上 下
12 / 122
4章 光の向こう側

第2話 世界を魅せたなら

しおりを挟む
 翌週末の日曜日、煮物屋さんを休みにした佳鳴かなる千隼ちはやは、電車で某地に出て来ていた。高橋さんの小劇団の公演がある小劇場のある街だ。

 休日なのでかなりの人出である。佳鳴たちは劇場に行く前に軽く腹ごしらえをしておこうと、老舗しにせの喫茶店に入る。

 かなり歴史を感じさせる内装だ。木製の柱やテーブルはすっかり飴色に変化している。しかし清潔にされており、居心地の良さを感じさせる。

 今は都会であればあるほどこういう店は貴重であると思う。佳鳴たちは店員さんにホットケーキのセットを注文し、おしぼりを広げてほっとひと心地吐いた。

「うーん、うちの店も少し照明暗くした方が居心地良くなるかな」

 この店は程良く照明が落とされ、とても落ち着くたたずまいなのである。

「どうだろ。うちはカフェとかじゃ無いしなぁ。むしろ回転率上げる工夫をした方が良いかも知れないぜ」

 佳鳴の提案に千隼は難色を示す。休みにしても店が気になってしまうのは、もう職業病なのだろう。

「定食のお客さまはそんな長居されないし、今のバランスで良くない?」

「それそれ。酒の客は少し暗くするのが良いかもだろうけど、定食の客にとっちゃあ、そんな雰囲気出されてもってとこじゃ無いか?」

「ん~それもそうか。じゃあ結局今のままが良いってことなのかなぁ」

 煮物屋さんの照明は普通の明るさだ。定食も提供しているからだ。落ち着ける空間も大切だが、提供する料理が美味しそうに見える明るさも必要だ。なかなか難しいところである。

 そんな話をしているうちに、ホットケーキとドリンクが運ばれて来た。佳鳴たちが小さな時から食べ慣れているベーシックなホットケーキだ。両面がきつね色に綺麗に焼かれている。

 ドリンクは佳鳴はストレートティ、千隼はコーヒー、両方ホットである。

 ホットケーキの上でとろりと溶け掛けているバターを全体に塗り、別添えの蜂蜜をたっぷりと掛ける。これがメイプルシロップでは無いところが、この店の老舗感が出ている気がする。

 ナイフを入れると、表面はさっくりと、中はしっとりと焼かれている。佳鳴たちはそれを大いに堪能たんのうした。



 カップも空になるころ、店内の壁掛け時計を見ると、そろそろ良い時間になろうとしていた。

 佳鳴たちは喫茶店を出て、小劇場に向かう。

「楽しみだな。観劇とか久しぶりだ」

「そうだね。お店始めてから休みが月曜だから、行けるタイミングそう無かったもんねぇ。こういうのって週末が多いから。私も楽しみだよ」

「おう。特に知ってる人が出てるって言うのもな。高橋さんは主役じゃ無いけど、重要な役どころなんだよな」

「そうそう。ミステリーでしょ、それで重要な役回りって、犯人とかワトソンとか」

「だったらすごいよな」

 途中で花屋に入る。高橋さんにお祝いの品を用意するのだ。あまり大きいと荷物になるので、気持ちだけになってしまうが、小さなブーケをしつらえてもらった。

 赤と黄色のスプレーマムをメインに、緑色のかすみ草をあしらったブーケ。持ちやすい様にナイロン袋に入れてもらった。

 そして到着する。1階部分が小劇場になっている、そう高くは無いビルだ。2階から上は飲食店や雑貨店などが入っている。

 佳鳴たちは高橋さんから直接買ったチケットを出しながら、劇場の出入り口に向かう。すでに入場は始まっていたので、チケットをもぎってもらい、パンフレット代わりのちらしを受け取って中へ。

 そこには小さいながらもロビーがあり、さっと見渡してみると、常連さんの姿を見つけた。門又かどまたさんとさかきさん、赤森あかもりさんだ。円を囲む様に談笑している。

 そこで赤森さんが佳鳴たちに気付いてくれ、「あ、店長さん、ハヤさん!」と軽く手を上げた。

「こんにちは」

「こんにちは」

 佳鳴たちはぺこりと挨拶をしながら、赤森さんたちの元へ。赤森さんたちは少し輪を広げて佳鳴たちを迎えてくれた。

「こんちは。今日は楽しみだな」

 そうわくわくした様な表情で言う赤森さん。佳鳴は「はい、本当に」と笑顔で頷いた。

「店長さんたちお店あるから、観劇なんて久しぶりなんじゃ無い?」

「そうよねぇ。と言ってもぉ、私も久々なんだけどねぇ」

 門又さんと榊さんのせりふに、赤森さんは「うんうん」と頷く。

「店長さんたちで無くても、観劇の機会なんてなかなか無いよなぁ」

 そんな話をしていると、後ろから「こんにちは」と声が掛かる。振り向くと、こちらも常連の岩永いわながさんがふらりと近付いて来た。

「皆さんお揃いですねぇ」

「岩永さんこんにちは」

「こんにちは」

 佳鳴たちは口々に挨拶を返す。すると岩永さんの後ろで、岩永さんとそう歳の変わらないであろう女性が、佳鳴たちにぺこりと頭を下げた。

「あ、彼女ね、僕の幼なじみの渡部わたべ。普段は仕事でここ離れてるんだけど、出張でこっちに戻って来たから飲もうかって話になってね、じゃあ知り合いが小劇場に出るからその前に一緒にどう? って。渡部、結構観劇してるんだよ」

「あら、ご趣味なんですか?」

 門又さんが聞くと、渡部さんは「ええまぁ、そんな感じです」と曖昧に、しかしにこやかに応えた。

「ああでも皆さん、そろそろ中に入らないと」

 岩永さんが腕時計を見ながら言う。

「あらぁ、もうそんな時間なのねぇ」

 門又さんと榊さん、そして赤森さん、続いて岩永さんと渡部さん、最後に佳鳴と千隼が中へ。

 入ると、高橋さんから聞いた通り、座席は座布団敷きだった。適度に間隔が取られて置かれている。そしてそこからほんの少し高いステージの奥には、黒い布が垂れ下がっていた。間も無く始まるのだから、それが舞台の完成形なのだろう。

 狭い客席だが、そこそこ埋まっていて、佳鳴たちは後方の空いている席に適当に腰を下ろす。門又さんと榊さんなどはぐいぐいと前へと進んで行っていた。

 まだ客席も明るいので、あちらこちらから小さな話し声が聞こえる。佳鳴と千隼は並んでちらしに目を走らせ、「へぇ」と佳鳴が小さく声をもらす。そして数分後、女声のアナウンスが響いた。

「皆さま、本日はお越しくださり誠にありがとうございます。間も無く開演でございます。どうぞごゆっくりとお楽しみください」

 すると客席の照明がふっと落とされ、そう派手では無いライトが舞台を照らす。

 ほんの少しの間を置いて、袖からベージュのグレンチェックのスーツ姿の男性役者がゆったりと舞台の中央へ。男性はゆっくりと口を開くと、高らかに告げた。

「皆さま、今からご覧いただきますのは、名探偵である私が体験し、そして解決した、世にも奇怪な事件の記録でございます!」



 およそ1時間30分の舞台が終わり、客席が再び明るくなったその時、佳鳴と千隼は揃って溜め息を吐いた。

「おもしろかった! 高橋さんご謙遜けんそんされてたけど、私はすごく楽しかった!」

 佳鳴が興奮の面持ちで言うと、千隼も「だな」と頷く。

「高橋さんも他の役者さんも良かったと俺も思う。俺らそんな詳しい訳でも目がえてる訳でも無いから、基準が判らないけど」

「基準なんてどうでも良いよ。見た人がおもしろいと思ったのが1番だよ」

「そうだな」

 周りがちらほらと立ち上がり、佳鳴たちもゆっくりと腰を上げる。

「高橋さんにお会いできるかな。ブーケもお渡ししたいし」

「会えなかったらスタッフとか捕まえたら良いと思うんだけど」

 すると客席の前の方から、こちらもまた満足げな門又さんと榊さん、にこにこと笑顔の赤森さん、なぜかほっとした様な岩永さんと渡部さんが合流した。

「おもしろかったね。去年より上手になってたと思う」

 門又さんは昨年の公演も観に来ていたのだ。

「そうねぇ~。来て良かったわぁ。私は去年来れなかったからぁ」

「ああ。良かったと思うぜ」

 赤森さんもそう言って頷いた。

 その時、舞台袖からばらばらと役者たちが舞台衣装のまま姿を現した。佳鳴はその中に高橋さんの姿を見付け、「あ、高橋さん」と呟く。

 そのタイミングで高橋さんも佳鳴たちを見付け、衣装のありさまと打って変わって元気な笑顔で、ちょこちょこと座布団を避けながら駆け寄って来た。

「こんばんは! 来てくださってありがとうございます!」

 公演の間にすっかりと陽は落ちていた。

「こちらこそ、本当に楽しませていただきました。すごかったです。まさか被害者役だったなんて」

 佳鳴たちが次々に賞賛を表すと、高橋さんは嬉しそうに、照れた様な笑みを浮かべた。

 被害者役の高橋さんが着ているチュニックには、血痕に見立てた赤いインクが散っていた。途中生きていた時の回想があるので、その時は綺麗なチュニックを着ていたのだが、今はインク付きの服である。

「そう言っていただけて嬉しいです。今の精一杯でがんばりました!」

 高橋さんはにこにこと笑顔だ。手応えがあったのだろう、満足げだ。

 そこで、用意していたブーケを渡す。「あらためて、おめでとうございます」と佳鳴が言うと、高橋さんは「わ、ありがとうございます!」と嬉しそうな表情で受け取ってくれた。

「うわぁ、可愛いブーケですね! 店長さんとハヤさん、センス良いんですねぇ。すごいです!」

 高橋さんはそう言って、ふわりと笑みを浮かべる。

 すると、それまで静かに佳鳴たちの様子を眺めていた渡部さんが、ぐいと前に出て来て、高橋さんに両手を差し出す。その手には名刺があった。

「高橋さん、私、こう言う者です。渡部と申します」

 高橋さんは渡部さんに引っ張られる様に名刺を受け取ると、それに目を落とす。

「芸能事務所の、マネージャー……?」

 大きな目をさらに見開き呟く高橋さんに、渡部さんは言った。

「あなた、芸人か歌手になる気は無い?」

 そのせりふに、その場にいた全員が「は?」と間抜けな声を上げた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!

当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。 しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。 彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。 このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。 しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。 好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。 ※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*) ※他のサイトにも重複投稿しています。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

思い出を売った女

志波 連
ライト文芸
結婚して三年、あれほど愛していると言っていた夫の浮気を知った裕子。 それでもいつかは戻って来ることを信じて耐えることを決意するも、浮気相手からの執拗な嫌がらせに心が折れてしまい、離婚届を置いて姿を消した。 浮気を後悔した孝志は裕子を探すが、痕跡さえ見つけられない。 浮気相手が妊娠し、子供のために再婚したが上手くいくはずもなかった。 全てに疲弊した孝志は故郷に戻る。 ある日、子供を連れて出掛けた海辺の公園でかつての妻に再会する。 あの頃のように明るい笑顔を浮かべる裕子に、孝志は二度目の一目惚れをした。 R15は保険です 他サイトでも公開しています 表紙は写真ACより引用しました

キャンピングカーで往く異世界徒然紀行

タジリユウ
ファンタジー
《第4回次世代ファンタジーカップ 面白スキル賞》 【書籍化!】 コツコツとお金を貯めて念願のキャンピングカーを手に入れた主人公。 早速キャンピングカーで初めてのキャンプをしたのだが、次の日目が覚めるとそこは異世界であった。 そしていつの間にかキャンピングカーにはナビゲーション機能、自動修復機能、燃料補給機能など様々な機能を拡張できるようになっていた。 道中で出会ったもふもふの魔物やちょっと残念なエルフを仲間に加えて、キャンピングカーで異世界をのんびりと旅したいのだが… ※旧題)チートなキャンピングカーで旅する異世界徒然紀行〜もふもふと愉快な仲間を添えて〜 ※カクヨム様でも投稿をしております

魔界最強に転生した社畜は、イケメン王子に奪い合われることになりました

タタミ
BL
ブラック企業に務める社畜・佐藤流嘉。 クリスマスも残業確定の非リア人生は、トラックの激突により突然終了する。 死後目覚めると、目の前で見目麗しい天使が微笑んでいた。 「ここは天国ではなく魔界です」 天使に会えたと喜んだのもつかの間、そこは天国などではなく魔法が当たり前にある世界・魔界だと知らされる。そして流嘉は、魔界に君臨する最強の支配者『至上様』に転生していたのだった。 「至上様、私に接吻を」 「あっ。ああ、接吻か……って、接吻!?なんだそれ、まさかキスですか!?」 何が起こっているのかわからないうちに、流嘉の前に現れたのは美しい4人の王子。この4王子にキスをして、結婚相手を選ばなければならないと言われて──!?

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

処理中です...