20 / 122
6章 じゃがいもとマヨネーズの後押し
第2話 久しぶりのあの人は
しおりを挟む
営業が始まって数時間、お陰さまで料理は完売となった。まだ店内ではお客さまがくつろいているが、千隼はお品書きを回収し、営業中と書かれたプレートを支度中にするために表に出る。
プレートを返し、ドアからお品書きのホワイトボードを外した時、駅の方からふらふらと歩いて来る人影があった。
その気配に千隼がそちらを見ると、それは春日さんだった。
「春日さん。こんばんは、お久し振りですね」
千隼が明るくそう声を掛けると、春日さんは力の無い笑みを浮かべる。
「ああ、ハヤさん。こんばんは。本当にすっかりとご無沙汰しちゃって」
千隼の前で春日さんの足が止まる。店内から漏れ出て来る光を頼りにあらためて春日さんを見ると、その頬はすっかりと痩けてしまっていて、色艶も良く無く、かなり疲れが現れていた。
春日さんはもともとふっくらとされていた方だったので、その変貌に千隼は驚きを隠せない。
「どうされたんですか、春日さん。かなりお疲れみたいですけど」
「ええまぁ、ここしばらくかなりの激務でね」
春日さんは言って苦笑する。
「いろいろあって勤務形態が変わってしまって、毎日帰宅は日をまたいでしまうんだ。今日はこれでも少し早いぐらいでね。食欲もすっかり落ちてしまって、ろくな食事も出来ていなくて。でも帰って来る時にはもう煮物屋さんは閉まっているから」
春日さんはうなだれてしまう。
「ああ、またここのポテトサラダが食べたいなぁ」
そう言って春日さんははぁと溜め息を吐いた。
「あ、あの、春日さん、少し、少しだけ待っていてもらえますか?」
「うん?」
千隼は言い置くと、ホワイトボードを手に慌てて店内に戻る。厨房に入って隅にボードを放り投げる様に置くと、冷蔵庫から小鉢の料理を入れたタッパを出し、その中身を詰められるだけ、小鉢用の持ち帰り用使い捨て容器に詰める。
途中で佳鳴が首を傾げて「どうしたの?」と声を掛けて来るが、応える時間が惜しい。千隼は「あとで」と言いおき、容器を取っ手付きのナイロン袋に入れて、飛び出す様に外に出た。
春日さんは表で静かに待っていてくれた。千隼は用意したそれを両手で持って、春日さんに差し出した。
「これ、良ければお持ちください。今日の小鉢はシンプルなものですがポテトサラダだったんです」
仕込みの時、佳鳴がマッシャーで潰していたじゃがいもだ。今回は塩もみきゅうりとハムだけのシンプルなものだったが、味付けは佳鳴が丁寧にほどこしたいつものものだ。
煮物は品切れていたが、小鉢はいつも少し多めに作るのだ。閉店後に余った分は、千隼たちの夜食になる。
春日さんはナイロン袋に入れられた容器を見て、「わぁ……」と顔を輝かせた。
「良いのかい?」
「はい、もちろん。お代も結構ですよ。陣中見舞いだと思っていただけたら。本当にお疲れの様ですから」
千隼が言うと、春日さんは「いやいや」と首を振る。
「ちゃんとし払わせて欲しいな。お願いするよ」
そう言われ、しかし千隼は「いえ、こちらが押し付けたんですから」と返すが、春日さんは首を縦に振ってはくれなかった。
「解りました。では……」
と、千隼は小鉢分に相当する金額を挙げた。それを小銭でちょうどで受け取り、ポテトサラダを春日さんに渡す。
「本当にありがとう。嬉しいよ。落ち着いたらまた寄らせてもらうね」
春日さんは先ほどとは打って変わって嬉しそうな笑顔で言い、今度はしっかりとした足取りで帰って行った。
店に入り厨房に戻ると、不思議そうな顔で千隼を見る佳鳴に「悪い」と短く詫びる。
「表で春日さんに会ったんだよ」
「あら、お久し振りだね。お元気にされてた?」
「いや、それが仕事で激務が続いてるらしくて、帰って来る時間にはこの店も閉まってるってさ。だからせめてポテトサラダ食べて欲しいって思って」
「あらぁ、そうなんだ」
佳鳴は言うと、かすかに顔をしかめる。
「え、春日さんが来られなくなって、もう2ヶ月ぐらいにはなるよね。その間、ずっと帰りがその時間だったってこと? お休みはちゃんと取れてるのかな」
「そんな話はしてなかったけど、平日そんだけ働いてたら、休めたらもう家から出たく無いだろ。睡眠不足だろうし。びっくりしたぜ、すっかりとやつれちゃってさ」
「そうなの? それは心配だね……」
佳鳴の眉がまた歪んでしまう。
「じゃあご飯もまともに食べれて無いってこと? なんでそんなことになっちゃったんだろ」
「そこまでは判らないけど、落ち着いたらまた来てくれるってさ」
「じゃあその時を待つしか無いんだね。何か差し入れとかしたくなっちゃうけど……逆にお気を遣わせちゃうだろうしね」
「多分な。ポテトサラダもお代支払われたし」
「あんた、押し付けたのにお金いただいたの?」
佳鳴がやや呆れた様に目を見開くと、千隼は少し焦って「いやいや」と手を振る。
「俺はもちろんいらないって言ったぜ。けど払わせてくれって。そこで押し付けちまうと、春日さん気を遣うだろうから、小鉢分もらった」
そう言って開いた千隼の掌には、数枚の硬貨が乗せられていた。
「まぁ、確かに春日さんはそう言う方だよねぇ……」
佳鳴は納得した様に、小さく息を吐いた。
久しぶりにお会い出来た春日さん。様変わりしてしまった春日さんに、千隼は大いに驚いたのだ。最近煮物屋さんに来られなくなった原因に合点はいったが、それが原因でああなってしまうとは。
今日春日さんがいつもより少し早く帰れたこと、そしてその日の小鉢がポテトサラダだったのは、そういう縁だったのだろう。
食べて、少しでも元気になってくれたら良いのだが。
プレートを返し、ドアからお品書きのホワイトボードを外した時、駅の方からふらふらと歩いて来る人影があった。
その気配に千隼がそちらを見ると、それは春日さんだった。
「春日さん。こんばんは、お久し振りですね」
千隼が明るくそう声を掛けると、春日さんは力の無い笑みを浮かべる。
「ああ、ハヤさん。こんばんは。本当にすっかりとご無沙汰しちゃって」
千隼の前で春日さんの足が止まる。店内から漏れ出て来る光を頼りにあらためて春日さんを見ると、その頬はすっかりと痩けてしまっていて、色艶も良く無く、かなり疲れが現れていた。
春日さんはもともとふっくらとされていた方だったので、その変貌に千隼は驚きを隠せない。
「どうされたんですか、春日さん。かなりお疲れみたいですけど」
「ええまぁ、ここしばらくかなりの激務でね」
春日さんは言って苦笑する。
「いろいろあって勤務形態が変わってしまって、毎日帰宅は日をまたいでしまうんだ。今日はこれでも少し早いぐらいでね。食欲もすっかり落ちてしまって、ろくな食事も出来ていなくて。でも帰って来る時にはもう煮物屋さんは閉まっているから」
春日さんはうなだれてしまう。
「ああ、またここのポテトサラダが食べたいなぁ」
そう言って春日さんははぁと溜め息を吐いた。
「あ、あの、春日さん、少し、少しだけ待っていてもらえますか?」
「うん?」
千隼は言い置くと、ホワイトボードを手に慌てて店内に戻る。厨房に入って隅にボードを放り投げる様に置くと、冷蔵庫から小鉢の料理を入れたタッパを出し、その中身を詰められるだけ、小鉢用の持ち帰り用使い捨て容器に詰める。
途中で佳鳴が首を傾げて「どうしたの?」と声を掛けて来るが、応える時間が惜しい。千隼は「あとで」と言いおき、容器を取っ手付きのナイロン袋に入れて、飛び出す様に外に出た。
春日さんは表で静かに待っていてくれた。千隼は用意したそれを両手で持って、春日さんに差し出した。
「これ、良ければお持ちください。今日の小鉢はシンプルなものですがポテトサラダだったんです」
仕込みの時、佳鳴がマッシャーで潰していたじゃがいもだ。今回は塩もみきゅうりとハムだけのシンプルなものだったが、味付けは佳鳴が丁寧にほどこしたいつものものだ。
煮物は品切れていたが、小鉢はいつも少し多めに作るのだ。閉店後に余った分は、千隼たちの夜食になる。
春日さんはナイロン袋に入れられた容器を見て、「わぁ……」と顔を輝かせた。
「良いのかい?」
「はい、もちろん。お代も結構ですよ。陣中見舞いだと思っていただけたら。本当にお疲れの様ですから」
千隼が言うと、春日さんは「いやいや」と首を振る。
「ちゃんとし払わせて欲しいな。お願いするよ」
そう言われ、しかし千隼は「いえ、こちらが押し付けたんですから」と返すが、春日さんは首を縦に振ってはくれなかった。
「解りました。では……」
と、千隼は小鉢分に相当する金額を挙げた。それを小銭でちょうどで受け取り、ポテトサラダを春日さんに渡す。
「本当にありがとう。嬉しいよ。落ち着いたらまた寄らせてもらうね」
春日さんは先ほどとは打って変わって嬉しそうな笑顔で言い、今度はしっかりとした足取りで帰って行った。
店に入り厨房に戻ると、不思議そうな顔で千隼を見る佳鳴に「悪い」と短く詫びる。
「表で春日さんに会ったんだよ」
「あら、お久し振りだね。お元気にされてた?」
「いや、それが仕事で激務が続いてるらしくて、帰って来る時間にはこの店も閉まってるってさ。だからせめてポテトサラダ食べて欲しいって思って」
「あらぁ、そうなんだ」
佳鳴は言うと、かすかに顔をしかめる。
「え、春日さんが来られなくなって、もう2ヶ月ぐらいにはなるよね。その間、ずっと帰りがその時間だったってこと? お休みはちゃんと取れてるのかな」
「そんな話はしてなかったけど、平日そんだけ働いてたら、休めたらもう家から出たく無いだろ。睡眠不足だろうし。びっくりしたぜ、すっかりとやつれちゃってさ」
「そうなの? それは心配だね……」
佳鳴の眉がまた歪んでしまう。
「じゃあご飯もまともに食べれて無いってこと? なんでそんなことになっちゃったんだろ」
「そこまでは判らないけど、落ち着いたらまた来てくれるってさ」
「じゃあその時を待つしか無いんだね。何か差し入れとかしたくなっちゃうけど……逆にお気を遣わせちゃうだろうしね」
「多分な。ポテトサラダもお代支払われたし」
「あんた、押し付けたのにお金いただいたの?」
佳鳴がやや呆れた様に目を見開くと、千隼は少し焦って「いやいや」と手を振る。
「俺はもちろんいらないって言ったぜ。けど払わせてくれって。そこで押し付けちまうと、春日さん気を遣うだろうから、小鉢分もらった」
そう言って開いた千隼の掌には、数枚の硬貨が乗せられていた。
「まぁ、確かに春日さんはそう言う方だよねぇ……」
佳鳴は納得した様に、小さく息を吐いた。
久しぶりにお会い出来た春日さん。様変わりしてしまった春日さんに、千隼は大いに驚いたのだ。最近煮物屋さんに来られなくなった原因に合点はいったが、それが原因でああなってしまうとは。
今日春日さんがいつもより少し早く帰れたこと、そしてその日の小鉢がポテトサラダだったのは、そういう縁だったのだろう。
食べて、少しでも元気になってくれたら良いのだが。
10
お気に入りに追加
335
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
思い出を売った女
志波 連
ライト文芸
結婚して三年、あれほど愛していると言っていた夫の浮気を知った裕子。
それでもいつかは戻って来ることを信じて耐えることを決意するも、浮気相手からの執拗な嫌がらせに心が折れてしまい、離婚届を置いて姿を消した。
浮気を後悔した孝志は裕子を探すが、痕跡さえ見つけられない。
浮気相手が妊娠し、子供のために再婚したが上手くいくはずもなかった。
全てに疲弊した孝志は故郷に戻る。
ある日、子供を連れて出掛けた海辺の公園でかつての妻に再会する。
あの頃のように明るい笑顔を浮かべる裕子に、孝志は二度目の一目惚れをした。
R15は保険です
他サイトでも公開しています
表紙は写真ACより引用しました
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
キャンピングカーで往く異世界徒然紀行
タジリユウ
ファンタジー
《第4回次世代ファンタジーカップ 面白スキル賞》
【書籍化!】
コツコツとお金を貯めて念願のキャンピングカーを手に入れた主人公。
早速キャンピングカーで初めてのキャンプをしたのだが、次の日目が覚めるとそこは異世界であった。
そしていつの間にかキャンピングカーにはナビゲーション機能、自動修復機能、燃料補給機能など様々な機能を拡張できるようになっていた。
道中で出会ったもふもふの魔物やちょっと残念なエルフを仲間に加えて、キャンピングカーで異世界をのんびりと旅したいのだが…
※旧題)チートなキャンピングカーで旅する異世界徒然紀行〜もふもふと愉快な仲間を添えて〜
※カクヨム様でも投稿をしております
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
異世界は『一妻多夫制』!?溺愛にすら免疫がない私にたくさんの夫は無理です!?
すずなり。
恋愛
ひょんなことから異世界で赤ちゃんに生まれ変わった私。
一人の男の人に拾われて育ててもらうけど・・・成人するくらいから回りがなんだかおかしなことに・・・。
「俺とデートしない?」
「僕と一緒にいようよ。」
「俺だけがお前を守れる。」
(なんでそんなことを私にばっかり言うの!?)
そんなことを思ってる時、父親である『シャガ』が口を開いた。
「何言ってんだ?この世界は男が多くて女が少ない。たくさん子供を産んでもらうために、何人とでも結婚していいんだぞ?」
「・・・・へ!?」
『一妻多夫制』の世界で私はどうなるの!?
※お話は全て想像の世界になります。現実世界とはなんの関係もありません。
※誤字脱字・表現不足は重々承知しております。日々精進いたしますのでご容赦ください。
ただただ暇つぶしに楽しんでいただけると幸いです。すずなり。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる