滝川家の人びと

卯花月影

文字の大きさ
上 下
60 / 128
11 君に引く弓

11-4 深野池の老人

しおりを挟む
 忠三郎が千草峠を越え、千種城に入ったころ、一益は広間で滝川助九郎の報告を聞いていた。
「三十郎殿はもとより、安土の者らしき間者が伊勢中に散っておるようでござりまする」
 八郎を救いに行きたいが、どうにも動きが取れない。下手に兵をあげれば、それこそ謀反の嫌疑が深まるだろう。
(上様がそこまでお疑いとは…)
 長島城全体に緊迫した空気が流れる中、どうにか家臣たちをなだめ、風花たちがいる母屋へ向かった。
「殿…」
「子らの姿が見えぬようじゃが」
 いつもなら庭先で騒いでいる子供たちの姿が見えない。
「子らを如何なされる」
 風花が怯えた目で見る。一益は風花の傍に座り、
「何を恐れておる?そなたまでわしを疑うのか」
「殿は…八郎を見殺しになさるおつもりじゃ。この上、何を信じろと申されるか」
 風花の目から堪えた涙がどっと溢れる。
「わしが八郎を見殺しにした挙句、子らを上様に突き出し、家の安泰を計ると、そう思うておるのか」
 風花は否定しなかった。子供たちから引き離されると恐れ、怯えている。
(この状況ではそう思われても致し方ない)
 かといって妙案があるわけでもない。
「では殿は子らを守ってくだされるのか。八郎を取り戻して下されるのか」
 咄嗟に返事に詰まり、泣きじゃくる風花を黙って見つめる。
(あの日も、泣いていた…神仏も呪いも恐れぬと、風を守ると、そう言ったあの日…)
 いつも笑顔で迎えてくれた風花。それが八郎を細野藤敦に渡して以来、風花は泣き顔しか見せてくれなくなった。
(もう…わしの前で笑うてくれることなどないのか)
 八郎を救うためには行動を起こさなければならないが、図らずも織田家を敵に回すことになるかもしれない。そうなれば荒木村重のようにはいかない。今の長島城では兵糧も半年程度しかもたないだろう。
(この為体では上様に逆らうなど、絵空事にすぎぬ)
 この状況でできることと言えば、
「いっそ…」
 八郎を奪還して、子供たちを連れ、織田家の力の及ばない、どこか遠くへ逃げようか、そう言いかけて、ハタと思い出した。
(宗右衛門の子)
 宗右衛門の一子、助十郎の後見を任されていることを忘れていた。命を削って戦場に留まり、一益のために働いてくれた宗右衛門は、一益を信じて死んでいった。その宗右衛門との約束を破るわけにはいかない。
「今、兵を動かせば、わしに謀心あってのことと思われる」
「では八郎は?」
「わしが細野城へ単身乗り込み、助け出す」
 風花が驚いて一益を見る。
「そんなことが…」
「必ず助ける。それゆえ、もう泣くな。わしを信じて待っていてくれぬか」
 笑いかけると風花が泣きじゃくりながら頷く。
(新介、彦一郎、彦次郎、助九郎を連れて、細野城近くで狼煙をあげれば八郎とともにいる滝川藤十郎・山村一朗太が気づく筈。藤十郎に中から手引きさせ、八郎を奪い、そのまま逃げればあるいは…)
 素破たちを連れて忍び込む算段をしていると、障子に影がうつった。
「殿、忠三郎殿がお見えになりました」
「何、鶴が参ったか」
 安土から命をうけてきたのだろう。
「よし、広間…いや、居間へ通せ。義太夫以外は中に入れるな」
 一益は大小をもって立ち上がると、不安そうに見上げる風花を振り返る。
「何も案ずるな。ここで待っておれ」
 風花が涙を拭う。再びこの部屋に足を踏み入れるときがあるとすれば、それは八郎を奪還したときだ。
 
 思いがけず、居間へ案内された忠三郎は、常と変わらぬ笑顔で部屋に入ってくる。
「どうも、わしは家中のものに客人扱いされておらぬような…」
「人の屋敷に来て大飯を食らい、大酒を飲み、そこいらで大鼾をかいているような奴は、客人でもなんでもないわ」
 義太夫に言われて、忠三郎が明るく笑う。
「では酒の用意があると?」
「ぬけぬけとよう申したな。上様の使いで参ったのではないのか」
 忠三郎は、あぁ、と気づいた様子で座りなおして、
「義兄上。此度は九郎殿がご迷惑をおかけした由。まことに申し訳ござりませぬ」
 と頭を下げたので、義太夫が怪訝な顔をする。
「まるで九郎様が鶴の子のような口ぶりじゃな」
「あのような賢き子。わしの子に決まっておる」
「何を申すか。賢き子であれば、このわしの子であろう」
「義太夫、おぬし、己が分かって…」
 騒がしくなってきたので、一益が五月蠅そうに手を振る。
「九郎はわしの子。風に塩を撒かれたくなければ二人とも黙れ」
 二人は顔を見合わせて口を閉じる。
「…で、上様は何と?」
「今は皆が疑心暗鬼になり、義兄上を疑っておりまする。それ故、織田家中において、二心なき旨を明らかにせよと仰せでござります」
「それは…如何様に?」
「まず、荒木村重の子に嫁がせると言うていた葉月殿を、織田家譜代の臣、柴田殿の嫡男に嫁がせること」
 なるほど、そう来たか。確かに柴田勝家は葉月を欲しいと言っていたことがある。
「他にもあろう?」
「はい。末のお子の七郎殿を織田家譜代の臣、丹羽五郎左殿の養子とすること」
「赤子の七郎様を養子にだせと?」
 義太夫が驚いて声をあげる。
「五郎左に…。で、六郎と九郎は?」
「六郎殿については…このまま置いておく訳にもいかぬと」
「まさか、六郎様に腹切れと?」
 義太夫が恐る恐る尋ねると、忠三郎が首を横に振った。
「いえ。密かに落とし、寺にいれよと仰せでした」
 最悪はそれしかないと覚悟を決めていたが…。
「九郎は?」
「九郎殿にはお咎めなしでござりまする」
 妙な話だ。何故、九郎だけが何の沙汰もないのか。一益が怪訝な顔をすると、忠三郎が言いにくそうに口を開く。
「実のところ、九郎殿の身柄はそれがしが預かることになっておりまする」
「鶴!おのれはドサクサに紛れて何たることを!」
 義太夫が真っ赤になって怒鳴ると、
「待て待て、話を最後まで聞け。これは…、義兄上、此度のことは六郎殿が山犬をけしかけたとはいえ、恐らくは九郎殿がやらせたことかと」
「何故、それが分かる?」
「それがしは義太夫と共に九郎殿に会うたことがござります」
「何?」
 一益が義太夫を睨む。義太夫はギョッとなり、
「何故、今、その話を持ち出すのじゃ」
 義太夫が何度も小突くので、忠三郎は話しにくそうにしながらも義太夫を軽く突き飛ばして話を続ける。
「そ、それで…その際も此度と同じように、九郎殿が六郎殿に言うて犬をけしかけ、我らは危うく噛まれそうになりました。それ故に、六郎殿・九郎殿を見て、分かったことが」
「何が分かった?」
「あの二人は幼き身で、二人で一人。互いが互いを必要とする間柄。今、あの二人を引き裂くはよろしくありませぬ。九郎殿も六郎殿とともに寺に入れるがよいかと」
「九郎も共に寺に?」
「はい。したがこれはあくまでも織田家家中の目を欺くため。半年ほど後、都の外れに九郎殿を開祖に新たに寺を興し、表向きは寺、その実は滝川家の内内の屋敷としては如何なものかと。少なくとも二人が大きくなるまでは寺に置き、世が落ち着きを取り戻した頃合いを見て還俗させる。さすれば二人は危うきことから守られ育つことができるのではないかと思案した次第でござりまする」
 忠三郎の話に感心した義太夫が、恍けた顔で考えている。一益も忠三郎の話を反芻してみる。
(隠れ蓑として九郎を開祖に寺を興す…。その手があったか)
 六郎を匿うのであれば、もってこいの場所だ。
「したが、三十郎殿が細野をそのままにするとは思えぬ。八郎は置き捨てのままか」
「いえ。救い出す手筈は整いました」
 忠三郎が急にクスリと笑ったので、義太夫が眉を上げ、
「何じゃ、気味の悪い笑い方をするな」
「いやはや…。関盛信、千種三郎左衛門の両名の協力の元、細野城から千種城までの道中、すべてを抑えておりまする。あとは城から連れ出すだけ。それがしが安濃津まで行き、三十郎殿の足止めを致しまする。誰かに命じて城内にある滝川家の家人に合図を送り、城から八郎殿を連れ出すようお伝えくだされ」
 そこがこの計略の肝になる。細野藤敦に気づかれずに八郎を連れ出すことができるだろうか。
「よかろう。此度は鶴の謀略に乗ろうではないか」
「へ、殿、それは、戯れではなく、本気で…」
 謀将という言葉がこれほど似合わない武将もいないが、これは忠三郎が初めて立てた謀略だ。いささか乱暴な策略ではあるが、そもそも細野城に殴り込みをかけ、八郎を奪い返そうと思っていたのだから、乗る価値はあるだろう。
 
 中勢の港町、安濃津。
 古来、伊勢平氏の熊野三山参拝に利用され、室町末期に作成された海洋法規である廻船式目に三津七湊(さんしんしちそう)に書かれた三津のひとつで、博多、坊津とあわせて明国の書物にもその名がある日の本でも有数の港湾都市だった。
 この町が突然、廃れたのは凡そ百年前。未曽有の大地震が起き、京、大和、紀伊、伊勢、近江、尾張、三河をはじめ、遠く甲斐の国まで被害がでたというから相当な揺れだったと思われる。
 その後の大津波により伊勢の安濃津、大湊、志摩の国崎、塩屋、紀伊の熊野、三河の渥美が壊滅的被害を受けて荒廃した。志摩の国崎を襲った津波は高さが五十尺(十五メートル)にも達したといい、余程恐ろしかったのか、志摩の漁師は百年たった今でも高台に住んでいる。
 信長の弟、長野三十郎信包が、兄信長に倣って天主を持つ城を建てたいと相談してきたときに、一益はこの安濃津への築城を勧めた。
(伊勢街道、それと港の重要性をよく分かっていたということか)
 忠三郎の領地は海に面していない。内陸にあるため港がない。このため港湾の重要性が理解できなかった。よくわかるようになったのは長じて堺や桑名に度々足を運ぶようになってからだ。
 北と南を流れる川を外堀とした規模の大きい城が町の中心にたち、五重天守と小天守まである。織田家の威厳を示すにふさわしい城といえる。
「上様は先年の北畠中将殿の伊賀攻めのこともあり、中勢のことをいたく気にかけておられるご様子でござりまする」
 織田連枝衆の重鎮、三十郎信包は大柄な体を揺らし、静かに忠三郎の話を聞いている。
「北勢のことは何とした。我が家の家臣が長島で命を落としたのじゃ。兄上は何も沙汰なしと仰せか」
「いえ。左近殿は閉門蟄居。二心なき旨を示すため、左近殿の娘を柴田殿の嫡男へ嫁がせ、末の子を丹羽殿の養子とする。更には件の二人の子は出家させるようにとお命じになりました。北勢のことはご案じめさるな。あとは中勢のことでありますが…」
 忠三郎は三十郎の顔をちらりと見て、笑顔を向け、
「三十郎様のお手を煩わせるまでもなく、我が叔父の関安芸守、並びに千種三郎左衛門が兵を細野城に向かわせておりまする。一両日中には、細野城を明け渡すことができましょう」
「なんと。ではわしは兵を動かさずともよいと、そう申すか」
「仰せの通り。城明け渡し後は、何事もなかったかのように、関安芸守を日野へ連れ戻りまする。どうか、ご安堵なされたく」
 忠三郎が人畜無害な笑顔でそう言うと、信包はホッと息をついて脇息にもたれかかる。
「いやはや、滝川左近が謀反と聞いた時は、全く肝がひやりとしたわ」
「ご心中、お察し申し上げます。されど、三十郎様がここ中勢に鎮座されている以上、ゆめゆめ、そのようなことはありませぬ」
 忠三郎が長島を出る前に、関盛信と千種三郎左衛門は兵を細野城に向かわせている。もう細野城に到達し、手筈通りに事を運んでいる筈だ。
「ではそれがしは、これより関安芸守と合流いたしまする」
「大儀じゃ、忠三郎。兄上にもよしなに伝えよ」
「ハハッ」
 忠三郎が恭しく平伏すると、肩の荷がおりた信包が大きくため息をついた。
 
 四日市日永、実蓮寺。
 閉門蟄居中の一益は、母の供養と称して実蓮寺に来ている。無論、供養は名ばかり。細野城に乗り込むために家臣たちが集まるのを待っていた。
「殿。呼んでいない者が参りましたぞ」
 新介が白々とした顔をしてそう告げるのと、義太夫が後ろから走ってくるのが同時だった。
「殿!なんと冷たき…かような一大事にわしを置いて行かれるとは」
 一益は苦笑し、
「彦八郎と共に留守を守れ」
「何を仰せで。甲賀を出て以来、片時もお側を離れず付き従って参りました」
 片時もそばを離れないと言いつつ、勝手に忠三郎と二人で都に行っては豪遊していたようだが。
「おぬしがおると目立つではないか。素破にしては目立ちすぎじゃ」
「たわけたことを申すな。城に忍び入るなら、わしの右にでるものはないわい」
 義太夫と新介が騒いでいると、門の方が俄かに騒がしくなる。
「誰かきたようじゃ」
「あれは…」
 走って来たのは八郎の傍につけたはずの山村一朗太だった。
「一朗太、久しいのう。こんなところで油売りとは如何に?」
 義太夫が恍けた声で尋ねると、困惑した表情の山村一朗太は、
「八郎様は早、細野城を落ち延びておりまする」
「何、八郎が?…無事なのか。細野藤敦には見咎められてはおらぬか」
「やはり殿は何もご存じありませぬか」
 一朗太が息を切らしながら話した内容はこうだ。
 事前に話がついていたらしく、忠三郎が叔父たちとともに細野城に向かうと、細野藤敦は八郎を連れてすんなりと城から出てきた。そしてそのまま亀山、関と安全に千種まで行き、山村一朗太を使いに出した。
「殿には長島から一歩も動かれぬようにと、そう仰せで」
 忠三郎が長島で話した内容と大きく異なる。しかも
(動きが速すぎる)
 忠三郎は長島に来る前から、すでに叔父たちを細野城に向かわせていたのだと気づいた。
「細野も連れて行くなど、聞いてはおりませなんだが…いずこへ参るというのか」
 義太夫が首を傾げる。
 細野藤敦が八郎を手放さなかったから、そのまま連れて行ったのか、もしくは
(最初から、八郎と共に細野を連れ出す所存であったか)
 幼い八郎だけを細野城から連れ出す危険を冒すよりは、細野藤敦も共に連れて行ったほうが安全だと、そう考えたのだろう。
「伊勢から連れ出すようじゃ」
「なんと、伊勢から?」
 伊勢にいては危ないと悟った細野藤敦が伊勢脱出を考えていたところに、忠三郎が声をかけ、八郎との交換を条件に、伊勢脱出を手伝う算段だったのではないか。
(だから千種三郎左衛門に声をかけたのか)
 そもそも細野城から四日市までくれば問題なかった。それなら関盛信の協力があれば十分だ。何故、親しくもない千種三郎左衛門にわざわざ協力を仰ぎ、千種まで行く計画をたてたのか。忠三郎は普段から、素破や織田の間者の多い鈴鹿峠は使わない。千草峠を支配下に置く千種三郎左衛門に声をかけ、安全に伊勢を抜けて、そして
「鶴は細野藤敦と八郎を日野に連れて行くつもりじゃろう」
「は、では細野を助けると?」
 その後、どうするつもりなのだろうか。細野藤敦を日野で誅殺するのか、それともどこかに逃がすのか。
(あやつはだまし討ちが嫌いな筈)
 そこは忠三郎の美学が許さないらしい。
「自ら火中の栗を拾いにいったか」
 八郎を確実に救出するために、信長に咎められるのも覚悟の上で、細野藤敦を助けようとしている。
「長島に戻ろう。わしが動けば鶴の努力も水泡となる。長島に戻って、子らを出立させる準備をせねば…」
 一番気の重い仕事が残っている。風花に何と説明しようか。長島につく前に何か考えておかなければならない。
 
 河内の国、深野池(ふこのいけ)。
 南北二里、東西一里に広がる池と呼ぶには大きすぎ、湖と呼ぶには小さいような気もする。その深野池の西側にある土地は古くから三箇(さんが)と呼ばれている。この辺り一帯は河川が氾濫しやすい湿地帯で、三箇なる地名は付近を流れる川が増水したときに、三つの島に見えるところから来たらしい。
(にしても解せない…)
 伊勢からの道すがら、考えてきたことがある。今回の信長の仕置きだ。件の六郎・九郎は兎も角、何故関係ない葉月や七郎まで手放せと言われたのか。
(いずれも織田家譜代の臣との縁組。相手に問題はないにしても…)
 信長の真意が見えてこない。
「殿!見えましたぞ。あれなる建物のことでは?」
 前を進む義太夫が馬上で忠三郎が書いた絵図と見比べている。一益の視界がその建物を捉える。
「確かに、あれなるが目指す場所であろう」
「いやはや、この鶴の書いた絵図を手にしたときは、到底、たどり着くことはできぬものと案じておりましたが。幼子でももう少し、ましな絵が書けるというもの」
 忠三郎がスラスラと書いた絵図は、道を教えるものにしては情緒的すぎる。古今和歌集の一首まで書き添えてあるが、なんの意味があるのか分からないまま到着した。
「この絵図だけで、迷わず来ることができるものはおらぬであろうな」
 ここまでたどり着いたのは、忠三郎が書いた絵図のお陰ではなく、地名を聞いていたからだ。
 子供たちを手放したがらない風花に、どうしたらいいかと考えあぐねていたところ、忠三郎から話を聞いたロレンソが便りを送って来た。ロレンソが子供たちを匿う場所として案内してきたのが、ここ河内の国、三箇の地にある南蛮寺だ。
 河内はロレンソが修道士として都に来たばかりのころに布教した地で、その頃の天下の支配者は三好長慶だった。
 三好長慶はロレンソの教えを聞いてキリシタン布教を許し、家臣たちにもロレンソの説教を聞かせた。これにより三好家の家臣七十三名がヴィレラ神父から洗礼を受けるに至った。
 この三箇の地は、そのとき洗礼を受けた家臣の一人、三箇頼照が治める地で、三箇頼照はその後、佐久間信盛の与力に組み込まれ、各地を転戦、本願寺攻めに従事している。
 三箇頼照が私財を投じて建てた南蛮寺では日曜ごとにミサが行われ、領内には多くのキリシタンがいる。京と堺を行き来する宣教師たちも立ち寄ることが多いと聞き、風花はようやく納得してくれた。
 一益は子供たちと義太夫、わずかな手の者、そして六郎の飼っている山犬を連れて、忠三郎の書いた絵図を頼りにここまで来た。
 南蛮寺の入り口には、キリシタンらしきものがおり、案内を乞うと中へ通され、まもなく三箇頼照と思しき老人が姿を見せた。
「左近殿、ようおいでくだされた。ささ、お子たちはあちらへ…」
 小太りの老人は、子供たちに人のよさそうな笑顔を向ける。家臣が心得て、六郎と九郎を連れて奥へと案内する。
「一朗太、供に行け」
 山村一朗太が頷いて、後に続いた。
「案ずることはありませぬ。それがしも隠居の身。子らとともに過ごす時は十分にござりますゆえ、お好きなだけ、ここにおられればよいでしょう」
 三箇老人は先年、嫡男の頼連に家督を譲り、今はこの南蛮寺に寄宿して貧者に衣食を与え、病人の世話をしているという。
「もうすぐ復活の祭りの時期。棕櫚(しゅろ)の聖日にはロレンソ殿も参られ、この聖堂で説教奉仕をなされます」
「棕櫚の聖日?」
「キリシタンは皆、イエズス復活の七日前、イエルザレムに入城の日をそう呼びます」
 枝の主日とも呼ばれる日のことで、キリストがエルサレムを囲む城門のひとつを通る際、大勢の人々が道に脱いだ服や木の枝を敷いたことに由来する。
「復活祭には河内全土から二百名ほどのキリシタンが集まり、深野池に飾りをつけた船を並べて列となし、皆で歌い、祝うておりまする。付近の漁師たちは何百もの船を出し、見物に集まるものたちを乗せて共に祝うのでござります」
「それはお子たちが喜びましょうなぁ」
 義大夫が一益の顔を覗き込んで言う。
(ここだけ別の世にいるようだ)
 一年を超えた摂津での戦闘。知らぬ間に、その隣にある河内の三箇では、盛大な祭りを開いている。羨ましいほどの平和を満喫して老後を過ごしている三箇老人の顔をみながら、ふとそんなことを思う。
「ロレンソ殿から聞き及んでおりまする。左近殿もさぞご心痛のこととお察し申し上げる」
 三箇老人がどこまでロレンソや忠三郎から話を聞いているのかは分からなかったが、老人は遠い目をして意外なことを話し出した。
「それがしも、三年前に謀反の疑いをかけられ、所領を奪われて近江の永原に流されておりました」
 人畜無害に見える三箇老人に謀反の疑いとは、また縁のなさそうな話だ。
「何故に謀反の嫌疑をかけられた?」
「同じ河内のものの讒言により、上様がお疑いになりました」
 旧主以来、行動を共にし、今は三箇老人と同じく佐久間信盛の与力となった多羅尾綱知が、三箇親子が毛利に内通していると讒言した。怒った信長は三箇親子から所領を没収して、遠く、近江永原に蟄居させた。
 驚いた佐久間信盛の再三の執り成しにも関わらず、信長の疑いを晴らすことはできなかった。高山右近をはじめとするキリシタンたちの働きかけと、佐久間信盛の力で、どうにか許され、この三箇の地に戻されたのは一年後だった。
「その多羅尾なるものは何故にそのような讒言を?」
「多羅尾は昔から大のキリシタン嫌い。長年、それがしを追い落とそうと隙を狙っておったのでござります。しかし、永原に送られたことはまさに、デウスの思し召し」
 この老人は何を言っているのだろうか。義太夫が首を傾げている。
「領地を取り上げられたのが、よかったと?」
 尋ねながら、何か引っかかる。近江永原。佐久間信盛の領地だが、聞いたことがある。
(あのときか)
 右近が叛旗を翻したとき、ロレンソたちを説得に行かせた。その後、右近が城を明け渡すまでの間、ロレンソをはじめとする多くの宣教師を幽閉していたのが永原だ。あのときも、ロレンソたちを護送したのが佐久間信盛だった。
(わざわざ同じ場所に連れて行ったのか)
 信盛が何を意図して同じ場所に幽閉したのか、それは老人の話でわかった。
「永原ではパーデレの教えを聞いたものたちが大勢いました。それがしは一年に渡る永原での生活の中で、その者たちに教えを説き、やがて洗礼を受ける者が増え、永原の地にはじめて、聖堂が建て上げられたのでござります」
 永原にはロレンソたちの影響で、キリシタンに好意的なものが多くいたのだろう。それを知っていた信盛は、三箇親子を不憫に感じ、永原に蟄居させたのだ。
(与力になど、なんの気遣いもみせぬ者と思うていたが、あやつはあやつで、気遣っているのか)
 それにも増して、三箇老人の胆力にも驚かされる。キリシタンであることが災いして領地を奪われ、流された地で布教活動とは。
(なかなかの曲者ではないか)
 そして何事もなかったかのように、この地に戻り、キリシタンとしての生活を送っている。
「殿。ここであれば、御台様もご安堵なさるのでは?」
 老人の話を聞いて何か感じるところがあったのだろう。義太夫が口添えすると、
「はい。祭りの日には北の方も共に、ぜひ、お越しくだされ」
「相分かった。子らを三箇殿にお任せしよう」
 三箇老人が転んでもただでは起きなかったように、この雪辱を果たさずにはいられない。
 気づくと、奥の部屋から子供たちの楽し気な笑い声が聞こえてくる。一益は義太夫に目配せし、そっと南蛮寺を後にした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

獅子の末裔

卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。 和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。 前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。

四代目 豊臣秀勝

克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。 読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。 史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。 秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。 小牧長久手で秀吉は勝てるのか? 朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか? 朝鮮征伐は行われるのか? 秀頼は生まれるのか。 秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?

16世紀のオデュッセイア

尾方佐羽
歴史・時代
【第12章を週1回程度更新します】世界の海が人と船で結ばれていく16世紀の遥かな旅の物語です。 12章では16世紀後半のヨーロッパが舞台になります。 ※このお話は史実を参考にしたフィクションです。

転生一九三六〜戦いたくない八人の若者たち〜

紫 和春
歴史・時代
二〇二〇年の現代から、一九三六年の世界に転生した八人の若者たち。彼らはスマートフォンでつながっている。 第二次世界大戦直前の緊張感が高まった世界で、彼ら彼女らはどのように歴史を改変していくのか。

サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由

フルーツパフェ
大衆娯楽
 クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。  トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。  いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。  考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。  赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。  言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。  たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。

信忠 ~“奇妙”と呼ばれた男~

佐倉伸哉
歴史・時代
 その男は、幼名を“奇妙丸”という。人の名前につけるような単語ではないが、名付けた父親が父親だけに仕方がないと思われた。  父親の名前は、織田信長。その男の名は――織田信忠。  稀代の英邁を父に持ち、その父から『天下の儀も御与奪なさるべき旨』と認められた。しかし、彼は父と同じ日に命を落としてしまう。  明智勢が本能寺に殺到し、信忠は京から脱出する事も可能だった。それなのに、どうして彼はそれを選ばなかったのか? その決断の裏には、彼の辿って来た道が関係していた――。  ◇この作品は『小説家になろう(https://ncode.syosetu.com/n9394ie/)』『カクヨム(https://kakuyomu.jp/works/16818093085367901420)』でも同時掲載しています◇

時雨太夫

歴史・時代
江戸・吉原。 大見世喜瀬屋の太夫時雨が自分の見世が巻き込まれた事件を解決する物語です。

日本が危機に?第二次日露戦争

歴史・時代
2023年2月24日ロシアのウクライナ侵攻の開始から一年たった。その日ロシアの極東地域で大きな動きがあった。それはロシア海軍太平洋艦隊が黒海艦隊の援助のために主力を引き連れてウラジオストクを離れた。それと同時に日本とアメリカを牽制する為にロシアは3つの種類の新しい極超音速ミサイルの発射実験を行った。そこで事故が起きた。それはこの事故によって発生した戦争の物語である。ただし3発も間違えた方向に飛ぶのは故意だと思われた。実際には事故だったがそもそも飛ばす場所をセッティングした将校は日本に向けて飛ばすようにセッティングをわざとしていた。これは太平洋艦隊の司令官の命令だ。司令官は黒海艦隊を支援するのが不服でこれを企んだのだ。ただ実際に戦争をするとは考えていなかったし過激な思想を持っていた為普通に海の上を進んでいた。 なろう、カクヨムでも連載しています。

処理中です...