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4章 光の向こう側
第1話 それは小さな世界を創る
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煮物屋さんの常連さんで、毎週日曜日の遅めの時間に来るお客さまがいる。いつもはつらつとしていて、大きな声で笑う、とても気持ちの良い女性だ。
今日は日曜日。そろそろ21時になるだろうか。佳鳴は厨房に置いてある小さな置き時計に目を走らす。
そのタイミングで、煮物屋さんのドアが開かれた。
「こんばんは!」
元気な挨拶とともに入って来たのは、先述の女性の常連さん、高橋さんだ。
「こんばんは、いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませー」
高橋さんはせかせかとコートを脱いで椅子に掛け、千隼からおしぼりを受け取った。
「あ~お腹ぺっこぺこだぁ。ハヤさん、まずはハイボールください! お米とお味噌汁はいつも通り締めにいただきますね」
「はい。かしこまりました」
この高橋さん、とても良く召し上がるお客さまで、まずは酒を飲みながら料理を食べ、その後に白米と味噌汁を召し上がられるのだ。
ハイボールを作ってお渡しし、続けて料理を整える。今日のメインは豚肉と長芋の煮物。彩りはほうれん草だ。
小鉢はタラモサラダと青ねぎたっぷりの卵焼きである。タラモサラダは明太子を使った。卵焼きには出汁も加えてあるので、優しい味わいである。
「あ~っ、ハイボールが沁みるぅ。この煮物、白いのが長芋ですよね?」
「そうですよ」
「長芋のこんな食べ方、私初めてです!」
高橋さんはさっそく長芋を箸で割り、口に入れる。そして「へぇ~」と目を丸めた。
「ほっくほくだぁ。あ、でもそっか、串かつの長芋もほくほくですもんね。長芋って火を通すとこうなるんですよね。美味しいです! 豚肉も美味しいです!」
「ありがとうございます」
「タラモサラダとか卵焼きとか、こういうのも作るのって地味に面倒だったりしますもんね。だから嬉しいです! ここで食べたら確実に美味しいの判ってますから!」
「ふふ、ありがとうございます」
高橋さんの称賛に、佳鳴は笑みをこぼす。こんなことを言ってもらえて、嬉しく無い訳が無い。
「あ、高橋さん、お預かりしていたフライヤー、終わりましたよ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
千隼のせりふに、高橋さんはぱぁっと満面の笑みを浮かべた。
「本当に助かりました! そう数を刷った訳じゃ無いので、ノルマも多くは無かったんですけど、実際問題、どこに配ったら良いんだって話で。会社で配っても限度がありましたから」
高橋さんが心底ほっとした様に笑みを浮かべると、少し離れた席から声が上がった。常連の男性、赤森さんだ。
「高橋さん、俺もフライヤーもらったぜ。絶対に観に行くからな!」
「わぁ赤森さん、ありがとうございます!」
赤森さんの活きの良いせりふに、高橋さんは笑顔を投げた。
この煮物屋さんで、高橋さんが所属する小劇団の公演のフライヤーを預かっていたのだ。それを会計の時にお客さまに手渡ししていた。
ハガキサイズなので店で場所を取ることも無く、お客さまも受け取りやすかった様だ。
劇団員のひとりがデザイナーで、その人が制作を手掛けたのだと言う。確かに素人臭さのまるで無い、格好良いフライヤーだった。
「もう来週なんですねぇ。練習はどうですか?」
佳鳴が聞くと、高橋さんは「順調です!」と元気に応える。
「まだまだ拙いって解ってはいるんですけど、皆一生懸命です。少しでも良いものを観てもらうんだって。お話そのものは著作権の切れた名作の現代版アレンジですから、オリジナルよりは馴染んでいただけるかなって思うんですけど」
「そうですね。取っ掛かりがあれば、ご覧いただきやすいでしょうしね」
「それはそれで、ご覧いただく方との解釈違いとかもあるかと思うんですけど、そこは違いを楽しんでいただきたいです」
「奥が深いんですねぇ」
高橋さんは舞台女優なのである。ご本人は「そんな大げさなものじゃ無いですよ」と謙遜するが、1度舞台に立てば、そしてそれを継続されているのなら、もう立派な女優さんだと佳鳴たちは思っている。
高橋さんいわく、これは「クラブ活動」の延長の様なものなのだと言う。毎週日曜日の夜の2時間ほど、スタジオを借りてストレッチや発声練習をしているのだ。
そして本番は1年に1度。発表会の様な感覚らしい。舞台と客席の境があまり無い様な、そしてその客席も座布団敷きの小さな小さな劇場をレンタルする。
お客さまからいくばくかの入場料をいただくが、それは全て経費に消える。
気楽に活動をしてはいるが、決してふざけていたり手抜きをしている訳では無い。皆、楽しみながら真剣なのだ。それは高橋さんの話からも伝わって来る。
年に1回の本番前、その週だけは毎日練習をするのだと言う。
「来週は毎日練習です。せりふを覚えたりは個人で家でも出来ますけど、合わせるのはそうも行かないですからね。本番まで少しでも良いものにしたいですから」
「私たちも拝見したいんですけど、お店がありますからねぇ」
公演日は来週末の土曜と日曜の晩。計2回公演である。
「思い切って休みにしちゃえば? あ、高橋さん、私たちも観に行くからねー」
門又さんが言い、榊さんと並んで高橋さんに手を振った。
「ありがとうございます!」
高橋さんは門又さんたちにがばっと頭を下げる。
「そうですねぇ」
佳鳴はふわりと笑う。
「ふふ、そんなことを言われたら揺らいじゃいますねぇ。前の時も拝見出来ませんでしたからねぇ」
高橋さんがこの煮物屋さんの常連になってから、今回が2回目の公演なのである。前回の時もフライヤーを預かった。
高橋さんがフライヤーの束を手に大きな溜め息を吐いていたものだから、佳鳴がつい声を掛けてしまったのだ。するとフライヤーの配り先に困っていると言うので、店でお預かりすることにしたのだった。
「でも店長さぁん、まだ1週間もあるからぁ、今からだったらお休みするって言っても大丈夫じゃ無ぁい?」
榊さんの言葉に佳鳴は「そうですねぇ……」と唸ってしまう。
高橋さんの公演を見たいのは本心なのである。劇団のことを話す高橋さんは本当に楽しそうできらきらしていて、そんなにも打ち込めるものがあるのが羨ましい、そして素晴らしいと、微笑ましく思っているのだ。
そんな佳鳴の気持ちを千隼も知っているので、千隼は「たまには良いんじゃ無いか? 姉ちゃん」と軽く声を掛ける。
「ここ始めてから月曜以外の休みって無かったじゃん。今からチラシとか貼って周知したら大丈夫だって。たまには2連休しようぜ」
千隼にも言われ、佳鳴は心を決めた。
「じゃあそうさせていただこうかな。申し訳ありません皆さま、来週末の日曜日はお休みをいただきますね」
佳鳴が言ってカウンタの向こうに頭を下げると、お客さま方は「はーい」「楽しんで来てね~」と暖かい言葉を掛けてくださった。
「店長さんとハヤさんにも来ていただけるなんて、本当に嬉しいです! がんばりますね!」
高橋さんは本当に嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、佳鳴と千隼も笑顔を返した。
今日は日曜日。そろそろ21時になるだろうか。佳鳴は厨房に置いてある小さな置き時計に目を走らす。
そのタイミングで、煮物屋さんのドアが開かれた。
「こんばんは!」
元気な挨拶とともに入って来たのは、先述の女性の常連さん、高橋さんだ。
「こんばんは、いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませー」
高橋さんはせかせかとコートを脱いで椅子に掛け、千隼からおしぼりを受け取った。
「あ~お腹ぺっこぺこだぁ。ハヤさん、まずはハイボールください! お米とお味噌汁はいつも通り締めにいただきますね」
「はい。かしこまりました」
この高橋さん、とても良く召し上がるお客さまで、まずは酒を飲みながら料理を食べ、その後に白米と味噌汁を召し上がられるのだ。
ハイボールを作ってお渡しし、続けて料理を整える。今日のメインは豚肉と長芋の煮物。彩りはほうれん草だ。
小鉢はタラモサラダと青ねぎたっぷりの卵焼きである。タラモサラダは明太子を使った。卵焼きには出汁も加えてあるので、優しい味わいである。
「あ~っ、ハイボールが沁みるぅ。この煮物、白いのが長芋ですよね?」
「そうですよ」
「長芋のこんな食べ方、私初めてです!」
高橋さんはさっそく長芋を箸で割り、口に入れる。そして「へぇ~」と目を丸めた。
「ほっくほくだぁ。あ、でもそっか、串かつの長芋もほくほくですもんね。長芋って火を通すとこうなるんですよね。美味しいです! 豚肉も美味しいです!」
「ありがとうございます」
「タラモサラダとか卵焼きとか、こういうのも作るのって地味に面倒だったりしますもんね。だから嬉しいです! ここで食べたら確実に美味しいの判ってますから!」
「ふふ、ありがとうございます」
高橋さんの称賛に、佳鳴は笑みをこぼす。こんなことを言ってもらえて、嬉しく無い訳が無い。
「あ、高橋さん、お預かりしていたフライヤー、終わりましたよ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
千隼のせりふに、高橋さんはぱぁっと満面の笑みを浮かべた。
「本当に助かりました! そう数を刷った訳じゃ無いので、ノルマも多くは無かったんですけど、実際問題、どこに配ったら良いんだって話で。会社で配っても限度がありましたから」
高橋さんが心底ほっとした様に笑みを浮かべると、少し離れた席から声が上がった。常連の男性、赤森さんだ。
「高橋さん、俺もフライヤーもらったぜ。絶対に観に行くからな!」
「わぁ赤森さん、ありがとうございます!」
赤森さんの活きの良いせりふに、高橋さんは笑顔を投げた。
この煮物屋さんで、高橋さんが所属する小劇団の公演のフライヤーを預かっていたのだ。それを会計の時にお客さまに手渡ししていた。
ハガキサイズなので店で場所を取ることも無く、お客さまも受け取りやすかった様だ。
劇団員のひとりがデザイナーで、その人が制作を手掛けたのだと言う。確かに素人臭さのまるで無い、格好良いフライヤーだった。
「もう来週なんですねぇ。練習はどうですか?」
佳鳴が聞くと、高橋さんは「順調です!」と元気に応える。
「まだまだ拙いって解ってはいるんですけど、皆一生懸命です。少しでも良いものを観てもらうんだって。お話そのものは著作権の切れた名作の現代版アレンジですから、オリジナルよりは馴染んでいただけるかなって思うんですけど」
「そうですね。取っ掛かりがあれば、ご覧いただきやすいでしょうしね」
「それはそれで、ご覧いただく方との解釈違いとかもあるかと思うんですけど、そこは違いを楽しんでいただきたいです」
「奥が深いんですねぇ」
高橋さんは舞台女優なのである。ご本人は「そんな大げさなものじゃ無いですよ」と謙遜するが、1度舞台に立てば、そしてそれを継続されているのなら、もう立派な女優さんだと佳鳴たちは思っている。
高橋さんいわく、これは「クラブ活動」の延長の様なものなのだと言う。毎週日曜日の夜の2時間ほど、スタジオを借りてストレッチや発声練習をしているのだ。
そして本番は1年に1度。発表会の様な感覚らしい。舞台と客席の境があまり無い様な、そしてその客席も座布団敷きの小さな小さな劇場をレンタルする。
お客さまからいくばくかの入場料をいただくが、それは全て経費に消える。
気楽に活動をしてはいるが、決してふざけていたり手抜きをしている訳では無い。皆、楽しみながら真剣なのだ。それは高橋さんの話からも伝わって来る。
年に1回の本番前、その週だけは毎日練習をするのだと言う。
「来週は毎日練習です。せりふを覚えたりは個人で家でも出来ますけど、合わせるのはそうも行かないですからね。本番まで少しでも良いものにしたいですから」
「私たちも拝見したいんですけど、お店がありますからねぇ」
公演日は来週末の土曜と日曜の晩。計2回公演である。
「思い切って休みにしちゃえば? あ、高橋さん、私たちも観に行くからねー」
門又さんが言い、榊さんと並んで高橋さんに手を振った。
「ありがとうございます!」
高橋さんは門又さんたちにがばっと頭を下げる。
「そうですねぇ」
佳鳴はふわりと笑う。
「ふふ、そんなことを言われたら揺らいじゃいますねぇ。前の時も拝見出来ませんでしたからねぇ」
高橋さんがこの煮物屋さんの常連になってから、今回が2回目の公演なのである。前回の時もフライヤーを預かった。
高橋さんがフライヤーの束を手に大きな溜め息を吐いていたものだから、佳鳴がつい声を掛けてしまったのだ。するとフライヤーの配り先に困っていると言うので、店でお預かりすることにしたのだった。
「でも店長さぁん、まだ1週間もあるからぁ、今からだったらお休みするって言っても大丈夫じゃ無ぁい?」
榊さんの言葉に佳鳴は「そうですねぇ……」と唸ってしまう。
高橋さんの公演を見たいのは本心なのである。劇団のことを話す高橋さんは本当に楽しそうできらきらしていて、そんなにも打ち込めるものがあるのが羨ましい、そして素晴らしいと、微笑ましく思っているのだ。
そんな佳鳴の気持ちを千隼も知っているので、千隼は「たまには良いんじゃ無いか? 姉ちゃん」と軽く声を掛ける。
「ここ始めてから月曜以外の休みって無かったじゃん。今からチラシとか貼って周知したら大丈夫だって。たまには2連休しようぜ」
千隼にも言われ、佳鳴は心を決めた。
「じゃあそうさせていただこうかな。申し訳ありません皆さま、来週末の日曜日はお休みをいただきますね」
佳鳴が言ってカウンタの向こうに頭を下げると、お客さま方は「はーい」「楽しんで来てね~」と暖かい言葉を掛けてくださった。
「店長さんとハヤさんにも来ていただけるなんて、本当に嬉しいです! がんばりますね!」
高橋さんは本当に嬉しそうに満面の笑みを浮かべ、佳鳴と千隼も笑顔を返した。
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