上 下
25 / 41
4章 心と身体の痩せ方太り方

第1話 お客さまのお気に入り

しおりを挟む
 7月になり、じめじめと灰色の雲で覆われていた梅雨つゆが明けた。気温も上がってきているが、湿度も伴なっていて、もうすっかりと夏の気配が濃い。

「はぁ……」

 これで、何度目のため息だろうか。痩身そうしん、がりがりと言っても差し支えない若い男性のお客さまである。憂鬱ゆううつそうな表情で、卵焼きとお惣菜を1品、発芽玄米の小サイズとお味噌汁をもそもそと食べている。

 大変なことでもあったのか、心配事でもあるのか。初めてのお客さまだし、背景も人となりもまるで分からないのだから、察することもできないのだが。

 もしかしたら、みのりのお料理がお口に合わないのだろうか。だったら一大事だ。夜の時間帯にふらりと入って来られ、そのときも影の薄さに驚いたものだが、いざ食べ始めたらため息の連発だ。心配になってしまうでは無いか。

 お客さまが選んだお惣菜は、泉州せんしゅう水なすの梅和えである。水なすを少し厚めの半月切りにして、梅干しを叩いて作った梅肉とお砂糖、すり白ごまをお出汁で伸ばした梅だれで和えている。

 泉州水なすは、その名の通り大阪の泉州地域で育まれているお茄子である。形は丸っこく、米なすや京都の賀茂かもなすに似ているが、大きさはもう少し小振り。皮が薄くて柔らかく、生で食べることをおすすめされる。時季になると大阪のスーパーなどで生はもちろん、浅漬けや丸ままのぬか漬けなどが陳列される。

 栄養素としては、その多くは水分であるのだが、鉄分やミネラルなどが含まれる。中でもアントシアニンはポリフェノールの1種で、血栓予防や眼精疲労、美容効果も期待できるのだ。

 絞れば水気がぼとぼとと落ちてくるほどに水なすは瑞々みずみずしく、爽やかな甘みを蓄えている。それが梅の酸味と合わさり、暑さをまとう夏にぴったりな一品になるのだ。

 ……もしかして、さっそく夏バテを起こしているのだろうか。だから食欲が落ちて、この控えめな量の定食なのだろうか。

 梅雨が明けたとたん、お日さまは待ってましたとばかりにさんさんと地上を照らした。なら暑さに弱い人なら夏バテになっていてもおかしく無い。

 お客さまはため息混じりでもとろとろとお食事を続け、食べ終えるとお冷やを飲み干して席を立った。

 ゆうちゃんがお会計をしてくれる。みのりはせっせと他のお客さまの定食を整える。メインに小鉢2品、白ごはんの中とお味噌汁に、少し多めに食べはるんやなぁなぐらいの女性のものだった。

 お金を払い終えた先ほどの男性のお客さまが出て行って、悠ちゃんがみのりの後ろを通るとき。

「今出てったお客さん、美味しかったって。特に水なすが嬉しかったって。良かったな」

 悠ちゃんのいたわりの声が降ってきた。ああ、あの痩身のお客さま、みのりのお料理を気に入ってくれたのだ。ふんわりと心が熱くなる。

 飲食店などでお食事をしたとき、ほとんどの人はお店の人に「美味しかった」なんて言わないと思う。しかもあのお客さまは、こう言ってはあれだが、コミニュケーションにけている人には見えなかった。静かな方の様なイメージだった。今日がたまたま元気が無かっただけなのかも知れないが。

 なので、そんな方のお褒めの言葉はきっと本物だ。嬉しい。みのりは喜びを噛み締める。なら、また来てくれるだろうか。次は心配事などが解決されていれば良いな、もし夏バテならお身体を大事にして、そして心からお食事を楽しんでくれたら良いな、そんなことを思うのだ。



 1週間後、業者さんから仕入れた、夏野菜が入れられたトロ箱を前に、みのりは頭を働かす。

 青々とした空芯菜くうしんさいはごま油と日本酒、お塩でさっと炒めるだけでも美味しいし、真っ赤にれたトマトはさっぱりと塩昆布和えが良いかも知れない。

 ピーマンとパプリカはオイスターソースメインで中華風に炒めたら味わいも良く彩りも綺麗だし、冬瓜とうがんはお出汁を効かせてふっくらと煮込みたい。

 そして、泉州水なす。この水なすは限られた季節、初夏から初秋あたりに掛けてしか収穫されない。他の多くのお野菜の様に年中出回る様なものでは無いだけに、食べられるときにできるだけ出して差し上げたい。

 今日はどうしようか。乱切りにして、マリネにするのも良いかも知れない。オリーブオイルとお塩で風味を上げ、粗びき黒こしょうでアクセントを付ける。シンプルだが、あまり手を加えない方が水なすの美味しさが味わえるとみのりは思っている。

 お肉類も脂身の少ない綺麗なものが入っている。お魚もつやつやと輝いて新鮮だ。旬のスズキは大きい魚体のため三枚下ろしにしたうちの半身を仕入れたが、そっと押してみると弾力が凄い。中骨を外すために背身と腹身が分けられているので、腹身はバターたっぷりでムニエルにするのも良いし、背身はしっとりと煮付けにしようか。

 みのりがトロ箱を見て、あまりにもにやにやしているからか、悠ちゃんも楽しそうに箱を覗き込む。

「新鮮な食材って壮観やんな。みのりがテンション上がるん分かるわ」

「ね。何作ろうかって毎日楽しみやねん」

 業者さんから仕入れる食材は、もちろんみのりが指定している。業者さんと連絡を取りながら、明日はどこの農家さんから稀少なこれが入る、などを聞いて価格が許せば決めたりもする。やはり料理人として珍しい食材には興味があるのだ。

「さ、仕込み始めよか」

 みのりは言って、まずはぴんと張った空芯菜の束を取り出した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

夫より、いい男

月世
ライト文芸
ある日、大好きな夫の浮気が発覚し、絶望する妻。 「私も若い男の子とセックスする。見てなさい。あんたよりいい男、見つけるから」 ざまあ展開はないです。浮気旦那を制裁するお話ではありません。その要素をもとめている方は回れ右でどうぞ。 夫婦が争って仲たがいする話というより、失った信頼を取り戻せるのか、どう修復するか、「夫婦間恋愛」の話になります。性描写ありですが、さらりとしてます。

あずき食堂でお祝いを

山いい奈
キャラ文芸
大阪府豊中市の曽根にある「あずき食堂」。 セレクト形式で定食を提供するお店なのだが、密かな名物がお赤飯なのだ。 このお赤飯には、主人公たちに憑いている座敷童子のご加護があるのである。 主人公である双子の姉妹の美味しいご飯と、座敷童子の小さなお祝い。 「あずき食堂」は今日も和やかに営業中でございます。

異世界もふもふ食堂〜僕と爺ちゃんと魔法使い仔カピバラの味噌スローライフ〜

山いい奈
ファンタジー
味噌蔵の跡継ぎで修行中の相葉壱。 息抜きに動物園に行った時、仔カピバラに噛まれ、気付けば見知らぬ場所にいた。 壱を連れて来た仔カピバラに付いて行くと、着いた先は食堂で、そこには10年前に行方不明になった祖父、茂造がいた。 茂造は言う。「ここはいわゆる異世界なのじゃ」と。 そして、「この食堂を継いで欲しいんじゃ」と。 明かされる村の成り立ち。そして村人たちの公然の秘め事。 しかし壱は徐々にそれに慣れ親しんで行く。 仔カピバラのサユリのチート魔法に助けられながら、味噌などの和食などを作る壱。 そして一癖も二癖もある食堂の従業員やコンシャリド村の人たちが繰り広げる、騒がしくもスローな日々のお話です。

再び大地(フィールド)に立つために 〜中学二年、病との闘いを〜

長岡更紗
ライト文芸
島田颯斗はサッカー選手を目指す、普通の中学二年生。 しかし突然 病に襲われ、家族と離れて一人で入院することに。 中学二年生という多感な時期の殆どを病院で過ごした少年の、闘病の熾烈さと人との触れ合いを描いた、リアルを追求した物語です。 ※闘病中の方、またその家族の方には辛い思いをさせる表現が混ざるかもしれません。了承出来ない方はブラウザバックお願いします。 ※小説家になろうにて重複投稿しています。

カメラとわたしと自衛官〜不憫なんて言わせない!カメラ女子と自衛官の馴れ初め話〜

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
「かっこいい……あのボディ。かわいい……そのお尻」ため息を漏らすその視線の先に何がある? たまたま居合わせたイベント会場で空を仰ぐと、白い煙がお花を描いた。見上げた全員が歓声をあげる。それが自衛隊のイベントとは知らず、気づくとサイン会に巻き込まれて並んでいた。  ひょんな事がきっかけで、カメラにはまる女の子がファインダー越しに見つけた世界。なぜかいつもそこに貴方がいた。恋愛に鈍感でも被写体には敏感です。恋愛よりもカメラが大事! そんか彼女を気長に粘り強く自分のテリトリーに引き込みたい陸上自衛隊員との恋のお話? ※小説家になろう、カクヨムにも公開しています。 ※もちろん、フィクションです。

家庭菜園物語

コンビニ
ファンタジー
お人好しで動物好きな最上 悠(さいじょう ゆう)は肉親であった祖父が亡くなり、最後の家族であり姉のような存在でもある黒猫の杏(あんず)も静かに息を引き取ろうとする中で、助けたいなら異世界に来てくれないかと、少し残念な神様に提案される。 その転移先で秋田犬の大福を助けたことで、能力を失いそのままスローライフをおくることとなってしまう。 異世界で新しい家族や友人を作り、本人としてはほのぼのと家庭菜園を営んでいるが、小さな畑が世界には大きな影響を与えることになっていく。

おにぎり食堂『そよかぜ』

如月つばさ
ライト文芸
観光地からそれほど離れていない田舎。 山の麓のその村は、見渡す限り田んぼと畑ばかりの景色。 そんな中に、ひっそりと営業している食堂があります。 おにぎり食堂「そよかぜ」。 店主・桜井ハルと、看板犬ぽんすけ。そこへ辿り着いた人々との物語。

処理中です...