滝川家の人びと

卯花月影

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5 狂せる者

5-1 海戦

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 一益は桑名にある矢田城を修復して居城としている。
 矢田城広間の中央には伊勢湾の地図が広げられ、その周りには尾張、伊勢、志摩の海賊衆が集められ、戦評定が開かれていた。
「まずは阿武船を並べ、その隙間には関船・小早船を数百と連ね、長島の周りを取り囲み、物資の補給路を完全に断つ」
 一益が扇子で地図を差し示すと、九鬼嘉隆が嬉々として地図を見て
「この日の本でも類をみない規模の海戦じゃな」
「然様。九鬼殿の阿武船で五明輪中へ向かい、尾張・美濃の兵を長島へ揚陸してくだされ」
「されど、長島ばかりではあるまい。この周りには十以上の砦があろう」
 尾張常滑城主、水野八郎二郎が言う。
「敵船を大筒で撃破したのち、各々分かれて陸の軍勢と合わせて砦を潰すのじゃ。勢州と江州の軍勢は陸路で砦へ向かう」
「大筒とは?」
「各々方、驚くなかれ。此度の戦のため、新たに作られた恐ろしい武器じゃ」
 九鬼嘉隆が得意げにそう言うと、後ろに控えていた義太夫が心得て襖を開けた。
見ると、そこには巨大な鉄の塊が横たわり、その横には砲弾と思われる金属の球弾が置かれている。
 一同は驚き、近くで見ようと立ち上がって大筒に群がる。 
「この大筒を阿武船の正面に取りつけ、撃ちこむのじゃ」
「おお、奸徒どもを討ち滅ぼそうぞ」
「これで生臭坊主を一網打尽じゃ」
 勝利を確信し、みな、口々に声をあげる。
 一同が少し落ち着き、座りなおしたところで、一益が口を開いた。
「倒すべきは坊主だけではない。女子供、老人であっても。容赦はならぬ」
 一益の声が広間に響き、その場はシンと静まり返る。
「そうじゃ。一向宗は女子供といえども狂信者。我らを倒せば極楽に行けると吹聴している奸悪の者どもじゃ」
 九鬼嘉隆がそう言うと、一益はフッと笑って、
「行き着く先が極楽か地獄か、しかと分からせてくれよう。皆々、しかと心得たし」
 あとは船の完成、そして岐阜での最終評定を待つのみとなった。
 一益は日野へ便りを送り、三九郎を岐阜に連れてくるようにと伝えた。
「諱を…如何いたそうか」
 岐阜への道すがら、ずっと考えていたことを義太夫に尋ねた。
「諱(いみな)、とは…。あ、もしや、三九郎様の元服をお考えで?」
 義太夫が嬉しそうに問う。
「いかにも。烏帽子親は…義太夫、頼む」
「ハッ、それがしが…。これは身に余るお役目。喜んで務めさせていただきまする」
 三九郎の元服後は伊勢に迎えるつもりだった。今更ながらに傅役(教育係)を決めた方がいいだろうか、城を任せるには早いだろうか、等々、考えなければいけないことが山積みだ。
 岐阜につくと、忠三郎が三九郎を伴って千畳敷館で待っていた。
「上様に目通りを願い出ておりまする」
 忠三郎が満面笑顔でそう言う。傍らにいる三九郎を見ると、やや緊張した面持ちだ。
 信長の傍で小姓をしていただけあって、こういったことの段取りが早いなと感心していると、早速、広間に呼ばれた。
「これなるは、滝川左近殿が一子、三九郎でござりまする」
 忠三郎がそう紹介すると、信長が大きく目を見開き三九郎を見る。
「なに、左近に子がおったか」
  信長が驚くと、一益が答える前に忠三郎が口を開く。
「ハッ、長きに渡り甲賀におりましたが、此度、元服して次の戦さを初陣といたしまする」
 三九郎が驚いている。忠三郎は何も説明していないのだろうか。
「…であるか」
 忠三郎は満面笑顔で前へ進み出て、
「北伊勢が落ち着きし暁には、我が妹と祝言をあげる申し合わせでござります」
 と嬉しそうに言ったので、一益も三九郎もエッと驚いてしまった。
 驚いていないのは信長だけだ。信長の鋭い視線に恐縮し、三九郎は平伏したまま顔をあげることができない。
「そなた、年は?」
 信長が三九郎に尋ねる。
「ハッ…十七でござります」
 声をかけられ、三九郎はようやく少し顔をあげて、そう答えた。
「三介と同じ齢か」
 信長はフムと思案顔になり、
「わしが嫡子は勘九郎信忠じゃ。それゆえ…そなたは三九郎一忠と名乗れ」
 今度は三人とも驚いて信長を見る。
「よいな、三九郎。次の戦さでは父とともに一揆勢に目にもの見せてやれ」
 三九郎がハハッと平伏する。
 一益も思わぬ事態に思案顔になる。
(これは…鶴にしてやられたわい…)
 予想もしていなかったことだが、信忠から偏諱(へんき)を受け、忠三郎の妹を娶るのであれば、武将としてそれなりに教え込まなければならない。忠三郎は一益が色よい返事をしなかったときのために、一益には何の説明もなく、いきなり信長の前で婚儀の話を持ち出したのだろう。
(さすがあの快幹の孫というところか)
 普段のおっとりとした挙動に似合わぬしたたかさを持ち合わせている。
 忠三郎と三九郎が下がり、重臣たちが呼ばれて戦さ評定になってからも、三九郎のことを考えていた。
「蒲生の子倅と共にいたのは、滝川家のお方か?」
 隣に座った九鬼嘉隆に聞かれる。
「わしの子じゃ」
「左近殿のお子じゃったか。なるほど、あの子倅の従者にしては目つき、顔つきが只ならぬとは思うたが。では船に乗ってもらわねばな」
「おお、船か」
 船と言われ、おぼろげに今後の筋書きが浮かんできた。
 大船とはいえ乗せられる兵は八百というところだろう。船に乗りきらない兵は陸で誰かが指揮しなければならず、陸と海の両方から攻めるのであれば、意思疎通は欠かせない。
(よい頃合いかもしれぬ)
 領地、家臣が増えるごとに、将が足りなくなってきたと思っていたところだった。
 いずれにせよ、屋敷に戻ったら、まずは風花に話さなければならない。

 信長の元を下がった忠三郎と三九郎は、控えの間に戻ってから、二人であれこれと話していた。
「忠三郎。父上に話す前からもう、あのような場所で婚儀の話をはじめるとは、如何な了見じゃ」
 三九郎が困惑してそう言うと、忠三郎は常のくったくない笑顔で笑って、
「義兄上は驚いておったな。我が家にとってはまたとないよい縁ゆえ、ちと強引に話を進めさせてもらったのじゃ」
 油断のならないやつ…と驚いていると、
「忠三郎。お隣はどなたじゃ?」
 と声をかけられる。もう何人目か、分からない。
「滝川左近が一子、三九郎でござりまする」
 と挨拶すると、大抵の相手は驚いて態度が急変する。
「これはこれはご無礼仕りました。それがしは上様のお側で奉行を務める堀久太郎でござりまする」
 精悍な顔つきの堀久太郎はそう言って、丁寧に頭を下げ、広間の方へ向かっていった。
「滝川左近の名を出すだけで、こうも皆の態度が変わるとは…」
 三九郎があっけにとられてそう言うと、忠三郎は常の笑顔で言う。
「義兄上は織田家の重臣、何の不思議もない。それほどの身分ということ。悪くはなかろう」
「慣れぬ、というか…落ち着かぬというか…」
 戸惑う三九郎に、忠三郎が笑ったとき、ふいに声がした。
「そちは誰じゃ?」
 大きな声で近づいてきて、目の前にドカッと座った。その横に、後からついてきた一人が座る。
(誰だろう…)
 小柄な割に声は大きく、年は三九郎と同じくらいだろうか。
「それがしは…」
 と言おうとすると、相手は思い出したように忠三郎に向き直り、
「おぉ、そうじゃ。忠三郎。わしは勘九郎様とともに伊勢に出陣することになった」
 大柄な話し方も、尊大な態度も、甲賀にいた、ならず者を思い起こさせる。
「勝蔵も初陣か。それは…」
「わしが一番槍じゃ。天下にわしの名をとどろかせる故、見ておれ」
 勝蔵と呼ばれた男がそう凄むと、忠三郎が笑った。
「それはなかろう」
「なんじゃと?」
 勝蔵の表情がガラリと変わった。怒ったのだろう。しかし、気づかないのか忠三郎は意に介せず、
「一番槍はわしじゃ。勝蔵は初陣。それゆえ…」
「このわしが鈍くさいおのれに遅れを取ると申すか!」
 勝蔵が激高して刀を掴んだので、一緒にきた男が慌てて袖を引いている。
(一体、何者なのか、こやつは…)
 刀を掴んで罵倒されても、忠三郎は顔色も変えず、常の笑顔で飄々としている。
「そう怒るな。いかに言われようとも、一番槍は武士の功名。こればかりは…」
 忠三郎が言い終わらないうちに、カッとなった勝蔵が刀を掴んだまま立ち上がり、忠三郎の胸板を蹴飛ばした。
 三九郎は咄嗟に飛びのき、刀に手を添えた。
「何をするか!」
 と怒鳴ると、勝蔵が驚いて三九郎を見た。
ふいをつかれて、まともに蹴りを食らった忠三郎が、苦しそうに胸板を抑えながら、体を起こす。
「待て、三九郎。この者は森勝蔵じゃ。このように、いつも戯れておるのじゃ」
 森と聞いて思い出した。恐らくは先年の合戦の折に浅井・朝倉の大軍と戦い、討死した森三左衛門の一子なのだろう。
(このならず者が、森三左の…)
 驚いて勝蔵を見ると、勝蔵も三九郎をまじまじと見ている。
「わしは滝川左近が一子、三九郎じゃ」
 名乗ると、勝蔵の表情が明らかに変わり、共にいた男が驚いて丁寧に頭を下げる。
「然様でござったか。これはご無礼を。それがしは尾張の関武兵衛。これなるは美濃兼山の森勝蔵でござりまする」
「三九郎も伊勢が初陣となる。誰か一番手柄か、競おうではないか」
 忠三郎が襟元を正し、笑ってそう言う。
「鈍三郎と競うなど、片腹痛いわ。わしは誰にも負けぬ。よう覚えておけ」
 捨て台詞のように言うと、勝蔵は音を立てて部屋を出て行った。
「あのような無礼者がおるのか…」
 三九郎が唖然としてそう言うと、忠三郎は笑って
「あやつは面妖というか…。案ずるな。おぬしには、あのような乱暴狼藉を働くことはなかろう」
「それはわしが滝川左近の子だからか」
 甲賀ではここまでの上下関係がなかった。それぞれの家がほぼ同列であり、同等の立場だった。織田家が特別ではないのだろうが、違和感を持たざるを得ない。
「無論、それもあるが…。侮られておるかな」
 蒲生忠三郎はそう言って笑った。
 蒲生家は外様で小身な上に父の賢秀には目立った軍功がない。にも関わらず、忠三郎自身の感状の数と信長の娘婿という立場から、軍議では忠三郎が上座に座った。勝蔵にはそれが面白くないのだろう。
「だからと言うて…」
 罵倒された挙句に足蹴にされて黙っているのか、と言おうとすると、忠三郎はそれを遮り、
「織田家では戦さ評定の席次は感状の数で決まる」
「感状?」
「戦さ場での一番槍、一番首、退陣(しんがり)、目覚ましい働きをすると上様から感状をいただける。これは恩賞に変わるだけではない。次の戦さ評定の折には感状の数で席次が決まり、上座にいるものから順に物言うことができる」
 織田家が実力主義と言われる所以だ。感状の数が少なければ少ないほど、どんどん末席に追いやられ、発言する機会を奪われる。
「わしは、このようなところで言い争うことも、乱暴狼藉を働くことも興味はない。我らはもののふ。借りは戦さ場で返す」
 忠三郎が自信満々にそう言う。この自信はどこからくるものなのだろう。三九郎は戸惑いを隠せなかった。

 岐阜城下滝川屋敷。
 初陣を前にして、滝川三九郎が元服した。
 義太夫が津田秀重から烏帽子を受け取り、三九郎の頭に乗せると、三九郎は神妙な顔をして正面を向く。
「滝川三九郎一忠。これより津田秀重を傅役とする。分からぬことあれば、秀重に問うように。秀重、頼んだぞ」
 秀重がハッと短く返事をする。
「三九郎様。惑うことも多いかと存じまする。なんなりと我らにお尋ねくだされ」
 秀重がそう言うと、では、と早速、三九郎が口を開いた。
「忠三郎は次の戦さで一番乗りを狙うと言うておったが、それでは矢玉の的になるのではないのか」
 次の戦に限らず、蒲生忠三郎は常に一人で敵陣深くまで走っていくらしい。それでなぜ、今まで生きてこられたのかが分からない。
 すると、居並ぶ者がみな、顔を見合わせて苦笑した。
「あやつは甲冑も兜も誂えものじゃ。鉄砲の弾を通さぬ」
「なんと。そのような甲冑があると?」
 三九郎が驚いて一益を見る。
忠三郎は一番槍をあげるために、日野の鉄砲鍛冶に命じて装甲の厚い鎧を造らせた。
「その代わり重いらしく、最初は馬に乗るのも一苦労だったとか」
 数年前まで華奢な体つきだったのが嘘のように逞しくなり、今やその重い甲冑を身に着けて戦場を走り回っている。
「これがまた派手好みなあやつらしく、上から下まで真っ黒で、あちこちに金の装飾があり、遠目にも忠三郎だと分かりまする。あれでは、益々鉄砲の的になっておりましょう」
 義太夫が笑ってそう言う。派手好みは忠三郎だけではない。主君の信長に倣って、堀久太郎も、万見仙千代も、若い武将たちは競い合うように華やかに着飾っている。
「そなたはあやつの真似をせずともよい」
 一益はそう言うが、三九郎も織田家の若武者たちを戦場で目にすれば、同じように着飾りたいと思うのではないか、と義太夫は思っている。
「しかし甲冑は入用でござりましょう。戦場で身にまとう甲冑は武士の死装束。己の思いを込めたもの。それがしが鶴に言うて、急ぎ造らせましょう」
 義太夫が三九郎に目配せして笑った。
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