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9 不足の美
9-3 山陰の麒麟児
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滝川一益、明智光秀、丹羽長秀の三将が京を出立したのを皮切りに、総大将織田信忠、北畠三介、細川藤孝、佐久間信盛が京から出陣した。
明石まで行軍したところで、京にいる信長の下知を待つことになった。ところが毛利の動向を窺うばかりで、待てど暮らせど一向に信長からの許しがでない。
「これでは上月城の兵糧がもたぬわ~。上様は如何なされておいでなのじゃ」
秀吉が焦って各将の陣営を飛び歩いては騒いでいる。しかし、五月も後半を迎え、六月になっても信長からの下知は下りなかった。待ちきれなくなった秀吉は荒木村重を引き連れて軍勢を進め、播磨の奥地、高倉山なる山に陣を敷いたとの知らせを送って来た。上月城まであと五里のところまで迫ったことになる。
「拙いな。新介、筑前のところまで行き、それ以上進軍するなと伝えて参れ」
「ハハッ」
秀吉の軍勢は荒木村重の兵と合わせても一万足らず。毛利の大軍に囲まれればひとたまりもない。
ところが戻って来た新介が意外なことを言った。
「あの軍勢の中には羽柴殿はおられませぬ」
「何、筑前がおらぬと?」
「はい。羽柴殿は単身、京にいる上様の元へ向かったと」
痺れを切らして兵を荒木村重に任せ、信長の元に走ったようだ。
「羽柴殿も毛利の大軍がいつ襲ってくるか分からぬ時に、大胆なことをなさいますな」
新介が半ば呆れたように言うが、羽柴の陣には荒木村重だけではなく、軍師の竹中半兵衛がいる。秀吉一人いなくとも、問題ないのだろう。
「新介、三九郎からの知らせはまだか」
「いえ、それが、未だ何とも…」
何日も前から三九郎からの知らせを待っているが、なかなか来ない。
(三九郎たちが間に合えば…)
待ちに待った鉄甲船が完成し、九鬼嘉隆とともに三九郎が大湊を出たとの知らせは、すでに届いている。阿武船の進軍には時間がかかる。間に合うかどうか、際どいところだが三九郎たちが到達して毛利海賊を打ち破れば、戦局は大きく変わる。
一益は手を打って義太夫を呼んだ。
「義太夫、助九郎を連れて上月城へ行ってくれぬか」
「は、あの…毛利の大軍が取り囲んでいる城へ…。いやぁ、それは…」
「岩村城よりも余程入りやすい。上月城へ行って山中鹿介に伝えてほしいことがある」
岩村城のことを持ち出されてはグゥの音もでない。義太夫はしぶしぶ頷き使者に立った。
五畿七道のひとつで、古代からあると言われる山陽道。都から大宰府に通じる道として親しまれているが、瀬戸内海に面しているため度々天災に見舞われ、そのたびに道が少しずつ移動しているらしい。
甲賀をはじめとする鈴鹿の山々を越えることを考えれば、上月城までの道はさして苦でもない。途中、噂の村上海賊らしき船影が黒山のように見えたが、義太夫自身は海賊を任されていないので、これもさして気にもならない。気になることといえば、助九郎を伴い、人の城に忍び込むことは岩村城以来で、今は亡きおつやの方を思い出すことくらいだ。
「人遣いの荒い殿じゃ。この先の城に、見目麗しい女子が待っているのであれば、この道も苦にはならぬのじゃが…」
暇さえあればこんなことばかり考えている、この名ばかり家老の呆れた言い草に、滝川助九郎も疲れを覚える。
「義太夫殿は少し心根を入れ替えては如何なものか…」
「わしは戦国の在五中将(在原業平)じゃ。まぁ、在五中将は略才学無し、などと言われておるが、わしは学有り有りよ」
学有り有りとは…。助九郎が閉口する。義太夫はそんな助九郎を振り返り、うそぶく。
「堅いことばかり申すな。何か面白きことがなければ、かような辛いお役目は果たせぬわ」
二人は易々と毛利の包囲を突破し、上月城へ入った。驚く城兵に名を告げ、山中鹿介に謁見したいと告げると、本丸にある櫓に案内された。促されるままについていくと、にわかに背に炎を背負った巨大な石仏が現れ、義太夫は腰を抜かしそうになった。後ずさりしながら恐々と石仏を見ると、こちらをギロリと睨んでいるようだ。
「恐ろし気な顔じゃ…。背中が火事じゃ」
「あれは大日如来の化身、お不動様ではありますまいか。煩悩をもつ者を力づくで救うと言いますぞ。義太夫殿にはまさに必要なご利益では?」
「何を申す。わしには煩悩などない。それよりも、なにゆえに大日如来が刀をもっておるのか」
「あれは倶利伽羅剣。義太夫殿の心根のような、よこしまな心を断ち切る剣でござります」
どこまでが本気なのか。助九郎に真面目な顔してそう言われると、ますます恐ろしくなる。とんでもないところに連れてこられたと、辺りをそわそわと見回しながら、薄暗く、不気味な通路を歩いていく。やがて奥から何かを唱える声が聞こえてきた。
「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・センダン・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン」
屈強な侍が手で印を結び、燃え上がる炎の前で何かを唱えている。
(見目麗しい女子どころか…目を疑うような怪しげな男が、おどろおどろしい呪文を唱えておるではないか…)
山中鹿介がこんな怪しげな呪術師めいた男とは聞いていない。このまま踵を返して帰りたくなった。
「助九郎、帰るか」
「何をたわけたことを。ここまで来て何を仰せになるか」
致し方なく気を取り直し、恐る恐る、話しかけようとした。すると助九郎がそれを留める。
「義太夫殿。あれは真言。何度か繰り返し、途中で止めるとご利益がなくなると申します。しばしお待ちを」
「ほぉ…何度か、とは何度繰り返すのじゃ」
「三回、七回、二十一回、百八回、千八十回のいずれかでござります」
「せ、千……まことかや…これが一回目であれば何とする?…しかも…あれは一体、何を言うとるんじゃ」
「はて、それは…」
不動明王の真言はサンスクリット語といい、古代インド・アーリア語に属する言葉だ。当然、助九郎にもその意味はわからない。
二人は炎の熱さに耐えながら、じっと呪文が終わるのを待った。苦行を強いられているような熱さだ。やがて、山陰の麒麟児と呼ばれた男がこちらを振り向いた。
「何者であるか」
「ハッ、それがしは滝川左近が甥の滝川義太夫でござります」
それを聞くと、鹿介は大きく目を見開き、
「おお。織田の援軍がついにここまで!」
「あ、いえ…あの…そうではなく…むしろ、その逆でござります」
喜ぶ鹿介には伝えにくい内容であったが、言わざるを得ない。
「陸からの後詰はないものを思うていただきたい。しかるに海では勝算があり申す。我が海賊衆が大坂表に現れ、毛利の海賊を撃退したときこそ好機。敵は浮き足だち、大坂へと兵を差し向けるか、撤退するやもしれませぬ。尼子殿にはその敵の隙を付き、この城を脱出して我らと合流していただきたいと、主、左近が申しておりまする」
鹿介は瞬きもせずに義太夫の顔を見ていたが、やがて眼を伏せ、
「後詰がないとは…織田の御大将は…我らを助けには参られぬのじゃな」
ひどく気落ちした声でそう言った。信長に見捨てられたことが分かったようだ。かつて信長は鹿介を気に入って馬まで下賜したと聞いたことがある。
その信長は援軍どころか、安土に帰ろうとしていた。
「いや…秋田城介様が総大将として明石に御着到なされておいでで…」
義太夫のその言葉も、鹿介の耳には届いていない。信長の出馬がなければ毛利に勝つことはできないと思っている。
「大儀であった。左近殿によしなに…」
鹿介は短くそう言うと、再び背を向け、印を組み、呪文を唱えだした。
どんな呪いをかけられるかと生きた心地もしなかったが、案外、あっさりと諦めたようだ。
義太夫は何か言おうとしたが、言葉が見つからず、鹿介の背中に深々と一礼すると、後ろ髪引かれる思いで助九郎と共にその場を後にした。
その頃、京に行った秀吉の首尾も捗々しくなかった。秀吉の訴えを聞いても、信長の考えは変わらない。上月城を見捨てろと言われた秀吉は、すべてを悟って播磨に戻って来た。
その翌日の六月二十一日。毛利勢が高倉山の羽柴勢に襲い掛かる。秀吉と村重は敗北を喫して陣を後退させた。これを見た上月城の城兵の一部は援軍を諦め、城を捨てて逃げた。
戻って来た義太夫の報告を聞いた一益は、兵をあげるかどうするか、迷っていた。義太夫を上月城に送り出す前から、気になっていることがある。
(どうも、この戦は妙だ)
丹波に行って明智光秀に会い、その挙動を目にし、今度は播磨で羽柴秀吉と荒木村重に会った。力関係はほぼ同じ。しかしこの三人が三人とも、味方といえども大した信頼関係はなく、互いを意識し、その動向をうかがっている節がある。
「羽柴殿も余程に焦っておいでのようで」
物見の報告を聞いた義太夫がそう告げた。
「何があった?」
「羽柴殿が陣所にと頼みいれた生石なる神社で無下に断られ、怒って火をかけたとのことにござります」
腹立ちまぎれに焼き討ちとは感心しない。
(上月城を諦めきれないのか)
それは秀吉ばかりではなく、一度は与力として共に戦った荒木村重も、明智光秀も同じ思いの筈だ。しかし皆で一丸となって上月城を救援しようという空気でもない。
(やはり妙だな…)
秀吉の神社焼き討ちは、本当に、焦りや腹立ちから出たものだろうか。敵がいるわけでもない神社の焼き討ちが戦略的に意味のあるものとは思えない。むしろ織田家に従う国人衆の反感を買うだけではないだろうか。
(何の意味があるというのか)
そもそも何故、播磨衆は叛旗を翻したのか。加賀で会った時、秀吉は救援に行く七尾城よりも、中国の情勢を気にしている様子だった。
(播磨で何かがあったのか…)
怪しいとすれば、
(皆がこだわる上月城)
上月城は播磨・備前・美作の三国に跨る要所だ。元々は毛利家に味方する赤松氏が城主だった。
「義太夫。ここ一年、播磨で何があったのか調べて参れ」
中国攻めを担っていた荒木村重に変わり、秀吉が播磨へ進軍したのは昨年十月。能登で七尾城救援の際、勝家と袂を分かち、勝手に兵をひいた後になる。
思い返せば村重からの引継ぎは不自然なほど早かった。播磨の国人衆は秀吉が播磨入りするかしないかのうちに、次々に織田家に恭順している。
(手際がよすぎる)
秀吉は以前から中国の取次役を狙って、調略の手を伸ばしていたのではないだろうか。
(能登で時間を取られれば、また村重に取次役を奪われかねない。そこで策を講じ、わざと柴田修理を怒らせ、戦線を離脱した)
結果を見れば、そう考えるのが妥当だ。
ところが村重と立場が逆転したことで、今度は自分の地位が奪われることを恐れるようになった。その結果、播磨で虚勢を張り、力で強引に国人衆を抑えつけようとしたのではないだろうか。
「いやはや人使いの荒い殿じゃ~。いかにこの義太夫が有能な家臣といえども、身の痩せる思いにて」
義太夫が汗をかきながら賑やかに戻ってきた。
「何かわかったか」
「無論。物見の義太夫と言われたそれがしが探れば、分からぬことなどありませぬ」
義太夫が胸を張ってそう言うので、一益は苦笑して、
「よう分かっておるゆえ、早う申せ」
「これがまた、意外というか…なんとも…」
「意外…とは?」
「播磨衆と羽柴殿との確執は昨年の上月城攻めからでござります」
秀吉は播磨衆をうまく纏めて兵を進めているものと思っていたが、そうではなかったようだ。
(やはり上月城か)
秀吉は昨年十一月、三万の軍勢で赤松城を取り囲み、水の手を断った。城主赤松政範は降伏の意を伝えてきたが、秀吉はそれを拒絶。三重の垣根で城を囲むと猛攻撃を仕掛けた。城主は一族もろとも自害。それを見た秀吉は女子供を除いた城兵を全員なで斬り。捕えた子供は串刺し、女は磔にして敵味方に晒した。その数はおよそ二百人。話は播磨一円に広がり、国衆たちはあまりの残虐行為に反発し、その後、秀吉と与力たちとの関係が急速に悪化した。
(それがあやつの本性か…)
信長や一益の前で見せている姿とは大きく違う。女子供を殺すことで敵味方を恐れさせることができると考えたのだろうか。
「呆れたものよ…それで?」
「不満が鬱積していたところに、軍議の席上での羽柴殿の横暴な態度が目に付き、更には別所家は名家。それゆえ、下人の子の下知などは受けられぬ等々の一門衆の声があがり、離反に至ったと。播磨では皆々、口々にそう話しておりまする」
帰するところ、集められた織田家の諸将は皆、秀吉の失敗の尻ぬぐいにきているようなものだ。しかし秀吉が原因で離反したとなると、播磨の攻略は難しくなってくる。いつも通りの調略では無理だ。
どうしたものかと思案していると、検使として万見仙千代が現れた。
「神吉城攻撃のお許しがでました。秋田城介様を大将に、皆々様にはこれより神吉城を攻略するようにとの上様からの下知でござります」
それだけ告げると足早に陣営を出て行った。秀吉の元に向かうようだ。
「まこと嫌な奴じゃ。我らを見張っているかのような…」
義太夫がそう言うと、新介も頷き、
「あれは、見張っているかのようではなく、見張っておるのじゃ。虎の威を借る狐めが」
万見仙千代自身に罪はなく、ただ信長の命に従っているだけなのだが、仙千代を嫌っているのは一人二人ではない。
(日野で農夫を斬ったのも上様の命であろう)
忠三郎には言わなかったが、信長は戦場で死者の甲冑を物色する農夫を毛嫌いしている。安土築城の折に商人を斬ったのは万見仙千代の独断かもしれないが、上洛戦の折に農夫を斬ったのは独断ではないだろう。信長は行軍の行く手に農夫がいれば、問答無用で斬れと下知している。そして信長に対する家臣たちの不満はみな、信長本人ではなく、馬廻り衆に向けられる。
とはいえ、信長の目が光っている以上、言われたとおりにする以外にはない。
「新介。神吉城の物見は戻っておろうな」
「ハッ。堅固な城にて、時をかけて調べましてござります」
神吉城の築城は今を遡ること百年ほど前になる。四方に空堀があり、さらに外構、曲輪まである惣構えの堅固な城だ。
時間をかけてはおられぬと、力攻めの命が下り、織田勢三万の総がかりで攻めたてたが、城はなかなか落ちなかった。
(海賊衆が来て毛利海賊を打ち破り、同時に志方城、神吉城を落とせば、あるいは上月城の救援に向かうことができるかもしれない)
秀吉と村重は三木城攻略に向かっている。一益はここで信忠本隊とともに志方城、神吉城を落とし、三木城を裸城にした上で上月城へ向かわなければならない。
「力攻めでは城は落ちぬ。義太夫、金堀衆を入れ、地下から城へ入り込め」
「ハハッ、久々の土竜攻めでござりますな。では早速に」
少し時間はかかるが、確実な手を打ち、城を落としていくことにした。
翌日、織田海賊の鉄船が雑賀衆の海賊を打ち破ったとの知らせが届いた。
「鉄船が紀州沖まで来ておるのか」
「はい!九鬼殿の船とともに我が滝川の白船もすぐそばまで来ておりまする」
大湊を出てから連絡が途絶えていたが、あと一歩というところまで来ている。
「殿!二の丸まで到達しましたぞ」
金堀衆と共にせっせと穴を掘っていた義太夫が、顔を埃まみれにしてそう告げた。
「よし、義太夫。大筒を持って二の丸へ参るぞ」
「殿自ら先陣を…」
珍しいことなので義太夫も新介も驚いている。
抜け穴を通り、二の丸に侵入すると隊を二手に分け、櫓を組ませる傍らで、鉄砲を撃ち込ませた。更に櫓ができると、そこから大筒を撃たせ、その傍ら、東の丸に続く抜け穴を掘っていく。
「ご注進!我が海賊衆が淡輪沖で敵船を打ち破り、勝利をおさめました!」
伝令の声が響き、吉報に味方の兵が奮い立つ。
「三九郎様が、ついに敵の海賊どもを打ち負かしてくださりましたな!」
道家彦八郎が嬉しそうにそう言って、鉄砲に弾を込める。
「おお、これで上月城も脱出できよう。我らは東の丸目指して突き進むぞ」
東の丸まで突き進み、敵を制圧すれば城主のいる中の丸に王手をかけられる。中の丸から天守までなら火矢が届く。火をかけられれば敵も降伏せざるを得ないだろう。
抜け穴を通った味方の兵が二の丸を制圧し、先へ続く抜け道が東の丸まで貫通したのはその三日後。
例のごとく櫓を組み、木全彦次郎に弾込めさせて一益自らがその上に立って鉄砲を撃っていると、三九郎たちが堺港に到達したとの知らせを受けた。
「海賊衆に負けるな。我らも東の丸を制圧するのじゃ!」
味方の兵を鼓舞しつつ、敵兵目掛けて銃を撃ち込む。
「降りてきてくだされ。危のうござります」
義太夫が下から声をかけてくるが、一益はかまわず、
「塀を取り壊し、敵のいる櫓に火を放て」
城への侵入が成功したころから、敵の戦意は失われつつある。あと一歩だ。
そこへ悲報がもたらされた。
「殿!上月城が落ちました!」
義太夫が走ってきて、そう叫んだ。
「城の者どもは?」
「城兵の命と引き換えに尼子一族は切腹。山中鹿介殿は敵に捕らわれたとの知らせにござります」
城から脱出することはできたはずだ。なぜ逃げなかったのだろう。もはや織田には頼れないと、見切りをつけたのだろうか。しかし、鹿介はまだ諦めていないらしい。捕らわれても尚、脱出の機会を狙っているに違いない。
「口惜しや…みすみす味方を目の前で死なせるとは…」
臍を噛んだその時、敵兵の放った一発の銃弾が隣にいた木全彦次郎の太ももを貫通した。彦次郎が崩れ落ちるようにその場に倒れ、一益は慌てて振り返り彦次郎を庇う。その上から矢が雨あられと降り注いだ。
「殿!」
新介が弓兵めがけて大筒を撃ち込むと大きな音が轟き、五人ほどの弓兵が吹き飛ばされるのが見えた。その隙に一益が彦次郎を抱えて櫓から降りる。
「彦次郎、大事ないか」
「なんのこれしき…かすり傷でござります」
彦次郎は顔を歪めて足を押さえた。おびただしい血が流れ出ている。
「新介、彦次郎を急ぎ運びだせ」
「ハッ。したが殿の手傷は…」
慌てふためく義太夫と新介の前で、左腕に刺さった矢を引き抜いた。
「大事ない。このまま東の丸に向かう。義太夫、法螺を吹け」
「ハハッ」
一益は兵を纏めて東の丸を制圧し、ついに城主、神吉則実のいる中の丸に迫った。
織田勢の猛攻に、ついに音を上げた城方からは何度も和睦の使者が送られてきていた。
「城介様が降伏は認められぬと仰せで」
信長の意向と思われたが、これで、敵兵が死にもの狂いで襲い掛かかってくる理由がわかった。降伏を拒絶された敵は、命を捨てて戦うしかない。
(度々検使が現れている以上、上様の命には背けまい)
味方の損害も覚悟の上なのだから、如何ともしがたい。
一益は城門を開け、西の丸から攻め入る荒木村重の兵を城内に入れる。
「火矢と飛火炬で射掛け、天守に火をかけよ」
味方の兵が次々に抜け穴を通って東の丸に姿を現し、天守に向かって火を放つ。折からの強風で火は瞬く間に広がった。天守は真っ赤に燃え上がり、播磨の空を赤々と染めた。
こうして神吉城は落城した。一益は信忠本隊とともに三木城の支城、志方城を攻撃していた北畠三介に合流した。そこで毛利に捕らわれていた山中鹿介の死を知らされる。
最後の最後まで脱出の機会をうかがっていた山中鹿介は毛利輝元の陣に連れていかれる途中、刺客により命を奪われた。
(これで、更に播磨統治は難しくなった)
播磨、そして戦略的重要拠点である上月城に精通していた山中鹿介を失ったことは織田家にとっては大きな痛手になる。
八月に入り、志方城内では疫病が蔓延。城主が降伏を申し入れてきた。こうして損害を出しつつも志方城を掌中に収めた。戦後処理を終え、攻略した城を羽柴秀吉に任せて、信忠本隊は京へ引き上げ、一益は明智光秀とともに丹波攻めに戻ることになった。
明石まで行軍したところで、京にいる信長の下知を待つことになった。ところが毛利の動向を窺うばかりで、待てど暮らせど一向に信長からの許しがでない。
「これでは上月城の兵糧がもたぬわ~。上様は如何なされておいでなのじゃ」
秀吉が焦って各将の陣営を飛び歩いては騒いでいる。しかし、五月も後半を迎え、六月になっても信長からの下知は下りなかった。待ちきれなくなった秀吉は荒木村重を引き連れて軍勢を進め、播磨の奥地、高倉山なる山に陣を敷いたとの知らせを送って来た。上月城まであと五里のところまで迫ったことになる。
「拙いな。新介、筑前のところまで行き、それ以上進軍するなと伝えて参れ」
「ハハッ」
秀吉の軍勢は荒木村重の兵と合わせても一万足らず。毛利の大軍に囲まれればひとたまりもない。
ところが戻って来た新介が意外なことを言った。
「あの軍勢の中には羽柴殿はおられませぬ」
「何、筑前がおらぬと?」
「はい。羽柴殿は単身、京にいる上様の元へ向かったと」
痺れを切らして兵を荒木村重に任せ、信長の元に走ったようだ。
「羽柴殿も毛利の大軍がいつ襲ってくるか分からぬ時に、大胆なことをなさいますな」
新介が半ば呆れたように言うが、羽柴の陣には荒木村重だけではなく、軍師の竹中半兵衛がいる。秀吉一人いなくとも、問題ないのだろう。
「新介、三九郎からの知らせはまだか」
「いえ、それが、未だ何とも…」
何日も前から三九郎からの知らせを待っているが、なかなか来ない。
(三九郎たちが間に合えば…)
待ちに待った鉄甲船が完成し、九鬼嘉隆とともに三九郎が大湊を出たとの知らせは、すでに届いている。阿武船の進軍には時間がかかる。間に合うかどうか、際どいところだが三九郎たちが到達して毛利海賊を打ち破れば、戦局は大きく変わる。
一益は手を打って義太夫を呼んだ。
「義太夫、助九郎を連れて上月城へ行ってくれぬか」
「は、あの…毛利の大軍が取り囲んでいる城へ…。いやぁ、それは…」
「岩村城よりも余程入りやすい。上月城へ行って山中鹿介に伝えてほしいことがある」
岩村城のことを持ち出されてはグゥの音もでない。義太夫はしぶしぶ頷き使者に立った。
五畿七道のひとつで、古代からあると言われる山陽道。都から大宰府に通じる道として親しまれているが、瀬戸内海に面しているため度々天災に見舞われ、そのたびに道が少しずつ移動しているらしい。
甲賀をはじめとする鈴鹿の山々を越えることを考えれば、上月城までの道はさして苦でもない。途中、噂の村上海賊らしき船影が黒山のように見えたが、義太夫自身は海賊を任されていないので、これもさして気にもならない。気になることといえば、助九郎を伴い、人の城に忍び込むことは岩村城以来で、今は亡きおつやの方を思い出すことくらいだ。
「人遣いの荒い殿じゃ。この先の城に、見目麗しい女子が待っているのであれば、この道も苦にはならぬのじゃが…」
暇さえあればこんなことばかり考えている、この名ばかり家老の呆れた言い草に、滝川助九郎も疲れを覚える。
「義太夫殿は少し心根を入れ替えては如何なものか…」
「わしは戦国の在五中将(在原業平)じゃ。まぁ、在五中将は略才学無し、などと言われておるが、わしは学有り有りよ」
学有り有りとは…。助九郎が閉口する。義太夫はそんな助九郎を振り返り、うそぶく。
「堅いことばかり申すな。何か面白きことがなければ、かような辛いお役目は果たせぬわ」
二人は易々と毛利の包囲を突破し、上月城へ入った。驚く城兵に名を告げ、山中鹿介に謁見したいと告げると、本丸にある櫓に案内された。促されるままについていくと、にわかに背に炎を背負った巨大な石仏が現れ、義太夫は腰を抜かしそうになった。後ずさりしながら恐々と石仏を見ると、こちらをギロリと睨んでいるようだ。
「恐ろし気な顔じゃ…。背中が火事じゃ」
「あれは大日如来の化身、お不動様ではありますまいか。煩悩をもつ者を力づくで救うと言いますぞ。義太夫殿にはまさに必要なご利益では?」
「何を申す。わしには煩悩などない。それよりも、なにゆえに大日如来が刀をもっておるのか」
「あれは倶利伽羅剣。義太夫殿の心根のような、よこしまな心を断ち切る剣でござります」
どこまでが本気なのか。助九郎に真面目な顔してそう言われると、ますます恐ろしくなる。とんでもないところに連れてこられたと、辺りをそわそわと見回しながら、薄暗く、不気味な通路を歩いていく。やがて奥から何かを唱える声が聞こえてきた。
「ノウマク・サンマンダ・バザラダン・センダン・マカロシャダ・ソワタヤ・ウンタラタ・カンマン」
屈強な侍が手で印を結び、燃え上がる炎の前で何かを唱えている。
(見目麗しい女子どころか…目を疑うような怪しげな男が、おどろおどろしい呪文を唱えておるではないか…)
山中鹿介がこんな怪しげな呪術師めいた男とは聞いていない。このまま踵を返して帰りたくなった。
「助九郎、帰るか」
「何をたわけたことを。ここまで来て何を仰せになるか」
致し方なく気を取り直し、恐る恐る、話しかけようとした。すると助九郎がそれを留める。
「義太夫殿。あれは真言。何度か繰り返し、途中で止めるとご利益がなくなると申します。しばしお待ちを」
「ほぉ…何度か、とは何度繰り返すのじゃ」
「三回、七回、二十一回、百八回、千八十回のいずれかでござります」
「せ、千……まことかや…これが一回目であれば何とする?…しかも…あれは一体、何を言うとるんじゃ」
「はて、それは…」
不動明王の真言はサンスクリット語といい、古代インド・アーリア語に属する言葉だ。当然、助九郎にもその意味はわからない。
二人は炎の熱さに耐えながら、じっと呪文が終わるのを待った。苦行を強いられているような熱さだ。やがて、山陰の麒麟児と呼ばれた男がこちらを振り向いた。
「何者であるか」
「ハッ、それがしは滝川左近が甥の滝川義太夫でござります」
それを聞くと、鹿介は大きく目を見開き、
「おお。織田の援軍がついにここまで!」
「あ、いえ…あの…そうではなく…むしろ、その逆でござります」
喜ぶ鹿介には伝えにくい内容であったが、言わざるを得ない。
「陸からの後詰はないものを思うていただきたい。しかるに海では勝算があり申す。我が海賊衆が大坂表に現れ、毛利の海賊を撃退したときこそ好機。敵は浮き足だち、大坂へと兵を差し向けるか、撤退するやもしれませぬ。尼子殿にはその敵の隙を付き、この城を脱出して我らと合流していただきたいと、主、左近が申しておりまする」
鹿介は瞬きもせずに義太夫の顔を見ていたが、やがて眼を伏せ、
「後詰がないとは…織田の御大将は…我らを助けには参られぬのじゃな」
ひどく気落ちした声でそう言った。信長に見捨てられたことが分かったようだ。かつて信長は鹿介を気に入って馬まで下賜したと聞いたことがある。
その信長は援軍どころか、安土に帰ろうとしていた。
「いや…秋田城介様が総大将として明石に御着到なされておいでで…」
義太夫のその言葉も、鹿介の耳には届いていない。信長の出馬がなければ毛利に勝つことはできないと思っている。
「大儀であった。左近殿によしなに…」
鹿介は短くそう言うと、再び背を向け、印を組み、呪文を唱えだした。
どんな呪いをかけられるかと生きた心地もしなかったが、案外、あっさりと諦めたようだ。
義太夫は何か言おうとしたが、言葉が見つからず、鹿介の背中に深々と一礼すると、後ろ髪引かれる思いで助九郎と共にその場を後にした。
その頃、京に行った秀吉の首尾も捗々しくなかった。秀吉の訴えを聞いても、信長の考えは変わらない。上月城を見捨てろと言われた秀吉は、すべてを悟って播磨に戻って来た。
その翌日の六月二十一日。毛利勢が高倉山の羽柴勢に襲い掛かる。秀吉と村重は敗北を喫して陣を後退させた。これを見た上月城の城兵の一部は援軍を諦め、城を捨てて逃げた。
戻って来た義太夫の報告を聞いた一益は、兵をあげるかどうするか、迷っていた。義太夫を上月城に送り出す前から、気になっていることがある。
(どうも、この戦は妙だ)
丹波に行って明智光秀に会い、その挙動を目にし、今度は播磨で羽柴秀吉と荒木村重に会った。力関係はほぼ同じ。しかしこの三人が三人とも、味方といえども大した信頼関係はなく、互いを意識し、その動向をうかがっている節がある。
「羽柴殿も余程に焦っておいでのようで」
物見の報告を聞いた義太夫がそう告げた。
「何があった?」
「羽柴殿が陣所にと頼みいれた生石なる神社で無下に断られ、怒って火をかけたとのことにござります」
腹立ちまぎれに焼き討ちとは感心しない。
(上月城を諦めきれないのか)
それは秀吉ばかりではなく、一度は与力として共に戦った荒木村重も、明智光秀も同じ思いの筈だ。しかし皆で一丸となって上月城を救援しようという空気でもない。
(やはり妙だな…)
秀吉の神社焼き討ちは、本当に、焦りや腹立ちから出たものだろうか。敵がいるわけでもない神社の焼き討ちが戦略的に意味のあるものとは思えない。むしろ織田家に従う国人衆の反感を買うだけではないだろうか。
(何の意味があるというのか)
そもそも何故、播磨衆は叛旗を翻したのか。加賀で会った時、秀吉は救援に行く七尾城よりも、中国の情勢を気にしている様子だった。
(播磨で何かがあったのか…)
怪しいとすれば、
(皆がこだわる上月城)
上月城は播磨・備前・美作の三国に跨る要所だ。元々は毛利家に味方する赤松氏が城主だった。
「義太夫。ここ一年、播磨で何があったのか調べて参れ」
中国攻めを担っていた荒木村重に変わり、秀吉が播磨へ進軍したのは昨年十月。能登で七尾城救援の際、勝家と袂を分かち、勝手に兵をひいた後になる。
思い返せば村重からの引継ぎは不自然なほど早かった。播磨の国人衆は秀吉が播磨入りするかしないかのうちに、次々に織田家に恭順している。
(手際がよすぎる)
秀吉は以前から中国の取次役を狙って、調略の手を伸ばしていたのではないだろうか。
(能登で時間を取られれば、また村重に取次役を奪われかねない。そこで策を講じ、わざと柴田修理を怒らせ、戦線を離脱した)
結果を見れば、そう考えるのが妥当だ。
ところが村重と立場が逆転したことで、今度は自分の地位が奪われることを恐れるようになった。その結果、播磨で虚勢を張り、力で強引に国人衆を抑えつけようとしたのではないだろうか。
「いやはや人使いの荒い殿じゃ~。いかにこの義太夫が有能な家臣といえども、身の痩せる思いにて」
義太夫が汗をかきながら賑やかに戻ってきた。
「何かわかったか」
「無論。物見の義太夫と言われたそれがしが探れば、分からぬことなどありませぬ」
義太夫が胸を張ってそう言うので、一益は苦笑して、
「よう分かっておるゆえ、早う申せ」
「これがまた、意外というか…なんとも…」
「意外…とは?」
「播磨衆と羽柴殿との確執は昨年の上月城攻めからでござります」
秀吉は播磨衆をうまく纏めて兵を進めているものと思っていたが、そうではなかったようだ。
(やはり上月城か)
秀吉は昨年十一月、三万の軍勢で赤松城を取り囲み、水の手を断った。城主赤松政範は降伏の意を伝えてきたが、秀吉はそれを拒絶。三重の垣根で城を囲むと猛攻撃を仕掛けた。城主は一族もろとも自害。それを見た秀吉は女子供を除いた城兵を全員なで斬り。捕えた子供は串刺し、女は磔にして敵味方に晒した。その数はおよそ二百人。話は播磨一円に広がり、国衆たちはあまりの残虐行為に反発し、その後、秀吉と与力たちとの関係が急速に悪化した。
(それがあやつの本性か…)
信長や一益の前で見せている姿とは大きく違う。女子供を殺すことで敵味方を恐れさせることができると考えたのだろうか。
「呆れたものよ…それで?」
「不満が鬱積していたところに、軍議の席上での羽柴殿の横暴な態度が目に付き、更には別所家は名家。それゆえ、下人の子の下知などは受けられぬ等々の一門衆の声があがり、離反に至ったと。播磨では皆々、口々にそう話しておりまする」
帰するところ、集められた織田家の諸将は皆、秀吉の失敗の尻ぬぐいにきているようなものだ。しかし秀吉が原因で離反したとなると、播磨の攻略は難しくなってくる。いつも通りの調略では無理だ。
どうしたものかと思案していると、検使として万見仙千代が現れた。
「神吉城攻撃のお許しがでました。秋田城介様を大将に、皆々様にはこれより神吉城を攻略するようにとの上様からの下知でござります」
それだけ告げると足早に陣営を出て行った。秀吉の元に向かうようだ。
「まこと嫌な奴じゃ。我らを見張っているかのような…」
義太夫がそう言うと、新介も頷き、
「あれは、見張っているかのようではなく、見張っておるのじゃ。虎の威を借る狐めが」
万見仙千代自身に罪はなく、ただ信長の命に従っているだけなのだが、仙千代を嫌っているのは一人二人ではない。
(日野で農夫を斬ったのも上様の命であろう)
忠三郎には言わなかったが、信長は戦場で死者の甲冑を物色する農夫を毛嫌いしている。安土築城の折に商人を斬ったのは万見仙千代の独断かもしれないが、上洛戦の折に農夫を斬ったのは独断ではないだろう。信長は行軍の行く手に農夫がいれば、問答無用で斬れと下知している。そして信長に対する家臣たちの不満はみな、信長本人ではなく、馬廻り衆に向けられる。
とはいえ、信長の目が光っている以上、言われたとおりにする以外にはない。
「新介。神吉城の物見は戻っておろうな」
「ハッ。堅固な城にて、時をかけて調べましてござります」
神吉城の築城は今を遡ること百年ほど前になる。四方に空堀があり、さらに外構、曲輪まである惣構えの堅固な城だ。
時間をかけてはおられぬと、力攻めの命が下り、織田勢三万の総がかりで攻めたてたが、城はなかなか落ちなかった。
(海賊衆が来て毛利海賊を打ち破り、同時に志方城、神吉城を落とせば、あるいは上月城の救援に向かうことができるかもしれない)
秀吉と村重は三木城攻略に向かっている。一益はここで信忠本隊とともに志方城、神吉城を落とし、三木城を裸城にした上で上月城へ向かわなければならない。
「力攻めでは城は落ちぬ。義太夫、金堀衆を入れ、地下から城へ入り込め」
「ハハッ、久々の土竜攻めでござりますな。では早速に」
少し時間はかかるが、確実な手を打ち、城を落としていくことにした。
翌日、織田海賊の鉄船が雑賀衆の海賊を打ち破ったとの知らせが届いた。
「鉄船が紀州沖まで来ておるのか」
「はい!九鬼殿の船とともに我が滝川の白船もすぐそばまで来ておりまする」
大湊を出てから連絡が途絶えていたが、あと一歩というところまで来ている。
「殿!二の丸まで到達しましたぞ」
金堀衆と共にせっせと穴を掘っていた義太夫が、顔を埃まみれにしてそう告げた。
「よし、義太夫。大筒を持って二の丸へ参るぞ」
「殿自ら先陣を…」
珍しいことなので義太夫も新介も驚いている。
抜け穴を通り、二の丸に侵入すると隊を二手に分け、櫓を組ませる傍らで、鉄砲を撃ち込ませた。更に櫓ができると、そこから大筒を撃たせ、その傍ら、東の丸に続く抜け穴を掘っていく。
「ご注進!我が海賊衆が淡輪沖で敵船を打ち破り、勝利をおさめました!」
伝令の声が響き、吉報に味方の兵が奮い立つ。
「三九郎様が、ついに敵の海賊どもを打ち負かしてくださりましたな!」
道家彦八郎が嬉しそうにそう言って、鉄砲に弾を込める。
「おお、これで上月城も脱出できよう。我らは東の丸目指して突き進むぞ」
東の丸まで突き進み、敵を制圧すれば城主のいる中の丸に王手をかけられる。中の丸から天守までなら火矢が届く。火をかけられれば敵も降伏せざるを得ないだろう。
抜け穴を通った味方の兵が二の丸を制圧し、先へ続く抜け道が東の丸まで貫通したのはその三日後。
例のごとく櫓を組み、木全彦次郎に弾込めさせて一益自らがその上に立って鉄砲を撃っていると、三九郎たちが堺港に到達したとの知らせを受けた。
「海賊衆に負けるな。我らも東の丸を制圧するのじゃ!」
味方の兵を鼓舞しつつ、敵兵目掛けて銃を撃ち込む。
「降りてきてくだされ。危のうござります」
義太夫が下から声をかけてくるが、一益はかまわず、
「塀を取り壊し、敵のいる櫓に火を放て」
城への侵入が成功したころから、敵の戦意は失われつつある。あと一歩だ。
そこへ悲報がもたらされた。
「殿!上月城が落ちました!」
義太夫が走ってきて、そう叫んだ。
「城の者どもは?」
「城兵の命と引き換えに尼子一族は切腹。山中鹿介殿は敵に捕らわれたとの知らせにござります」
城から脱出することはできたはずだ。なぜ逃げなかったのだろう。もはや織田には頼れないと、見切りをつけたのだろうか。しかし、鹿介はまだ諦めていないらしい。捕らわれても尚、脱出の機会を狙っているに違いない。
「口惜しや…みすみす味方を目の前で死なせるとは…」
臍を噛んだその時、敵兵の放った一発の銃弾が隣にいた木全彦次郎の太ももを貫通した。彦次郎が崩れ落ちるようにその場に倒れ、一益は慌てて振り返り彦次郎を庇う。その上から矢が雨あられと降り注いだ。
「殿!」
新介が弓兵めがけて大筒を撃ち込むと大きな音が轟き、五人ほどの弓兵が吹き飛ばされるのが見えた。その隙に一益が彦次郎を抱えて櫓から降りる。
「彦次郎、大事ないか」
「なんのこれしき…かすり傷でござります」
彦次郎は顔を歪めて足を押さえた。おびただしい血が流れ出ている。
「新介、彦次郎を急ぎ運びだせ」
「ハッ。したが殿の手傷は…」
慌てふためく義太夫と新介の前で、左腕に刺さった矢を引き抜いた。
「大事ない。このまま東の丸に向かう。義太夫、法螺を吹け」
「ハハッ」
一益は兵を纏めて東の丸を制圧し、ついに城主、神吉則実のいる中の丸に迫った。
織田勢の猛攻に、ついに音を上げた城方からは何度も和睦の使者が送られてきていた。
「城介様が降伏は認められぬと仰せで」
信長の意向と思われたが、これで、敵兵が死にもの狂いで襲い掛かかってくる理由がわかった。降伏を拒絶された敵は、命を捨てて戦うしかない。
(度々検使が現れている以上、上様の命には背けまい)
味方の損害も覚悟の上なのだから、如何ともしがたい。
一益は城門を開け、西の丸から攻め入る荒木村重の兵を城内に入れる。
「火矢と飛火炬で射掛け、天守に火をかけよ」
味方の兵が次々に抜け穴を通って東の丸に姿を現し、天守に向かって火を放つ。折からの強風で火は瞬く間に広がった。天守は真っ赤に燃え上がり、播磨の空を赤々と染めた。
こうして神吉城は落城した。一益は信忠本隊とともに三木城の支城、志方城を攻撃していた北畠三介に合流した。そこで毛利に捕らわれていた山中鹿介の死を知らされる。
最後の最後まで脱出の機会をうかがっていた山中鹿介は毛利輝元の陣に連れていかれる途中、刺客により命を奪われた。
(これで、更に播磨統治は難しくなった)
播磨、そして戦略的重要拠点である上月城に精通していた山中鹿介を失ったことは織田家にとっては大きな痛手になる。
八月に入り、志方城内では疫病が蔓延。城主が降伏を申し入れてきた。こうして損害を出しつつも志方城を掌中に収めた。戦後処理を終え、攻略した城を羽柴秀吉に任せて、信忠本隊は京へ引き上げ、一益は明智光秀とともに丹波攻めに戻ることになった。
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