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おわりの章

第1話 親娘の絆

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 4月に入り、桜の淡く可愛らしいピンクが澄んだ青い空を染める。早く開いたものはすでに散り始め、地面を華やかにいろどっていた。

 何度かの寒の戻りを乗り越えて、すっかりと暖かくなった昼下がり。茉莉奈まりな香澄かすみ長居ながい公園の自由広場、咲き誇る桜の木のそばに大きなレジャーシートを敷いて、ゆったりとくつろいでいた。

 茉莉奈の傍らには風呂敷で包まれたお重がある。

 今日は月曜日で、「はなむら」は定休日だ。茉莉奈と香澄は休日を利用して、この長居公園に花見に繰り出した。

 父の佳正よしまさが生きていたころからの恒例行事だった。それは逝去せいきょ後も続き、年に1度の楽しみになっていた。

 春を詰め込んだお弁当を作って、天気の良い日にのんびりする。今は「はなむら」もあるので一緒にいることが多いふたりだが、こうして親子の時間を作ることも大切だ。

「ええ天気になって良かったなぁ、ママ」

「ほんまやねぇ」

 暖かくなって来たとは言え、長時間外にいると身体も冷える。茉莉奈も香澄も季節外れを覚悟で冬用のコートを羽織り、ひざ掛けを使っていた。

「ねぇ、茉莉奈」

「ん?」

 香澄の顔を見た茉莉奈は、それまで春のうららかさに自然と浮かんでいた笑みを引っ込める。香澄が真剣な顔をしていたからだ。何を言われるのだろうかと茉莉奈は緊張を感じる。

「私ねぇ、頼りない母親やなってつくづく思ってん」

「へ?」

 茉莉奈は間抜けな声を上げてぽかんとしてしまう。

 茉莉奈にとって香澄はとても頼りになる母親だ。佳正が亡くなった後、女手ひとつで茉莉奈を育て、大学まで出してくれた。そのかたわらいちから「はなむら」をおこし、これまで切り盛りして来た。

 以前には雪子ゆきこさん、今では茉莉奈が入って支えているが、香澄は女将おかみとして経営者として、「はなむら」を盛り立てて来たのだ。

 そんな香澄が頼りにならないわけが無い。これこそ寝耳に水だ。

「なんで? 私、そんなん思ったこと無いで」

「だって茉莉奈、思い出させたく無いけど、尾形おがたさんのことも言うてくれへんかったから」

 尾形さんの名を出され、茉莉奈の胸が小さく痛む。あれからもう5ヶ月ほどが経ち、あの時感じた恐怖はだいぶん薄れて来ている。だが良い思い出になんてできるはずも無く、茉莉奈はつい眉をしかめてしまう。

「ああ、ごめんやで、嫌なことやもんね。でもね、あの時茉莉奈、私に相談してくれへんかったでしょう」

「だって、それで大事な常連さんのがしたりできひんし」

「それは違うんやで、茉莉奈」

 香澄は首を振る。香澄はまっすぐに茉莉奈を見て静かに、しかし強く口を開いた。

「茉莉奈に危害を加える人は、もうその時点でお客さまや無いの。お客さまは確かに大事や。けどね、ああいう人は門前払いやの。少なくとも「はなむら」のお客さまや無い。「お客さまは神さま」なんて言葉もあるけど、それはお客さまが店に何してもええわけや無いんよ。こちらはお金をいただいてるけど、それでお客さまに遠慮したりへりくだったりする必要はあれへん。こちらは相応のサービスをしとるんよ。お客さまとは対等やねん」

「対等?」

「そうや。尾形さんは茉莉奈の気持ちを勘違いしてはったけど、お客さまや言うことで優位に立とうとしはったやろ。でもね、そんなん受け入れる必要なんてあれへんの。こちらはいつもいただいた金額分のサービスをして来た。それでええんよ」

「でも、尾形さんはいつもお友だち連れて来て、たくさん注文もしてくれてはったから」

「そんなことは関係無いんよ。茉莉奈に万が一があったら、それこそパパに顔向けできひん。お客さま商売はね、いただく以上のものをお渡ししたらあかんのよ」

「でもママ、おこんだてに無いもの作ってあげたりするやん」

「それはね、物理以上の繋がりがあるからや」

「繋がり?」

 茉莉奈が首を傾げると、香澄は「そう」と深く頷く。

「そやなぁ、前に世羅せらちゃん、雪子さんのお孫さんにお肉料理作らしてもろたでしょう」

「うん」

 確かにそんなことがあった。「はなむら」のお客さまは年齢層が高めなので、お肉のがっつりしたおこんだては少ない。だが大学生の世羅ちゃんが望んたので、香澄がそれを叶えたのだ。

「あれは雪子さんのお孫さんやからや。雪子さんと「はなむら」の繋がり、絆があったからこそや。雪子さんはもともと「はなむら」を支えてくれてはったし、今では大事な常連さんや。金銭のやり取り以上のものがあるんよ」

「じゃあ寺島さんは? 寺島さんが持って来てくれはるお野菜で作るのも、同じこと?」

「そうやで。寺島さんが持ってきてくれはるお野菜は、寺島さんの「はなむら」へのお心尽くしや。茉莉奈はそのご厚意をお返しさしてもろてるんやね。それも寺島さんと「はなむら」の繋がりのひとつや」

「じゃあ高牧さんは?」

「あの人は、もう「はなむら」の主やね」

「あはは、言えてるわ」

 茉莉奈がひとしきり笑うと、香澄も「ふふ」と微笑む。

「茉莉奈、あんたは私と「はなむら」を気遣って尾形さんのこと言わへんかったんやと思う。でもね、私は言うて欲しかったんよ」

「でも、迷惑掛けてしまう」

 茉莉奈が肩を落とすと、香澄は「ううん」と穏やかに首を振る。

「迷惑なんて無いんよ。むしろ黙ってられる方が心配やし困ってしまうわ。茉莉奈はなんでもかんでも私に負担やからって、昔から我慢して来たやろ?」

「え? 私、我慢なんてしてへんよ?」

 そんな覚えは無い。茉莉奈は香澄に遠慮などしていない。香澄に嫌な思いも辛い思いもして欲しく無いから、言葉は吟味ぎんみしたかも知れない。だがそれで自分を抑える様なことは無かったはずだ。

「ううん、茉莉奈は無自覚なんやと思う。前に世羅ちゃんが反抗期になった時、茉莉奈、自分には無かったって、覚えが無いって言うてたやろ。私も無かったと思うし」

「……うん」

「あれもね、前にも言うたけど、やっぱり茉莉奈が私に気ぃ遣って、感情を出されへんかったと思うんよ。おかげで私は楽さしてもらったけど、茉莉奈には良く無かったんや無いかって。茉莉奈は私の接し方が良かったって言うてくれてたけど、やっぱりね、茉莉奈がそうしてくれたからなんよ」

「そんなこと無い。私絶対、そんな余裕無かった。パパが死んでぼろぼろになって、ママに助けてもろうて、どうにか前を向けて……。私はただね、ママに感謝してるだけ。せやからママと「はなむら」の力になりたいだけ。私を救ってくれたママのお料理を、お客さまに味わって欲しいねん。それだけやねん」

「茉莉奈、あんた、ほんまにええ子に育ってくれたねぇ」

 そう柔らかく言う香澄の目元が光った様に見えた。

「ならなおさら、困った時はちゃんと言おう。個人的なことで言いたく無いことはあるかも知れんけど、「はなむら」に関わることはちゃんと言うんよ。頼りないかも知れんけど」

「そんなこと無い。ママはめっちゃ頼りになる。でもママに負担とか掛けたく無いんよ」

「せやから負担や無いの。茉莉奈、私のことを思ってくれるんやったら、ちゃんと言うて欲しい。そんで一緒に解決するんや。茉莉奈だけ、私だけやったら難しいことでも、ふたりやったらどうにでもなるんやから」

「……うん」

 茉莉奈はただ香澄を思って動いていただけだ。だがそれが香澄の懸念けねんの種になってしまうのなら、自覚しなければならない。香澄にはいつでも笑顔でいて欲しい。茉莉奈は家でも店でも、香澄の笑顔を見られることで安堵あんどするのだ。

 茉莉奈がやっと素直に頷くと、香澄は安心した様にふわりと微笑んだ。

「良かった」

 茉莉奈は自分で思っている以上に、自分で抱え込んでしまう傾向があるのかも知れない。それが悪いことだとは思わないが、人に、香澄に心配を掛けてしまう結果となるのなら、少し改めなければと感じる。

 個人的の内緒にしたいものならともかく、「はなむら」に関わることなら確かに香澄と共有しなければならないだろう。我慢したり自分だけで解決しようとすると、良い結果にはならないことは、尾形さんの件でも証明されているのだから。反省だ。
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