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第一章

駐屯地

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♦︎

 日の出頃に目が覚めた。
 寝惚け眼のままむくりと起き上がって暫しぼうっとしていたが、徐々に働き始めた頭で現状を把握していく。

 見張りを任せたまま先に就寝してしまったことを思い出した乃愛は、寝袋から抜け出すため慌てるように身動ぐと、すぐ隣で別の寝袋に包まれて横になっている沙奈が目に入った。

 それを見てほっと息を吐く。
 外はそれほど危険ではなかったのかもしれない。いつ頃から眠りについたのかわからないため、起こさないようにそうっと立ち上がった。

 寝袋を片付けながら、テントの中を見回す。昨夜はすぐに寝入ってしまったため中をきちんと確認できていなかったが、外観からは想像できないくらいに広い。
 傍目は何の変哲もない布張りの三角テントで、高さは一人分、幅は二人分程度の大きさだったが、中はその数倍の広さがあって、二十人くらいは余裕で雑魚寝ができそうに見える。
 テントの中は常に程よい暖かさが保たれており、地面は均されて畳のような厚みと柔らかさがあった。表面には虫や獣除けの結界も張られている。寝袋もあって、地下迷宮にいた時より快適かもしれなかった。

 ふと自分の身なりに気を取られて確認すると、制服のままだったので少し乱れて皺ができてしまっていた。こういう場合、魔術の〈衛生ハイジーン〉を使用すれば整いそうだと頭を過れば、体全体にふわっとした感覚が走ったと同時に、身なりがスッキリとして体が綺麗になったような気がした。よれた制服もパリッとして形崩れが直っている。
 これまで〈衛生〉を自分で発動させてもほとんど変化がないと感じていたが、これもいつの間にか無意識で発動していたのかもしれない。今になって初めて自覚できた。
 便利で助かるが、この状態が続いてしまうとあっという間にだめ人間になりそうだ。できるだけ早く生活環境を整えなければ。

 とりあえず顔だけでも洗おうと、靴を履いて外に出た。肌に当たる冷たい空気に思わず体をぶるっと震わす。朝晩は冷え込んでいて、近くに小川が流れているからか、うっすらと霧も漂っていた。

 マントを羽織って寒さを誤魔化しながら、焚き火を作る。
 水を入れた鍋を火にかけてぬるま湯を用意し、顔にパシャパシャとかけた。布で水気を拭き取れば、目が冴えてさっぱりする。肌に汚れはなくとも、これをするとしないとでは気分が違う。口も軽くゆすいでおく。

 朝食は少し趣向を変えて、芋を使うことにした。数が多くなかったからか、迷宮にいる時は使われなかった余り物だ。同じ理由で調味料も少しだが数種ある。

 茹でた馬鈴薯もどきをつぶして、戻した乾燥野菜を混ぜ合わせる。スライスした黒パンをしっかり目に炙って、その上にマッシュポテトを厚めにペーストし、更にその上に干し肉をサイコロ状に刻んでカリカリに炒めたものを乗せる。塩胡椒をふりかけて味を調えれば完成だ。

 朝日が昇りきった頃、昨日余った野菜スープも出して、できた朝食をテーブルに並べて紅茶を淹れていると、沙奈が起き出してきた。

「おはよう。良い匂いがする~」
「お、おはよう…ちょうどできたところなんだけど、すぐ食べる?」
「うん。ありがとう、いただきます」

 眠そうにしていた目をぱっちり開けた沙奈は、すぐに着席して手を合わせた。胃がびっくりしないのかなと少し気にしつつ、乃愛も手を合わせる。

 パンは薄めにしてよく炙ったためサクサクして本来の硬さは気にならない。噛むほどに味わいが出てくる黒パンは食べ慣れると結構美味しい。具はシンプルだけど、朝食としては食べやすくて腹持ちが良さそうだった。

「…うま」

 言葉少なに黙々と平らげていく沙奈。
 一切れで食事を終えた乃愛は、紅茶の入ったコップを傾けてその光景を眺めながら、昨日からやけに良い食べっぷりだと感心していた。

「ごちそうさま。美味しかったぁ」

 テーブルに並べたものを完食した沙奈は、満足げに食後のお茶を愉しみ始めた。

「…よく食べるね。やっぱり品数が少ないからもの足りないかな?」
「そんなこともないけど、ノアは少食だよね。それだけで足りてるの?」
「うん、もうお腹いっぱいだよ」

 食事しているところを見ているだけでも充足感があったほどだ。乃愛は元々が少食で、朝食はあまり摂らないタイプだった。自分だけであれば紅茶一杯で済ませていただろう。

「昨日は見張りありがとう。結局朝まで寝てしまって…サナちゃん寝不足になってない?これから寝直しても—」
「あのあと割とすぐに私も寝たから全然平気」
「そっか、良かった…」

 押し付ける形になったことを気にしていたので、それを聞いて乃愛はほっと息を吐いた。
「それより」と少し前のめりになって沙奈は別の話を始めた。

「え…魔族が…?」

 昨夜あったことを聞かされた乃愛は、ポカンと口を半開きにしたまま唖然とした。
 まさかこんなにも早く接触してくるとは。いやそれ以上に驚きなのが。

「私たちを…魔族の国に連れて行ってくれる…?」
「そうみたい。なんでも言ってみるものね」

 そう言って口端を上げてニッと笑う沙奈。
 乃愛は実際に対面していないので、伝え聞いた限りだと、胡散臭いことこの上ない。そんな都合の良い話があるだろうか。確実に何か裏がありそうだ。

「まぁ怪しさ満載だけどね。でもどの道こちらから接触するつもりだったし、手間が省けて良いと思って」
「そうだけど…」

 正面から訪問するつもりだったのであれば、遅かれ早かれこうなっていたのかもしれないが、どこか釈然としない気持ちが燻る。

 ともあれ、身の回りを片付け終わると、教えられた合流場所の駐屯地に向かって早々に出立した。

♦︎

 —-ブンブン

「ヒャッホーゥ!」

 —-ブンブンブン

「ウェーイ」

 —-ブンブンブンブンッ

「ヒーハー!」

 目の前には、随分と楽しそうに駆け回る若者たちがいた。

 ガタイの良い長身の金髪ベリーショートで褐色肌に真っ赤な瞳、着崩した黄土色迷彩柄の軍服、首元には色取り取りのバンダナ、半ヘルを首後ろにずらして額の上に黒眼鏡を掛けた、いかにも残念そうな出で立ちのやんちゃ風青年だ。

 おまけに何かよくわからない物体を乗り回して、大はしゃぎで獲物だろう獣を皆で追いかけている。

「…ブンブン族かな?」
「え…あれが魔族なんじゃ…」

 謎の乗り物は低空飛行して羽音を鳴らしているが、遠目には軍事基地のような建物が見えている。あれが目的の駐屯地だろう。

 手の内を晒す必要はないとして徒歩でのんびり進んできて、今は日が高くなってきた頃合い。建物が見えてきたと思えば、騒がしい輩がそこから出てきて、呆然と立ち尽くしながらそれを眺めている状況だ。

 あまり関わりたくなくてこれ以上進めない。彼らが遠ざかってくれるのを祈りながら木陰から少し顔を出してその光景を見つめていると、また建物から出てきた誰かと目が合った、気がした。

「こっちを見てる?あ…」

 こちらを見ていた人物は踵を返して慌てるように中へと戻って行った。

 —-カンカンカンッ

 しばらくすると甲高い鐘の音が周囲に鳴り響き、建物からわらわらと人が出てきた。

「せいれーつ!」

 誰かの掛け声と共に、統率のとれた動きで人が横一列に綺麗に並んでいく。
 奥から出てきた一人が、ずんずん歩いてこちらへ近づいてくる。

「あれは…昨夜接触してきたアクシキンね」

 金髪に黒眼鏡、全身黒ずくめの軍服に包まれていて、威圧感が凄い。
 乃愛は思わず沙奈の袖を掴んでその背に隠れた。結界を周囲に全力で展開する。

「アクシキンと申します。ようこそお越しくださいました。さぁ、こちらへどうぞ」

 見た目とは裏腹に、随分柔らかな物腰だ。
 沙奈の顔を窺うと怪訝そうに目を眇めている。

 とりあえず促されるままについて行くと、横一列に並んでいた人垣が左右に縦割れて、その中を通ることになった。
 皆、軍服で金髪に黒眼鏡だ。今にも「お勤めご苦労様です」と聞こえてきそう。

 どうやら、歓迎されているらしい。


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