滝川家の人びと

卯花月影

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2 不浄の子

2-5 背水の陣

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 翌六月、織田勢は姉川で浅井・朝倉軍に勝利したが大きな戦果をあげることはできなかった。八月末には三好三人衆が挙兵し、信長の主力部隊は戦線を摂津に伸ばしている。
その反面、北伊勢はつかの間の平和が訪れ、風花は二月に生まれた八郎をつれて、桑名近郊を見て回るようになった。
 城の外へ出たり、人前に出ることを極端に避けていた風花が、八郎が生まれたことで積極的に外の世界と関りをもとうとしはじめたことは、一益にとっては微笑ましいことだった。
 そんな折に風花が、
「八郎を叔父上に会わせとう存じまする」
 と言い出した。
 桑名とは長島を挟んでちょうど反対側に位置する尾張側の小木江には信長の弟、彦七郎が城を築いて守っている。
 小木江は直線距離なら三里もない。一益は山村一郎太たちを共につけ、快く送り出した。
これまで中立を保っていた石山本願寺挙兵の知らせを受けたのは、その翌日だった。
「若と御台様を送り出したは、よい頃合いでしたな。伊勢がまた戦場になるやもしれませぬ」
義太夫がそう言うと、佐治新介も頷いた。
「まことに。尾張にあれば、ここよりも安全かと」
 いずれにせよ、わずか三里といえども長島を挟んだ向こう側だ。落ち着くまでは小木江に留まるようにと使いを出した。
「本願寺が挙兵したとなると、摂津の戦も長引くじゃろう。この戦はそう易々とは終わらぬやもしれぬ」
 一益は桑名から海のように広がる木曾三川を見つめる。この川の向こうに風花と八郎がいる。
「殿。ご案じめさるな。彦七郎殿は豪の者。若と御台様を守ってくださりましょう」
 義太夫が声をかけてきた。
「然様か・・」
 誰にどういわれても、耳に入らない。言い知れない焦燥感に襲われる。今、長島本願寺が兵をあげれば、一番危ないのはここ、桑名だ。桑名と長島は川を挟んで一里強。奇襲に耐ええる距離ではない。
「長島を見張れ。それと・・畿内の様子は逐一報告させよ」
 何か一つ、手を打ち間違えれば、なし崩しに全てを失ってしまうような、そんな不安に襲われていた。

 摂津の戦闘が激化している。
 その最中に南近江、日野にも知らせが入り、賢秀と忠三郎の部隊は都の警護のために京へのぼることになった。
「都の警護?」
 都には賢秀の弟、青地駿河守と信長の弟・織田九郎がいて、警護を務めているはずだ。
「九郎殿や叔父上がいるのに、我らまで向かうとは…」
 腑に落ちなかったが、その青地駿河守はどうやら京から居城のある青地荘に戻っているらしかった。
 青地駿河守は祖父快幹が琵琶湖南岸を抑えるために土豪の青池家に養子に出した賢秀の弟だ。
 忠三郎のことは小さいときから目をかけて可愛がってくれていた。身の丈六尺もある豪傑で、忠三郎は、温厚で物静かな父賢秀とは違う、いかにも武人らしいこの叔父が好きだった。
 京への道の途上には賢秀の弟、青地駿河守のいる青地荘がある。青地駿河守は蒲生勢を見送るために、わざわざ城の外へ出て来た。
「鶴も立派になったものよ」
 賢秀と少し会話を交わした後、忠三郎の甲冑姿を見て、馬を寄せてきた。
「叔父上は御変わりありませぬな」
「おお。そなたの元服の折には、このわしが烏帽子親にと思うておったが、織田の殿が烏帽子親とあってはな。わしの出る幕もなかったわい。それにしても我が甥があの織田の御大将の目に留まるとはのう。鳳凰の雛と誉めそやされただけのことはある」
 青地駿河守が豪快に笑った。
「鶴、よく聞け。家中に間者がおる」
 青地駿河守が辺りを窺い、声をおとしてそう言った。忠三郎はハッとなって叔父を見る。自分以外に気づいているものがいるとは思っていなかった。
「叔父上、それは・・」
 叔父はどこまで知っているのか。
「油断するな。敵は身近にいると思え」
「敵は身近に・・」
「忘るるな。そなたは幼き頃より鳳雛(ほうすう)、とも鸑鷟(がくさく)とも呼ばれた神童。織田の殿でさえ目をかけた、このわしの自慢の甥じゃ。立派な当主となり、先祖伝来の地と家を守れ」
 それだけ言うと、もの言いたげに叔父を見上げる忠三郎に笑顔を見せ、肩を怒らせ離れていった。
(なにやら常とは異なるような)
 青地駿河守の言うことが妙に心にかかる。さながら別れの挨拶ともとれるような言葉だった。
 不審に思い、何か知っているであろう父に声をかけた。
「父上・・。叔父上は後から京へ参られるので?」
「駿河守は京へは来ぬ」
「したがあれは・・今にもご出陣かと思われましたが」
 青地駿河守は甲冑を身に着け、兵も集まっていた。今まさに出陣しようとしているかのように見えたが。
 賢秀は何か隠している様子だったが、迷った末に重い口を開いた。
「浅井・朝倉勢が摂津にいる上様の背後を突こうと、明日にも坂本に入る。このままでは上様が挟み撃ちにあうゆえ、宇佐山城主、森三左殿からの援軍要請があり、駿河守は坂本へ参ったのじゃ」
「森殿の軍勢は二千あまり・・。叔父上の軍勢とあわせても三千ではありませぬか。我らも坂本へ参り、敵を迎え撃ちましょう」
 森三左衛門も青池駿河守も玉砕覚悟だろう。それなら自分も、と、来た道を引き返そうとする忠三郎を町野左近が制した。
「若殿!それには及びませぬ!上様の弟御の織田九郎殿も京から坂本に向かわれておりまする」
「それだとて兵二千程ではないか。何故、九郎殿が去った京へ我らが参るのじゃ?」
 つじつまの合わない話だ。本来であれば、青池勢とともに蒲生勢が坂本へ行き、織田九郎がそのまま京を警備するのが順当と思われた。それが、なぜ、わざわざ織田九郎を坂本へ送り、蒲生勢が京へ入るのか。
「敵は三万!我らが行ってどうなるものではない!」
 滅多に声を荒げることのない賢秀が怒鳴った。
「三万・・。父上は叔父上を見殺しになさるのか・・」
 忠三郎が咎めるように言うと、賢秀は返事をせずに踵を返し、京へと向かいはじめた。
(何故・・)
 その背中に無言で訴えかけても、賢秀は振り返らない。町野左近が言いにくそうに口を開いた。
「若殿・・。駿河守様お一人を坂本に送らねばならぬ大殿のお気持ちをお察しあれ。大殿は決して、敵を恐れて京に向かうのではありませぬ」
 奥歯にものが挟まったような言い方をする町野左近の顔を見て、はたと気づいた。
「上様の・・ご命令か」
「若殿にもしものことがあれば、我らが責めを負いまする」
 信長は常に、忠三郎を危ない戦場に向かわせることはしない。
「森三左殿も、織田九郎殿も、叔父上も命がけで敵を迎え撃とうとしているのに、何故わしだけ・・」
 肩を震わせ、悔し涙を浮かべる忠三郎を、町野左近がそっと促した。
 
 城のほとんどの者が出陣している日野中野城では吹雪と快幹が静かな時間を過ごしていた。
 美しい菜が皿に飾られている。吹雪はそれを一つ取って食べる。
「美味しい・・。美しい桜色をして。はじめて食しました。これはなんという名でありましょう」
「日野菜じゃよ、吹雪殿」
 吹雪の問いに、蒲生快幹が答える。
「日野菜を漬けたものが桜漬で、わしの御爺様の代から、帝に献上しておる」
「帝に・・。これは日野にしか生えないものでしょうか」
「そうじゃ。それゆえ、わし自ら育てておる」
「お爺様が・・わらわも日野菜が生えているところを見とうござります」
 吹雪が興味津々にそう言うと、快幹は笑って
「いやいや。織田の姫君をあのような場所へは連れてはいけぬ。お気に召したのならば、後でまたとってくるゆえ、お待ちあれ」
 吹雪が毎日退屈しているのを知って、快幹がよく訪ねてくるようになった。快幹は隠居してからも戦場に出ていたらしいが、最近ではもっぱら留守居役として城に留まり、領内の見回りや畑仕事などをしているらしい。
「母上や滝川に嫁がれた妹御からは便りがあるのじゃろう?」
 何とはなしにそう聞かれ、
「母は幼きころに儚い人になりました。風花は・・妹は餅ばかり送って参りまする」
「餅・・?」
「はい。滝川左近殿が食の細い妹を案じて、あれやこれや体によいと耳にすれば、取り寄せては食べさせ、よう食べるようになって、太ったと言うておりましたゆえ、餅好きになったやもしれませぬ」
 快幹はそれを聞いて、ほぉ・・と感心し、
「左近殿はまた随分と奥方に心を尽くされておるようじゃのう」
「それはもう、大変な慈しみようらしく、あの左近殿がと、皆々驚いておりまする」
 伊勢から届く文を読むごとに、吹雪が羨ましく思うほど妹が大切にされていることが伝わってくる。
 快幹はフムフムと頷いて聞いていた。
「ではまた日野菜を漬けさせるゆえ、風花殿にも送ってあげなされ」
 大舅の気遣いに吹雪は微笑み、またひとつ桜漬を口にした。

 畿内から桑名へ、頻繁に急を知らせる早馬が到着している。
「森三左殿、織田九郎殿、青地殿は御討死でござりまする」
「何、三将が討死?」
 攻め上る浅井・朝倉勢を迎え撃つため、宇佐山城から出撃した三将は、坂本に陣を張り、街道を封鎖した。わずかな手勢で一度は敵を押し返したが、その後、本願寺、それに比叡山延暦寺の僧兵が加わって四方から攻撃を受けて全滅したという。
「…で、宇佐山城は?」
「宇佐山城は留守居の家臣により死守されました。上様の上洛を知った浅井・朝倉勢、それに六角勢も合わせた三万の軍勢は比叡山へ逃げて込んでおりまする」
 広間に集められた家臣たちからどよめきが起こる。
「叡山に逃げ込まれたとあれば長期戦になろう・・」
「それと、こちら・・。本願寺顕如から近江の一向宗に宛てた文を押さえております」
 滝川助太郎が懐から書状を取り出した。津田秀重はそれを広げて読みだすと、見る見るうちに青ざめていく。
 義太夫は秀重の顔色を窺いながら、恐る恐る尋ねた。
「津田殿・・。何と書いてあるのじゃ」
 一益も秀重を見た。
「上様が一向宗に難題を申し付けたと。それゆえ命を懸けて織田勢と戦えと。戦わぬものは門徒ではないと・・かように書かれており申す」
 同じような書状が全国の一向宗に、そして目の前の長島に届いていることは容易に想像できる。居並ぶものは皆、静まり返り、言葉を発することができない。広間に不気味な静けさが流れる。
 一益はその静寂を破るようにパチリと扇子を鳴らし、
「義太夫、助太郎。長島の様子は?」
「各支城に物資を運び、兵も日に日に増えてきている様子にて・・」
 一益はウム・・と頷き、しばらく黙り込んだ。
(来る・・)
 木曾三川の交じる輪中の中心、長島には数万の門徒衆がいる。それが戦準備を始めている。その長島に一番近いのが桑名だ。
「殿。これは拙いことになりましたぞ。上様の援軍なくして我らだけでは到底、敵うものではありますまい」
 津田秀重がにじり寄る。一益は何度もぱちぱちと扇子を鳴らした。
「今、戦況は膠着しておりまする。朝倉は雪が降る前に越前に戻りたいはず。遅かれ早かれ和睦になるのでは?」
 谷崎忠右衛門が言う。一益は思案顔のままだ。
(和睦になるだろうか・・)
 信長の性格から考えにくい。すでに譜代家臣の森三左と弟の九郎を討たれているのだ。
「殿。早々に桑名を捨て、兵を引いては如何なもので?」
 佐治新介がそう進言する。妥当な意見だった。しかし今の一益にはそれができない。
(今、桑名を捨てれば・・)
 一揆勢が小木江に矛先を向けるかもしれない。考えたくもない光景が浮かんだ。
「小木江の彦七殿には使者を出し、早々に引き上げていただくがよかろう。彦七殿が撤退するまでは我らは桑名を捨てるわけにはいくまい」
 小木江に風花と八郎がいる以上、囮になって桑名に留まるしかない。
「鉄砲を増やし、櫓に大量の火薬を詰め込んでおけ。小木江の様子も逐一知らせよ」
 一益は居並ぶ家臣たちを見回してそう言った。
 風花を始めてみた、岐阜城千畳敷館での出来事を思い出した。
(手に届くほどの場所にいる・・)
 それが今や、遠く感じる。
 八郎も、風花も。
 この桑名も守り切れない。
 引き際を誤れば、坂本で散った三将同様、全滅してしまう。
(再び、相まみえることは叶うのであろうか)
 本願寺が挙兵したとなれば、戦は広範囲になり、各地が戦場になる。
 外を見ると、鈴鹿の山々に雪が見えた。
(長い冬になる)
 本願寺との長い戦いがはじまろうとしていた。

 比叡山延暦寺を取り囲んだ信長が、朝倉義景からの和睦を拒絶したことで、長島願証寺の大軍勢が桑名城に押し寄せて来た。
「大変な数でござりますな」
 義太夫が半ば感心してそう言う。
 小木江に何度も使者を出し、撤退を促しているが、引き上げたという知らせが一向にこない。
「彦七殿からの知らせは?」
「いえ、未だ・・」
「長くはもたぬと小木江に使者を出せ。我らが桑名に敵を惹きつけている間に、撤退するようにと」
 一益は櫓に籠って川岸を見る。滝川の鉄砲隊が上陸する兵に討ちかけているが、船の数が多すぎる。次々に上陸を許している。
 伊勢湾の制海権を奪われている以上、防ぎようがない。危なくなったところで城を捨て、南伊勢に逃れるようにと全軍に通達した。
「やるぞ、義太夫」
 一益が鉄砲をかまえて狙いを定めると、義太夫が躊躇うように、
「ハッ・・しかし・・。無辜の民を撃ちまするか」
 寄せ手は僧兵や北勢四十八家だけではない。尾張や伊勢の農民もいると言いたいのだろう。
「あれが無辜の民に見えるか」
 一益は冷ややかに笑い、壁を乗り越えてくる兵を撃つと次の鉄砲を受け取り、また撃つ。
 そこへ城の外から五つ木瓜の旗印を差した兵が走ってくるのが見えた。
「待て、撃つな!織田の使者が参った」
 大声で呼ばわると、使者らしき兵が、櫓の上を見上げて一益に気づき、櫓の上まであがってきた。
「織田彦七郎様よりご注進でござりまする」
「撤退したか」
「おびただしい数の一揆勢が小木江城を取り囲んでおりまする。滝川左近様に援軍を頼みたいとの仰せでござります」
 義太夫が驚いて一益を見、使者を見る。すでに桑名は落城寸前で、援軍を送るどころではない。
「彦七殿は未だ小木江におるのか」
 織田彦七郎の兵だけでは、もたないだろう。
「義太夫、続け!」
 一益は急いで櫓をおり、厩に駆けた。一揆勢が次々に塀を乗り越えてくるのが見える。
「撤退じゃ。合図せい」
「ハッ」
 助九郎が法螺を鳴らすと、滝川勢が次々と城外へ向かって走る姿が見える。
「皆々、城を捨てよ!」
 櫓が二つ占拠されたのを確認し、義太夫が右手をあげた。予め準備の火縄に火がつけられ、櫓の火薬に引火する。やがて爆音とともに櫓が吹き飛んだ。
「殿!お待ちを!いま、小木江へ行くは命を捨てにいくようなもの!どうかお留まりくだされ!」
 佐治新介が顔色をかえてそう言う。
「何を申すか。小木江には風と八郎が・・」
「もはや手遅れ。十重二十重に取り囲まれ、城には入れませぬぞ!」
 一益は留めようとする新介を振り切り、
「義太夫。参るぞ」
馬に乗り、小木江へと疾走する。
 幸い今日は潮が引いて、普段であれば川の流れる浅瀬の部分に陸地があらわれている。
 桑名から小木江までうまく浅瀬を渡れば三里ほど。途中途中の敵を振り払いながら、小半刻もかけずに到着した。見ると、すでに城門が破壊され、城内は敵味方入り乱れての大混戦になっていた。
 一益は遮二無二敵を突き飛ばし、返り血をぬぐいながら進んでいく。しかし敵が多すぎて城門に近づくことすらできない。
「殿!あれを!」
 助太郎が指をさす。本丸付近から火の手があがっている。
「撤退いたしましょう」
「待て!まだ風と八郎が・・」
 あの敵兵の向こうで風花が待っている。一益は更に馬を走らせ、躍り上がって敵を倒して城門へ近づこうとする。
(またか・・。また・・)
 また失うのかと、心のどこかで声がする。それを振り払うように、襲ってくる兵を突き伏せ、前へ進むが、倒しても倒しても敵が追いすがってくる。
 時折突風が吹き、火の勢いが強くなるたびに気道が焼けるような熱さに襲われる。四方の櫓が次々に焼け落ち、人々が逃げてくる中、一益は逃げ惑う人の流れに逆らうように突き進んでいく。進むごとに織田家の兵の姿が消えていくが、風花も八郎も、一緒にいるはずの山村一朗太たちでさえその姿が見えなかった。
 助太郎の後に義太夫が追いついてきた。
「織田彦七郎様が火をかけたということは、ご一同は早、城を捨てて落ち延びておりましょう」
 残された織田方の兵が多すぎる。無事に逃げられたとは思えなかった。一益はかぶりを振って火の中に飛び込もうとする。それを義太夫が制する。
「邪魔立てするな!」
「いいえ。共にいる一朗太の姿もありませぬ。兎も角、このままでは犬死でござる」
 火の勢いが強く、この先に進むと無事に戻れなくなるだろう。
「義太夫、引け!」
 声をかけて、立ちはだかる義太夫を交わし、単身で燃えさかる天主に馬を走らせる。
「殿!」
 わずかな距離の筈なのに、天主が殊更に遠く感じる。
 黒煙の中、天主に入ると、屋根が崩れ落ちてきていた。炎が天井や壁を飲み込み、凄まじい唸りをたてて城を燃えつくしている。
 あたりを見回していると、かすかに声がした。
「誰か・・」
 助けを求めている。声のするほうを探して見ると城の侍女が火に囲まれてうずくまっていた。一益は火の手を避けながら侍女の傍にいく。
 手足の火傷がひどい。
「彦七殿は?」
「自害なされました」
 織田彦七郎は火を放って間もなく、切腹して果てたらしい。一益は突き落とされたような衝撃を覚えながら、
「滝川左近の妻子は?」
 自分でも驚くほど声が震えていた。
「滝川様のご家来衆か?」
「そうじゃ。風花と八郎は?」
「城が囲まれる前に、彦七様が城の外へ・・」
 彦七郎が城の外に落としたらしい。
(女子供だけを落として、城に留まったのか・)
 何度か小木江に使者を出して、撤退を促していたが、彦七郎は最初から城を捨てる気はなかっただろう。
(上様の援軍が来ないことはわかっていた筈。それでも託された城を捨てることはできなかったのか)
 小木江城完成の折、この城を死守すると言っていた彦七郎の誇らしげな顔を思い出した。
(わしはまだ死ぬわけにはいかぬ・・)
 一益は少し冷静さを取り戻し、侍女を抱えて外へ向かって走りだした。
「殿!」
 義太夫が一益を見つけて走ってきた。
「風は早落ちた。我らも外へ急ぐのじゃ」
 二人は炎を潜り抜け、馬を繋ぎとめたところまで走った。一益と義太夫が天守から出て間もなく、織田彦七郎が建てた天守は音を立てて崩れ落ちた。
(彦七殿…)
 共に北伊勢を攻略してきた織田彦七郎。その彦七郎は一揆勢の手にかかり、小木江城も落城した。小木江ばかりではない。蟹江も敵の手に落ち、これで尾張と伊勢が分断され、長島願証寺という巨大な敵が立ちはだかる未曽有の事態となった。
(風花・・どうか生きていてくれ)
 摂津、近江、伊勢が戦場になる四面楚歌状態をどう打破していくのか、燃え盛かり落城する小木江城は、暗雲立ち込める織田家の現状を、そして一益の今を表しているかのようだった。
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