滝川家の人びと

卯花月影

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5 狂せる者

5-4 傾国傾姫

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 三九郎はお虎の待つ日野中野城へ立ち寄ってから北伊勢へ戻るつもりだった。
 ところが、忠三郎と義太夫の二人が道中、京へ向かうといいだした。
「ぬしらはたびたび都へ行っておるのう…都で何をしておるのじゃ」
 前々から疑問に思っていたことを尋ねると、二人は目配せして笑い、付き従う町野長門守は困惑した顔をして、滝川助太郎はあきれ顔だ。
「これは義兄上には内密に頼む」
 忠三郎が笑ってそう言う。何やら不穏な雲行きに三九郎が怪訝な顔をすると義太夫が、
「ひと月ほど前、桑名で怪しい老女と、老女の従者十名をとらえました。これがあろうことか、国中で見目麗しい女子を見つけては騙してさらう人さらいでござりました」
 よく聞く話だ。つい数か月前まで各地が戦場だった北伊勢ならばなおのこと、そういった不逞の輩がいてもおかしくはない。
 当然、厳罰に処すべきところ、義太夫はその人さらい集団をあっさり解き放ったという。
「なにゆえにそのような?」
「これはくれぐれも内密に…」
 と義太夫はあたりを伺いながら小声になり
「これがなんと、上様のご命令で女子をさらっておると申しまする」
「上様の?!」
 老女が苦し紛れにでたらめなことを言っていると思い調べさせたところ、驚くことに老女の言うとおりだった。老女は北伊勢だけではなく、各地を巡って若く美しい妻女を見つけては騙したり脅したりして京へ連れ帰っていた。
「咎めるわけにもいかず、致し方なく、老女と取引をいたしました」
「取引?」
「解き放つ代わりに、北伊勢では女子はさらわぬこと、それと…」
 義太夫が京へいったときには、さらってきた中から数人を滝川家の京屋敷につれてくること。
「それは拙いではないか。女遊びと博打は固く禁じられていた筈」
 生真面目な三九郎が顔色を変えると、義太夫はいやいやと笑って
「傾城町(遊郭)に行くわけではありませぬ。我が家の屋敷におけることにて」
「屋敷でそのようなことをして、父上に内密にできるものではなかろう」
「そこは、家人どもにも口留めしておりまする」
 そんな口留めにどんな意味があるというのか。
(父上は義太夫に甘いからな)
 一益に知られてもかまわないと思ってやっているのだろう。
「万一、老婆の口から上様に漏れたらなんとする?」
 そんなことが信長の耳に入ったらと考えただけでも恐ろしい。しかし、今度は忠三郎が笑って、
「案ずるな。老女には我が家からたんと金を払うておる」
「それもこれも、奥方に冷たくされている鶴を思うてのことでござりまする」
「義太夫。わしのためばかりではなかろう。そちも独り身ゆえに人肌恋しいのと何やかや申して…」
 二人の呆れた会話が延々と続く。三九郎がチラと振り返ると、助太郎が眉をひそめて耳打ちする。
「三九郎様、このような巧みな言葉にたぶらかされてはなりませぬ。日野でお虎殿がお待ちの筈。古来より、酒と女に溺れて国を滅ぼした例は枚挙のいとまもなきこと」
「そなたのいうこと、尤もじゃ」
 二人が引き留めるのを振り切り、三九郎は一人、日野へ向かった。

 三九郎はお虎に会うと、懐から大事そうに包みを取り出した。
「これは?」
「南蛮の薬草から作った薬じゃ。上様が伊吹山で南蛮人から手に入れた薬草を育てておるのを母上がもろうてくれた」
 伊吹山の一角に、信長がポルトガル人宣教師から入手した薬草が約三千種、生育している。
 信長が六郎を案じる風花に渡したもので、三九郎がお虎に会うというと風花が持たせてくれた。
「父上に…飲ませてみるがよい」
「三九郎殿…忝のうござります」
 お虎が嬉しそうに押し頂くのを見て、三九郎も温かい気持ちになった。
「上様は恐ろしいお方と聞き及びましたが、お子たちにはお優しいお方」
 上様と言えば…ふと、義太夫の話を思い出した。
「兄上は義太夫殿と都へ?」
「さ、然様。なにやら都でやらねばならぬことがあると申し…」
 嘘をつくのは心苦しかったが、お虎にはとても言えない話だ。
「兄上はここ一年、義太夫殿とよう都に行かれ、なかなかお戻りにはなりませぬ」
 お虎が言うほど、都に入り浸っているのだろうか。
(戦さがないときは都か…)
 戦場にいるときとは別人のように、何かから逃げているようにさえ思える。色々とあるらしいことは察しているが、忠三郎は一益以外の人間には何も話さない。
 連れ立って遊び歩く義太夫はというと、国に帰れば一椀の飯に一椀の汁という質素な暮らしが続いているらしい。時折、都で羽を伸ばしていることは一益の耳にも入っているだろうが、大目に見てやっているようだ。
 
 二日後、日野中野城の吹雪のもとに、風花のもとから滝川藤九郎が来た。
 岐阜に遊びに来いという。
「はて…珍しいこともあるのう」
 首をかしげる吹雪に、藤九郎が、
「御台様が久方ぶりに姉上に会いたいと仰せでござりまする」
 風花は頷きながら、
「そうじゃのう。風や父上の顔も見たい。せっかく使いまで送ってくれたゆえ、岐阜に参ろうかのう」
 不思議に思いながらも、侍女を連れて岐阜に向かった。

 数日は戻ってこないと思われた忠三郎と義太夫が中野城に戻ったのは、風花が岐阜に向かった翌日だった。
「思うたよりも早いではないか」
 さも吹雪が城を開けるのを待っていたかのようだ。すると、義太夫が幾分焦った様子で、
「思わぬことが起こり、驚いた忠三郎が早馬で殿をここへ呼んでしまいました」
「なんと?もしや、それで吹雪殿をこの城から誘い出して岐阜へ…」
 妙だと思ったらそういうことだったのか。
「何が起きた?」
「それが…」
 京の屋敷に入り、いつものように老女に使いを送ったところ、老女がたいへんな剣幕で屋敷に怒鳴りこんできたという。
「何事かと思い、老女の話を聞いたところ…」
「上様が大層、贔屓にしていた女子が…」
 二人が代わる代わる説明する。まさか、と思い、次のことばを待っていると、
「その女子がみごもったと」
「おぬしらのせいと、老女はそう言うておるのか」
「まさか上様が贔屓にしている女子を連れてくるとは思いもよらぬことにて…」
 と義太夫が言い訳をはじまると、
「それは義太夫が、あれやこれやと女子にいちいち注文をつけたからではないか」
「いやいや、わしはおぬしのためを思うて少しでも見目麗しい女子がよいと思うてじゃな…だいたい、その女子がみごもったは、わしが酔いつぶれた隙に鶴が…」
「な、なにを申すか!義太夫!わしが先に酔いつぶれたのじゃ」
 忠三郎が血相変えてそう言う。つまりは二人のうちのどちらかのせいで、信長お気に入りの娘がみごもり、老女が腹を立てたと言うことらしい。
 三九郎はいつまでも言い争う二人を制して、
「それで…始末に困り、父上に泣きついたと」
 開いた口が塞がらないとはこのことだ。この二人は一体どんな顔をして一益に話すのだろうか。
「鶴…何故に殿に教えてしまったのじゃ。わしがお咎めを受けるではないか」
「では如何いたすか。上様に知られでもしたら、それこそ我が家の一大事じゃ」
 また二人がもめはじめると、一益の到着を告げる声が外から聞こえてきた。
「おお。義兄上が来て下された」
「殿じゃ。殿が来てしもうた。なんと申し開きをいたそう…」
 義太夫が頭を抱えて憐れな声を出し、忠三郎がホッと胸をなでおろす。
「兎も角、二人ともまずは、父上に詫びを入れるのが先であろう」
 三九郎がそう言うと、二人が顔を見合わせて頷いた。
 
 一益が忠三郎の居間に入り、人払いすると、忠三郎と義太夫は平伏して、
「まことに申し訳ございません」
 額を床につけて、頭を下げる。
 一益は二人を一瞥し、
「鶴の文だけではようわからぬ。表をあげ、事と次第を話してみよ」
 というので、二人はこれまでのいきさつを語って聞かせた。
 一益は怒るでもなく、呆れるでもなく、目を瞑って二人の話を聞いていたが、話が終わると、
「…で、鶴は、どう始末をつけようとしておる?」
「それは…」
 始末がつけられないと思ったから一益を呼んだのだ。
「その女子を側室にするつもりはないのじゃろう?」
「側室?そんなつもりは毛頭…雪との子もなせぬまま、さらわれてきた上様ごひいきの女子を側室に迎えるなど…」
 忠三郎はなんとも歯切れが悪い。生まれた子が男だったら更に拙いことになるのは分かっている。
 それを見て一益は黙って頷き、義太夫のほうを向く。
「義太夫は?妻帯する気になったか?」
「そ、それは…滅相もないことにて…万々一にも上様にそのようなことを知られては…」
 こちらも歯切れの悪い返事をする。
「その女子はどこからさらわれてきた?」
「それは…はて、どこであったかのう?」
 義太夫が忠三郎を見るが、忠三郎も分からないらしく首を傾げる。
「老女は、そなたが蒲生の者だと存じておるのか?」
「いえ。滝川家の家人と、伝えておりまする」
 当たり前のようにそう言ったので、一益は苦笑した。
「義兄上…まことに申し訳なき次第にて…」
「まぁ、よい。その女子を存じておるのは、町野長門守と助太郎か」
「はい。二人だけでござりまする」
 一益は頷いて、助太郎を呼んだ。
「助太郎、その方、例の女子を京からさらって岐阜の屋敷へ連れて参れ」
 といったので、二人は仰天した。
「それは一体?」
「子を産ませたのちに、国に帰す」
 忠三郎が慌てて、
「しかし老女が上様に…」
「いい加減、少し落ち着け」
 いつになく焦っている忠三郎にそう言う。
「よいか。上様がわしに、他国からさらってきた女に滝川家のものが手をだしたなどと、そのようなたわけたことを仰せになるわけがなかろう」
 一益にそう言われ、確かにそうだと二人とも安堵する。
「…で、殿…その子供は如何なさるおつもりで?」
 義太夫が恐る恐るそう尋ねる。忠三郎も不安そうな顔で一益を見ている。
 一益はそんな二人をちらりと見て、
「わしの子とする」
 二人はエッと驚き、二の句が継げない。
「そ、それは…あの…」
「鶴、風には何も話さず、吹雪殿を岐阜へ呼ぶようにと伝えた。後で、そなたから風が納得いくよう説明をしておけ」
「ハッ…それがしから…」
 忠三郎が言葉を詰まらせる。忠三郎は風花が苦手だ。どうも風花に嫌われているらしいと感じている。
「義太夫は閉門二十日とする。しばらく大人しゅう屋敷に籠っておれ」
「閉門二十日…ハ、ハハッ」
 覚悟していたよりも寛大な処置だったので、義太夫はホッと胸をなでおろす。
「二人ともこれに懲りて、行いを改めよ。次にやったら上様にこのことを申し上げるゆえ、よくよく肝に銘じておくように」
 さすがの二人も、返す言葉もなく、ただ平伏するのみだった。
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