滝川家の人びと

卯花月影

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【番外編】堤中納言 ~ Episode Zero ~

堤中納言

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 時は戦国。
 ここは噂に聞く京の都。応仁の乱を皮切りに、都はたびたび戦果に巻き込まれ、復興は追いつかず、荒廃した景色が広がる。
 そんな都であっても人の通りは少なくはなく、今日も商人に身をやつした二人組が、都の通りを歩いていく。
「かようなところ、落ち着きませぬな」
 甥の滝川義太夫にそう言われ、主である滝川一益はエッと驚き、
「今、来たばかりで何を申す。…おぉ、あの貧相な館は無人の館であろう?今宵はあそこで夜を明かそう」
 指さした館は、塀の一部が崩れ、館の中の壁の穴が見えた。
「いえ。あれは、公卿の邸宅。今も住んで居るものかと」
「何?たわけたことを申すな。あのような粗末な館に公家が住んでいる筈もない」
 一益は、父、滝川一勝の命を受け、生まれ育った甲賀から、今日はじめて甥の義太夫に連れられて京にきた。
 京の町は想像していたのとは異なり、何を買うにも高価で、あちこちに焼き払われた寺社があり、荒廃している。
 聞くところによると、比叡山延暦寺の僧が来て、法華宗の寺をことごとく焼き払ったという。
「今宵はあの寺で、夜を明かしましょう」
 義太夫が指示した寺は、寺ではなく、寺だったであろう場所だった。
 かろうじて屋根が焼け残っている場所があり、柱だったであろう木や床板を並べて、一休みする。
(それにしても、いにしえより続く京の都がここまで荒れ果てておるとは)
 予想外の都の荒れように舌を巻く。応仁の乱から続く世の乱れを象徴しているかのようだ。これであれば、裕福な大名が治める城下のほうが、はるかに華やかだろう。
「どなたかな?」
 ふいに破れた壁の向こうから声がして、ふたりは驚いて声の方を見た。
 ボロボロの衣をまとった法師が座っている。
「な、何じゃ、坊主。驚かせるな」
 一益がそう言うと、義太夫がいやいやと首を振り
「あれなるは琵琶法師でござりましょう」
 そうだろうか。琵琶を用いて平家物語のような軍記物語を語り聞かせるのが琵琶法師だ。しかし、この法師は琵琶を持っていない。琵琶を持たない琵琶法師とは。
「わしらは旅の者じゃ。今宵はここで夜を明かそうと思うておる」
 義太夫がそう言うと、法師は喜び、
「ちょうど退屈しておったところ。よいところに参られた」
「御坊はどちらから?」
 言葉に独特のなまりがあった。
「肥前じゃ」
「肥前?たわけたことを申すな。その目で、どうやってここまで来た」
「ある時は船に乗り、またある時は歩き、ようやく京の都にたどりついたのじゃ」
 本当だろうか。外見も、言うことも、すべてが怪しい。その顔を覗き込んでみると、見えているのかいないのか、どこかぼやけて焦点が定まらない様子だ。こちらを見ている。いや、見ているというよりも、心の奥底を見透かしているかのような目をしている。ただそこにいるだけで、すべてを知っているかのような、得体の知れない何かを放っていた。
「何ゆえに京へ参った?」
「公方様に会うためじゃ」
「何?生臭坊主が?公方に会う?」
 一益は腹を抱えて笑う。戯言にしても、荒唐無稽な話だ。
 ふいに、ぐぅと音がした。今日は何も食べていないことに気づいた。
「笑うたら余計に腹が減った。空腹じゃ。義太夫、何かないか」
「それゆえ、早うかような町は離れたほうがよいと申し上げました」
 都では何を買うにも値がはり、持ってきた銭がみるみるうちになくなっていく。ここで余計な出費を抑えねば、国に戻ることもままならなくなる。
 二人の会話を聞いていた法師がホッホッと笑いだした。
「かような生臭坊主にまで笑われておるわ」
 胃袋が空虚を訴えている。時が経つにつれ、思考は次第に鈍くなり、怒る気力もわかない。
 法師はがさがさと音を立てて、懐から雉を取り出した。
「ほれ。これを食え」
「雉ではないか。どこで買うてきた?」
 雉を受け取り、じっと見る。羽が焦げたような跡がある。矢傷ではない。
「これで仕留めたのじゃ」
 と傍らにあった鉄の棒を持ち上げた。
「それで雉を殴ったと?…見えておるのか?坊主のくせに殺生するとは…。さてはどこぞの素破か」
 素破にしてもひどく汚い格好だ。この格好で将軍に会おうとは…。
「心の目でみておるのじゃ」
 とぼけたことを言う。ますます怪しい坊主だと思ったが、空腹に負けて雉をもらって食べた。
 満腹にはほど遠かったが、ようやく人心地ついた。義太夫の言うように、寝泊りするには都は居心地が悪い。明日は少し離れたところへ移動したほうがいいかもしれない。
 そんなことを考えていると、だんだんと眠くなってきた。

 翌朝早く、法師に起こされた。
「早う起きよ、行くぞ」
「何?行くとは?」
 二人が眠い目をこすりながら問うと、
「わしを比叡山まで連れて行け」
という。
「何を申すか。何で我らが…」
「昨夜、報酬を払うたであろう」
「何、報酬?」
 雉のことだろう。気前がいいと思ったら、そういうことか。
「延暦寺は、おのれのような生臭坊主の行くところではないわ」
「よいから早う連れて行け」
 と鉄の棒で叩く。
「何をするか、無礼な…」
 義太夫が刀を抜こうとするのを一益が制した。
「もうよい。さっさと連れて行こう」
 口の減らない法師を相手に口論しても埒が明かない。それに、この怪しげな法師に少し興味が湧いてきた。
 歩き出すと、本当に見えていないらしく、法師の歩みが遅すぎる。これではいつ延暦寺につくか分からない。
 仕方がなく、一益と義太夫でかわるがわる法師を背負って歩くことにした。
 道すがら、尋ねてみる。
「生臭坊主。何しに延暦寺へ行く?」
「堕落した坊主の過ちを正に行くのじゃ」
「何?」
 何を言い出すのかと思えば、また、不可思議なことを言い出す。法師の言う通り、延暦寺の僧侶は堕落しきっているという評判だが、それを正すとは…。
「念仏を唱えても、極楽には行けぬしな」
「坊主がそれを言うか」
 話していると、延暦寺についた。
「では、ここで待っておれ」
 と、延暦寺の門の向こうに進んでいった。
「妙な坊主じゃ」
「いえ。あれは坊主ではありますまい。恐らくはどこぞの間諜かと」
 一益は首を傾げる。ほとんど見えていないように思えた。あれで間諜としての役目を果たせるとも思えない。
「間諜ならもう少し間諜らしくしそうなものじゃが…」
 待っていると、一刻ほどして法師がでてきた。
「坊主の悪事は正されたか?」
「今日も同じじゃのう」
「今日も?何度も来ておるのか」
 こんな貧相な法師が言って聞かせて耳を貸すような相手ではない。一体、この法師は何をたくらんで何度も延暦寺を訪れているのだろう。
 話していると、なんと法師が背負われたままイビキをたてて寝だした。
「驚くほど厚かましい坊主ですな」
「坊主とも思えぬが…。それより、昨夜の首尾は?」
 昨夜、義太夫は将軍のいる二条御所に偵察に行っている。
「思った以上の警備の固さ。忍び込むのは容易いことなれど、蔵に入って目当てのものを盗み出し、無事に戻ることは容易ではないかと」
「然様か」
 今回の旅の目的は、将軍が南蛮人から入手したという南蛮の武器とその設計図を盗み出すことだ。
「忍び込むなら公方がいない今が好機。戻ったら、御所の見取り図を書いてくれ」
「ハッ」
 おや、そういえば、法師は将軍に会いにきたと、そう言っていたのを思い出した。
(この坊主。公方がいないことを存じておらぬのじゃろうか)
 京に戻り、法師を寝かせると、二人は御所の見取り図を見ながら打ち合わせをはじめた。
「やめておけ、中将」
 ふいに後ろから法師がそう言ったので、二人は驚いて法師を見る。
「中将?わしのことか?」
「そうじゃ。花桜折る中将」
 なんのことだ、という目で見ると、
「ぬしらのような未熟者が御所から盗み出すなど、できようはずもない」
「何を申すか、生臭坊主の分際で」
 義太夫は怒るが、一益は可笑しくなって笑い出した。
「では生臭坊主は公方に目通り叶うと、そう思うておるのか」
「必ず叶う」
「笑止千万。公方は今、御所にはおらぬぞ」
「存じておるわい。わしは待っておるのじゃ」
「公方の帰りを?」
「そうではない。時を待っておる」
 なんのことだ?と首を傾げた。
「そのような悪たれ坊主、捨て置きなされ。それよりも先ほど御所から兵が洛外目指して出ていきました。明朝、忍び込みましょう」
「おお。したが義太夫。その方、南蛮人の武器とやらを見たことがあるのか?」
「遠目には。たしか火縄筒とかいう名で、こう、筒のような細長いものにて、火縄がついているものを盗み出せばよいかと」
「火縄筒?」
 しっかりと見たことはないらしい。なんとも心もとない返事だったが、仕方がない。明朝、忍び込むことにした。
 その夜遅く、ぶつぶつと何か唱えるような声がかすかに聞こえて目が覚めた。
 見ると、義太夫も気づいて起きている。
「あの坊主が、なにやら数珠のようなものを手にして、怪しげな呪文を唱えておる様子にて…」
 小声でそう言う。
「念仏ではないのか」
「いや…どうもそうではないような…。なんとも不気味な坊主でござりますな」
 修験者には見えないし、呪術師とも思えない。不審な坊主だと思いながら、眠りについた。

 気になって何度か目覚めながら、明け方を迎えた。
 御所は将軍不在もあり、警備が手薄だった。
 手筈通り、義太夫が表門付近に鳥の子(煙玉)を投げて見張りの兵を引きつけ、火矢を撃って小火をだす。
 その隙に一益が裏から忍び込んで、蔵を目指した。
 蔵番を一人倒して中に入ったはいいが、ほとんどの宝物は櫃に入れられている。櫃が多すぎて、どこに目指す火縄銃が入っているのか、わからない。
 もたもたしていると兵が戻ってきてしまう。
 とりあえず、端から中を改め、それらしき細長いものが入った袋をいくつか手に取り蔵を飛び出した。

 寺に帰ると、義太夫が先に戻っていた。
「おぉ。これが火縄筒でござりますか」
 袋からひとつひとつ取り出していく。
「…違うておるな」
 出てきたものは唐織物ばかりだった。一益ががっくりと肩を落とすと、
「この唐織物を売って、何か仕入れて参りまする。流石に腹が減りました」
 と唐物を手に取り、町の方へと向かっていく。
「だから言うたじゃろう、中将」
 法師が近づいてきて笑っている。
「何故わしが中将じゃ?」
「ぬしは堤中納言を知らぬか」
「知らぬわ、そのような者」
 一益が吐き捨てるように言うと、法師が目の前に鉄の棒を放りなげた。
「ほれ。くれてやる」
 一益がいぶかしげに見ていると、
「わからぬか。それが、ぬしらが求めておる火縄銃じゃ」
「何、火縄銃?」
 手に取ってまじまじと見る。確かに、義太夫が言っていた火縄がついている。
「それだけではただの鉄の塊。これもいる」
 と無造作に粗末な袋を投げた。中を見ると、火薬と円形の鉄の塊が入っている。
「これは何であろう…。どのように使う?」
「見せて進ぜよう。山中に連れて行け」
 背負えと言っているようだ。
 仕方なく、また法師を背負って山の中へと連れていく。
「ここいらでよかろう」
 法師が火打石を取り出して火をおこす。
(まるで見えているかのような…)
 手際がよすぎる。
 片方は確かに見えていないようだが、もう片方は見えているのではないだろうか。
 法師が銃を構えて、葉陰の虫をついばんでいる鳥に筒口を向けた。
 やがて辺りに、けたたましい音が響き、鳥が倒れた。
 一益は唖然として法師と火縄銃を見る。
「これが、南蛮の武器か。これがあれば、天下を取ることも夢ではないかもしれぬ」
 一益が興奮気味にそういうと、法師が口を開き、静かに言う。
「争いを避けることは人の誉れ。愚かな者はみな、争いを引き起こすという。その火縄銃を争いを引き起こすことではなく、争いを避けるために使え」
「仏法か?おぬし、どこの寺の者か。ただの坊主ではあるまい」
「わしは漁師じゃ」
「何、猟師?」
 この坊主はまともな返事をしたことがない。目も見えていないのに猟師とは。
「わしは人をとる漁師じゃ」
「人を食う猟師じゃろ?」
 法師が笑う。
「中将、世話になった礼に仕組みを教えて進ぜよう」
 火縄を通す穴、火鋏、火皿…、と法師はひとつずつ丁寧に教えてくれた。
(こやつはやはり、琵琶法師でもなければ、坊主でもない)
 随分と火縄銃に精通している。話していると、法師が記憶力に優れ、頭の回転が速いことが分かってきた。
「弾は火薬がなければ作れぬ。弾は火縄から火薬に着火して、発射する。公方様が国友で作らせておるものも、これと同じものじゃ」
「これは…どこぞの大名に献上するために持ってきたのではないのか」
「そうじゃが、まぁ、よい。中将にくれてやる。わしにはまだ、これがある」
 と懐から小さな南蛮細工らしき不思議な器具を取り出す。見ると、中に砂が入っている。
「それは?」
「砂時計じゃ。この砂が下に落ちる量で、時を計る」
 一益は渡された砂時計を凝視した。
「おぬし、まことは琵琶法師ではあるまい。呪術師か?名は?」
「了斎じゃ。ロレンソ了斎。呪術師ではない。伊留満《いるまん》じゃ」
「伊留満?」
「中将は伴天連を知らぬか」
 伊留満とはポルトガル語でキリスト教の修士を意味する。
 ロレンソ了斎は将軍から京での布教の許可を得るために、はるばる肥後からきた伴天連の修士だった。
「妙なことばかり言うと思うたら、おぬしは伴天連か」
「然様。中将、また会うこともあろう。家は知恵によって建てられ、英知によって堅くされる。われら善をなすに倦まざれ、もし撓まずば、時いたりて刈り取るべし」
 ロレンソは謎のようなことを言って笑った。
 一益は火縄銃を手に、去っていくロレンソ了斎の背中を見送った。

 寺に戻ると、義太夫が待っていた。
「火縄銃を手に入れた」
 と見せると、
「これは…あの怪しげな坊主の…これが火縄銃とは。あの坊主め、我らが火縄銃を狙うておると知っていながら素知らぬ顔で…」
 義太夫が口惜しそうに地団駄踏んでいる。
 そういえば、何故、『中将』なのだろう。
(堤中納言を知らぬのかと、そういっていたな)
 どこの公家のことなのか。一益がその公家に似ていると、そう言っていたのだろうか。
「義太夫。堤中納言を存じておるか?」
「堤中納言…あぁ、坊主が殿のことを『花桜折る中将』と呼んでおりましたな。なるほど…堤中納言」
 腑に落ちたと見え、義太夫が突如、笑いだした。
「平安の昔から伝わる話でござります」
 中将なる人物が美しい姫君に恋して、姫を盗み出す話だ。
「で?姫を盗み出して、どうなる?」
「屋敷に帰ってから見ると、盗み出したのは、美しい姫ではなく、頭を丸めた姫の祖母だったという話で」
 法師は最初から、一益が火縄銃を盗みそこなうと思っていたのだろう。
「あの生臭坊主。斬っておけばよかった」
 火縄銃を片手に舌打ちした。
 ロレンソ了斎が将軍足利義輝に謁見して畿内の布教許可を得るのはこの五年後。そして一益が信長の家臣となり、ロレンソと再会するのは、もっと先のことになる。
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