キリシタンが嫌いなだけで、あの人のよさそうな三箇老人を貶めようとするのだろうか)
であれば、三箇老人ではなく、領内のキリシタンを締め出すほうが早い気もするが。
「上様が陣中見舞いに下向された際に饗応したのも多羅尾常陸介でござります。上様は常陸介を大層気に入り、来年催すという馬揃えにも呼んでいるとか」
馬揃えに呼ぶとは、雅で煌びやかな武将なのだろう。信長が予定している馬揃えは、帝の前で披露することになっている。織田連枝衆の他には、当代の文化人と呼ばれている明智光秀などの武将をはじめ、蒲生忠三郎、堀久太郎など華やかな武将ばかり呼ばれている。当然のように滝川家に連なる面々は誰も呼ばれてはいないが、信長が目をつけて声をかけたのであれば、多羅尾綱知が忠三郎のように人目を惹く風貌であることが分かる。
「あの薄汚れた三箇の爺とは正反対ということにござりましょうな」
義太夫は三箇老人を貶しているが、気のいい三箇老人に対して悪い感情はない。三箇老人の元に置いた山村一朗太の話を聞く限り、六郎も九郎も孫のようにかわいがられているらしい。
「その多羅尾が如何した?」
「父上、覚えておられぬので?」
三九郎が驚いて目を向くが、何を言っているのか分からない。
(どこかで会うたものだと?)
若狭に知り合いはいなかった筈だ。足を運んだのも数回。そのうちの一回が三箇訪問だった。
「多羅尾…」
聞いたような気もする。常陸介の顔も名前も記憶にない。ただ多羅尾という名前は聞き覚えがある。
(三箇老人の話を聞く前…もっとずっと前に…)
播磨、丹波、摂津、伊勢、と記憶を遡るが、どうにも思い出せない。それを見ていた三九郎が言おうかどうしようかと迷い迷い口を開く。
「甲賀の多羅尾でござります。甲賀五十三家の」
そこまで言われて思い出した。
「甲賀…甲賀の多羅尾か。もしや、多羅尾常陸介とは、すみれの家のものか」
甲賀を出て以来二十年余、その名を耳にしたことはなかった。思い起こせば、かつての許嫁、すみれは多羅尾家の庶子だった。
甲賀五十三家のひとつ、多羅尾家は近江信楽を領する。ただ、すみれは多羅尾家本家ではない。幼い頃に家人とともに甲賀を離れ、河内にいた。一益の母、滝御前がすみれを連れてきたのはその頃だが、その後、すみれの家の者たちは三好家に従ったと聞いたことがある。
「ではもしや、その多羅尾常陸介が伊賀と通じ、三箇親子やこのわしを貶めようと、上様に讒訴したと?」
「そこまでは…しかるに、新介たち甲賀の者とも知らぬ仲でもなく、我が家の家人に調略を仕掛けたのは多羅尾常陸介ではないかと懸念致しました。更には多羅尾常陸介が、佐久間殿を貶めようと上様によからぬ噂を流しているとも考えられませぬか」
三九郎の読みどおりだろう。三箇老人もロレンソも、信長に讒訴したのは多羅尾であると、はっきりとそう言った。想像だけで言ったとは思えない。
(まさか河内にいたとはな)
誰か裏で動いているのであれば、近江の者だとばかり思いこんでいた。河内を領し、長年、本願寺攻めに関わって来た多羅尾綱知が密かに動いているとなると、伊賀だけではない。地理的条件を考慮すれば、毛利に通じていると考えるのが自然だ。
「例の快幹の手文庫に、何かあるかもしれませぬな」
義太夫が思い出してそう言う。
「明日、北条家の使者とともに安土に向かう。義太夫は先に日野へ行き、鶴に事と次第を話せ」
「ハハッ」
伊賀、甲賀だけで織田家に対抗しようとしているとも思ってはいなかった。どちらも元は傭兵集団で金が出なければ動くことはない。どこかに資金源があると思っていたが、少しずつ見えてきた。ただ思っていたよりも織田家の内部に深く潜んでいる。簡単に紐解いていくことは難しいだろう。
「やれやれ。都の屋敷も久方ぶりにて。して、何ゆえの上洛にござりましょう」
義太夫が庭木を見回し、感無量とばかりに言う。
無論、閉門中も家中の者は都まで来てはいたが、表立って屋敷に出入りすることは控えていたため、屋敷の門をくぐるのは久しぶりだ。
「小田原から北条の使者が来るというので、佐久間右衛門、武井夕庵とともに饗応役を仰せつかっておる」
供に饗応役を務める武井夕庵は美濃以来の信長の側近であり右筆でもある。もう七十になる長い白ひげが印象的な老人だが、特にこれといって悪いところがあるわけではないようで、老齢とは思えぬ活動ぶりで京・堺・安土と飛び歩いている。
その武井夕庵が屋敷に訪ねてきた。
「左近殿。此度は大変な騒ぎとなりましたな」
「いやはや、一時は出家か切腹かというところまで来ておりました」
夕庵は信長に何を言われても黙って従う側近とは違う。信長に対しても歯に衣着せず物申すことができる数少ない側近の一人だ。学者肌で、かつて比叡山焼き討ちや越前一向宗征伐のときも故事を例えに苦言を呈していたという。
「荒木殿謀反の折より、上様は大変お心乱れておられる様子」
夕庵は何を言いたいのだろうか。何か内密の話があって来たのだろうが、言い出しにくい何かがあるようだ。
「二位法印|《にいのほういん》殿。上様は未だそれがしをお疑いか?」
怪訝な顔をして言うと、夕庵が首を横に振る。
「さにあらず。左近殿は尾張以来の譜代の臣。その働きぶりも高く評され、此度の件も二心を疑ってのことではなく、あくまでも連枝の方々の手前、沙汰くだされたまでのこと」
「では…」
何を言いたいのか。わざわざそんな話をするために来たのではないだろう。
「来月には和議が整い、本願寺が開城する。さすれば畿内の戦もようやくひと段落する。それゆえ、本願寺開城後、家中を改めようと、そうお考えじゃ」
なんともきな臭い話だ。家中を改めるとは。
「上様は何をなされると?」
「これは内々の話で、我ら側近の他、明智殿にしかお話してはおらぬことながら…」
明智光秀は知っているという。
「上様は本願寺攻めをはじめ、畿内の戦さを担っている佐久間殿に大層御不審じゃ」
意外な名前がでてきて驚いた。佐久間信盛といえば、織田家の宿老。譜代中の譜代で、他の家臣とは立ち位置が大きく異なる。六郎、九郎を預かっている三箇老人をはじめとする若狭衆、忠三郎の従弟の青地元珍などの近江衆のほか、三河、尾張、大和、和泉、紀伊からも多くの与力を従え、その勢力は織田家でも最大だ。
「右衛門が謀反など、あり得ぬこと」
「謀反をお疑いではない。これまでのご奉公についてご不満をお持ちじゃ」
そうだろう。信盛のやることは手抜かりが多い。本願寺包囲にしてもそうだ。包囲しているといいつつも、未だ雑賀の兵の出入りがあり、頻繁ではないが兵糧が送られることもあるという。ただ、弁が立つし、人との交流は得意なので、与力をまとめ上げることはできている。
その働きぶりに納得がいかないものがあるからといって、まさか佐久間信盛を追い出して、明智光秀に任せるのであれば、なんとも乱暴な話だ。
(手抜きと思われても仕方がないことかもしれぬが…右衛門の手抜きは今にはじまったことでもなし。これまで目を瞑っていたことが、目を瞑れないことになったのは…)
一益の時と同じ、何かが原因で、処罰しなければならないと、信長はそう思ったのではないだろうか。
「それが真のことであれば、正気の沙汰とも思えぬが…」
「わしもまさかと思うてはおるが、これは上様おひとりのお考え。我らにも計り知れぬこと。されどそうなれば、関東の仕置きは左近殿おひとりとなりましょう」
この話にひとつだけ、合点がいくことがある。今回の一益への信長の沙汰だ。
(葉月を柴田修理の息子に嫁がせ、七郎を丹羽五郎左の養子とした)
その時、ふと疑問に思ったことがある。
(もう一人の宿老、佐久間右衛門のもとには、子を送れと言われなかった)
信長は滝川家への沙汰を決めたときから、佐久間信盛を処分する考えだったのではないだろうか。
(だとすれば、夕庵の懸念は懸念では終わらない)
いかに本願寺を制圧したからといって、信盛を処罰するのは織田家にとっては痛手だ。
(そうせざるを得ない、何かがあったとしたら)
それは何だろう。誰かが信長の耳に、信盛にとって不都合な何かをささやいたのだろうか。
(誰が、何のために…。その可能性があるとしたら…)
信盛の近くにいるもの。下につけられている与力たちだ。
「右衛門の評判は?与力どもは何か言うておるのか」
「与力にばかり戦さをさせ、己は蓄財に走っていると。本願寺攻めの大将でありながら、堺に行っては茶の湯に耽っていると。上様はそう仰せでござりました」
そこまで言っては信盛が気の毒だ。信盛は関東の取次もさることながら朝廷とのやりとりをしている。身につけておかなければいけない作法や覚えておかなければならないしきたりなど、確認に行くことも多い。
(上様も心得ておられる筈。それをあえて取沙汰しているのは、取沙汰せねばならぬ何かがあったからではないか)
佐治新介の言葉が頭をよぎる。使い捨ての駒なのは、何も一益だけではない。股肱の臣である佐久間信盛でさえも、例外なくただの駒なのだ。
(例えそうであったとしても…)
これまで何のために戦ってきたのかと、新介にそう言葉をかけた。それを改めて自問自答してみる。
夕庵が帰った後も、しばらく考えていた。その様子をそっと見ていた義太夫が、恐る恐る声をかける。
「殿…あの…」
「聞いておったであろう。夕庵の話を。可笑しいとは思わぬか」
「は、可笑しいとは?」
信盛が与力たちから評判が悪いとは思えない。先日、河内であった三箇老人。
(むしろ、右衛門に感謝しているようだった)
三箇親子に謀反の嫌疑がかけられたとき、信盛は何度も根気強く信長に取りなしていた。
(与力たち…ではない。与力の一人もしくは二人が意図的に…何かをした、それで上様は…)
考えられるとしたら、
「近江衆では?」
義太夫が何かに思い当たったように言う。
「右衛門の与力に甲賀のものがいたはず。義太夫、調べて参れ」
「ハハッ、では早々に」
バタバタと素破らしからぬ物音を立てて義太夫が広間を出ていく。
(ここにも理兵衛が手を伸ばしているとは)
それだけ篠山理兵衛も必死だということだ。伊賀は存亡の危機にある。生き残りをかけて、全精力を傾けて織田家に対抗しようとしている。抜き差しならない状態になる前に、何かしらの手を打たねばならない。
本願寺との講和が成立したのはこの年の閏三月。
講和の使者が双方を行き交う中、誓紙が提出され、諸将は続々と帰国の途についた。
一益は武井夕庵、佐久間信盛とともに京で北条氏の使者を迎え、都見物の案内を務めた。
琵琶湖南岸にある青地荘。この一帯を治めるのは若き領主、青地元珍|《もとたか》。字は四郎左衛門。その父は蒲生忠三郎の父賢秀の弟で、先年の合戦で森可成とともに浅井・朝倉軍と戦い討死した。佐久間信盛の与力に組み込まれて以来、長く領国を留守にしていたが、ようやく国に戻ってきている。
忠三郎は幼い頃、何度となく一緒に遊んだこの従弟の長年の労をねぎらうため、都の帰りに青地荘に立ち寄った。
(幾年ぶりであろうか)
最後に会ったのは叔父が討死した直後だったから、かれこれもう十年になる。幼い頃から忠三郎を可愛がってくれていた元珍の父、青地茂綱が討死したとき、元珍は十歳だった。信長は幼い元珍に家督相続を許し、本領を安堵。元珍はわずか十歳で元服した。十三歳のときに初陣し、それ以来、佐久間信盛の与力として活躍している。
(懐かしい)
青地荘に来たのも久方ぶりだ。幼い頃のことをおぼろげに思い出す。祖父快幹は嫡男以外の息子を他家の養子にし、娘を他家に嫁がせてその勢力を伸ばしていた。このため親類縁者はみな、家長である快幹に従い、事ある毎に顔をあわせた。
この青地荘でも幾度となく、集まりがあり、そのたびに子供たちも連れてこられたため、子供たちは子供たちで皆で輪になって遊んだ覚えがある。
館に行くと、近侍が出てきて広間に通された。
(広間?)
はて、と首を傾げながら、近侍の後に続く。庭先には幼い頃、登った柿の木がまだ残されており、その横にある大きな石も、あのときのままだ。
(あの石から木に飛び移ろうとして、池に落ちたのであった)
水浸しになった忠三郎が着替えて戻った時には、誰かが柿をとってきていて、それを皆で食べた覚えがある。
(柿を取ったのは…)
木猿と呼ばれていた従兄だった。本名とは思えない。従兄弟同士のあだ名だろう。ただ、木猿が誰の子であったのか、思い出せない。
(誰であったか…千代寿は覚えておるかな)
会ったら聞いてみようか、そう思いつつ広間に入る。
「おお、千代寿」
広間で従兄弟の姿を見た忠三郎は、懐かしさに胸がいっぱいになり、幼名で呼びかけた。元珍は忠三郎に気安く声をかけられ、戸惑ったようだったが、
「忠三郎殿。お久しゅうござりまする」
恭しく平伏した。
「いや…わしは…」
思いがけない元珍の態度に、困惑してその続きが言えなくなる。元珍にとって忠三郎はもう昔の鶴千代ではない。信長という雲の上の存在の娘婿であり、織田家に極めて近い人間で、幼い頃のように気安く言葉を交わす相手ではなくなっている。遠い隔たりを感じていることがはっきりと伝わってきた。
(それで広間か)
元珍が平伏したままなので、仕方がなく上座に座る。
「そう畏まらずとも…。此度は上様の使いで参ったのではない。面を上げてくれぬか」
ようやく顔をあげた元珍は忠三郎より四つ年下には見えない。長い戦場暮らしで目つき、顔つきが変わり、鋭さを増した風貌は齢二十歳にして三十歳を超えているかのようだ。
「本願寺は手強かったか」
「は。まことに手強き敵でござりました」
労を労いたかったが、これでは主と家臣だ。昔話をすれば、昔のように忌憚なく話ができるかとも考えたが、話す勇気がでなかった。
「長い戦場暮らしは疲れたじゃろう」
「いえ。それがしの労苦などは…。忠三郎殿は先の安土での相撲でも大層な働きで上様からお褒めの言葉をいただいたとか。まことに誉れ高きことにござりまする」
元珍はにこりともせずにそう言う。唐突に相撲の話を持ち出され、忠三郎は屈託ない笑顔を見せる
「いや、そなたが相撲に出ておれば、また違う結果になったやもしれぬな」
「忠三郎殿のように和歌を詠んだり、香を焚いたりなど、芸事にはとんと疎く、戦さ場でしかご奉公できぬ粗忽者でござりまする。上様のお眼鏡にかなうとは思えませぬ」
元珍がそう言って、含みをもたせて笑ったので、忠三郎もおや、と気づいた。相撲と和歌に何の関係があるのか。もしやこれは、痛烈な皮肉ではないか。
(何故、そんなことを言う)
父を失い、一人、戦場で苦渋を舐めてきた元珍の気持ちを推し量るには忠三郎は若すぎる。理由はわからないが、自分に対して面白からぬ感情を持っていることだけが伝わってくる。
「四郎左、何か不足があれば言うてくれ。わしでできることであれば、力になろう程に」
今度は幼名ではなく字で呼びかけた。元珍がハハッと両手をつく。忠三郎は侘しい気持ちに襲われ、早々に席を立ちあがった。
(そういえば…)
帰りがけ、柿の木に目が留まり、聞こうと思っていたことを思い出した。
「覚えておるか。木猿のことを」
振り返ってそう訊ねると、一瞬、元珍の顔色が変わった。
「上総介が何か?」
忠三郎はいや、と笑って、
「如何しておるかな」
「それがしには分かりませぬ。近頃、甲賀からの便りはとんと参りませぬゆえ」
「然様か…まぁ、よい」
忠三郎は気にも留めぬ様子で館を後にする。
(おかしな態度だ)
他愛もない会話のつもりだったが、何を勘違いしたのか元珍は明らかに動揺していた。
(わしが何かを探りに来たと…そう早合点したのか)
最初からよそよそしい態度だったが、元珍が動揺したのは、木猿のことを聞いたときだ。
(上総介…甲賀…)
誰のことなのか分からなかった。
「長門、わしの縁者に木猿と呼ばれておるものがいたが、覚えておるか」
帰る道すがら、町野長門守に訪ねてみる。
「は、若殿は猿とも縁がおありとは」
真面目な顔でそう返され、忠三郎が苦笑する。どうも分かっていないようだ。
(そうじゃ、お爺様の密書)
快幹の手文庫にある密書を見れば、何かわかるかもしれない。
「急ぎ城に戻ろう。猿の縁者を探して甲賀に行かねばならぬやもしれぬ」
「若殿の物好きは変わりませぬな」
町野長門守がやれやれと馬を走らせる。この恍けた主従のちぐはぐな会話を黙って聞いていた滝川助太郎の目が、きらりと光った。
三月十七日付で信長から本願寺側に和睦の誓紙が送られた。花熊・尼崎、大坂退城が条件の一つにあり、ここに来てようやく、荒木村重との戦いも終わりを告げることになる。
長きに渡る大坂湾封鎖も解除され、港は大船から次々に小船に乗り移って下船する織田家の兵で溢れ、人で埋め尽くされた。一益と義太夫は下りてきた兵たちを迎えるため、港まで足を運んだ。
「皆、大儀じゃ!国へ戻ろうぞ!」
九鬼嘉隆の大きな声が辺りに響き渡る。一益を見つけると、大柄な体をゆらしてのしのしと歩いてきた。
「左近殿。ようやく終わりましたな」
「まことに。海戦の勝利がなければ、今日のこの日を迎えることはできなんだ」
淡輪沖での海戦から、もう二年がたつ。交代で乗り込んでいたとはいえ、あれ以来、船から降りていない者も多い。
「まずは都へ戻られよ。今宵は我が家で宴の用意をしておる」
「それはまことに忝い。では遠慮なく、馳走に預かるとしよう」
九鬼嘉隆が上機嫌でその場を後にすると入れ替わりに、滝川勢の姿が見えた。一年中船にいるため、皆、日焼けして真っ黒だ。
「父上!」
三九郎の姿が見え、その周りには津田秀重をはじめとする家臣たちもいる。
「若殿じゃ。お久しゅうござりまする。秀重も白いものが増えたのう」
義太夫が嬉しそうに迎えると、三九郎が晴れ晴れとした表情を浮かべて近づいてきた。
「三九郎、大儀」
一益の顔を見ると、三九郎はもどかしそうに
「国元の話を聞き及びました。新介たちは…」
気になっていたのだろう。挨拶もそこそこに三九郎が話し始めたので、一益はそれを軽く制する。
「待て、その話は都で」
どこで誰が聞いているかもわからない。京の屋敷に戻って話をすることにした。
「義太夫、妻帯したと言うておったな」
三九郎が声をかけると義太夫が嬉しそうに照れ笑いを浮かべる。
「それがしも年貢の納め時を迎えました。したが嫁を迎えるというのもよいもので」
いつまでもフラフラとして海の者とも山の者ともつかぬところがあった義太夫は、以前よりも落ち着いたように見える。
(わしも虎殿を迎えねば…)
長々とお虎を待たせている。忠三郎は気に留めていないようだが、お虎はどう思っているのだろうか。全く気にしていない筈もなく、安土の信長の前に伺候したのちは日野に挨拶に行くつもりだ。
京の屋敷につくと、三九郎は懐から簪(かんざし)を取り出し、義太夫の前に差し出した。
「義太夫、これを…」
義太夫が首を傾げる。棒の先端をねじって結んだ一本軸の結び簪で、結び目の部分には花びらを施した模様がある。
「はて、これは?」
「佐久間殿に挨拶に行った折に貰たものじゃ」
堺辺りで手に入れたものだろう。身分の高いものは垂髪なので簪を使わない。それで佐久間信盛は三九郎に渡したようだが、忠三郎の妹のお虎も平安時代のような髪型をしていて、髪を結った姿は見たことがなかった。
「奥方への土産としてくれ」
「ハハッ、これは嬉しき」
義太夫は簪を両手で持ち、手放しで喜ぶ。袴を履き、馬に乗ることもある玉姫はいつも、動きやすいように垂髪を後ろで束ね、末端を丸い輪にしている。
「早う伊勢に戻りたいのう」
玉姫の喜ぶ姿が目に浮かぶ。最近の義太夫は寝ても覚めても玉姫のことばかり考えているのが端で見ていても分かる。
「三九郎、右衛門に会うたか」
一益が入ってきて声をかけた。
「はい。その折に見知ったものの顔を見ました」
「見知ったもの、とは?」
「与力の若江三人衆の一人、多羅尾常陸介でござりまする」
会ったことはないが、耳にしたことがある。
「多羅尾…どこかで聞いたな」
どこだったか、思い出せない。義太夫が、ふと思い出し、
「若江といえば、六郎様、九郎様をお連れした三箇。あそこにおったキリシタンの爺が何やら申しておりましたな」
「三箇…」
三箇老人は何を言っていたか。
讒言され、危うく切腹をまぬかれ近江に送られた三箇老人。讒言したのはキリシタン嫌いの武将だった。
「それが多羅尾とか申していたような」
そうだ。多羅尾綱知。元は三好長慶の家人であり、三箇老人とはその頃からの付き合いだった筈だ。ロレンソたちは多羅尾をキリシタンの大敵と呼んで警戒している。その話を聞いた時、妙に違和感を覚えた記憶がある。
(キリシタンが嫌いなだけで、あの人のよさそうな三箇老人を貶めようとするのだろうか)
であれば、三箇老人ではなく、領内のキリシタンを締め出すほうが早い気もするが。
「上様が陣中見舞いに下向された際に饗応したのも多羅尾常陸介でござります。上様は常陸介を大層気に入り、来年催すという馬揃えにも呼んでいるとか」
馬揃えに呼ぶとは、雅で煌びやかな武将なのだろう。信長が予定している馬揃えは、帝の前で披露することになっている。織田連枝衆の他には、当代の文化人と呼ばれている明智光秀などの武将をはじめ、蒲生忠三郎、堀久太郎など華やかな武将ばかり呼ばれている。当然のように滝川家に連なる面々は誰も呼ばれてはいないが、信長が目をつけて声をかけたのであれば、多羅尾綱知が忠三郎のように人目を惹く風貌であることが分かる。
「あの薄汚れた三箇の爺とは正反対ということにござりましょうな」
義太夫は三箇老人を貶しているが、気のいい三箇老人に対して悪い感情はない。三箇老人の元に置いた山村一朗太の話を聞く限り、六郎も九郎も孫のようにかわいがられているらしい。
「その多羅尾が如何した?」
「父上、覚えておられぬので?」
三九郎が驚いて目を向くが、何を言っているのか分からない。
(どこかで会うたものだと?)
若狭に知り合いはいなかった筈だ。足を運んだのも数回。そのうちの一回が三箇訪問だった。
「多羅尾…」
聞いたような気もする。常陸介の顔も名前も記憶にない。ただ多羅尾という名前は聞き覚えがある。
(三箇老人の話を聞く前…もっとずっと前に…)
播磨、丹波、摂津、伊勢、と記憶を遡るが、どうにも思い出せない。それを見ていた三九郎が言おうかどうしようかと迷い迷い口を開く。
「甲賀の多羅尾でござります。甲賀五十三家の」
そこまで言われて思い出した。
「甲賀…甲賀の多羅尾か。もしや、多羅尾常陸介とは、すみれの家のものか」
甲賀を出て以来二十年余、その名を耳にしたことはなかった。思い起こせば、かつての許嫁、すみれは多羅尾家の庶子だった。
甲賀五十三家のひとつ、多羅尾家は近江信楽を領する。ただ、すみれは多羅尾家本家ではない。幼い頃に家人とともに甲賀を離れ、河内にいた。一益の母、滝御前がすみれを連れてきたのはその頃だが、その後、すみれの家の者たちは三好家に従ったと聞いたことがある。
「ではもしや、その多羅尾常陸介が伊賀と通じ、三箇親子やこのわしを貶めようと、上様に讒訴したと?」
「そこまでは…しかるに、新介たち甲賀の者とも知らぬ仲でもなく、我が家の家人に調略を仕掛けたのは多羅尾常陸介ではないかと懸念致しました。更には多羅尾常陸介が、佐久間殿を貶めようと上様によからぬ噂を流しているとも考えられませぬか」
三九郎の読みどおりだろう。三箇老人もロレンソも、信長に讒訴したのは多羅尾であると、はっきりとそう言った。想像だけで言ったとは思えない。
(まさか河内にいたとはな)
誰か裏で動いているのであれば、近江の者だとばかり思いこんでいた。河内を領し、長年、本願寺攻めに関わって来た多羅尾綱知が密かに動いているとなると、伊賀だけではない。地理的条件を考慮すれば、毛利に通じていると考えるのが自然だ。
「例の快幹の手文庫に、何かあるかもしれませぬな」
義太夫が思い出してそう言う。
「明日、北条家の使者とともに安土に向かう。義太夫は先に日野へ行き、鶴に事と次第を話せ」
「ハハッ」
伊賀、甲賀だけで織田家に対抗しようとしているとも思ってはいなかった。どちらも元は傭兵集団で金が出なければ動くことはない。どこかに資金源があると思っていたが、少しずつ見えてきた。ただ思っていたよりも織田家の内部に深く潜んでいる。簡単に紐解いていくことは難しいだろう。
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