忠犬ハジッコ

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第十五話 夜桜ふたたび

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「今の音……夜桜!?」ハジッコも立ち上がりあたりを警戒する。
 いきなりビスマルクが「ワウワウワウッ!!」とえだし、その方角のやぶがカサっとなった。くそ! 虎之助さんは守らなくっちゃ! そう思いながら、ハジッコは全神経を集中させる。

 しかし「スミちゃん。大丈夫!?」と言って藪から出て来たのは希来里だった。
「あっ、希来里さん。ご無事でしたか! よかった……でも、気を付けて下さい! 
 夜桜がこの近くにいます!! それに虎之助さんも様子がおかしくて……早く逃げましょう」
「そうなんだ。それで、虎先輩の具合はどうなの?」希来里の言葉に、ハジッコは、改めて虎之助に近寄って様子を確かめる。

 すると虎之助がいきなり眼を開けて、グワッとハジッコに飛び掛かってきた。
「きゃっ!? 虎之助さん。一体何を?」そう言うハジッコの言葉には耳を貸さず、虎之助は立ち上がって、ハジッコを背中から羽交はがめにした。
「ワウワウワウッ!?」ビスマルクも主人のいきなりの行動に戸惑とまどっている様に見えた。

「虎之助さん……虎兄。はなして!」ハジッコが叫ぶが、虎之助は全く動かない。するとおさえられているハジッコの前に希来里が立ち、ズボンの後ろポケットから、小さな手鏡を取り出した。

「ああ! その手鏡は……もしかして、希来里さんが夜桜なの!?」
 ハジッコはその時、全てを理解した。あの晩、まつりたちの手を逃れ、夜桜は希来里さんについていったのだ。そして今は……希来里さんが、夜桜に操られている!!

「犬! まったく、手間をかけさせてくれたな。だが、もう何も出来まい。このままおとなしくお前の姿と魂を私に寄こせ!」そう言いながら、夜桜がゆっくり手鏡をハジッコの顔に近づけてくる。

「あの……ちょっと待って下さい。この姿を写すのは構いませんし、私の魂も差し上げますから、私の話を聞いてくれませんか?」虎之助に抑え込まれたハジッコのその言葉に、夜桜が手を止めてたずねる。
「なんだ。何か思い残した事でもあるのか……ああ、その虎ともっとイチャイチャしたかったのか? だがあきらめろ。虎は希来里が欲しがっていたのでな。この用事が済んだら希来里にくれてやるのさ」

「違います! 約束して下さい。私がスミちゃんの容姿と魂を渡したら、虎之助さんを元の状態に戻すと。それから、あのスミちゃんの魂……あの壊れてしまった顔をちゃんと元通りにしてあげて下さい。あんな顔じゃ可哀そうです」
「ふっ、心配するな。もとより澄子の顔はちゃんと直すつもりだ。お前の魂はいらんのだがな……魂とセットでないと容姿を写せん。それに虎之助も元に戻さんと希来里に悪いだろ?」

「ああ。そうであれば安心しました。私はもう思い残す事はありません。
 ですが近いうちに必ず、まつりちゃんと豊川刑事が、あなたの中にある魂たちを解放しに来ますよ!」
「ふっ、まあ好きにしろ。私もだまってやられはしない。それに……魂の抜けたその身体が、くさらずにあと何日持つものか……まあ、澄子が生き返れる可能性はないだろうさ。ははははははははっ」

 そして夜桜は再び、手鏡をハジッコの顔に近づけてくる。
 ハジッコは、虎之助に抑え込まれたまま、観念して眼を閉じた。

 その時である。いままでうなるだけでじっとしていたビスマルクが、何を思ったのか、いきなり虎之助のふくらはぎにみついた。
「うわっ!?」さすがの虎之助でも、この大型犬に噛みつかれたらたまらない。思わずハジッコを押さえていた手を離し、その場にうずくまった。

「クソ犬! 余計な事を!」そう言いながら夜桜は、逃げようとするハジッコの動きを霊力で止めようとしたがまだ霊力が完全ではなく、ハジッコを抑えきる事が出来ない。すると今度はビスマルクが、夜桜が操る希来里の右手に飛び掛かった。
「そう何度も同じ手は食わん!!」夜桜は慌てて右手を上に上げ、手鏡への攻撃を避けたが、勢い余って尻もちをついた。そこへビスマルクが馬乗りになって夜桜に吠え掛り、時折、ハジッコの顔をちらちらみていた。

「ビス君……そうか! このスキに逃げろと言うのね!」
 ビスマルクに噛まれたショックで、虎之助にかかっていた夜桜の暗示も解けた様で、虎之助はもうろうとしながらもハジッコの顔を見ている。
「虎之助さん。とにかくここを離れましょう!! ビス君。ありがとう!!」

 ハジッコはそう言いながら虎之助の手を引いて、夜桜から遠ざかった。

 ◇◇◇

 もう完全に陽も落ち、ほぼ真っ暗な森の中を、ハジッコは虎之助の手を引きながら慎重に進む。正直、どっちに行けば人のいる所に出るのかも分からない。それに、さっきおりんの音を聞いてから変化した空気の感じが、まだそのままだ。もしかしたらまだ夜桜の結界の中なのだろうか?
 だが足を止める訳にはいかない。ハジッコは動物の本能を最大限に発揮し、開けた場所を探す。

「ああ……澄子。一体何が……」どうやら虎之助の正気が戻って来た様だ。
 さっきからにぎっている手も汗ばんで来てるので、多分熱も下がったのだろう。
 そもそも希来里が夜桜に操られていたとなると、虎之助の不調も奴が原因に違いなく、距離を置いた事で回復したのかもしれない。

「虎之助さ……虎兄。ごめん。道に迷っちゃった。それで、希来里さんが……」
「ああ、何か様子がおかしいようだったが……それにビスマルクも……そうだ! 俺、あいつに噛まれて……いっててて」
「大丈夫? 希来里さんはね。夜桜に操られていたんだよ! それで私達、人目のない所に誘導されちゃって危なかったんだけど、ビスマルクが助けてくれたの!」
「……なんだって……マジかよ。でも澄子。希来里とビスマルクをそのままには出来ないだろ?」
「だから、とにかく他の人の応援を……」

 そう言いかけたハジッコの目の前に、突然、何か大きなものがドサッと落ちて来た。
「何だ!?」虎之助が、暗闇の中、近づいて確認し「ビスマルク!?」と声をあげた。
「えっ!? ビス君……大丈夫なの?」ハジッコも心配そうに駆け寄る。
「とりあえず息はある様だが、こりゃかなり痛めつけられてるな。ハジッコもこんな感じで夜桜にやられたのか!?」
「うん……」
畜生ちくしょう。絶対許さないぞ、夜桜!」

「ははは。別に許してもらおうとも思わないわよ」
 そう言いながら木陰こかげから人が出て来た。
 暗くてよく分からないが、声は希来里のものだ。
「もう、そのバカ犬がうるさくて……やっと追いついた。でもあれ? 虎先輩。気がつかれましたか? 聞いて下さい虎先輩! スミちゃんったらひどいんですよ。そのバカ犬を私にけしかけて、先輩を私からうばったんです!」

「何をふざけた事を言ってるの夜桜!! そんな希来里さんのフリしたって、もう虎之助さんはだませませんよ!!」ハジッコの声がひびく。

「ああ? なんだお前。虎之助をだましているのはお前もいっしょだろうが?」
 希来里の声のトーンがいきなり低くなった。これが本来の夜桜の声?
「そんな騙してるだなんて……」そう言いながらハジッコに動揺が走る。
(だめだ。ここで私がハジッコだって虎之助さんにバラされたら……スミちゃんがこの身体に戻れなくなっちゃう!)

「おい澄子。どういう事だ? 夜桜は何の事を言ってるんだ?」
 かなり意識もはっきりしてきて、虎之助は夜桜の言葉に疑問を持った様だ。
「あ、あの……何でもありません。あんな妖怪のいう事、信じちゃダメです!!」
 ハジッコは懸命に取りつくろおうとするが、虎之助がそれを気にせず夜桜に食ってかかった。

「おい。お前が夜桜か? よくもビスマルクをこんな目に合わせたな! それから澄子にも怖い思いをさせて、しかも希来里まで操って……もう許せん!! 付喪神つくもがみだかなんだか知らないが、もう容赦ようしゃしないぞ!!」
 そして虎之助が夜桜の声がした方に近づいていく。
「あ、ダメです虎之助さん。不用意に近づいちゃ!」

「ああ、虎先輩。やっぱり、あんな犬女なんかより私の方がいいですよね?」
 また希来里の声に戻って夜桜は、虎之助に抱きつきざま、またキスをした。
「犬……女?」
「ええ。あの澄子の身体に入っているのはハジッコとかいう犬の魂ですから……」

「だめーーーー!!」ハジッコが絶叫ぜっきょうした。

 しかし、また夜桜の術中に落ち朦朧もうろうとし出した虎之助がハジッコの方を向きながら、こう言った。
「お前が……ハジッコ?」そう言いながら虎之助の意識は途切れた。
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