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6.傀儡(くぐつ)
6-4. 上京焼き討ち
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数日後、突如、江南の国人衆に出陣命令が下った。
「敵は?」
勝家の使者を前に忠三郎が首を傾げる。
「公方様で」
「公方様?」
かねてから信長との不仲がささやかれていた将軍・足利義昭が兵をあげたという。
(ただの噂と思っていたが、まことのことであったか)
事態は忠三郎が思っていたよりも深刻だったらしい。
「公方様は甲斐の武田や越前の朝倉にも上様を討つようにと密使を送っていたという話でござりますぞ」
町野左近までが知っていた。
「どこでその話を?」
「岐阜城の詰め所で。若殿は存じてはおられなかったので?」
聞いてはいたが、あくまで噂話の域をでない話ばかりだった。
「急ぎ兵を集めよ。恐らく上様は琵琶湖沿岸に用意した大船で上洛する。遅れを取るな」
町野左近に命じると、忠三郎も大急ぎで出陣の支度を整え、城を出た。
向かう先は大津にある石山城。ここには甲賀衆の一人、山岡光浄院が伊賀・甲賀の素破とともに立てこもり、都へ入る道をふさいでいる。
忠三郎が柴田勝家の部隊と合流すると、明智光秀、丹羽長秀の軍勢も着陣し、まもなく信長が大船に乗って現れた。
「我が方には城主・山岡光浄院の兄、美作守がおりまする。美作守に説かせて城明け渡しを求めては如何なものかと」
勝家がそう進言し、美作守が城へ使者を送ると、大軍勢を見た山岡光浄院は戦うことなく開城した。
続けて甲賀衆の一人、磯谷新右衛門が立てこもる今堅田城を攻め落とすと、信長は都へは入らず、義昭に和睦の使者を送って岐阜へ戻った。
「公方様と決着をつけぬまま岐阜へお戻りとは…」
不可解に思っていると、
「甲斐の武田が三河まで来たという知らせが届いたのじゃ」
教えてくれたのは柴田勝家だった。
「甲斐の武田?それは、まことのことで?」
義昭が各所に信長討伐の密使を送っているという話はどうやら本当らしい。甲斐の武田信玄はそれに呼応して三河まで兵を進めている。義昭はそれを知って、挙兵したのだろう。
そうであれば、織田家は新たな危機に瀕していることになる。
「武田が上洛するのであれば、公方様が和睦を承知するとは思えませぬが」
浅井・朝倉、本願寺に続き、三河を突破されれば足元の尾張に火が付くことになる。信長は各地の戦局を見極めるために岐阜へ戻ったようだ。
(尋常ではない。これは大変なことになる)
四方を敵に囲まれている。その上、今回は武田まで加わった。戦さ上手という評判の武田信玄と強兵揃いの甲斐の武田兵。これまででも類を見ない強敵だ。
「されど、新たな情報もある」
「新たな情報?」
「真偽のほどは分からぬが、上様は岐阜へ戻られたのじゃ。我等も兵を引こう」
新たな情報とは吉報なのか凶報なのか。気になったが勝家はそれ以上、教えてはくれなかった。まだ不確かな情報なのかもしれない。
(日野に戻れば伊勢の義兄上から何か知らせが届いているかもしれない)
一益は東の事情に詳しい。忠三郎は勝家とともに兵を引いて日野へ戻った。
初夏を迎えた日野谷には朗報がもたらされていた。
信長最大の敵であった甲斐の武田信玄。将軍義昭の求めに応じて兵を挙げ、都を目指して三河まで兵を進めていたが、何故か、武田の進軍が止まり、甲斐に引き返したという。
「兵が引き返した?それはまた何故に?破竹の勢いと聞き及んでいたが…」
忠三郎が驚くと、一益からの知らせを受けていた助太郎が
「信玄入道が病に倒れたのではないかという風聞で」
「病に倒れた?」
そんな都合のいいことが起きるものだろうか。いずれにせよ武田が引き上げたことは確かなようだ。
ところが義昭は和睦を拒絶したとの知らせが届いた。
「上様は和睦がならぬ時は都を焼き払うと仰せであったとか」
町野左近が不安そうに言ったので、忠三郎は笑顔で
「爺。うろたえるな。あれはただの脅し。都には帝もおられる。いかに上様とはいえ、そのような暴挙をなさるはずもない」
安心させようと、都の様子を探ってきた助太郎を呼んだ。
「助太郎、如何であった、都は」
「大騒ぎでござります。武田が三万の軍勢で岐阜に迫っておるとか、三好勢と大坂本願寺の軍勢・一万五千が都に来るとか、不確かな風聞が飛び交っておりまする」
武田が進軍をやめて甲斐に戻りつつあることは、都までは届いていないようだ。
再び出陣命令が下されたのは三月に入ってからだった。兵を率いて都へ向かうと、信長は都の東・華頂山の麓にある知恩院に本陣を構えていた。
「我等は将軍と争うつもりはない。将軍がお許しくだされるのであれば、嫡子・勘九郎とともに出家し、武器を捨てて将軍の前にでようではないか」
信長はそういって再度、使者を送り、和議を申し入れた。
(やはり、上様が都を焼き払うなどという暴挙をなさるはずがない)
まさかそんなことはしないだろうと思ってはいたが、不安はぬぐい切れず、ここにきて信長の顔を見るまでは安心できなかった。しかし、常と変わらぬ信長を見て、胸をなでおろした。
「権六、右衛門、十兵衛」
柴田勝家、佐久間信盛、明智光秀が同時に顔をあげる。
「ハハッ」
「将軍が再び和議を拒むのであれば、もはや手をこまねいてみているわけにはいかぬ。今すぐ、都に火を放つ支度をはじめよ」
居並ぶ者が皆、サッと青ざめた。
「委細承知」
三人はすでに覚悟を決めていたのか、取沙汰することもなく、足早に去っていく。
(武田の脅威は去った。帝のおわす都を焼き払うなど、まことにそのようなことを…)
あくまでも義昭を脅すために支度をさせるだけだろう。
焼き払うと聞き、驚いた京の町衆は、上京・銀千五百、下京・銀八百を差し出し、焼き討ちの中止を願い出てきた。
京の都は二条通を境にして北と南に分けられる。北は上京もしくは上辺、南が下京もしくは下辺と呼ばれている。
帝のいる内裏、義昭がいる二条御所は上京にある。上京は幕臣の屋敷が多く、裕福な商人が住んでおり、下京は一般民衆が住んでいた。
「下京の者どもが銀八百とは容易なことではない。これは返せ」
信長は下京から提出された銀を返すようにと命じた。
(上様はよう存じておられる)
苛烈な命を下す反面、情け深い姿を見せる。これまでもこうした信長の二面性に驚かされてきた。
自陣に戻ると、どうなることかと家臣たちが皆、揃って待っていた。しかし供に軍議にでていた父・賢秀は家臣たちに何も話すことなく、気分が悪そうにして奥へ入っていった。
「若殿。何やら殿のお顔の色が優れませぬが、如何、相なりましたかな」
町野左近をはじめ、家臣たちは不安そうに忠三郎の顔を見る。
「まだわからぬ。公方様がなんと仰せになるのか。まずは焼き討ちの支度をさせよ」
「まさか、まことに都に火をかけるなどということは…」
明らかに戸惑いの色が見えた。
(さもありなん)
京の都には大勢の人が住んでいる。その数は二十万から三十万と言われ、信長の居城・岐阜が一万人、桑名が二万人、堺が三万人余りであることを考えると、都は他所とは比較にならないほどに人が多い人口密集地だ。火をかければ多くの死者が出ることは分かりきっている。
兵が焼き討ちの支度をする姿を見ていると、だんだんと単なる脅しとは思えなくなってきた。義昭はまだ武田が引き上げたことを知らない。武田が上洛すると思っているのであれば、和睦を承諾するとは思えない。
二日後、使者が戻った。案の定、義昭は和睦を拒んだ。
「もはや許しがたい。予が本気で焼き払うつもりがあることを思い知らせよ」
信長の瞳は遠くを見据え、その奥には一切の感情が読み取れない。容赦のない決断が、その場の空気を凍らせ、家臣たちの目の前に地獄の光景を描き出した。
「それは…都を焼き払うと?」
正直者の勝家が青くなって確認すると、
「下京は許してつかわす。まずは洛外を焼き払ったのち、再度、将軍に使者を送れ」
その声は冷たく響き、居並ぶ全ての者に命運を悟らせる。勝者の道は、血で染め上げられた無慈悲の道にほかならぬと、そう断言しているように聞こえた。
狼狽える家臣たちを尻目に、信長は本陣を等持院へ移し、自ら指揮を取った。
「手心加えるには及ばず!皆、存分に乱捕りいたせ!」
それを聞いた兵の目が血走り、おびただしい数の兵が洛外へと殺到していく。
(都で乱捕りとは…)
これまで岐阜から都へ続く道は乱捕りが禁止されていた。
(これは前代未聞の惨事になる)
洛外の至る所から火の手があがるのが見えた。都の空のあちこちが赤く照らされ、燃えさかる炎の中、血の海が広がっていった。家々は無残に焼かれ、泣き叫ぶ声が耳を裂く。無力な老若男女が、刃に倒れ、無惨な姿を晒していく。
「見えているだけでも相当な数でござりますな」
町野左近が唖然として四方を見渡している。
「百か所は越えているという話ではあったが…」
乱捕りを奨励しているので、燃やすまでもなく、五十を超える付近の村に住む人は殺害され、村は死滅する。
ここに至ってもなお、義昭は和睦に応じなかった。
夜が明けてから、信長はついに御所と内裏、一部の寺を残して焼き討ちを命じた。全上京に火がかけられ、都の空は真昼のように明るくなった。都に住む人々は兵や追い剥ぎによって女も子供も容赦なく殺害され、かろうじて逃れた者の多くが大井川、桂川へと飛び込み、溺死した。
忠三郎の目は、次々と命を奪われる人々の姿を捉え、胸の奥で何かが崩れ落ちるのを感じた。幼い頃に教え込まれた『まことの武士の姿』は、名誉や忠義を語っていたはずだ。
しかし今、目の前で繰り広げられているのは、何の価値もない無慈悲な暴力、ただの殺戮でしかない。
夜が更けても上京を焼き尽くす炎の勢いはとどまらず、夜が明けると上京だった場所には見渡す限りの焼け野原が広がっていた。
「これが都とは…」
家臣たちが恐れ、驚愕している。静寂が戻った都には、無数の屍が横たわっていた。流された民の血は地に染み込み、煙の中でもわずかに鉄臭い濁りを帯びる空気を感じ取れた。
勝利を告げる歓声も、忠三郎の耳には遠く感じられた。
(すべては公方様が…和睦に応じなかったがため。我らに咎はない)
そう自分に言い聞かせた。ただ信長の命に従うこと。織田家の家臣である以上、それが全てだ。だが、その言葉は今、虚しく響くだけだった。
守るべき何かを得たわけではない。むしろ、自らの心の中に、失われた何かがあった。振り払えぬ不快感、胸を締め付ける苦悩、それらが複雑に絡み合い、じわじわと広がっていく。
(まことに我らに咎はないのか)
忠三郎の心の中で何かが変わった。上京焼き討ちで失ったもの。それは己の人としての魂だったのではないか。佐助が忠三郎に求めたことはこんなことではなかった筈だ。しかしもう、佐助の知っているかつての忠三郎はここにはいない。心の中で冷たい風が吹き抜け、もう元の自分には戻れないと悟った。
信長は更に義昭を追い込むために、御所を取り囲み、朝廷を介して義昭に和睦を申し入れた。
こうして帝から講和の勅命が下りると、義昭も和睦に応じ、ようやく両者の講和が成立した。
(やっと終わってくれたか)
誰もが息をつき、国に帰る支度をしている中、柴田勝家、佐久間信盛、丹羽長秀、そして蒲生勢にも新たな命が下った。
「このまま江北へ行き、鯰江城を攻略せよ」
この勢いで六角親子を討伐しろという命令だ。
(もはや百済寺も風前の灯火か)
比叡山延暦寺を、そして上京を焼き払ったほどだ。百済寺が六角を支援しているとわかれば、躊躇することなく百済寺も焼き払われるだろう。
「敵は?」
勝家の使者を前に忠三郎が首を傾げる。
「公方様で」
「公方様?」
かねてから信長との不仲がささやかれていた将軍・足利義昭が兵をあげたという。
(ただの噂と思っていたが、まことのことであったか)
事態は忠三郎が思っていたよりも深刻だったらしい。
「公方様は甲斐の武田や越前の朝倉にも上様を討つようにと密使を送っていたという話でござりますぞ」
町野左近までが知っていた。
「どこでその話を?」
「岐阜城の詰め所で。若殿は存じてはおられなかったので?」
聞いてはいたが、あくまで噂話の域をでない話ばかりだった。
「急ぎ兵を集めよ。恐らく上様は琵琶湖沿岸に用意した大船で上洛する。遅れを取るな」
町野左近に命じると、忠三郎も大急ぎで出陣の支度を整え、城を出た。
向かう先は大津にある石山城。ここには甲賀衆の一人、山岡光浄院が伊賀・甲賀の素破とともに立てこもり、都へ入る道をふさいでいる。
忠三郎が柴田勝家の部隊と合流すると、明智光秀、丹羽長秀の軍勢も着陣し、まもなく信長が大船に乗って現れた。
「我が方には城主・山岡光浄院の兄、美作守がおりまする。美作守に説かせて城明け渡しを求めては如何なものかと」
勝家がそう進言し、美作守が城へ使者を送ると、大軍勢を見た山岡光浄院は戦うことなく開城した。
続けて甲賀衆の一人、磯谷新右衛門が立てこもる今堅田城を攻め落とすと、信長は都へは入らず、義昭に和睦の使者を送って岐阜へ戻った。
「公方様と決着をつけぬまま岐阜へお戻りとは…」
不可解に思っていると、
「甲斐の武田が三河まで来たという知らせが届いたのじゃ」
教えてくれたのは柴田勝家だった。
「甲斐の武田?それは、まことのことで?」
義昭が各所に信長討伐の密使を送っているという話はどうやら本当らしい。甲斐の武田信玄はそれに呼応して三河まで兵を進めている。義昭はそれを知って、挙兵したのだろう。
そうであれば、織田家は新たな危機に瀕していることになる。
「武田が上洛するのであれば、公方様が和睦を承知するとは思えませぬが」
浅井・朝倉、本願寺に続き、三河を突破されれば足元の尾張に火が付くことになる。信長は各地の戦局を見極めるために岐阜へ戻ったようだ。
(尋常ではない。これは大変なことになる)
四方を敵に囲まれている。その上、今回は武田まで加わった。戦さ上手という評判の武田信玄と強兵揃いの甲斐の武田兵。これまででも類を見ない強敵だ。
「されど、新たな情報もある」
「新たな情報?」
「真偽のほどは分からぬが、上様は岐阜へ戻られたのじゃ。我等も兵を引こう」
新たな情報とは吉報なのか凶報なのか。気になったが勝家はそれ以上、教えてはくれなかった。まだ不確かな情報なのかもしれない。
(日野に戻れば伊勢の義兄上から何か知らせが届いているかもしれない)
一益は東の事情に詳しい。忠三郎は勝家とともに兵を引いて日野へ戻った。
初夏を迎えた日野谷には朗報がもたらされていた。
信長最大の敵であった甲斐の武田信玄。将軍義昭の求めに応じて兵を挙げ、都を目指して三河まで兵を進めていたが、何故か、武田の進軍が止まり、甲斐に引き返したという。
「兵が引き返した?それはまた何故に?破竹の勢いと聞き及んでいたが…」
忠三郎が驚くと、一益からの知らせを受けていた助太郎が
「信玄入道が病に倒れたのではないかという風聞で」
「病に倒れた?」
そんな都合のいいことが起きるものだろうか。いずれにせよ武田が引き上げたことは確かなようだ。
ところが義昭は和睦を拒絶したとの知らせが届いた。
「上様は和睦がならぬ時は都を焼き払うと仰せであったとか」
町野左近が不安そうに言ったので、忠三郎は笑顔で
「爺。うろたえるな。あれはただの脅し。都には帝もおられる。いかに上様とはいえ、そのような暴挙をなさるはずもない」
安心させようと、都の様子を探ってきた助太郎を呼んだ。
「助太郎、如何であった、都は」
「大騒ぎでござります。武田が三万の軍勢で岐阜に迫っておるとか、三好勢と大坂本願寺の軍勢・一万五千が都に来るとか、不確かな風聞が飛び交っておりまする」
武田が進軍をやめて甲斐に戻りつつあることは、都までは届いていないようだ。
再び出陣命令が下されたのは三月に入ってからだった。兵を率いて都へ向かうと、信長は都の東・華頂山の麓にある知恩院に本陣を構えていた。
「我等は将軍と争うつもりはない。将軍がお許しくだされるのであれば、嫡子・勘九郎とともに出家し、武器を捨てて将軍の前にでようではないか」
信長はそういって再度、使者を送り、和議を申し入れた。
(やはり、上様が都を焼き払うなどという暴挙をなさるはずがない)
まさかそんなことはしないだろうと思ってはいたが、不安はぬぐい切れず、ここにきて信長の顔を見るまでは安心できなかった。しかし、常と変わらぬ信長を見て、胸をなでおろした。
「権六、右衛門、十兵衛」
柴田勝家、佐久間信盛、明智光秀が同時に顔をあげる。
「ハハッ」
「将軍が再び和議を拒むのであれば、もはや手をこまねいてみているわけにはいかぬ。今すぐ、都に火を放つ支度をはじめよ」
居並ぶ者が皆、サッと青ざめた。
「委細承知」
三人はすでに覚悟を決めていたのか、取沙汰することもなく、足早に去っていく。
(武田の脅威は去った。帝のおわす都を焼き払うなど、まことにそのようなことを…)
あくまでも義昭を脅すために支度をさせるだけだろう。
焼き払うと聞き、驚いた京の町衆は、上京・銀千五百、下京・銀八百を差し出し、焼き討ちの中止を願い出てきた。
京の都は二条通を境にして北と南に分けられる。北は上京もしくは上辺、南が下京もしくは下辺と呼ばれている。
帝のいる内裏、義昭がいる二条御所は上京にある。上京は幕臣の屋敷が多く、裕福な商人が住んでおり、下京は一般民衆が住んでいた。
「下京の者どもが銀八百とは容易なことではない。これは返せ」
信長は下京から提出された銀を返すようにと命じた。
(上様はよう存じておられる)
苛烈な命を下す反面、情け深い姿を見せる。これまでもこうした信長の二面性に驚かされてきた。
自陣に戻ると、どうなることかと家臣たちが皆、揃って待っていた。しかし供に軍議にでていた父・賢秀は家臣たちに何も話すことなく、気分が悪そうにして奥へ入っていった。
「若殿。何やら殿のお顔の色が優れませぬが、如何、相なりましたかな」
町野左近をはじめ、家臣たちは不安そうに忠三郎の顔を見る。
「まだわからぬ。公方様がなんと仰せになるのか。まずは焼き討ちの支度をさせよ」
「まさか、まことに都に火をかけるなどということは…」
明らかに戸惑いの色が見えた。
(さもありなん)
京の都には大勢の人が住んでいる。その数は二十万から三十万と言われ、信長の居城・岐阜が一万人、桑名が二万人、堺が三万人余りであることを考えると、都は他所とは比較にならないほどに人が多い人口密集地だ。火をかければ多くの死者が出ることは分かりきっている。
兵が焼き討ちの支度をする姿を見ていると、だんだんと単なる脅しとは思えなくなってきた。義昭はまだ武田が引き上げたことを知らない。武田が上洛すると思っているのであれば、和睦を承諾するとは思えない。
二日後、使者が戻った。案の定、義昭は和睦を拒んだ。
「もはや許しがたい。予が本気で焼き払うつもりがあることを思い知らせよ」
信長の瞳は遠くを見据え、その奥には一切の感情が読み取れない。容赦のない決断が、その場の空気を凍らせ、家臣たちの目の前に地獄の光景を描き出した。
「それは…都を焼き払うと?」
正直者の勝家が青くなって確認すると、
「下京は許してつかわす。まずは洛外を焼き払ったのち、再度、将軍に使者を送れ」
その声は冷たく響き、居並ぶ全ての者に命運を悟らせる。勝者の道は、血で染め上げられた無慈悲の道にほかならぬと、そう断言しているように聞こえた。
狼狽える家臣たちを尻目に、信長は本陣を等持院へ移し、自ら指揮を取った。
「手心加えるには及ばず!皆、存分に乱捕りいたせ!」
それを聞いた兵の目が血走り、おびただしい数の兵が洛外へと殺到していく。
(都で乱捕りとは…)
これまで岐阜から都へ続く道は乱捕りが禁止されていた。
(これは前代未聞の惨事になる)
洛外の至る所から火の手があがるのが見えた。都の空のあちこちが赤く照らされ、燃えさかる炎の中、血の海が広がっていった。家々は無残に焼かれ、泣き叫ぶ声が耳を裂く。無力な老若男女が、刃に倒れ、無惨な姿を晒していく。
「見えているだけでも相当な数でござりますな」
町野左近が唖然として四方を見渡している。
「百か所は越えているという話ではあったが…」
乱捕りを奨励しているので、燃やすまでもなく、五十を超える付近の村に住む人は殺害され、村は死滅する。
ここに至ってもなお、義昭は和睦に応じなかった。
夜が明けてから、信長はついに御所と内裏、一部の寺を残して焼き討ちを命じた。全上京に火がかけられ、都の空は真昼のように明るくなった。都に住む人々は兵や追い剥ぎによって女も子供も容赦なく殺害され、かろうじて逃れた者の多くが大井川、桂川へと飛び込み、溺死した。
忠三郎の目は、次々と命を奪われる人々の姿を捉え、胸の奥で何かが崩れ落ちるのを感じた。幼い頃に教え込まれた『まことの武士の姿』は、名誉や忠義を語っていたはずだ。
しかし今、目の前で繰り広げられているのは、何の価値もない無慈悲な暴力、ただの殺戮でしかない。
夜が更けても上京を焼き尽くす炎の勢いはとどまらず、夜が明けると上京だった場所には見渡す限りの焼け野原が広がっていた。
「これが都とは…」
家臣たちが恐れ、驚愕している。静寂が戻った都には、無数の屍が横たわっていた。流された民の血は地に染み込み、煙の中でもわずかに鉄臭い濁りを帯びる空気を感じ取れた。
勝利を告げる歓声も、忠三郎の耳には遠く感じられた。
(すべては公方様が…和睦に応じなかったがため。我らに咎はない)
そう自分に言い聞かせた。ただ信長の命に従うこと。織田家の家臣である以上、それが全てだ。だが、その言葉は今、虚しく響くだけだった。
守るべき何かを得たわけではない。むしろ、自らの心の中に、失われた何かがあった。振り払えぬ不快感、胸を締め付ける苦悩、それらが複雑に絡み合い、じわじわと広がっていく。
(まことに我らに咎はないのか)
忠三郎の心の中で何かが変わった。上京焼き討ちで失ったもの。それは己の人としての魂だったのではないか。佐助が忠三郎に求めたことはこんなことではなかった筈だ。しかしもう、佐助の知っているかつての忠三郎はここにはいない。心の中で冷たい風が吹き抜け、もう元の自分には戻れないと悟った。
信長は更に義昭を追い込むために、御所を取り囲み、朝廷を介して義昭に和睦を申し入れた。
こうして帝から講和の勅命が下りると、義昭も和睦に応じ、ようやく両者の講和が成立した。
(やっと終わってくれたか)
誰もが息をつき、国に帰る支度をしている中、柴田勝家、佐久間信盛、丹羽長秀、そして蒲生勢にも新たな命が下った。
「このまま江北へ行き、鯰江城を攻略せよ」
この勢いで六角親子を討伐しろという命令だ。
(もはや百済寺も風前の灯火か)
比叡山延暦寺を、そして上京を焼き払ったほどだ。百済寺が六角を支援しているとわかれば、躊躇することなく百済寺も焼き払われるだろう。
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満州国は、日本が作った対ソ連の干渉となる国であった。 未開の不毛の地であった。 無法の馬賊どもが闊歩する草原が広がる地だ。 そこに、農業開発開墾団が入植してくる。 とうぜん、馬賊と激しい勢力争いとなる。 馬賊は機動性を武器に、なかなか殲滅できなかった。 それで、入植者保護のため満州政府が宗主国である日本国へ馬賊討伐を要請したのである。 それに答えたのが馬賊専門の討伐飛行隊である。
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